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影女

作者: 新辺カコ

 『それ』を見たのは、私の友人である彼の家でだった。彼の名は、仮にAとでもしておこうか。

 Aと私は学生の頃からの付き合いであったが、互いに家庭を持ってからはすっかり疎遠になってしまった。


 年賀状や暑中見舞いのやり取りはしているが、もう随分と会っていない。最後に会ったのはいつだったろうか。私の結婚前夜かもしれない。


『悪い。明日はどうしても外せない用事があって行けないんだ。本当にすまん。…そのかわり、今日は呑もうぜ。お前の独身最後の夜だから奢ってやるよ』


 たった二人きりのバチュラーズパーティー。思い起こせば、あれきりになってしまった。




「久しぶりだな。…思ったより元気そうで良かった」

 やや場違いな言葉を、私は口にした。Aは笑っていた。


 寂しそうに、笑っていた。



「…突然だったから、まだショックなんだ。もう、みゆきがいないって事が」


 それは、ほんの三カ月前の事だったという。Aの細君は事故で亡くなったそうだ。


 私は、彼にかける言葉を探した。とりどりの色をした言葉が浮かんでは消えてゆく。

『大変だったな』、『気を落とすなよ』、『まだ若いのに』……どれも相応しく無いような気がした。なにも知らない部外者が無責任ななぐさめをするほど、神経にさわる事はないだろう。

結果、押し黙るかたちになった。見かねたのか、Aが口を開く。



「実感出来ないんだ。まだアイツがそこにいるんじゃないかって思う。…今日はありがとな。」




 Aは寂しい笑みを浮かべ、私を見送った。弱々しく手を振るさまが痛々しかった。



いつまでも、いつまでも手を振っていた。




 その数日後、Aから電話があった。電話口から聞こえるその声はやけに弾んでいた。

「今すぐ、来て欲しい」


弾んだ声で、そう言っていた。





 Aは、薄っすらと笑みさえたたえ、私を出迎えた。この間とは別人のようだ。少なくともその笑みには、この前の寂しげな様子は見られなかった。

私はひとまず安心したが、それと同時にAが酷く窶れていることが気になった。顔にもくまができている。まるで長いこと床についている病人のようだ。


「お前、大丈夫か?」 私は月並みな言葉を吐いた。その言葉に彼は言う。


「ああ、アイツが帰ってきてくれたからな。…あがれよ。そんなとこに突っ立ってないで」


 窶れた顔に一種異様な笑みが浮かぶ。






 Aは笑みを浮かべたまま、もう一度言った。


「アイツが、帰ってきてくれたんだ」


「アイツって…誰なんだ?」


わかりきった、馬鹿馬鹿しい問い。その質問に返ってくるであろう答えを、脳内で否定する。

そんなことが、あるわけない。


A、頼む。言うな。『それ』の名を呼ぶな。




「みゆきだよ…オレの妻だ。ここにいるんだ」

「笑えない冗談は止せ!」


 Aはノイローゼになりかかっているんだ。そのときは、そう思った。




「お前はオレを狂ったと思っているんだろう。だけどそれは違う。オレは正気だ。みゆきは、ホラ今もそこにいるじゃないか」


 Aは障子を指した。そのむこうには、影がうつっている。


痩せた女の影のような『もの』が。


私は息をのんだ。


「脅かすのは止せよ。…誰か、他に誰か来てるんだろう?」


 Aは頭を振った。


「いや、誰も…。開けるよ。みゆき」


障子を開けた先には、何も無かった。誰もそこにはいない。ただ、異様なくらいつめたい風がゆっくりと部屋を包んでゆく。



「いつも姿は見せない。影だけで来るのさ。最初は驚いたが、嬉しかった。みゆきは死んでもオレのそばにいてくれるからな。…姿がみえないのがほんの少し、寂しいがね」


Aはそこで言葉を切った。そしてまっすぐ私を見つめ、言葉を紡ぐ。

「…お前も知ってるだろう。みゆきは、事故で死んだ事。…体の損傷が激しかった。顔にも、傷を負ってた。…アイツはそのせいで姿を見せないのかもしれない。アイツは、みゆきは…きれいな顔をしていたから」



 その帰りしなに、私は先ほどみゆきさんであろう『もの』が立っていた場所を見た。


はたして『それ』は、そこにいた。

障子ごしに、Aを見つめているかのように、じっと佇んでいる。


「みゆきさん!あなた、みゆきさんなんですか?」


私は叫んだ。一瞬の沈黙の後ややあって、




「……チガウヨ………!」


軋るような声が響いた。


先ほど感じた、つめたい風がゆっくりと辺りを包む。まるで意志があるかのように、私のまわりを、風が包んでゆく。


 その、風というにはあまりにゆっくりとした流れのなか、あの軋るような声が響く。




「チガウヨ…」「チガウヨ…」「チガウヨ…」………………



 全身が総毛立つのを感じ、私は気を失った。




 後日、私はAに話した。この家に居ついているものはみゆきさんではない、何か別の『もの』だということを。


Aは、私の話をただ黙って聞いていた。時折、寂しそうな笑みを浮かべながら…。



「…そうか…。でもオレには、あれを気味悪く思う気にはなれない。…得体の知れない化け物と厭うよりも、影になってまでオレに会いに来てくれると、愛おしく思うほうがいいじゃないか」



 Aはこの数日で、ますます痩せたようだ。やつれた姿で、笑みを浮かべている。


幸せそうな、哀しい笑みを…。


 それはまるで、自分も影になり、影となっているであろうみゆきさんに再会することを楽しみにしているかのようにみえた。




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