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生存者

 腹がくちれば眠くなるのは万物に共通した肉体的欲求である。だが、僕が身に付けた音響定位なるものは超聴覚までをも身につけさせてしまったらしい。先に眠りについた一歩の鼾がうるさくて仕方ない。犬を飼った経験のない僕だった。彼等が鼾をかくことなど知らなくて当然だ。先に眠りそびれたのを後悔する僕にバフッという音、ついで強烈な臭気が襲ってきた。この野郎、放屁までするのか。僕はたまらず氷のホテルから逃げ出した。

「伝達効率を下げろ」頭のどこかでそんな声が響く。僕は試してみた。これか? 周囲が真っ暗になった――これではないらしい。こっちか? 舌が分厚くなったような気がした――これでもないな、と試す僕の耳に飛び込んできたものがある。

「……けて……たす……けて」

 トラックをどけたコンビニの残骸、その奥辺りから聞こえてくる。生存者か? 僕は眠るのを諦めた。悪臭たちこめる氷の部屋へ戻ると女性用レギンスを隠すべくズボンを穿く。待ちに待った救助隊ひとりきりだがが変態然としていては、その姿を見た途端、遭難者は生への執着を手放してしまうかも知れない。鏨を手にして声のした方へと向かった。

「誰か居ますか?」

「……こ……こ……こ」

 コッコッコと言ってはいるが鶏なら助けてとは言わない。僕は幾重にも重なった氷の壁を引き剥がしにかかる。バリッバリッと景気のいい音を立て背後に積み重なってゆく様は、先ほどの氷のホテル造成と大差ない。1m四方程に圧迫された空間に三体、シャーベットにリーチがかかった人影を見つけ出した。

 膂力は人間離れしていてもサイズそのものは何ら変わっていない。成人を三人抱えるには腕の長さが足りなかった。一人が太っていて腕が回らないせいもあったのだが。一番大きく剥がすことの出来たトラック荷台のパネルを橇代わりにして三人を乗せる。戻るまでにホテルの悪臭がぬけていればいいのだが――生憎、一歩の枕の下にルームメイクのためのチップを忍ばせてきてはいなかった。

《起きろ、生存者だ》

 三角錐の耳をピクピクと震わせえて一歩が起き上がった。大あくびまでしてやがる。なんて無防備な犬だ……野犬化していたというのなら、もう少し警戒心のアンテナを張り巡らせておいたらどうなんだ。クローズドな思考の中で僕は毒づいた。

《ドコでミツケた》

《コンビニの奥だ。ウォークイン冷蔵庫と壁の隙間で命を長らえていたようだ》

 僕は橇の三人の虹彩を調べた。トコログリア摂取後はこれが青紫に変色すると所教授が言っていたからだ。エリザベス・テイラーかよ、と内心で突っ込みをいれたことを思い出す。三人共、接種は済ませていたようだ。でなければとても生き残れてはいなかったろう。

《乗っかってやれ》

 一歩に中年男性を温めてやるように指示し、僕は一番若い女性に体温を上げて覆い被さる。全員、生体反応はある。胸の下の女性の呼吸が安定したのを確認し、次は中年女性へと移った。些か気は進まないが人助けなのだから仕方ない。美味しいものは後へとっておく――僕はこれが苦手だったのだ。

「ここは?」

 意識を取り戻した女性が、おそらく彼女の母親だと思しき中年女性に覆いかぶさった怪しげな男に訊ねてくる。まあ、悲鳴を上げられないだけマシか、そのままの姿勢で僕は答えた。

「多分、駒ヶ岳サービスエリアでしょう。よく生き延びていられましたね」

「あなたは?」

「旅の者です」

 嘘ではない。詳細を説明をする気にもなれず、それを信じてもらえるとも思えなかったのでそう答える。中年女性の呼吸音がしっかりしてきたのを確認すると僕は体を起こした。

「あなたが助けてくれたんですか?」

 質問攻めだな。上半身を起こした女性は二十代半ばといったところか、僕より幾つか歳上のように見えた。下顎部中心にホクロのあるチャーミングな女性だった。

「父と母は?」

「心音も呼吸もしっかりしているようです。おっつけ意識を取り戻されるでしょう」

「何があったんです? どうしてこんなことに? あなたは誰なんです?」

 再び質問攻めに遭う。東北のカリスマの推測をここで述べたところで彼女を混乱させるだけだろう。言葉を探す僕に彼女は続けた。

「これ……氷なの? デイ・アフター・トゥモローみたいだわ……」

「あ、それだ! その映画観ました? だったら話は速い。あれのもうちょい状況が悪くなったものだと思ってもらえれば――」

 説明の手間が省け、意気の上がる僕に反して彼女は沈み込んでいった。至極当然な反応ではある。何せ僕が告げたのは〝地球はお先真っ暗です〟と同義語だったのだから。効いてないじゃんP300A――僕はこの夜二度目となるクレームを脳内の所教授にぶつけた。

 一歩の下で彼女の父親も意識を取り戻したらしい。呻き声の後に驚愕の声が上がった。目覚めたら眼前には見目麗しい女性、ならともかく白く無愛想な毛むくじゃらが乗っかっていたのだから無理もない。

「――と、いうことらしいです。何せ全ての連絡網が遮断され、ここのところ新聞配達がさぼっているせいで、確認はとれていませんが」

 僕は助け出した親子三人を前に、東北のカリスマの推測と僕達が経験してきたことを若干のジョークを混じえて語った。彼等は法要のため母親の実家である鶴舞県に向かう途中でこの災禍に遭遇したといった。娘がコンビニで買ったミルクケーキなるものとウォークイン冷蔵庫の中に残っていたものとで餓えと乾きをしのぎ、この九日間をやり過ごしたという。大したバイタリティだ。彼等は石田と名乗った。

 僕の振舞う缶詰はあっという間に空になっていた。最低限のカロリーだけは摂取していた僕と一歩ですらああだったのだから当然だろう。彼等が完全に平静を取り戻していなかったことも幸いと言えよう。狂気の氷中行への質問もなければ、アイスルームを作り上げた経緯についても訊ねられなかったのだから。「はい、僕は化物です」と真実を語るには彼等の娘――石田真由美さんはチャーミング過ぎたのである。

「これは溶かせないかな」

 人の良さそうな父親――石田博氏がビールの缶を持ち上げて言った。眼鏡のレンズが片方フレームから落ちて見にくそうにしている。

「あなたっ!」「お父さんっ!」

 妻と娘に同時に嗜められ父親は首をすくめる。この絶望的な状況下、こういったお気楽さも必要なのではないかと思い、僕は父親にハンドトーチを貸してあげることにした。彼は無類のアルコール好きだったようで、内容物が全て溶けるのを待ちきれず喜色満面で口へと運ぶ。但し味は期待したほどではなかったようだ。彼のしかめっ面がそう語っていた。

「私達はこれからどうすれば?」

「さあ?」

 無責任で言った訳ではない。僕としてもどうするのが彼等にとって望ましいことなのか皆目見当がつかなかったのだ。軽装で僕達より遥かに体力の劣る彼等を連れて旅をする訳には行かない。アルミパネルを橇代わりに使うにせよ、それを一頭きりの一歩に引かせるには無理がある。僕が? いや勘弁して欲しい。魅力的な女性である石田真由美さんに橇を引く男の背中に漂う哀愁は見せたくなかった。

 鶴舞県を迂回するとなると大幅な遠回りとなってしまう。それにこの氷の世界で法要を執り行おうとする酔狂な親類もいないはずだ。彼等は何度も顔を見合わせ、妙案が出ないとなると僕に視線を振ってくる。こういったところは都会暮らしの人々に多く見られる特徴なのであろう。

 平時なら「その会談は夜明けまで続いた」ということになるのだろうが、残念ながら夜は明けない。結局、ふんだんにある食料と氷のホテルを三人に残し、僕等は旅立つことにした。目的地で橇を確保したら必ず迎えに戻ると約束をして。


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