プロローグ
2014年、度重なる大地震などの天災に国土を蹂躙され続け、頭を痛めた日本国家は耐震・免震のアイデアを広く世間に求めた。
研究費捻出のため、コンサルタント業に血道を上げる科学者達の脳細胞から既に柔軟さは失われており、発表されるものといえば他の研究の批判か検証がされたのかさえ怪しい胡散臭いものばかり。新たな才能を在野に求めたのは苦肉の策のように見えたが、また自然な成り行きでもあった。
線路や道路の高架橋はそのままに、バイオ流体緩衝材を注入することで段落しもせん断破壊も防ぐことが出来るという、画期的ではあるが俄には信じがたい夢のような理論をひっさげ当時の国土交通省を訪れた男がいた。
最終学歴が三流工大で、医療機器のセールスマンをしていたという彼のアイデアを、建設や構造建築の専門家達は「絵空事だ」と一笑に付した。発明家気取りの素人など指先でひねり潰してくれるわ、と手ぐすねを引いて待ち構えたプレゼンの場。有識者軍団が束になっても、彼の理論を打ち負かすことはできなかった。それほどまでに彼がぶち上げた理論は秀逸で穴のないものだったのだ。
そして三ヶ月後、次々と最新設計建造物が倒れてゆくマグニチュード8.4規模の地震の中、東北地方のある都市が彼の理論を採用し、試験的に補強工事のなされていたバイパス道路がビクともしなかったことが報道される。そこに至り、時の政府は本予算・暫定予算・補正予算はもとよ、霞ヶ関の埋蔵金までをも注ぎ込んで全国の高速道路と新幹線の架橋のバイオ流体注入作業にあたった。完成したそれらは2017年に起きたトラフ連道型地震にも一箇所として崩れ落ちることはなかった。その後、彼の理論はダムの堰堤やトンネル内壁の補強、港湾設備などにも広く用いられることとなる。
政府は彼に国家安全推進議会委員のポストを与え、建築物に対しての意見も求めようとしたが、男はこう言って東北は杜都市へと帰っていったという。
「そっちはまだ閃かない」
その彼を人々は〝東北のカリスマ〟と呼んだ。
「と、いう訳で自転と公転の違いは分かったな」
黒板に向かっていた僕は、生徒達を振り返る。
「でも、何で地球は回り始めたんだろうね」そんな囁きが耳に届いた。
「誰かな? 今、言ったのは」
「ごめんなさーい。私でーす」
バツが悪そうに手を上げたのは安藤由香里という快活な生徒だった。
「由香里か、謝ることはないぞ。そうやって疑問を持つことはいいことだ。少々、脱線するがついでに説明しておこう」
「出た!タケちゃんの必殺オフトピック 」
小学校が必須教科に英語を取り入れられて以来、この西村太のように横文字混じりの突っ込みをする生徒が増えていた。勿論、僕の授業にこういった脱線が多いことが原因だったりもするのだが。
そして、生徒達にタケちゃんと呼ばれる僕の名前は小野木丈(おのぎたける)。小学校四年生の担任を受け持つ理科の教師だ。日本の真ん中辺りにある井ノ口市は因幡小学校というところで教鞭をとっていた。
「それを語るには、地球がどうやって出来たかまで遡る必要がある。勿論、地球が出来た瞬間も回り始めるところも誰かが見ていた訳ではないから、こうじゃないか? って考えには過ぎないんだけどな。一番新しい説ではたくさんの岩の塊が集まって今の地球の半分ぐらいの大きさの惑星になり、それにまた同じような惑星がぶつかって合体したと言われている。太、お前は野球をやっているだろう? 流し打ちはどうやる?」
「俺は引っ張り専門だい」
「ははは、それも男らしくていいな。ただ、そう言われると話が続かない」
僕はわざとらしく困った顔をしてみせる。
「じゃあ、俺はしないけど教えてやる。こうやってボールの内側を叩くようにするんだ」
西村少年がインサイドアウトのスイングを身振りで見せてくれた。
「そうだな。そんな風に元々あった惑星にもう一つの惑星がぶつかって回転が与えられたんだ。そして真空空間である宇宙では摩擦抵抗というものがない。だから自転を始めた地球は止まらない。ただ月の引力でその速度が落ちたり地震で地軸がずれて速くなったりするとも言われている」
生徒達の表情に翳が射し僕ははっとした。一昨年起きたトラフ三連動地震は、海岸沿いの中部地方全域に渡って多くの被害と死者をもたらした。海から遠く離れたこの井ノ口市に直接的な被害はなかったが、親類が被災した生徒も多かったと聞く。やっと惨劇の記憶が薄れかけた時期だった。迂闊なことを口にしてしまったな、と僕は臍を噛んだ。その僕に助け舟を出してくれたのは、先ほどの安藤由香里だった。
「先生、地球は何故傾いてるんですか?」
「うん、それもいろんな説がある。ただ、やはり太陽と月の引力の影響でそうなったって考え方が一般的だな。教室にある地球儀は23.5度になってるけど、現在は25.9度だと言われている。実は地球は模型のように真ん丸じゃないんだ。赤道部分が僅かに膨らんだ回転楕円体になっている。だから、歳差運動といって自転軸も首振り運動をする。回っていた独楽が止まりかけた時を想像してみるといい。そしてこれは25,800年で一周すると言われている。何かの拍子にバランスが崩れれば、地軸が真っ直ぐになったり傾きが大きくなっちゃうのかも知れないぞ。地球儀みたいに支えはついてないんだからな」
生徒達は再び僕の話に興味を戻してくれたようだ。彼等の顔から怯えや困惑は消えていた。
「じゃあ、公転は、どうやって始まったの?」
林田沙織というおとなしい生徒が控えめに手を上げて言った。
「公転の説明は、ちょっと難しいぞ。太陽系が出来た時に――」
四時間目終了のチャイムが僕のトークライブに終わりを告げる。小学校教員はなんでも屋だが、自分の得意分野ともなればつい話に熱も入ろうというものだ。
「続きは、またいつかな。さあ、給食だ」
終了の挨拶もそこそこに、生徒達は机を寄せ始めた。僕は愛妻(?)弁当の待つ職員室へと引き上げていった。
☆この作品は〝P300A〟の延長線上に位置します。私の作品は一部を除いて同じ世界観で書いておりますため、登場人物の出自・設定・背景など説明の足りない部分があるかも知れません。他作品にて参照願えますれば幸いです。