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P300A

「終わったわ。後は人工筋肉がIPS細胞に馴染むのを待ってIGF-1(インスリン様成長因子-1)の投与を始める予定よ。早ければ二日もすれば腕を動かせるようになるはずだわ。麻酔なしでよく我慢出来たわね」

「貴重なんですよね麻酔薬は。だとしたら私のような軽傷の者に使う必要などありません。重症の方々のために取っておいてください」

「右手前腕部を作り直したようなものなのよ? 軽傷であるはずがないじゃない」

「とにかく、ありがとうございました。犬達が心配なので見てきます」

 痛みがないはずはない。常人なら気を失っても不思議がないほどの激痛だったろう。その手術を顔をしかめる程度で耐え抜き、ベッドを降り立って歩き出す雄一郎の精神力はいかほどのものなのか。梓は唖然として彼の後ろ姿を見送った。そしてパーテーション代わりのカーテンの向こう、ピーピー騒がしいもう一人の患者に「静かになさいっ」と声を荒らげた。

「怪我人なんですから、もう少し優しく言ってもらえないですかね」

 苦情を無視して丈を通り過ぎ、梓は創太郎に話し掛ける。

「効いてないのかしら?」

「分量を加減しつつの投与だったからな。だが、見てみろ」

 丈に繋げられた生体情報モニタは、健康体の数値を示している。

「効いていなければ、こうはならない」

「作用の個体差が激し過ぎて先が読めないということね」

「そうだな、そしてこっちはこうなっている」

 脳波計が示す誘発脳波の値はレベルを振り切っていた。

「どこに作用しているんだ一体。彼の物言いから察するに――」

「知性が開花したとは思えない」

 梓が先回りをして答えた。

「僕のことを話しているんですか? だったら、僕にも分かるように説明してくださいよ。目が覚めたら全身グルグル巻きのミイラ状態なんです。何が起きているのか知りたくもなろうってものじゃないですか。しかし奇遇だな、僕を助けてくれた雄さんが東北のカリスマの使いで先生達もその知り合いだそうじゃないですか。実は母もどうやら――あっ!」

 梓が「少しは黙っていられないの」と注意しようとした矢先、丈はベッドから跳ね起きようとしてそのまま床に転げ落ちる。

「何をやってるの、あなたは」

 ほとほと愛想が尽きたといった表情の梓を見上げて、丈が言った。

「大変だ! 生存者が居るんです。因幡小学校……の跡地に。母と生徒と保健医さんと――五人です」

 振り向いた創太郎の顔色が変わった。

「その人達、トロコグリアの接種は?」

「三人は済ませていますが、二人は……その二人の具合が悪くなったので、あなたを探しに出てこうなったんです。行かないと」

「その体じゃ無理よ。あなたは両手両足が凍傷で壊死していて――」

 説明しかける梓の前で、丈は片手でひょいと体を持ち上げてベッドに戻った。梓と創太郎は呆然として顔を見合わせる。

「誘発脳波はGH産生細胞に働きかけているのか――」

 有り得ない――梓は丈の包帯を剥がしにかかった。露出した治療部位を目にすると口に手を当てて息を呑んだ。

「そんな……こんな短時間でIPS細胞が定着するはずないわ」

 こっちはどうなっている、と剥がした反対側の腕も両足も同様に元通り――正確には人工筋肉とIPS細胞から作られた人口皮膚、更には培養骨随とネオボーンαを使って形成手術をした両手両足の全てが完全に出来上がっていた。梓は丈の腕を強く握るとカートに乗せられた機械を作動させた。

「骨も既に石灰化が終わっているみたい。何これ……」

 超音波骨密度測定器が表わす丈の骨は、使用したネオボーンαが再生するそれとは明らかに違う構造を示していた。

「こんな組成、見たことがないわ……」

「中身はともかくこの皮膚、なんだか赤ちゃんのみたいで気持ち悪いですね、指紋もないし……あれ? 小指が生えてら」

 当の患者が語る感想はお気楽この上ないものだった。

「丈、先生はどこに居るんだ」

 声のする方に丈が目を転じると、病衣を脱ぎ捨て旅装に戻した雄一郎がドアを背に立っていた。左手にはホログラムマップが浮き上がっている。

「あ、地図があるんだ。僕も行きます」

 ベッドから降り立つとブチブチとチューブや電極が剥がれるのをお構いなしに歩き出す。ドアのこちら側に立つ雄一郎まで、あと少しというところで丈はバタリと倒れた。

「先生、どうなっちゃったんです? 手も足も動かなくなりました」

 ため息をつきながら梓が車椅子を押して近づく。

「あなたの両手両足は網目形状記憶合金で出来た人口筋肉で、それを動かすには電力が必要なのよ。好き勝手に歩き回るものだから配線が外れちゃったじゃない」

 創太郎と梓に抱え上げられ、丈は車椅子へと落ち着いた。

「え? と言うことは、僕は電気がなければ動けない体になっちゃったんですか?」

『女神にしては少々、歳がいってないか?』そんな丈の発言を思い出し、少し懲らしめてやろうといった悪戯心が梓に起こった。

「そうよ。あなたはこれから先、ずっと電気がなきゃトイレにも行けないの。でも安心なさい、車椅子にバッテリーを積むって方法もあるんだから。太陽が再び顔を出してくれるならソーラーパネルを背負うって手もあるわ」

「そんなあ……」

「少し大人しくしているんだな。電源を埋め込む手術は体組織が安定してからと思っていたが、その驚異的な再生能力なら午後には行える。今は鈴木君に任せておきなさい」

 そう言い添えた所の声は既に耳に入らなくなっていた。電源を埋め込む手術――ソーラーパネルを背負う――丈は、亀の甲羅様に電源を背負わされた自分を想像し、大きく眉尻を下げた。

「因幡小学校というと……これか? ここから18kmといったところだな」

 雄一郎がホログラムマップを片手で器用にスクロールさせた。

「ええ、職員室の残骸にいるはずです」

 悄気返った丈の声は消え入りそうに小さい。

「今は治療に専念するんだ。お前のお母さん達は必ず連れ帰る」

「お願いします」

「何を馬鹿なこと言ってるの。あなたは、ついさっき大手術を終えたばかりなのよ」

「僕の到着が遅れれば助かる命も助からなくなります。予定外の行動ですが僕がこうすることに東北の仲間達も異論はないはずです。こちらに連れ帰るのがご迷惑なら、処置が済み次第、別のシェルターを探します」

 なおも雄一郎を説得しようと身を乗り出す梓を押しとどめて創太郎が言った。

「止めて聞くような君でもないようだな。ならば行きなさい。そして一人でも多くの人を連れ帰って来るんだ。我々が全力で救ってみせる」

 納得の行かない様子で創太郎と雄一郎の顔を交互に眺める梓だったが、開きかけた口が言葉を発することはなかった。

 雄一郎は所夫妻に目礼をすると壁にかかったコートに手を伸ばして丈を振り返る。

「心配するな、お前のお母さんはお前が思うよりずっとタフな女性だ。教授のトロコグリアも六日間の氷中行を支えてくれた。きっとみんな無事でいるさ」


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