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救出

「ねえ、梓先生。教授とは随分年齢が離れてるように見えるんですが、教授は再婚とかだったりします?」

 ベッドにうつ伏せになった僕は話すことを止めない。電源を体内に埋め込むといった手術がどんな大掛かりなものかという不安が、そうさせていたのだ。

「余計なお世話よ。あなたの治療に何の関係もないでしょう」

 どうもこの女医さんは僕に冷たい。気を失っているうちにお尻でも撫でてしまったのだろうか? だが手が動かせるようになったのは今朝ほどで、以降そんな不埒な真似をした記憶はない。

「それはそうですが、電源を背負って暮らして行く僕の身にもなって下さいよ。いえ、何も梓先生が若くてきれいだからって手術の腕を心配をしている訳じゃありません。こうして手足を元通りにしてもらえたんですからね。いてて……まだ終わりませんか?」

 僕の思い描く電源のイメージは小学生が背負うランドセルだった。温泉や大衆浴場へは行けなくなるな〝亀〟とでも仇名がついてしまうのかも知れない。僕にとっては外が氷の世界だということを忘れさせるほどの一大事だった。

「貴重な麻酔を筋肉の表層を開く程度の手術には使えないの。我慢なさい」

 幾らかでも痛覚分泌密度の低い中殿筋部への電源埋込み手術となっていたのだが、それでもメスで切り裂かれれば痛くないはずはない。凍った小指をなくすのとは訳が違うのだ。

「あなたに埋め込むのはこれ。どんなものを想像していたのかは知らないけど、人工筋肉はたった1.5Vで動作するの。四時間の充電で十二時間は歩き回れる計算よ。携帯電話みたいに考えておきなさい」

 梓先生が手にしたバッテリーカートリッジを振り返って見る。2cm四方で厚みは3mm程度の小さなものだった。そして術野がサージカルドレイプの膨らみに隠れていたのは有難い。誰が好んで自分の筋組織など見たいものか。

「へえ、そんなに小さいんだ。それで先生はお幾つなんですか?」

 痛みと悩みを忘れられるならなんでもいい。僕は話し続けた。

「あなたね――女性に年齢を訊ねるものじゃないってエチケットぐらい知らないの?」

「いてっ!」

 梓先生の手技が乱暴になったような気がする。どうやら本当に怒らせてしまったらしい。僕はフォローを試みる。

「その肌艶ならせいぜい三十代前半――雄さんと同じぐらいでしょう? いや、落ち着いてらっしゃるから若く見えても三十五ってとこかな。当たりですか?」

 短く舌打ちをしてから梓先生はこう言った。

「創太郎と同級生よ。だから今年で五十二歳。もういいでしょう、手元が狂うから黙ってなさい」

 俯せの姿勢が幸いした。僕はあんぐりと口を開けたまま固まっていたのだ。そんなはずはない、童顔で若く見られる母だって年齢相応の衰微は随所に見られる。それが目の前――いや、背後か。そこに居る女医さんに至っては全くといっていいほど……ない。五十二歳だって? つぶさに観察した訳ではないが下手すれば二十代後半と言われても頷ける肌のキメと張りは、僕に驚愕を与えていた。

「あら黙っちゃったわね、驚いた? いいわ教えてあげる。瀕死だったあなたに投与したのと同じもの――P300Aという脳を活性化させる薬品を私は三十七歳の時、自分に試してみたの。きっと免疫細胞が活性化し過ぎたのね。以来ずっと外見に変化はなくなってしまったわ。哀しいものよ、夫と同じように年齢を重ねて行けないってことは」

「で、でもそんな薬なら世の女性に飛ぶように売れるはずじゃないですか。なんで市販されなかったんです?」

 驚愕から立ち直ろうと口にする言葉に深慮など微塵もない。僕は自分の俗っぽさ加減を嫌というほど思い知った。

「とんでもない副作用があったのよ。私は自身の精神の奥底に閉じ篭ってしまったわ。そこから救い出してくれたのは伊都……東北のカリスマで、現在の状況に戻してくれたのが主人――創太郎よ。そして私は大学に入り直して整形外科医になった訳。これでも独り立ちして六年のキャリアがあるの。縫合するわよ」

「へえ……えっ!すると僕も?」

 呑気に相槌を打ってる場合ではない。今のところそんな感覚はなかったが、いずれは僕もそうなっちゃうのだろうか? だとしたらそこから救い出してくれるのは誰なんだ。レスキューの実績がある東北のカリスマは遥か800kmの彼方だ。僕の懸念を見越したように梓先生が言った。ほんの少しだが刺々しさが消えたように感じる。

「安心なさい。あなたも東北のカリスマ同様アレに適応する体質みたいだわ。ただ、彼とは雲泥の差が……」

 ほう、上手く適応出来る場合もあるんだな、と僕は安堵した。そして梓先生は何かに気づかれたようにこう言った。

「おかしいわね、さっきまでピーピー悲鳴をあげてたあなたがどうしちゃったのかしら? 痛くはなかったの?」

「ええ、痛覚っていうのかな? 手足が動かせるようになった時、それを遮断してみたらどうかって声が聞こえたんです。教授の声ではなかったような……気のせいかな? ダメモトで試してみたら、なんと痛みが消えたんですよ。何なんでしょうね? これ」

「創太郎、来てっ!」

 今度は梓先生が驚かれたようだ。弾かれたように体をのけぞらすと慌てた様子で電子顕微鏡を覗き込んでいた教授を呼んだ。

「どうしたんだ? 通電が上手く行かないのか?」

「違うの、この子の話を聞いて。彼と――伊都淵君を同じことを……」

「何かまた、先生方の気に障ることでもいいましたか?」

 首を大きく捻じ曲げて二人を振り返ると、得体の知れないものを見るような顔で教授が訊ねてくる。

「私達の周囲に何か見えるものはあるかな? 壁とか機器ではなく、先ほどまでは見えなかったもので」

 何かの冗談だろうか? 僕は正直に答える。

「オーラとか水子の霊みたいなもんですか? いいえ、特に何も……ただ、なんだか妙に頭が冴えてきた気がします」

「脳波を診させてもらう」

 教授は脳波計の乗っかったカートを引き寄せ、僕の頭部に幾つかの電極を着けた。出来れば早くお尻を隠して欲しかったのだが。それを言い出せる雰囲気ではなかった。


「仕事を増やしてすまないが力を貸してくれ。今度はこれだ」

 丈が体に巻いていたボロ布を一歩の鼻先へと突き出す。一声、ウォンと吠え一歩は情報の吸収を知らせてきた。

「お前は賢いな。そんなお前等を捨てる人が居るのは信じられんよ」

 雄一郎は橇から全ての荷物を降ろして空にする。何度も繰り返したハーネスの付け外しは、既に手探りでも出来るほどに熟練していた。

「よし行こう! あの方向だ」

 丸二十四時間の休息が犬達の元気も取り戻してくれたようだ。動作が機敏で力強い。ヒーテッドコートの電源プラグを繋ぎスタートの号令をかけた。


 空耳だろうか――混濁する意識の中、小野木美代子は自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。

「――先生、どこ――だ――」

 吹雪の唸りを願望がそう聞かせるのだろうか。

「雄一――だ、居るなら――くれ」

その疑念を打ち消すように、続けて声が聞こえた。全身が鉛のように重い。体を起こすだけで一苦労だったが、美代子は急ごしらえの非難所の隙間を這い出ようと、残った力を振り絞る。

「方角さえ間違ってなければ、距離的にはこの辺りなんだ。ちくしょう、氷のオブジェだらけで、どれが職員室跡なのか分かりゃしない」

 たった一日で、人型だった氷の塊は自販機×2のサイズに姿を変える。人間の一億倍という犬達の嗅覚をもってしても、新たな氷層に塗り替えられた丈の足取りを辿るのは不可能なのか――歯噛みをした雄一郎が視界の端に動きを捉える。ほぼ同時に犬達が吠え立てた。

 あそこか――ステイ! 犬達にその場を動かないよう指示を出し30m程の距離を駆け出す。確かに何かが動いた。氷雪吹きすさぶ悪天候の中、僅かな動きを捉えることが出来たのは雄一郎の優れた胴体視力のなせる技だろう。視線を切ることなく一方向を見据え、目標に向かって滑り込むように体を投げ出した。

「先生っ! 美代ちゃんかい? 俺だよ、鈴木雄一郎だ」

「す……ずきくんな……の? どうして、ここ……」

 意識はある、雄一郎は温めてきたヒーテッドジャケットを羽織らせ、美代子の体を氷壁の隙間から引きずり出した。

「なか……もう……ご……にん」

「分かった。見てくるから気をしっかりもっててくれよ」

 弱々しく頷く美代子を置いて歪なイグルーに体をねじ込もうとするが、出入口だったらしいところは氷によって狭められ、小柄な美代子がぎりぎりすり抜けられる程度の間隙しかない。

「誰か居るか、助けに来たぞ」

 そう呼びかけてから氷の隙間に耳を澄ませた。

 微かに呻き声が聞こえたように思えるのだが、風のうなりに邪魔される。

「狭くて入れないんだ。誰か居るなら返事をしてくれ」

 凍りついた壁は引き剥がそうにもビクともしない。

「……けて……たす……けて」

 今度はハッキリと聞こえた。先生、すみません。雄一郎は心で梓に詫び、アームスリングで吊られた右腕を抜き出した。意思の反映に手間取るその腕を左手で支え、両手に渾身の力を込めて氷の壁を引く。バリッと音がして一気に空間が開けた。何だ……? 利き腕の瞬発力とスピードには自信はあったが、今示された力は自分の記憶するそれとは明らかに別物だった。例えていうならパワーショベルの様な力強さにも感じられた。癒着が完全でなかった右腕は、掉尾の勇を奮い終えるとそのままダラリと垂れ下がった。

「助けに来たぞ。もう大丈夫だ」

 激痛を堪え、横たわる人々を調べて回る。声を上げたのは意識のある成人女性だったのだろう。三人の子供のうち一人は呼吸も心音もなく二人は意識がなかった。成人男子と思しき肉体の持ち主にも生体反応はない。三人か――氷点下20℃を下回る過酷な環境下、体温調整の出来ない人間が一晩を生き延びる事は不可能だったのだろう。雄一郎は短い口笛で橇を引いた犬達を呼び寄せると、生き残った三人を乗せ美代子を肩に担ぎ上げた。


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