↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の処刑人  作者: 鈴木井蛙


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/2

後編

第1幕



 マレクの寝床が廃墟から領城の監獄に移り、半年が経とうとしていた。


 朝起きたら、独房の掃除をする。看守からパンとスープをもらい、腹を満たす。そのまま訓練場に赴き、隅で黙々と体を鍛える。兵士達の軽蔑の眼差しを無視しながら、兵隊長の笛を合図にその場を後にする。城内に引かれた水路の一番下流を使って汗を流す。丹念に拭かねば、主人から電流をもらうので、この作業が特に彼を苛立たせた。

 一頻りの日課を済ませると、城内の礼拝堂に足を運んで「司祭様のありがたいお話」を聞かねばならなかった。彼は決まって、一番後ろの端に座ることにしていた。


マレク(この時間で昼寝をさしてくれた方が、良い仕事ができるだろうにな。)


 彼は俯きながら目を瞑り、毎日そんな事を考えていた。すると、彼の鼻を香水の匂いがくすぐった。


マレク(……今日はもう来やがった。)


ナキア「ふふ。おはよ。」


 魔女だった。彼女はマレクの隣に座ると、帽子を外してマレクに預けた。そして慎ましやかに祈りを捧げ始めた。


マレク(……この帽子、どう扱うのが正解なんだよ。)


 マレクは毎度毎度、帽子をぎこちない手つきで持ちながら礼拝が終わるのをひたすら待つしかなかった。


 最初は簡単な仕事だった。人を探せと言われたので、探した。すると魔女とその取り巻きどもが目を丸くして迎えた。その日の夕食には干し魚が与えられた。

 次は勝手の違う仕事だった。ある店に盗みに入れと言われて、机の中から本を盗み出した。翌日、騎士達が同じ店に押しかけて店主を取り押さえたらしい。その日の干し魚は、少し大きめのものだった。

 そこから先は、同じような仕事を繰り返した。10回行くか行かないか……処刑の代行もさせられた。黒服に着替えさせられ、その辺に立てかけてある処刑斧で一撃を振り下ろした。時には隣町や、村まで出向くこともあった。

 決まってその夜は、干し肉と葡萄酒が夕食に出された。葡萄酒の瓶からは、微かに香水の匂いがしたものだった。


 マレクが歩く先では、誰かの命運が尽きるという生活が続いていた。


 そして仕事をこなす度に、ナキアから呼び出される頻度が増えていった。最初は密書をある場所においてこいとか、宴席の様子を調べてこいといった類の命令だったが、次第に「今日は川の向こう岸に行くから」だの「今日は森の散歩に行くから」だの、おおよそ仕事とは思えない命令も混ざるようになっていった。

 ひときわ印象に残っているのは、馬のやり取りだった。


ナキア「ねえ、マレク。今日は休みにしたから、馬に乗ることにしたわ。」


 監獄の檻越しに、突然ナキアが話しかけてきた。


マレク「……勝手に乗ればいいだろう。」


 マレクは石床の上をごろりと転がった。


ナキア「ホルヴァート領の男は、みんな馬に乗れるんでしょ?」


 マレクは背中越しに吐き捨てた。


マレク「残念だな。俺は"領民じゃない"んでな。」


 ナキアはむぅ、と不貞腐れた様子で監獄を後にしたのだった。


マレク(……なんなんだあの女。)


 と、そんな事を思い出しているうちに礼拝は終わっていた。マレクは無言で帽子をナキアに返した。ナキアもまた無言で受け取り、礼拝堂の中で被り直した。


ナキア「今日は東の湖を視察するから。お昼の鐘が鳴ったら城門ね。」


 ナキアはそれだけ伝えると、優雅に立ち去った。


マレク(……。)


 マレクには陰口すら思いつかなかった。あいつちゃんと働いてるのか、という疑問だけが残り香のように頭の中に浮かんでいたのだった。


 城内。ナキアは自室に戻っていた。何しろ今日は湖にピクニックに行くことになっていたので、日傘や軽食などの用意を欠かすわけにはいかなかったからだ。そんな中、ドアをノックする者がいた。


護衛隊長「ナキア様、私です。ただいま戻りました。」


ナキア「あら、隊長さん? どうぞ。」


 ドアが静かに開くと、私服のままの護衛隊長がいた。


護衛隊長「お忙しい所申し訳ありません。帰参しましたので、ご報告をと……。」


 護衛隊長は田舎の父親が病に伏せったらしく、その見舞いに行くというので数週間前にナキアが許可を出したのだった。


ナキア「西の山向こうだったかしら……お父様はいかがだった?」


護衛隊長「はい。大分痩せておりましたが、店に立てるまでには回復しておりました。」


 護衛隊長は、何枚かの書簡をナキアに手渡した。そして苦笑いをしながら話を続けた。


護衛隊長「……正確には、西の川向こうの港町ですが……。とはいえ、お休みをいただいた分、情報を集めてきたつもりです。増率の噂で西側は思ったより混乱しております。」


ナキア「……そう。」


 書簡をめくりながら、ナキアは自室の中をうろうろと歩いた。


護衛隊長「ナキア様。あの男に西の諸国を調べさせるのはいかがでしょう。」


 ナキアは立ち止まった。そして護衛隊長は、渋りながら話を続けた。


護衛隊長「あの男……仕事はできますが、お側においたままは危険です。あの首輪がある限り魔術師には歯向かえないのですから、本来は諸国への遊撃が適任かと。」


ナキア「……。」


 ナキアはテーブルの上に書簡を無造作に置いた。


ナキア「期限付きならいい案かもね。考えておきましょう。」


護衛隊長「ありがとうございます。裏の情報筋が無くなるのは正直、痛手ではありますが。」


 警備隊長は最後まで部屋に入ることはなかった。廊下で一礼し、足早にナキアの私室を離れた。

 ナキアは改めて、ピクニックの準備を再開した。


 そうこうしているうちに、昼の鐘が鳴った。

 

 ナキアがパタパタと城門まで降りていくと、そこは豪華な馬車が一台。傍に不貞腐れた様子のマレクが仁王立ちしていた。


ナキア「お待たせ。さ、行きましょ。」


 ナキアはにっこり笑って、馬車に飛び乗った。


マレク「……。」


 マレクは御者の隣に飛び乗った。


マレク「……邪魔しねぇからよ。よろしくな。」


御者「あ、あの……えーと……。」


 御者の歯切れが非常悪かったので、マレクは違和感を感じた。蔑みでも、恐怖でもないようだった。困惑している様子だった。次の瞬間、馬車の窓が開いてナキアが顔を出した。


ナキア「マレク、何してるの。あなたこっちよ。」


マレク「……嘘だろ。」


 しばらくの間は、馬車の中に会話は無かった。ナキアは本を読んでおり、マレクは不機嫌そうに腕と足を組んで座っていた。やがて、呟くようにマレクが沈黙を破った。


マレク「……なんで俺をここまで重用する。おかしいぜ、あんた。」


ナキア「んー?」


 ナキアは本をパタンと閉じて、髪留めを外して髪を下ろした。その瞬間に、花開くように空気が変わった。


ナキア「私ね、狼飼うの初めてなの。」


 それだけ言って、微笑んだ。本当にそれだけだった。髪留めを横に置くと、また本を開き始めた。


マレク(……何もわかんねぇ。)


 マレクはますます不機嫌になった。


 やがて馬車は湖に着いた。磨いた銀鏡のように光る水面が、柔らかな日差しを反射していた。濃くなり始めた葉の緑が、その風景を引き締めていた。


ナキア「綺麗!」


 ナキアは湖岸に走り出した。御者は荷物を下ろし始め、その中から大きな日傘やリンゴなどが取り出されるのをマレクは横目で見ていた。


マレク(視察じゃなかったのかよ……。)


 ひとしきり湖岸を堪能すると、ナキアは馬車の方へ戻ってきた。髪もすっかり振り乱され、その表情は普段よりも幼く感じられた。


ナキア「……素敵な場所ね。あなたも走り回っていいのよ。」


マレク「するわけねぇだろ……。」


 ナキアが腰を下ろした。御者が日傘を立てかけ、本を傍に用意した。


ナキア「マレク。ふた月ほど国を回ってもらうわ。」


 命令は突然だった。突然すぎたので、マレクは何を言われたのかすら分からなかった。


ナキア「西の諸国は思ったほどホルヴァート大公を歓迎していない。表立って彼に楯突くお馬鹿さんはいないだろうけど、小競り合いが起きる可能性があるとして……大公に領土を増やす口実を与えるわけにはいかないわ。」


マレク「……まあ、俺は行けと言われたところにいくだけだがな。」


 ナキアは本を開きながら、クスッと笑った。


ナキア「それもそうね。じゃあ明日からお願いね。」


 マレクは目を見開いた。


ナキア「出発は明日の日の出前ね。でも、必ずその前に私の自室に寄ること。」


 マレクはむすっとしながら座り込んだ。ナキアも返答を求めている訳ではなかったから、そのまま本を巡り続けた。

 マレクはしばらく悶々と怒りを味わっていたが、湖の湖面を見ているうちに、ふと自分がホルヴァート領しか知らない事に思いを致した。そう考えると、目新しいものを観れるのは悪くないかもしれないと考えなおし、返事をしようとナキアのいる方を振り向いた。


マレク(……!)


ナキア「……すー……。」


 ナキアは無防備に昼寝をしていた。ふと見やると、御者は御者で馬車についた砂や泥を払っていた。マレクはすっかり呆れ果ててしまい、ナキアの読んでいた本を体の上から外した。

 そしてものの試しに本を開いてみることにした。


マレク「……挿絵しかわかんねぇな。」


 マレクはそっと本を閉じて、手から落とした。



第2幕



 日の出前とあって、地下牢はまだ宵闇に近い暗さだった。マレクは暗闇の中で石畳を掃除するところから1日を始めた。すると、今日ばかりは看守が朝袋にパンとチーズを用意していた。お互い無言で手渡しを済ませると、マレクはそのまま城門に向かおうとした。


 そこで、ふとナキアからの言いつけを思い出し、踵を返した。


 マレクが館を進むたびに門衛が一瞬身構えるが、首輪が灯火の光を反射して光ると、皆槍や剣を納めた。階段を上り、廊下を進み、また上る。その道のりの遠さに段々苛立ちを覚えた時、ナキアの私室に到着した。

 そして、少し控えめにドアをノックした。


マレク「……俺だ。」


 少しの沈黙が流れたが、何の反応もなかった。そこでもう一度ノックして、少し大きな声で呼びかけた。


マレク「……おい! 俺だ!」

 

 3度目はないからな、と心の中で決心した瞬間に、ドアが不意に開いた。


ナキア「おはよ。」


 ドアの隙間から、薄着のナキアが身を乗り出してきた。いつもにも増して香水が鼻をくすぐったので、さすがのマレクもその佇まいにたじろいでしまった。


ナキア「じゃあ、頑張って来てね。これお守り。」


 そして、小さい麻袋を取り出してマレクに手渡した。


ナキア「別に魔法がこめられてる訳じゃないから、アテにしないでね。」


 そして満面の笑みを浮かべながら、手をひらひらと振った。


ナキア「ちゃんと帰ってきてね。迷子の時は兵隊さんに言うのよ。」


 マレクの頭の中は、怒りやら高鳴りやら恥ずかしさやらで混乱してしまっていた。そして、逃げ出すようにその場を離れた。


 頭の中の曇りを払うように、マレクは城門を飛び出した。小走りだった足は、やがて駆け足になり、ロードンブをあっという間に走り出てしまった。門の外には、荷馬車が付けられていた。マレクはぶんぶんと頭を振り払って、荷馬車の主人に話しかけた。


マレク「……マレクだ。よろしく頼むぜ。」


荷馬車の主人「おお、あんたがそうか。よし、後ろに乗んな。」


 大きな石橋を越え、荷馬車は西へ西へ進んでいった。途中には農作業小屋が立ち並び、しばらくすると遠くに炭焼き小屋が見え、またしばらくすると明るい木立の中を進んでいた。

 そうして荷馬車はいくつかの宿場を経て、山麓の町へ辿り着いた。


荷馬車の主人「じゃあ、あんたとはここでお別れだな。達者でな。」


 マレクは荷馬車から降りると、主人に手を振った。荷馬車は先を急ぐらしく、街に入らずそのまま山道を進んで行った。マレクは一呼吸入れ、町を見て回ることにした。さすがに領都に比べるべくもない賑わいだったが、町には活気が見てとれた。


マレク(荷馬車のオヤジの話じゃ、もうここは隣の領国だったな。)


 マレクはひとまず宿を探すことにして、入り口近くの蹄鉄屋に声をかけた。


マレク「親父さん。すまねぇがひとつ聞いていいかい。」


蹄鉄屋「……おう、なんだい。」


 マレクは申し訳なさそうな演技をして、頭を下げた。


マレク「俺は旅の者なんだがよ、この町は初めてで……宿屋はあるかい。」


蹄鉄屋「おう、それならな、街の広場に一旦出ちまうといい。細かくは伝えられないんだけどよ、行けば分かるぜ。」


 蹄鉄屋は仕事場から道まで出てきて、指差しながら案内をした。


マレク「ありがとよ、親父さん。分銭で買える物はあるかい。」


蹄鉄屋「いや、大したことはしてねぇよ! 気にすんな、馬を買ったら来てくれりゃいい。」


 マレクは蹄鉄屋と笑顔で別れた。そしてそのまま広場に出て、辺りを見回した。するとなるほど、言われた通り目線の先に自然と宿屋が建っていた。一階は酒場になっているようだった。


マレク(酒場……か。)


 マレクは無意識に。本当に無意識に、お守りを右手で触っていた。


 酒場の扉を開けると、まだ客はほとんど入っていなかった。白髪の老人達が、木椀にサイコロを投げ入れては何やらフガフガと言い合っている様子だった。混み合う前に部屋だけ取ってしまおうと、マレクはカウンターへ近づいた。


宿屋の主人「いらっしゃい。」


マレク「宿を取りたいんだが、部屋は空いてるかい。」


宿屋の主人「ああ……えっとな、まだ空いてるよ。何泊するつもりだ?」


マレク「あ、そうだな……とりあえず2泊としとこう。」


 宿屋の主人は、宿帳を取り出しながら話を続けた。


宿屋の主人「延泊したくなったらすぐ言ってくれよ。何しろ、駆け込みで商人がひっきりなしに通るようになったからな。」


 マレクは純粋な興味から、主人に問い掛けた。


マレク「……駆け込み? なんかあったのかい。」


宿屋の主人「いやあ、通行料の話だよ。隣の国の大公様が通行料を値上げするってんで、村回りの商人達は顔を真っ青にしてるんだよ。」


 マレクはふと、脳裏にナキアの話を思い出した。


 『西の諸国は思ったほどホルヴァート大公を歓迎していない』


 そして、この話を持ち帰らねばならないと思い立ったが、マレクは字が書けない。どうしたものかと悩んでいると、宿屋の主人から思いもよらぬ言葉をかけられた。


宿屋の主人「あんた、旅人だろ。土産はもう買ったのかい。」


 マレクはそこで、話をひとつ聞くたびに小物をひとつ買おうと思い立った。領都に帰った時、鞄から小物を取り出すたびに話を思い出し、それをナキアに聞かせれば良いのだと。


マレク「いや、まだなんだ。広場にでりゃ目星はつくかい?」


宿屋の主人「ああ、広場に出ちまった方がいいぜ。」


 マレクはそうして広場に繰り出した。


マレク(……通行料ひとつで、こうも下々は振り回されるもんなんだな。)


 そして広場の片隅で木彫りを売っている老婆から、小人の人形を買い取った。マレクは人形を鞄にしまうと、再び町を歩き始めた。


 数日後、町の隅から隅まで歩き尽くしたマレクは、山道を行くことにした。


 朝日を背にしながら山を登り始めると、額に汗が滲み始めた。ふと振り返ると、開けた草原が眼下に広がっていた。


マレク(……俺には、こういう生活のほうがあってたのかもしれねぇな。)


 随分と自分は狭い世界で生きていたのだと、彼はそう思い始めていた。風の吹くままに行き先を決め、時には木陰で夜を明かす。そう言った生活に、溢れるような充実感を感じていたのである。

 もちろんおおよその期限は決められていたが、ナキアからはどこに行けとも、どこに行くなとも言われていなかったので、マレクは奔放に西の土地を舐り歩こうと決めた。



 ある時、彼は山村で木を切っていた。


木こり「いやすまんな。すっかり手伝ってもらっちまって。息子を奉公に出しちまったから、

 人手が足りなくてな。」


マレク「一宿の恩にしちゃ軽いもんだ。気にすんな。」


木こり「隣の国の大公が通行料を上げるなんて言い出さなきゃな……。うちの木材だけで、何とか暮らしていけだんだが。」


 マレクは、鋭い耳でそれを聞き漏らさなかった。そして木こりから、川辺で拾った珍しい石を譲り受けると、鞄にしまった。



 またある時、彼は海辺で釣り糸を垂らしていた。


漁師「どうだい、釣れたかい旅人さんよ。」


マレク「いや全然。久しぶりにやったが、やっぱ俺には才能がねぇな。」


漁師「あんた腕っぷしは良さそうなんだからよ、船乗りの方が合ってるだろうよ。金持ちどもは今、船乗りをこぞって集めてんだぜ。」


 マレクは漁師から刃を丸めた釣り針を一本、譲り受けた。ふと見ると、マレクの鞄はいっぱいになっていた。東に吹き抜けていく潮風が、妙に心に染み込んだのを感じた。

 思えば、すでに小麦も色づき始める季節になっていた。


マレク(そろそろ頃合いか。)


 港町に来ていたことも幸いした。明日は東へ向かう船を見繕って、乗せてもらおう。力仕事を手伝ったあとは、甲板で昼寝をしようと決めたのであった。

 宿に帰ってきたマレクは水場で念入りに汗を洗い流し、部屋に戻った。そして膨らんだ鞄を傍に、ゆっくり目を瞑った。


 翌日は快晴であった。


 マレクの目論見通り帆船が何隻か賑わっていたので、そのうちの一つの船に声をかけた。船員は少し渋っていたが、話の中で行き先がロードンブと分かったので、今更出し惜しみする必要もないとマレクは鞄から銀貨を取り出した。

 かくして、彼は力仕事を手伝うことなく甲板で昼寝を味わっていた。波の音と飛ぶように過ぎ去る白い雲が、心地よい船旅を彩っていた。ロードンブに近づくにつれて、やはり故郷だからだろうか。マレクの口は緩み始めていた。


 昼過ぎには帆船は川に入り、ゆっくり遡上し始めた。ロードンブの横を流れる川である。マレクはそれに気付き、少し慌てて景色を見渡した。まだ遥か遠くに城塞都市の影を見つけると、胸が高鳴るのを感じた。彼は鞄を無意識に握っていた。


船乗り「それじゃあ、ここからは川船に積み込むからよ。後は歩きで頼むぜ。」


マレク「ああ、世話になったな。」


 マレクはロードンブからまだ遠い、桟橋で船を降りた。そして足早に大門を目指して歩き始めた。こうして数ヶ月ぶりに故郷に帰ってみると、さすがの彼も感傷を感じずにはいられなかった。目の端が少し滲む気すらした。


マレク(……帰る場所があるってのも、まあ、悪くないもんだな。)


 そんな事を考えながら歩いていると、大門はもう目の前だった。彼は堂々と領都に踏み入り、門衛達の横を素通りした。兵士たちの中には目を丸くして驚くものもいた。マレクは大通りをずんずん歩き、そのまま城門まで進んだ。


 全く変わらぬ様子の領城がそこにあった。流石に門兵に止められると、ナキアお付きの特赦兵であることを改めて彼らに伝えた。門兵達は顔を見合わせると、そのうちの一人が血相を変えて詰め所に走り込んでいった。

 少しすると、見慣れた騎士が走り寄ってきた。護衛隊長だった。


護衛隊長「マレク、よく戻ってきてくれた。……中で話せるか。」


 護衛隊長は、マレクを連れて門の中に入った。そしてすぐの中庭の隅まで歩き、一本の木の木陰でマレクに伝えた。


護衛隊長「ナキア様はひと月前にお亡くなりになった。……暗殺されたのだ。」



 マレクは鞄を落とした。中からは小物が、じゃらじゃらと音を立てて流れ出した。



 マレクは走っていた。大広間を抜けると階段を上り、廊下を抜け、また階段を上った。

 そしてあの朝、あの時と同じように、同じドアをノックした。


マレク「……ナキア?」


 だが、あの時とは違い完全な沈黙が返ってきた。


 マレクはドアを恐る恐る押した。ドアは力無く開いた。彼はふらふらと部屋に入り、中を見渡した。そこには上品な小物や、本や、畳んだ日傘が立てかけられていた。全ての時が止まったままのようだった。

 部屋の中を進むと、ベッドのシーツは剥がされていた。枕もない様子だった。コート掛けには帽子もかかっておらず、よくみると木箱がいくつか運び込まれていた。木箱の中には衣服や日用品が無造作に詰め込まれていた。


 そしてマレクは足を止めた。気づいてしまった。


 香水の匂いがしない。


 マレクは涙を抑えられなかった。嗚咽を止めることができなかった。握った拳を床に振り抜いた。


 そしてしばらく経ったあと、マレクはゆっくり立ち上がった。


マレク(……暗殺された。)

 

 彼の目には黒い炎が灯っていた。


マレク「……殺す。」


 マレクは血が出るほど、拳を握りしめていた。


マレク「……必ず探し出して、肉片になるまで切り刻んでやる!」


 涙と血が、床に溜まっていた。



第3幕



 兵士の詰め所。そのうちのひと部屋に、マレクと護衛隊長が机を挟んで座っていた。空気は重々しく、張り詰めていた。


護衛隊長「……まずは任務、ご苦労だった。」


 マレクの目線は尋常ではないほどの鋭さになっていた。


護衛隊長「……我々も任を解かれ、ちょうど明日に王都へ戻る予定だったところだ。」


 護衛隊長は、宥めるような口調で続けた。


護衛隊長「私も正直……疲れてしまった。自分の不甲斐なさに呆れているのかもしれん。」


 マレクは床の一点をずっと見つめていた。


護衛隊長「……お前はどうする? ナキア様の命令がまだずっと続いていることにも

 できるぞ。」


 護衛隊長の声も虚しく、マレクは何の反応も返さなかった。隊長は首を横に振って、立ち上がると詰め所を後にした。


護衛隊長「じゃあ、またどこかでな。」


 マレクは独りになった。彼の頭では時計の針が目まぐるしく動いていた。何がどう動いた? 誰がどこで何をした? まずナキアはどうやって殺された? そして、一人の人物の顔が浮かんだ。


 ロードンブの馬屋で、一人の男が馬の世話をしていた。丁寧に体にブラシをかけ、手で触りながら肌のハリや毛のコシを確かめている様子だった。彼が同僚を見送って、少し残業をしようとバケツを持った瞬間だった。


マレク「……おい。」


馬番「うひゃあ!!」


 闇の中からマレクが現れた。馬番はバケツの水をひっくり返し、腰を抜かした。


マレク「いや、悪い。俺だ。」


馬番「あ! あなたは……。」


マレク「お前……湖の時の御者だよな。」


 馬番は、ナキアが東の湖で行楽を楽しんだ時の御者だった。御者はナキアが遠出をする時決まって顔を合わせていたから、お互い顔馴染みになっていたのだった。


馬番「……ナキア様は素晴らしいお方でした。まさか、あのような悲劇があろうとは。」


マレク「分かるよ。……実はな、あの事件の捜査を任されている。なんでもいい、あの日のことをもう一度思い出してくれないか。」


 マレクは慎重に言葉を選びながら、嘘を見繕った。


馬番「はい。あの日は歩きでの査察だったようで、私にお声はかかりませんでした。ですが、大門から歩き出るナキア様を確かに覚えております。」


 マレクは身を乗り出した。


マレク「……怪しい奴は誰かいたか。」


馬番「……そうですね、怪しい者は誰も。」


 マレクは干し草の上にどさっと座り込んだ。


マレク「……大門の様子は聞けるか。事件のあった時刻のだ。」


 馬番は頭を捻って答えた。


馬番「正確な話は……。若馬の走り込みを終えてから大門に着きますと、すでに門兵様達が何やら慌てておいでで……魔術師様達が何人か大門から走り出ていかれるところでした。」


 マレクは天井を見上げた。この御者……馬番からは、これ以上の話は聞けなかった。


 領城に戻ったマレクは、ひたすら走り回った。あの日の事を思い出して欲しい。何でもいいから、教えて欲しいと。そして話を手繰り寄せた先で、一人の外科医に行き着いた。


外科医「……ナキア様の死因ですか。もう既に報告はしたはずですが……。」


マレク「急を要します。俺はこの件で捜査権をもらっていますから、責任はとります。」


 マレクは町の貴族街にある診療所に押しかけていた。休憩中だったはずの外科医はジロリとマレクの風貌を眺めると、渋りながら答えた。


外科医「背後から、剣でひと刺し。即死に近かったでしょうな……。」


マレク「剣……。」

 

 外科医は訝しげにマレクに言葉を投げた。


外科医「お役人様も立ち会われていたはずですがな……何もお話を聞いていないので?」


マレク「……どういう意味ですか?」


 外科医は深いため息をついた。


外科医「ナキア様を殺めた剣は、偽造された護衛騎士団の剣だったという話です。」


 マレクは町中をふらふらと歩いていた。当てもなく、無意識に。頭の中に霞がかかっているようだった。数分か、10分か、時も分からぬまま彷徨っていると、ふと見慣れた景色に足を止めた。

 

マレク「……。」


 そこは、川港へ通じる大通りだった。あの日、雷に打たれた場所である。川港まで走り抜けていたら、こんなに惨めな気持ちにならなくてよかったのかもしれない。こんなに悲しまなくてよかったのかもしれない。こんなにもあの女を──。


マレク「……ナキア。」


 無意識に、その名前を呟いてしまった。彼の目の前はまた滲んでしまった。だが、それを隠すように雨が降り注いできた。雨季の通り雨であろうか、雨足は一気に強くなった。

 マレクは雨粒を振り解くように頭を振った。今は子供のように泣きじゃくる時ではない。雨が彼の頭をに冷静さを取り戻させていた。彼は城へ戻ることにした。


 兵士の詰め所に戻ると、彼は雨を拭い、探し物をすることにした。剣台、保管庫、兵士の訓練場。だが探し物は一向に見つからなかった。

 

兵士「あ、お前は……。」


 そのうち、番から戻ってきた兵士と出くわした。ちょうど良いのでマレクは尋ね事をした。


マレク「騒がして悪いな。ちょっと探し物をしているんだが……いいか?」


兵士「な……なんだよ。」


 兵士の声には怯えが混じっていた。


マレク「護衛騎士団の剣があるかと思って探してるんだが、心当たりはないか。」


 兵士は不可思議な顔をして答えた。


兵士「……あるわけないだろ。護衛隊が肌身離さず持ってるんだから。」


 その言葉を聞いたマレクは、頭からつま先まで貫かれる感覚を覚えた。


マレク「なん……なんだって?」


兵士「え? な、何が?」


マレク「今の話! 今の話をもう一回言ってくれ!」


 マレクは兵士の両肩を力いっぱい掴んでゆすった。


兵士「き、騎士剣を護衛隊が手放すわけないだろ。一人一人に下賜されるものなんだから!」


 マレクは兵士から手を離し、ナキアの部屋へ戻った。


 ドアをゆっくり開けると、注意深く小物の様子を改めて見つめた。既に多くの小物は動かされた跡があったので、マレクが期待していた情報は手に入らなかった。


マレク(馬番は、怪しい奴はいなかったと言った。)


 マレクは彼女の部屋をゆっくり歩きながら考えを整理していた。


マレク(質問を間違えた。怪しくない奴は隣にいたんじゃないか?)


 彼の歩調は微かに速くなった。


マレク(背後から刺された。つまり、暗殺者は日常的に背後を見せる相手だった。)


 何度も何度も、部屋の中を往復した。


マレク(武器は騎士剣の偽造品だ。だか、なぜわざわざ余計な偽造品を用意した? 護衛隊に罪を着せたかった奴の仕業か……?)


 だかマレクは足を止めた。彼の鋭い眼は、真実を見逃さなかった。


マレク(いや、待てよ。理由はわかんねぇが、そもそもどうやって騎士剣に似せるんだ? 本物は護衛隊が固く握っている。偽物を作るためには本物を見せる必要があるはずだ。つまり。つまり偽造を命じた奴は少なくとも──。)


 その瞬間、稲光が迸った。それは窓の外の雷雨のせいだと思った。だが、マレクは覚えのある脱力感を感じていた。あの時と同じ、焦げた匂いも。


 部屋の入り口を見ると、護衛隊長が立っていた。


 そして、手のひらをマレクに向けて開いていた。


マレク「……て、めぇ……。」


 そして破裂音と共に、再び稲光が走った。マレクの首輪から。


 マレクは、そのまま床に崩れ落ち、気を失った。


 深い脱力感と頭の中で、マレクはゆっくり目を覚ました。口にはくつわをはめられ、手は麻縄で縛られていた。周りを見ようとしたところで首も固定されていたことに気づいた。そして、自分が処刑台に架けられていることをようやく理解した。


 視界の奥の方で、護衛隊長と役人らしき男が立ち話をしている。


護衛隊長「……はい、我々が捜査権を与えたということは全くのでっち上げです。危ない所でした。奴は事件を覚えている者を、炙り出していたのでしょう。」


役人らしき男「てすが、なぜそもそも、奴はナキア様を殺めたのでしょう。」


 護衛隊長はわざとらしく周りを見渡し、声を潜める素振りで答えた。


護衛隊長「ナキア様の名誉のため、内密にお願いしたいのですが……あの男は、ナキア様の情夫でした。」


役人らしき男「な、なんと! サンサルド嬢ともあろうお方が……。」


護衛隊長「……痴情のもつれとは恐ろしいものです。例の偽造剣は西の国で打たれたものであることは調べがついておりますが、あの男はそもそも西側に派遣されておりました。」


 役人らしき男は、手に持った紙切れに文字を書き殴っていった。


護衛隊長「ナキア様より貸与いただいた裁断権を行使し、あの男の処刑を認めます。」


 そこまで言うと、役人らしき男に何かを依頼した護衛隊長はマレクに歩き寄ってきた。そして猿ぐつわを外した。


護衛隊長「……全く。私はチャンスを用意したんだぞ。何で西へ逃げなかった……。」


マレク「ハッ! 皮肉なもんだぜ、あの女の首輪に最後まで苦しめられるとはな!」


 マレクは護衛隊長を睨みつけた。


マレク「……なぜ殺した。」


 護衛隊長はひと呼吸置いた。


護衛隊長「お前は西で何を見てきた? 私の両親はな、小さな呉服店を営んでいる。そういった末端労働者にとっては地獄のはじまりだっただろう。」


 マレクは数々の国を思い出していた。


護衛隊長「今回の大公の関税増率で、何百以上の商人が廃業になるだろう。笑うのはゴブリン商会だぞ。あいつらにとっては破格で店が買い取れるんだからな。」


 護衛隊長は安堵のため息をついた。


警備隊長「だが、王宮からの査察官であるナキア様が領内で暗殺された。その責任を取る形で、大公は増率案を取り下げた。ナキア様には感謝している。本当だ。」


 マレクは護衛隊長に唾を飛ばした。


マレク「あの女は俺が殺すはずだったんだ。横取りしやがって……。」


護衛隊長「……そうか。それはすまない事をした。」


 そう言い残すと、護衛隊長はマレクから体を離した。


護衛隊長「捜査を引っ掻き回す為に作らせた偽造品も、いい具合に収まってくれた。

 お前にも感謝しているよ。……じゃあな。」


 護衛隊長は振り向き、颯爽と歩き始めた。マレクが何かを吠えていたが、その言葉はもはや誰の耳にも届かなかった。そして隊長は、すれ違いざまに処刑人に言葉をかけた。


護衛隊長「いいぞ。」


 処刑人は刑台にずんずんと進み、斧を強く握り締め、振り上げた。そしてためらうことなく斧が振り下ろされた。護衛隊長の背中を追うように、鈍い音が響いた。

 隊長は処刑場を出ると、そこに7〜8名の護衛隊が詰めていた。


護衛隊長「諸君、真犯人の捕縛は大義であった! ナキア様も天で浮かばれよう! 我らが王国に栄光あれ!」


 隊長が左胸に右手を掲げると、皆が声を揃えた。



隊士たち「ジュラーム王国に栄光あれ!」


本編「魔王は紅茶を愛した」の補足作品として執筆しました。

これはジュラーム王国の30年前の出来事……主人公達が過ごしていた日常の影には何が蠢いていたのか。

そして、主人公達がこれから変えようとしている”王国”とは何なのか。

これらをうまくお届けすることができたでしょうか。


次回の短編更新は9月4日(金)18時予定。

次回の”本編”更新は9月7日(月)18時予定です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。