『愛のない白い結婚ですので業務報告は日報で提出してください』と言い放った王太子妃、六年分の残業代を請求して実家に帰る。〜前世が過労死秘書だった私、今さら愛を囁かれても定時は過ぎました〜
「愛のない結婚だ。白い結婚を貫く。お前はただの飾りだと思え」
その宣言を聞いた瞬間、私の脳内に響いたのは悲鳴ではなく、歓喜のファンファーレでした。
前世、ブラック企業の過労死秘書だった私にとって、それは「最高にホワイトな雇用条件」の提示だったのです。
事務処理能力を極めた転生令嬢の、サクッと爽快な退職(離婚)劇。
どうぞ、定時までお付き合いください。
一、雇用契約の締結日
「愛のない結婚だ。白い結婚を貫く。お前はただの飾りだと思え」
シャンデリアが冷たく光る初夜の寝室。
王太子アルフレッドが、外套も脱がずに言い放った。
彼の腕には、いかにも守護欲をそそる病弱そうな幼馴染がぶら下がっている。
見せつけるような抱擁。
氷のような視線。
だが、私の胸を占めていたのは悲しみではない。
純粋な、魂の震えだ。
(……よっしゃああ! 最高の労働条件じゃないの!)
私は前世、ブラック企業の過労死秘書だった。
睡眠時間は三時間、上司の機嫌一つで休日が消える地獄の連鎖。
それに比べれば、王太子の愛などという不確定要素は、業務上のノイズでしかない。
私はドレスの隠しポケットから、特製の革表紙手帳を取り出した。
「承知いたしました。では、業務規定の確認に移行します」
「……は?」
アルフレッドが眉を寄せた。
私は構わず、魔導万年筆を走らせる。
「白い結婚、つまり夜の公務は免除。私の役割は『飾り』、すなわち王宮の事務代行と予算管理。居住権と食費の保証。これでお間違いありませんか?」
「ああ、そうだ。お前のような可愛げのない女、事務机とでも思って扱う」
「ありがとうございます。至高の褒め言葉です」
私は深々と頭を下げた。
定時退社、完全週休二日制。
ホワイトな異世界生活が、今ここから始まる。
二、美しすぎる決算書と、文官たちの発狂
六年後。
王宮の政務棟には、異様な熱気が立ち込めていた。
「出たぞ……。シルヴィア様の『四半期収支報告書』だ!」
若手文官たちが、配られた書類を手に震えている。
そこには、前世の表計算ソフトを魔法で再現した、究極のグラフが並んでいた。
無駄な装飾を削ぎ落とし、本質だけを炙り出す数字の羅列。
かつては数ヶ月かかっていた予算編成が、彼女の手にかかれば数日で片付く。
「見てくれ、このセルの整列を。一ミリの狂いもない魔導インクの配置。ああ、数字が、数字が私に愛を囁いている……!」
一人の文官が、あまりの美しさに涙を流して膝をついた。
もはやそれは事務作業ではなく、一種の芸術だった。
シルヴィアは、特製の魔導万年筆を指先で回す。
インクの乾く速度、ペン先の滑り、筆圧による魔力伝達。
全てが事務を加速させるために最適化されている。
彼女の瞳は、領収書のわずかな魔力残渣を見逃さない。
「側妃様のドレス代、これは『外交費』ではなく『娯楽費』で計上してください。あと、この三枚の會食領収書。筆跡が同じです。経費の水増しは、コンプライアンス違反ですよ」
「ひっ、申し訳ございません!」
不正を働く貴族たちが、彼女の「数字の暴力」の前に次々と沈んでいく。
彼女にとって王宮は、守るべき家庭ではなく、管理すべき「巨大な不良債権」に過ぎなかった。
三、さよなら王宮、請求書は置いていきます
「シルヴィア! お前という女は、どこまで強欲なんだ!」
夜会の最中、アルフレッドが怒鳴り声を上げた。
傍らには、宝石をジャラジャラと着飾った幼馴染の側妃。
「側妃に贈るはずの離宮の予算を削るとは何事だ! 愛のないお前には、もう耐えられん。今すぐ離婚だ、出て行け!」
会場が静まり返る。
貴族たちの視線が、冷徹な事務妃へと注がれた。
シルヴィアは、飲みかけのグラスを静かに置いた。
「判明しました。これにて雇用関係(婚姻)の終了ですね」
「……何?」
彼女は足元に置いていたアタッシュケースを開いた。
中から出てきたのは、辞書のように分厚い書類の束。
「こちらは、六年間におよぶ『王太子業務代行』の請求明細です。アルフレッド様、貴方がサボって側妃様と遊んでいる間に、私が処理した公務は三万件を超えます」
彼女は書類の一枚を、王太子の鼻先に突きつけた。
「基本給、深夜残業手当、休日出勤手当、そして精神的苦痛への慰謝料。合計で、王国の年間国家予算の約五割となります」
「なっ……ふざけるな! そんな額、払えるわけが――近衛兵! この不敬な女を捕らえよ!」
アルフレッドが激昂し、剣を抜きかけたその時。
「……おやめください、殿下。これ以上の暴挙は、我が国の信用格付けを『債務不履行』に叩き落とすだけです」
宰相を筆頭に、文官たちが一斉に王太子の前に立ちはだかった。
彼らの手には、ペン。それは剣よりも鋭く、王国の予算という心臓部を握る武器だった。
「払えない場合は、貴方の個人資産の差し押さえ、および王位継承権の売却による補填となります。既に法律顧問と監査役の承認は得ております」
シルヴィアの背後に、彼女を崇拝する文官たちがズラリと並んだ。
彼らの目は、数字の真理に目覚めた狂信者のそれだった。
「さあ、こちらの魔印を押してください。判を押した瞬間、私は退職(離婚)いたします。定時を五分過ぎています。早くしないと、さらに深夜割増がつきますわよ?」
アルフレッドの手が、恐怖でガタガタと震え出した。
四、私の定時は、私が決める
三ヶ月後。
シルヴィアは、実家の領地にある小さなオフィスで、淹れたての紅茶を楽しんでいた。
窓の外には、彼女のアドバイスで劇的に収益を上げた農村が広がっている。
隣国からは「うちの国の国家予算も見てほしい」と、美形の賢王から熱烈なスカウト(求婚含む)の手紙が毎日届く。
そこへ、ボロボロになった使い魔が飛んできた。
元夫からの、泣き言が綴られた手紙だ。
『シルヴィア、戻ってきてくれ! 王宮が書類の山で埋まって、誰も予算が組めないんだ! 側妃も金がないと知った途端に逃げ出した! すまなかった、愛している、だから――』
シルヴィアは手紙を一瞥し、シュレッダー代わりに火魔法で燃やした。
隣で控えていた秘書が、静かに微笑む。
「お嬢様、いかがなさいますか?」
「あいにく、本日の受付時間は終了しました」
シルヴィアは魔導万年筆を置き、ゆっくりと背伸びをした。
「明日は有給休暇を取るわ。隣国の城下町に、最近噂に聞く『とんかつ』という絶品料理を出す店があるそうですの。二度揚げの咆哮、ぜひ聞きに行かなくては」
夕日に染まるオフィスに、定時を告げる鐘の音が、サクサクと心地よく響き渡った。
(完)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
事務的に、かつ容赦なく残業代を請求するシルヴィアの姿で、少しでもスカッとしていただけたなら幸いです。
彼女がこの後、隣国で食べるという噂の「とんかつ」。
実は、そんな「食」への執念が世界を変える(?)もう一つの物語がこちらにございます。
▼あわせて読みたい:食欲と二度揚げの咆哮
『【新紙幣】北里先生一枚で、大好物のとんかつが食えない絶望から、私は異世界で揚げ鍋を握ることにした。〜二度揚げの咆哮、和芥子の洗礼〜』
https://ncode.syosetu.com/n0389lz/
さらに、シルヴィアが使っていた「論理の力」や「世界の理」。
その根源に迫る、少しシリアスで熱い本格ファンタジーも連載中です。
▼著者の本気:世界の理を剥ぎ取る物語 『理の剥離者』
https://ncode.syosetu.com/n5065lx/
「サクサク」な短編の次は、じっくりと「理」を味わう長編はいかがでしょうか?
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