アイスギャング
《ヨカッタのか、アレで》
走り始めてすぐに一歩の思考が届いた。
《仕方ないだろう、東北にはトコログリアの到着を待っている人々がいる。あそこで生き延びた人が居るなら他にも居るはずだ。その人達が集まって力を合わせればなんとか――》
《ナントカ?》
《なるんじゃないか?》
そうと以外、僕には答えようがなかった。
《とにかく今日中に更埴辺りまでは進めたい。後ろを振り返ってる暇はないんだ》
と、言いながらも僕は背後を振り返った。見送ってくれた女性――石田真由美の視界から僕の姿はとうに消え去っていただろう。それでも手を振り続けてくる彼女に僕は思いっきり後ろ髪を惹かれていた。 元々、色彩を失ってしまった世界ではあったが、彼女と別れた今、僕の視野は完全にモノトーンとなってしまった。そしてもう一つ哀しい出来事がある。トラックの荷台を剥がして作った橇で食料を運ぶ役目を仰せつかるのは僕になっていたのである。仕方がない、スピードに劣る一歩に引かせれば大幅な速度減になってしまうのだから。
《これが成功したら――無事、アノヒトの許へたどり着けたらお前はどうする?》
《マダ、ハンブンのキョリもハシリオエテないのにミライのハナシか》
《過去を語りたいのか?》
《イヤ、オモイダシたくもナイ》
《だったら、将来を話すしかないじゃないか》
《マア、ソウダナ。ワタシはアノヒトとトモにイル》
《忠誠心に富んだことだな――待てっ、止まれ》
僕は音響定位機能に大きな障害物を感知していた。
《ナンダ、あのカタマリは――》
上り車線を塞ぐ大きな氷塊が百メートル程先にあった。
《見飽きただろう? 氷さ》
《ソレはワカルが――》
《何故、あそこにそれがあるかっていうのか? 温度に大幅な変化がない以上、雪崩でどこかから落ちてきたとも思えない。とすれば誰かが作為的にやったんだろうな。それが悪意でないことを祈るよ》
だが、僕の願いは虚しく霧散することとなる。善意と正義感の塊みたいな連中にここまでの道程を支えられてきた僕達だ、そろそろ悪役が現れてもおかしくはない頃合だった。やれやれ、近未来映画のお約束までキッチリ演出してくれることないのに――
障害物が近づき速度を落とす僕等の前に、なだらかな稜線を下って三台のスノーモビルが姿を現した。氷原版マッドマックスか――あまりにも先が読め過ぎる展開に、僕は正直呆れ返っていた。スノーモビルは障害物を背にしてこちらを向いて止まった。
「何を持っている? 先ずそのローラーブレードはいただきだな、食物は?」
下品な落書きとスペルの間違ったスラングに彩られたスノーモビルから男が降り立って声を張り上げた。15m程の距離で僕等は対峙していた。
《ドウする?》
《熊よりは御し易いだろうさ》
僕等はそう意思を交わした。
「これは僕の命綱なんだよ、あげる訳には行かない。その代わりといってはなんだが食べ物ならたくさんあるから分けてあげられる。それで通してくれないかな?」
遅れて降り立ったスノーモビルの二人がバカ笑いを上げた。三人共、フルフェイスヘルメットに顔が覆われ年格好は分からないが、声の調子から三十を超えてはいないだろうと判断した。
「分かってないようだな、下さいといっているんじゃない。全部置いてゆけと命令しているんだ。それとも死にたいのか?」
リーダー格の男は手斧を持っている。他の二人の武器はナイフと鉄の棒だった。肉体の装甲までは手を加えられていない僕だ。刺されたり切りつけられたりすれば大怪我をするか、ヘルメット男の言う通り死んでしまうのだろう。無論、僕の体に触れることが出来れば、の話だが。僕はスタスタとアイスギャングに歩み寄る。振り向かずとも背後に回り込んだもう一台のスノーモビルがわかった。一歩が唸り声を上げる。
「これで全員かい?」
「何を格好つけてやがる、一対三だぞ。ビビって小便を漏らす前に、それを全部置いて行きやがれ」
いや、一対五だ。背後の気配に気づいていた僕は頭の中でそう訂正した。奥歯に加速装置のスイッチは仕込まれてない僕だが、視覚を開放すれば普通の人間が如何に素早く動こうとも止まっているも同然にしか感じない。先ずは背後から迫ってくるスノーモビルをあっさりとよける。威嚇のためだったのか本気で僕を轢き殺そうとしたのかはわからなかったが、目標を失ったそれは仲間が停めた一台に激突して止まった。
「バカめ……」
このアイスギャング達の組織構成がどれほどのものだったにせよ、一度に二台のスノーモビルを失うのは痛手だったに違いない。リーダー格の男の言葉には大きな落胆が含まれていた。衝突時に挟んだのか太ったひとりは足を引きずっている。後部座席から投げ出された背の低い方は頚椎でも痛めたのだろう、なかなか立ち上がって来ない。
力は自信である。この旅で自身のスピードを知り氷のホテル製作で自身の力を知った僕は、氷原の決闘に臨むに至って露ほどの怯えもなく、怯んでいたのは数で勝るアイスギャングの方であった。折角の決闘シーンなのに一乗下り松はそこいらに見当たらない。まあ、あったとしても凍っていただろうが。柄の折れたピッケルは護身用にと石田さんに渡してきており、氷原の宮本武蔵は竹光のひと振りさえ持っていなかった。しかし意気だけは盛んだ。さあ来い吉岡一門、僕はエア二天一流中段の構えをとる。
勝つと分かっている喧嘩は生まれて初めてのことだった。その機会に恵まれた僕は期待感で身震いすら覚えた。しかしそこへとんだ邪魔が入ることとなる。
「弱いもの虐めは最低だ。男のすることじゃねえ」
死んだ父親が何度も僕に言った言葉だった。助けが欲しい時には死んじゃって居ないくせに――そして今は実体もないのに邪魔をしてくれるのか――だが、その言葉に抗うことはできなかった。所謂〝三つ子の魂なんとやら〟というヤツだろう。気落ちする僕の様子にギャングどもの気勢は上がった。「やっちまえ」時代劇のヤクザもののような掛け声と共に間合いを詰めてきた。僕は仕方なく彼等の武器を奪い、襟首を掴むとヘルメット同士で頭突きをさせた。ほんの二秒とかからずに。
《ヤルじゃナイカ》
《まあね》
駆け寄った一歩の賞賛に悪い気はしなかった。次に連中のヘルメットを脱がせて虹彩を調べる。十代後半から二十代前半といったギャングのメンバー達は全員がトコログリア摂取済みの反応を見せていた。
「これで全員かい?」
僕は対決前の質問をもう一度口にする。今度はご丁寧にも全員でコクコクと首を縦に振って答えてくれた。
《石田さん一家の避難所までは約120km。足を奪っておけば容易くたどり着けはしないとは思うけど……》
《アシ? キルのか?》
一歩に比喩は通じない。僕がそんな野蛮な人間に見えるのだろうか。
《こうしよう》
アイスギャングから奪った手斧と鉄パイプで障害物となっていた氷塊に孔を穿ち始める。但し、今回は間口を上に。そう、僕は氷の檻を作るつもりだったのだ。
《コイツらチのニオイはしない》
と一歩がいった。初犯だったのだろう、もっとも氷の世界を出歩く物好きなど僕等の他にそうそう居るはずもない。心優しい僕は30分かけて作り上げた氷の牢獄に彼等を放り投げ……ることはせず、一人一人を2.5m程の高さから落とし入れる。ついでに缶詰のダンボール箱を二つ程投げ入れてやった。自分達の置かれた状況を知ってか知らずか、牢獄の中から歓声が上がった。
《ニゲダシたりはシナイか》
《普通の人間には無理だろうな、壁面の氷は1.5mの厚みがある。奴等が食べ物を節約し分け合うような人間になっていれば帰りに助け出してやろう》
僕はスノーモビルの燃料を調べていた。シールドを曲げて漏斗代わりにすると、クロスカントリータイプの一台に全てを注ぎ入れた。檻の中の連中が見ていたら腰を抜かしただろう。片手で数百キロはあるスノーモビルを持ち上げ、逆さに振っていたのだから。
《手間取ってしまったな。これを借りて行こう》
《ワタシはイイ、ハシル》
《時速100kmでか? お前に楽させようとして言ってるんじゃないよ。遅れを取り戻したいだけだ》
一歩は渋々といった様子でスノーモビルに飛び乗った。
《振り落とされないようハーネスをここに結んでおくからな。窮屈だろうが我慢してくれよ》
ハンドルに渡された樹脂製のアーチに一歩のハーネスを渡して締め上げた。
《ワカッタ》
登り勾配もある山間部の高速道路だ、好燃費は期待出来ないだろう。エンジンが楽に回転する領域を見つけると、その速度域で巡航姿勢をとった。スノーモビルに乗るのは初めてだったが、ビッグスクーターと操作は変わらない。ACジェネレータからバイパスした電圧は僕の機能も安定させた。爽快感につい嬌声を上げてしまう。「ヒャッホー」それに呼応するかのように一歩は遠吠えを上げる。「アオー」こいつ、さっきまで気乗りしない様子じゃなかったか?
僕等を乗せた弾丸は順調に長野道を抜け上信越道へと入っていた。しかし――だがしかし、それは順調過ぎるようにも思えた。僕は高校時代のクソ真面目で融通の利かない同級生とその仇名を思い出していた。真山浩二――マヤマコウジ――好事魔多しを。今考えてみるとたったふたつしか〝マ〟は入ってない。ホルモンに支配される男子高校生が如何に愚かであるかを証明していた。