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駒ヶ岳パーキングエリア

 最初の休憩は、おそらく美濃ジャンクションを少し過ぎた辺りだろう。僕はそれまでに自身の持つスピードを学んでいた。一歩はコンビーフの缶詰を食べる僕を見てみぬふりで他方に顔を向け伏せている。風でコンビーフの香りが鼻先をかすめる度、黒い唇の端から涎を垂れ流す。意地っ張りなんだか正直なんだか――僕は半分を残して彼の前に差し出してやった。

《食べるか?》

《イイのか》

 驚いたように顔を上げ、缶詰と僕の顔を交互に眺める。

《ああ、食事は大勢でとった方が楽しい》

《そのカンカクはワカラナイがクレルというならモラッテおこう》

 イメージの変換に僕が長けたのか一歩の伝達能力が上がったのかは分からないが、僕達の会話はそれらしいものになってきていた。実はこの時既に僕は、電位変化を読み取り送り付けるという作業を行なっていたらしいのだが、それを知るのは随分後になってからだった。つまりイメージのコンパイラというソフトウェアが脳内で活動を始めていたことになる。自慢でも言い訳でもないが、それの優秀さがイメージの同時通訳を担っていてくれたのだ。

《美味いか?》

 プルタブまでしゃぶり尽くそうとする様が、一歩の空腹を物語っていた。

《あのパサパサのアジケないモノよりはな。タダ、スコシショッパイ》

《爺さんみたいなこというなよ――って、お前一体何歳なんだ?》

《ナンサイ? ソレはナンダ》

 どうやら年齢という概念は犬にはないらしい。僕は質問の仕方を変えてみる。

《暗い時間と明るい時間を何度数えた?》

《このクロいソラにナッテシマッテからはワスレたが、アノヒまでは1542カイだ》

 するってえと、四歳と八十二日――閏年が一回あるとして八十三日プラス九日といったところか……と計算して僕は自分の暗算能力に驚いた。或る日、突然能力を授かった男がFBIだかどこだかの研究施設で、そんなインタビューを受けていた映画を思い出した。

《そのテイドでナニをオドロイテいる? アノヒトはもっとフクザツなことをヘイコウしてカンガエながら、まるでベツのモノをツクリアゲタリもしていた》

《あの人?》

《オマエたちがトウホクのカリスマとヨブアノヒトだ》

《そりゃまあ薬の量が違うからな》

《クスリ?》

《うーん、説明が面倒だ。忘れてくれ。さあ、出発するぞ》

《ワカッタ》

 ゴーグルとフェイスマスクこそ雄さんの使っていたものにグレードアップされてはいたが、真っ赤な女性用のハーフコートを身にまとい背中には大きなリュックサック。太った(一歩の弁によれば、体毛の層が厚いのでそう見えるだけだそうだ)犬を連れてローラーブレードで高速道路を疾駆する僕の姿は、どう人々の目に映るのだろう。誰にも逢えないのは寂しいが誰かに見られるのも困るな――僕はそんな複雑な心境で氷の高速道路を蹴り続けた。

「テアシがツクリモノなのにオマエにはヒソウカンがない」

 大きなお世話だ、犬に人間の尊厳が分かってたまるか。僕は少しムキになって言い返す。

「手足は道具だよ、肝心なのはここさ」

「キョウコツか?」

「中身だよ」

「ハイか?」

 胸を指し示したのは間違いだったようだ。犬であるこいつに〝ハート〟は理解できないのだろう。

「こっちに訂正だ」

 今度はオツムを指す。犬とて脳味噌が詰まっているところは同じなのだ。

「ズガイコツか?」

 こいつは僕をからかっているのだろうか、そんな疑念を抱かずにはいられない一歩の言動イメージであった。ヤツの黒い唇が少し持ち上がったように見えた。

 

 予定の距離を走り終えようとしていた。恐らく駒ヶ岳パーキングエリア辺りだろう。道路から少し開けた場所へと進路を変え速度を落とす。今夜のお宿はここにしておこう。口(イメージ)にはしないが一歩がへばっているように見える。二度目の休憩の後、勢いを増した吹雪が彼の体力を奪っていたようだ。

《足はどうだ? 傷めてないか? 見せてみろ》

《ダイジョウブだ、オマエこそダイジョウブか》

 とことん負けず嫌いなヤツだ。僕はふと思った疑問を一歩にぶつけてみる。

《犬ってのは主人に忠実なものだろう》

《ソノトオリだ》

《だったら、僕を〝お前〟って呼ぶなよ》

《ワタシのシュジンはアノヒトでダイリはオマエがユウサンとよぶヒトだ。オマエはそのドチラでもない。ナカマとしてはミトメテやろう。オマエはワタシタチドウヨウ、カオにケがハエテいる》

 腹の立つ犬だ。しかも何で上から目線なのだ。ヒゲを剃り落とせば敬ってもらえるのだろうか。洒落ではないが不毛な自問自答の末、話題を変えることにした。

《しかし、本当にひとっこひとり目にしないな。こっちへ来る時もこんなだったのか?》

《シカと、クロくてデカイのにソウグウしたダケだ》

 雄さんが話してた熊のことだなと推察する。ボクシングの世界チャンピオンだった雄さんでさえ腰が抜けたと言っていた。気の弱さなら中部地区代表を自認する僕がそんな場面に出食わしたならおしっこを漏らしてしまうかも知れない。そうなるとこの尊大な犬に弱みを握られてしまうことになる。神様、おいでになるとしたら何卒そんな運命には……祈りかけて気づいた。憂慮が現実化してしまうこの数日だった。僕は頭を振ってその懸念を頭の隅に追いやる。この時の僕は、まだ自分の力をいうもの把握し切れていなかったのだ。

 ガソリンスタンド跡なのだろう、支柱ごと庇がめくれあがった部分が氷で埋め尽くされている。何故だか急に梓先生の顔が浮かんだ。「勝手に穴を穿つなり――」そうか、これに穴をあければカマクラみたいなもんじゃないか。僕はリュックから鏨とピッケルを取り出した。

《ナニをするツモリだ》

 犬というのは意外に表情が豊かなものだ。怪訝な顔で一歩が訊ねてきた。

《まあ、見てろって》

 大きな塊の前を塞ぐ直系2~3m程の氷を両手で抱えては投げ捨てる。ちぎっては投げの要領だ。おほっ! こいつは楽しい。「調子にのらないこと」再び梓先生の忠告が浮かぶ。わかってますって。充電は完璧、この調子なら三十分もあれば本場のイグルーに引けを取らないようなのを作り上げてみますよ。僕は脳内の梓先生に胸を張ってみせた。

 数トンの力で打ち付ける鏨とピッケルの威力は迫力満点だ。氷の塊はみるみるうちに、その内部に空間を作り出してゆく。ポキッ、あっちゃー……ピッケルの木柄が折れちゃったじゃないか。ま、いっか。熊でも何でも出てきやがれ。僕は作業に完全にのめり込んでいた。有頂天になっていた。自分がかき氷機にでもなったような気分だった。両腕の回転に合せ氷の欠片がどんどん背後に積み重なってゆく。二十分とかからず、外観は歪でも完璧な立方体の氷の空間が出来上がっていた。

《ホウ》

 一歩が珍しく感心した様子で僕に並びかける。

《お客様、ご宿泊ですか?》

 ホテルのクロークを気取る僕を一歩は解さない。

《ナニをイッテいる》

《とりあえず氷雪はしのげる。さあ入った入った》

《クズレやシナイか》

 一歩はおそるおそる足を踏み入れるとこう言った。

《アタタタカイ》

《タがひとつ多いけど、まあいい。そうとも、氷の中ってのは意外に温かいもんなんだ。南極――本家南極の人々はこういったものを作って住んでいるくらいだしな。ところで彼等の住んでいた所は今……》

 僕は頭の中で地球儀をグルリと回転させてみる。

《おいおい、北大西洋の沖合になっちゃってるじゃないか。氷が溶けて大変なことになるんじゃないのか? エスキモー諸君は寒さに強くても熱中症には弱いとか――》

《ソラをミロ》

 無愛想な犬に促され星の見えない空を見上げる。

《アノヒトはイッテいた。マキアゲられたフンジンがこのホシをオオッテいるカギリ、ドコもニタようなキコウになってイルダロウ、と》

 少し頭が良くなっていたはずの僕だったが、犬に間違いを指摘されることとなる。効いてないじゃんP300A。携帯電話が通じるなら即刻所教授にクレームを言いたい気分だった。

《東北のカリスマはあの空がいつ晴れると言ってた?》

《ジンルイがユウシいらいハジメテケイケンするコトバカリなのだ。イッカゲツかイチネンか、それともエイキュウにコノママなのかケントウもツカン。アノヒトはそうイッテいた》

《そうか――》

 無事にミクログリアとその成分構成を届けることが出来たとしよう。災禍を生き延びた人々がそれで救われたとする――しかし、あの空が晴れることないとすれば、その後はどうなるのだ。食物は? 日射は? 産業は? 僕には人類の未来がこの空同様、とてつもなく暗いものに感じられた。

《ドウシタ》

 僕のシケた面に一歩も気づいたようだった。犬に心配されているようでは、このミッションの成功も覚束ない。僕は無理矢理にでも元気を奮い起こす必要があった。

《いや、なんでもない。このサービスエリアにはコンビニがあったはずだ。今の要領で氷を砕いて残されている缶詰ぐらい見つけられるかも知れない。食料――タベモノを探してくる。中で体を休めてろよ》

 鬱いだ思考が配慮を欠いたようだ。一気に送り付けた思考の後半しか一歩には理解出来なかったようだ。

《ワタシはサムサはキにならない》

 断熱シートを広げてリュックを置く。「寒さはきにならない」と曰ったはずの一歩だが、ちゃっかりとその上に乗ってきた。なんだこいつは……

《そうだな、二十分で戻らなければ見にきてくれ。この針がここにくるまでだ》

 一歩の前に腕時計を外して置いた。鏨とLEDライトを手に足を踏み出しかけた僕の背に一歩の思考が届く。

《ナッタ》

 ん? 彼は太い前足を時計の文字盤の上に置いていた。

《違う違う、それは秒針。こっちの針の方だよ》

《ワタシはハナはキクがメはソレホドでもナイ。ジョウホウはセイカクにタノム》

 こいつは何で視力が悪いことを威張って言うのだ――僕はやや憤慨したが犬と言い争いをしても始まらない。《おうよ》不機嫌を滲ませた返事を送って氷のホテルを出た。

 比較的低い山々ではあったが、それに囲まれていたことが衝撃波を幾らか緩和したのだろう。平地にあるサービスエリアのようにまっ平らにはなっておらず崩れかけた建物の残骸に吹き飛ばされた大型トラックが突っ込んだままとなっていた。もしや――氷を取り除きトラックのアルミ荷台を露出させる。見慣れた大手スーパーマーケットのロゴが目についた。即座にアルミパネルを剥がしにかかる。平時ならなんとも思わなかったろうが今は違う。僕はお宝の山を掘り当てたのだ。

 その後の首尾は言うまでもないだろう。トラックの荷台を引き剥がしては内容物の異なるダンボール箱を抜き出して外に積み重ねてゆく。最期に取り忘れがないかと荷台をひっくり返そうとする。肩甲骨、鎖骨と周辺の骨格筋――僕のオリジナル部分が嫌な軋み音をたてたので慎重に行なった。こうやって僕は力の使い途と限界を習得してゆくこととなる。コンビニへの間口は開けたが中を散策するまでもない。僕の脇には堆く積み上げられた大量の戦利品があった。

 数回に分け氷のホテルへと運び込んだ。秋刀魚の蒲焼、焼き鳥、アスパラガスの水煮等々の缶詰で、ひとりと一頭の祝宴が始まる。満腹になるまで食べたのは〝あの日〟以来だった。しかも今回は洋梨のデザートまでついてるときたもんだ。食事の途中で一歩は一度席を立った。一時に詰め込みすぎて気分でも悪くしたのかと思ったが、彼が消化物を出したのは口からではなかったようだ。戻った途端、再びガツガツと食べ始めたのだから。

《コレもタベテみたい》

 一歩がカチンカチンに凍ったマヨネーズのチューブに興味を示す。

《それは調味料だぞ。さっきのアスパラガスとかにつけて食べるもんだ》

《デモ、タベテみたい》

 卑しいヤツだな――仕方なく僕は凍ったチューブをナイフで裂いてやった。一歩が口に入れる端からとろけ出す脂肪とビネガーの混じった香りが僕の鼻腔をくすぐった。チーズみたいなものかも知れない。少しくれよ、と手を伸ばした僕への返事は、あろうことか「ガルルルル」だった。


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