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地下ラボ

「随分、風が強いようだな」

 地熱発電のタービン音が小さくうなりを上げる地下ラボで、ゴンゴンと鳴り響く頭上を所創太郎は見上げた。

「ブリザードみたいね。氷の破片でもぶつかっているのかしら?」

 妻の梓が答える。トコログリアの精製に懸命だった二人は、この数日、一睡もしていない。

「いいえ、待って……」

 梓が何かに気づいたような表情になる。ゴン、ゴーン。ゴンゴン、ゴーン 階上の音は止まない。

「……ふ、……ち、……い、……と 大変! イトフチって言っているわ。モールス信号よ」

「なにっ! 」

 言うが速いが創太郎はドアを抜け階段を駆け上がる。凍りつきかけた屋外への扉をやっとの思いで引き開けると、二人の男が倒れ込んできた。

「杜都市……イト……使い……です」

 その距離を旅してきたとは思えない程軽装の男が、そう言って意識を失った。既に意識のないもう一人をかついできたようだった。創太郎は大声で階下の妻を呼んだ。

「梓っ! 伊都淵の使いだそうだ。頼むっ、手を貸してくれ!」


「どうだ?」

「こっちはダメ、バイタルも微弱だし両手両足共、壊死を起こしているわ。そっちは?」

 雄一郎を診る創太郎が答えた。

「右腕は重度の凍傷だ。ただ心音も呼吸もしっかりしている。かなりの心肺機能の持ち主なのだろう」

 運び込まれた地下ラボで、丈と雄一郎は並んでベッドに寝かされていた。意識を取り戻した雄一郎が丈を包んでいたコートを指差す。

「あの……コートの……中……」

 ハンガーに吊るされたコートのポケットを創太郎が探ってシャンパンゴールドの筐体、コンパスなど数点を取り出した。

「ICレコーダーか」

 梓が近づいてくる。創太郎は再生ボタンを押した。

 ――やあ、久しぶり、って、呑気な挨拶をしている場合ではないな。君達が元気で居てくれることを信じてこの青年に使いを頼んだ。彼の名前は鈴木雄一郎君だ。

 雄一郎が小さく首を縦に振る。

 ――おそらく、そちらも似たような状況だろうとは思うが、9.02を生き延びた人々のためにトコログリアが欲しい。カテーテルは見よう見まねで作ってみたが、成分の分からないトコログリアは出来なかった。今この瞬間も体温低下で命を落としていく人々がいる。彼に持たせてやってくれないか、ついでに成分構成も教えてもらえると有難い。

 こんな災禍に見舞われるものと分かっていれば成分構成を知らせておいたのに……伊都淵ですらこれほどのものとは予想し得なかったのだな。創太郎は強く唇を噛んだ。

 ――星も見えず、一切の連絡手段が途絶えた今、推測の範囲を出ることはないが……

 伝え難いことを口にするかのように声の主は一旦言葉を切ってから続けた。

 ――地軸がずれた、それも大幅にな。今この国がある場所は南緯90度、緯度は存在せず。そう南極のあった場所に引越ししちまったんだ。

「馬鹿な……」

 呻くような声を上げる創太郎の肩に梓が手を置いた。

 ――俄には信じ難いだろうな。こうして話している俺でさえ、何かの間違いであって欲しい、俺の頭が狂ったのであればいいと思うよ。雄一郎君に方位磁石を持たせた。永久磁石もある、試してみろ。

 言われるままに方位磁石を見ると指針が盤面に貼り付いてしまっている。震える指が取り落とした永久磁石はS極を下にして直立していた。

 ――頭のいいお前達のことだ。それが何を意味するかは分かるはずだ。俺達は伏角が違い過ぎて方位磁石がまともに表示しない地点にいるってことだ。有り得ないと思ったか? 俺の頭が良くなるくらいだ。世の中なんでもありってことだよ。

「変わらないわね、彼は。こんな一大事を笑い話のように話している」

 梓がほんの少し口元を緩めた。

 ――初めに結果ありきとして原因を探ってみよう。消去法でいくぞ。あの衝撃波はおそらくこの星の過半数の人々の命を奪ったろう。それでも巨大隕石の落下を疑うにはあれでは小さ過ぎる。津波が起きなかったのもおかしい。だからこいつはオミットだ。次に巨大彗星が地球をかすめたとしよう。かすめるだけで、あれほどの衝撃波を生むには地球の半分程の質量が必要だ。だとしたらとっくにどっかの天文学者が見つけていたはずだ。そんなサイズの彗星がどこかから急に湧いて出るはずはないからな。そして発見が早ければ彗星に核爆弾を埋め込んで――おっと、これは映画の観過ぎだな。

 緊張感に欠けたメッセージは続く。

 ――俺はこう考えた。数ヶ月前から地表に上がる電位に大きな乱れがあると言っていたろう? 度重なる大地震や異常気象もそこに原因があったのではないかと今は思ってる。それは人々の精神も蝕んだのかも知れない。頻発するテロも猟奇的なシリアルキラーも、それに原因があったんじゃないか? 脳波は電位だからな。ははは、釈迦に説法だったな。とにかくそれを神の御告みたいに感じちゃった連中が居たとしても不思議はないってことだ。話を戻そう。地球の磁場が狂って、遠心力と向心力のバランスが崩れた。それ以外に説明はつかん。あの衝撃波は大きく地軸がずれた時に地表に発生した遠心力だと思う。こっちの地震計は一方向に振り切っていたよ。

「うるさいな、ゆっくり寝かせてくれよ」

 奥のベッドに横たわった丈が声を上げた。ICレコーダーのポーズボタンを押し、創太郎と梓は彼のベッドへと駆け寄る。生体情報モニタの数値が平常に戻りつつあった。

「信じられない……何なの、この青年は。四肢がほぼ壊死していて心音も途切れ途切れだったのよ?」

「ここは天国か? あっ、きれいな人だな。でも天使にしては少々歳がいってないか?」

 薄目を開けた丈の髭は樹氷が融け、黒々した量感を漂わす。

「創太郎、こいつの人工呼吸器外しちゃってもいい?」

 梓の婉曲な怒りを理解する前に丈は目を閉じて静かになった。創太郎は再びICレコーダーの再生を始める。

 ――ここからが肝心だ。よく聞いてくれ。電位の乱れは収まっていない。再び地軸がずれるのか、だとしたら今度はハワイ辺りがいいな。冗談だ、おそらく全世界が似たような状況になっているはずだ。俺が言う意味はわかるな? 従って他国の援助も期待は出来ない。さっき言及しなかったもう一つの可能性もある。とんでもない重力を持つブラックホールが地球のお隣にでも出来たせいでこうなったということだ。だとしたらお先真っ暗だ。地球なんざ呑み込まれてしまうのかも知れん。そうでないことを祈るよ。ともかく何が起きるのかはブロデュースド・バイ・プロフェッサー所の脳味噌をもってしても皆目見当がつかんってのが現時点の結論だ。雄一郎君にもたせたホログラムマップのメモリーカードに地表電位を測定する回路と設計図が入っている。ラボにあるもので出来るよう工夫した。機器が完成したらプローブを地下ラボの床に埋め込んでおくんだ。気休めか心の準備程度にしかならんかも知れんが、トコログリアを開発した君等は人類の希望だ。何があっても生き延びて欲しい。例えこれが神の怒りだったとしても闘い抜いてやろうじゃないか。おっと、神の怒りで思い出したことがある。ギリシア神話でゼウスが恋に落ちたテュロスの女王エウローペーは知ってるか? 木星の第二惑星たるエウロパは、それにちなんで付けられた名前らしい。今のこの星同様、氷漬けの惑星だそうだ。しかし女癖の悪い神も居たもんだよな。あのおっさんは一体何人の女性を孕ませたんだ?

 唐突にメッセージは終わった。暫くICレコーダーを見つめていた創太郎だったが、顔を上げて梓に言った。

「……驚いたな」

「ええ、でも伊都渕君がそういうなら――」

「そうだってことだ」

 創太郎が言葉を引き継ぐと梓は大きく頷いた。

「あの……すいません」

 手前のベッドの雄一郎が声を上げる。

「丈――その青年は助かるんでしょうか」

「奇跡的に脳波は戻っているが、四肢は凍傷で壊死状態。内臓や他の器官の損傷まではここでは分からないが、あの様子では……」

 語尾を濁らせた後、創太郎はこう付け加えた。

「残念だが、長くはないかも知れない」

「そんな……丈は私の恩義ある人の息子なんです。移植できるものがあれば何でも私から取って下さい。お願いします、なんとか――」

 懇願する雄一郎をじっと見つめていた創太郎が、意を決したような目で梓を見つめる。妻である彼女がそれを読み取ることは雑作もないことだった。

「使うの? あれは封印したはずでしょう」

「だが、その青年を救うにはあれしか方法がない。新大脳皮質のサイズも分からないままの処置だ。結果、君のように――いや、救うことは出来ないかも知れないが何もしないで手をこまねいてる訳には行かない。我々は医者なんだ」

 暫く黙ったまま創太郎を見つめていた梓だったが、やがて微笑んでいった。

「そうだったわね。私は鈴木君の腕を手術する。そっちの坊やが生き延びたなら外科手術は任せておいて」

「頼む」

 二人は部屋の隅にある薬品棚に向かった。掌紋認証パッドにそれぞれの掌をあてがい、セキュリティパスを打ち込むと音もなく扉は開いた。


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