奪われたシェルター
地場産業の多くが果樹園などの農家だった中ノ原市は山間の町である。市街地には多少の高層建築物もあったが密集しているというほどでもない。衝撃波の影響も少なかったのではないかという期待が雄一郎にはあった。だがそれは中ノ原インターチェンジを下りてすぐに打ち砕かれる。
ここも他と同じか……倒れたり吹き飛ばされたりした建物等が銀白色の障害物になっただけのそれは氷の霊廟のような陰鬱さで雄一郎に落胆の覆いを被せてきた。
「農園に向かおう、教授んちとはまた別の食べ物にありつけるかも知れないぞ」
滅入る気分を振り払うように犬達に激を飛ばした。橇の速度を上げる、雄一郎とその仲間達が多感な少年時代を過ごした懐かしい農園は、もうすぐ見えてくるはずだった。
「おかしいな……」
小高い丘陵地を開いて作られた農園だった。ホログラムマップを見る限り地形に大きな変化はなく、雄一郎はたどり着いた場所に自信があった。早くからバイオ流体緩衝材を用いたシェルターを作っていると誠は言っていたはずなのだが――
――何かが違う。こんな世界になってしまった今、当時のそれと同じものは望むべくもないのはわかってはいたが、今ここに漂う雰囲気は排他的というか悪意を滲ませているというか……上手く言い表せないが、その空気はかつて過ごした農園とは明らかに趣の異なるものとなっていた。
犬達に静止の合図を送り、学校から農園への近道だった急斜面を見上げる。登るのは至難の技だ。丸太を渡しただけの階段だったそこは煌めく氷の滑り台に変わっており、冬山用の登山具なしでは体の保持さえ難しい。遠回りにはなるが車道に回るか。移動しかけたその時、頂上付近――とはいえ雄一郎の立つ場所と標高にして15m弱しか変わらない場所だが――そこに動きがあった。仲間か? 声を上げようとしたが異質なものを感じ取って身を屈めた。犬達にも声を出さないよう合図を送る。
「確かに犬の声だったのか? 風の音を聞き間違えたんじゃねえのかよ。おー寒っ!」
「間違いねえよ、腹を空かせている時の俺の感覚は動物並みなんだぜ。野菜と缶詰ばかりじゃ栄養も偏っちまう。生き残ったのがいるなら撃ち殺して食ってやろう」
撃ち殺す? 銃でも持っているのだろうか。大した距離ではないが暗い空のせいで様子が伺えるだけの視程はない。無論、先方からも気づかれないという利点はあったのだが。 聞き覚えのある声にも思えたが、農園の仲間達のそれではなかった。クロスボウを橇に置いたままだった雄一郎は物音を立てないよう身を低くしたまま犬達の許へと戻り、かつて街道だった場所の向こう側へと移動する。奴等は一体誰なんだ? 誠達はどこにいる? 無事なのか? 一切の通信網が閉ざされた氷の世界では疑問を抱けども答えを届けてくれるものなどない。山頂の視野から完全に外れたことを確認して警戒レベルを一段階引き下げた。誠んちの農園だった場所は、橇ならここから数分の距離だ。行ってみようか――
背後に気配を感じた雄一郎は。クロスボウを手に臨戦態勢を取る。
「誰だっ!」
「討つなっ! 危害は加えない。えっ? その声は……雄……雄なのか?」
雄一郎が振り返ったそこには五年ぶりの懐かしい姿があった。1m程の高さの氷塊に、川崎誠がその短躯を潜めていた。「誠か、無事だったのか」
顔を覆うマフラーを外しながら丸顔におちょぼ口の誠が姿を現す。恩人の営むベガ農園で家族同然に暮らした仲間だった。お互いの無事を抱き合って確かめ合う。言葉は要らない。懐かしい香りが、見えない想いが分厚い布越しからでも伝わってきた。良かった――無事を信じなかった訳ではないが、こうして実際に逢えたことで考えたくない不安も払拭されるというものだ。誠が言った。
「なあ、雄。この国はどうなっちゃったんだ? なんで昼間でも暗いんだ? この氷はいつか溶けるのか?」
伊都淵の推測を話すべきがどうか雄一郎は迷った。人の良さが取り柄の誠が、これを訊いて絶望することにはならないだろうか…… だが状況を把握しなければ覚悟を決めることなど出来るものではない。手短に、だが要点だけは確実に、この星の現状を告げた。
「そんなあ……じゃあ世界のどこからも救助は来ないってことなのか? 政府はどうなっちゃったんだ」
「元々、国民のために何かをしようって連中じゃなかっただろう? ひとりひとりが強くならないといけない。それは所教授も言っていた」
「食べる物もない、太陽も拝めないでどうやって生きてゆくんだよ」
「この先どうなるかは分からない、というのが正直なところだ。伊都淵さんもそう言っていた。分からないってことは、元に戻るかも知れないじゃないか。へこんでたって始まらない、俺達は今出来ることに全力を尽くす。そのためにはベースキャンプとなるシェルターが必要なんだ。作ったんだろう?」
「それが……」
口篭る誠に雄一郎は続けた。
「美代ちゃんは確保したぞ、丈も無事だ。他にも生存者がいるし東北の仲間達――カジさんも正も健在だ。立て直すんだよ、残った俺達で」
「そうか、美代ちゃんやタケ坊も元気なんだ……俺がもうちょいしっかりしてれば今頃は……」
歯切れ悪く語尾を濁らすばかりの誠に、雄一郎はつい責めるような口調になった。
「どうしたんだよ? シェルターはどこにあるんだ、剛は?」
「あそこ」
誠が指差すのはかつて農園があった場所だった。するとさっきの連中も新たに加わった仲間なのだろうか? 誠がポツリポツリと話し始める。カジに留守を任されるほど農園の業務には長けていたが、人の良さが気の弱さにも現れてしまう誠だった。
「山田を覚えてるか?」
中学時代のクラスメートの名前を出してくる。農園組の雄一郎達と諍いの絶えなかった不良グループのリーダー格だった山田は農園に放火しようとして失敗に終わり、転校してからはとんと消息を聞かなくなっていた。
「或る日、あいつ等がシェルターにやってきたんだ。トコログリアの接種を受けてないから外では凍死してしまう。突貫工事でシェルターを作っているからそれが出来るまで置いてくれないかって」
「それで?」
「入れてやったさ。ジュンさならそうしたろう? 俺や剛に頭を下げてくるくらいだから、あいつも心を入れ替えたんだって思ったんだ。だけど中へ入れた途端、豹変しやがった。中山を覚えてるか? あいつも一緒だ。広田と坂本も――警官になっていた中山は拳銃を持っているし、広田はオヤジの鳥撃ち用散弾銃を持っていた。シェルターは乗っ取られ、俺達は追い出されちゃったんだ」
誠が挙げる名前はどれも聞き覚えのあるものだった。暴走族だった中山が警官だと? 信じられない、といった様子で雄一郎は大きく頭を振った。
「ここには何人居たんだ?」
「農園スタッフが四人、妹の晴美とその旦那の伊藤、あと近所のご家族を五人受け入れていたから俺を入れて都合十二人だ」
伊藤の名は聞いたことがある。ギャンブル狂いの両親のせいで就学援助が必要だった彼を雄一郎達の後釜にと美代子が引き取っていたのだった。
「その人たちは、今どうしてるんだ?」
「俺んちと正んちにも、ここの五分の一ぐらいのサイズだけどシェルターを作ってあったんだ。今はそこで半分ずつ暮らしている。だけど……」
「だけど何だ? じれったいな、一度に全部話せよ」
「食料がもうないんだよ、だからこっそり忍び込んで取り返せないかと思ってこうして毎日様子を見に来ているんだ。だけどあいつ等絶対にシェルターを空にしないんだよ」
「体温調整も出来ない奴等がマイナス20℃以下の屋外で長時間活動出来るはずはないからな、それで?」
「そしたら、お前が居た」
かなり端折った説明にも思えたが、この誠は中学時代からあまり饒舌な男ではない。雄一郎は解決されていない最後の疑問を口にした。
「剛も一緒だったんだろう? あいつはどうしたんだ?」
「嫁さんを人質にとられて、召使いみたいにされてる」
なんて奴等だ――こんな世界で生き延びるためには生き残った人々が助け合い支え合って行くしかないのに……自分達さえ良ければそれでいいといった傲慢で短絡的な振る舞いに、雄一郎はこみ上げる怒りを抑え切れずにいた。
「奴等が銃を持ってさえいなきゃ俺だって立ち向かったさ。伊藤も農園スタッフの連中も戦おう、シェルターを奪い返そうって言ってた。だけど……」
声を詰まらせる誠だった。八歩が体をすり寄せる。
「泣くなバカ、お前の判断は正しい。怪我でもした日には診てくれるお医者さんも居ないこの状況だ。銃を持った相手にかかってゆくような真似はしないで正解だよ」
「でも、食べ物がもうなくなっちゃって……晴美はお腹が大きいんだ。食べられないと生まれてくる赤ん坊だって心配だし……」
視線を落とす誠の肩に雄一郎が手を置く。
「そうか、分かった」
「分かったって?」
「奪われたものなら取り返すしかないじゃないか。だいたい、あそこの正当な所有者は美代ちゃんなんだ。シェルターを作ったのはお前、食料だってお前等が集めたんだろ? あんな奴等にただで住まわせ食わせてやる道理はない」
「だけどどうやって? あいつ等銃を持ってんだぜ?」
「確かにそれはちょっと面倒だな……橇に食料が少しある。お前んちのシェルターに行こう。そこで作戦会議だ」
雄一郎は去り際にもう一度農園跡を見上げる。お前達の好きにはさせない――期するものを目に歩き出す誠の後を追った。