口うるさい婚約者に「鬱陶しい」と言ったら理想の女になった※ただしその代償は大きすぎた
アレンは、婚約者のティナに「だめです」と言われるのが好きだった。
もちろん、そんなことを本人に言ったことはない。
口にすれば、ティナはきっと困ったように目を伏せ、それから少しだけ頬を染めるだろう。そんな顔まで想像できてしまうくらいには、アレンはティナの表情を知っていた。
第二王子アレンとティナの婚約は、まだ幼い頃に決まった。
それから間もなく、ティナは王宮に移り住んだ。
王子の婚約者として教育を受けるためだった。
けれどアレンにとっては、その理由はほとんど意味がなかった。
理由があろうとなかろうと、ティナは最初からそこにいるものだと、疑いもしなかったからだ。
同じ廊下を歩き、同じ時間に食事を取り、体調を崩せばすぐに様子を見に来る。衣服の乱れも、食事の量も、眠る時間も、帰る時刻も、ティナはすぐに気づいた。
いつの間にか、何をするにも彼女がいた。
いない時間の方が、少なかった。
それが当たり前だと、疑いもしなかった。
この生活から、ティナがいなくなることなど。
「だめです」
眉間に小さく皺を寄せて、ティナは言う。
朝、外套も着ずに中庭へ出ようとしたとき。
応接室で菓子に三つ目の手を伸ばしたとき。
夜も更けたのに書類を放り出して剣を振りに行こうとしたとき。
そのたびに彼女は止めた。
「風が冷たいです」
「食べすぎです」
「明日の朝、お辛くなります」
叱っているようで、声はいつもやわらかい。やわらかいのに、譲らない。アレンが笑って誤魔化そうとしても、ティナは小さく首を振り、きちんと彼を見上げて、もう一度言うのだ。
「だめです」
その真剣さが、アレンにはたまらなく心地よかった。
自分は見られている。
自分は気にかけられている。
自分は、この女にとって特別だ。
幼い頃から、王子という立場で頭を下げられることには慣れていた。傅かれることにも、持ち上げられることにも、王子だからという理由だけで微笑まれることにも。
だが、それらはすべて「第二王子アレン」に向けられたものだ。
ティナだけは違う気がした。
幼い頃、熱を出したアレンのもとで、ティナはずっと離れなかった。
熱に浮かされた頭のまま、それでもはっきりと覚えている。
「まだお顔が赤いです」
泣きそうな顔でそう言って、何度も額に触れる。
「もう大丈夫ですよ」と宮医がなだめても、
ティナは首を振った。
「大丈夫ではありません」
寝台の傍から動こうとしない。
少しでも目を離せば、何かあってしまうと、本気で思っているようだった。
あまりにも必死で、幼いアレンはぼんやりとした頭のまま笑ってしまった。
それでもティナは離れなかった。
夜が更けても。
眠るように言われても。
ただ、そこにいた。
それが、当たり前だった。
手の甲に薄い切り傷を作れば、青ざめた顔で包帯を持ってきた。
咳をすれば、すぐ薬湯を運んできた。
体調を崩せば、夜更けまでそばを離れたがらず、自分の部屋にも戻ろうとしなかった。
「そんなに心配か」
半ばからかうつもりでそう言った夜を、アレンは覚えている。
ティナは薬湯の湯気越しに目を瞬かせ、それから少しだけ頬を染めた。
「……はい」
その一言が嬉しくて、愛おしくて、アレンは思わず彼女を抱きしめた。
ああ、好きだな、と思った。
本当に俺のことを見ている。
俺のことを、自分のことのように心配してくれている。
その事実が、どうしようもなく嬉しかった。
かわいい、とも思った。
愛しい、とも思った。
将来も、こうしてそばにいてほしいと思った。
できるなら、ずっと自分だけを見ていてほしいとも思った。
――失うことなど、考えたこともなかった。
だから、最初のうちは何もおかしくなかった。
無茶を止めようとして、心配で泣きそうな声で「やめてください」と言うたび、袖を掴むたび、眉を寄せるたび、アレンの胸は満たされた。
自分はこの女の世界の中心なのだと、そう思えたから。
歪み始めたのは、十八になった頃からだった。
夜会に出るようになり、その後にそのまま遊び歩くような貴族子弟たちと付き合うようになった。酒、賭け事、夜更けまでの遊び。王子としてではなく、年頃の男として扱われる時間は、最初こそ新鮮で、少しばかり自由に感じられた。
ティナは最初、それを好ましく思っていなかった。
「ご友人はお選びください」
そう言って眉を寄せたこともある。
けれど同時に、王子として人を見る目を養うことも必要だと分かっていたのだろう。
「……ただ、そういう場を知ることも、無駄ではないと思います」
完全には止めなかった。
だからこそ、アレンは甘えた。
その中心にいたのが、ヴィンスだった。
彼は距離の詰め方が上手かった。王子としてではなく、同じ年頃の男として扱う。気安く、遠慮なく、軽薄なくらいに。
それが、アレンには妙に心地よかった。
ある夜、半ば酔ったヴィンスが、ティナの声色を真似るように笑いながら言った。
「お前の婚約者、母親みたいだよな」
アレンは眉をひそめた。
「何がだ」
「だってそうだろ。だめです、やめてください、風邪を引きます、食べすぎです、夜更かしは駄目ですって。あれ、婚約者っていうか乳母じゃないのか?」
周囲が笑った。
胸の奥がささくれ立ったが、
アレンも、その場ではつられるように笑った。
だが、その言葉は妙に残った。
次にティナが「だめです」と言ったとき、ふいに思い出してしまったのだ。
――母親みたいだな。
外套を掛けられる。
酒を止められる。
帰城が遅いと眉を寄せられる。
まただ。
また止める。
また心配する。
俺が望んでいるのに。
俺がやりたいのに。
ティナはいつも正しいことを言う。間違ってはいない。だから反論しづらい。だから余計に、押しつけがましく感じた。
まるで自分が子どもで、彼女に導かれなければ何もできないみたいで。
以前はそのまっすぐさが愛しかったのに、少しずつ、息苦しいと思うようになった。
ヴィンスはさらに言った。
「女ってのはな、男を気持ちよくさせるもんだろ。好きにやらせて、すごいって言って、笑ってりゃいいんだよ」
そういうものか、と最初は鼻で笑った。
だが一度そう思ってしまうと、ティナの眉間の皺ばかりが目についた。
困った顔。
止める声。
心配そうな目。
以前はそれが、愛そのものだったのに。
いつからか、否定に見えた。
違うと分かっていた。
それでも、そう感じた。
ある晩、アレンはわざと若い令嬢を隣に連れて歩いた。
別に本気で好きだったわけではない。ただ、噂になりやすそうな娘を選んだだけだ。香の強い匂いが鼻についた。
王宮の舞踏会が終わり、客人たちが大階段を下りていく頃だった。
広間の熱気がまだ残る石造りの階段の下で、ティナが待っていた。
「今夜はおやめください」
いつものように眉を寄せている。けれど今日は、いつもより唇の色が悪かった。
「心配で……心配でたまりません。やめてください」
袖を掴まれる。
その手が震えているのを見た瞬間、アレンの胸の奥がぞくりとした。
ああ、そんなに嫌か。
そんなに俺が取られるのが嫌か。
可哀想だと思うより先に、満たされるものがあった。
――俺のものだ。
そう思った。
自分のために泣きそうになって、
自分のために縋って、
自分のために苦しんでいる。
そのすべてが心地よかった。
だが、背後からヴィンスの笑い声が聞こえた途端、その満足は歪んだ見栄に変わった。
「……駄目だ、駄目だとうるさい」
ティナは一度だけ目を見開いた。
「何でも駄目と言うな。そういうところが鬱陶しい」
言ってしまった瞬間、ティナの顔から血の気が引くのが分かった。
それでも、アレンは止まらなかった。
「何でもいいって笑ってくれる女の方がましだ」
令嬢がくすりと笑う。
ヴィンスも笑っていた。
ティナだけが、黙っていた。
しばらくして、袖を掴む手が離れる。
「……わかりました」
それだけ言って、彼女は頭を下げた。
泣くかと思った。
怒るかと思った。
せめて何か言い返すかと思った。
なのに、ティナは何も言わなかった。
その静けさに、なぜか苛立った。
その夜。
深夜、自室へ戻る途中、アレンはティナに与えられた部屋の前で足を止めた。
扉の向こうから、押し殺した泣き声がしたからだ。
侍女が慰めている声も聞こえた。
「お嬢様、どうか……」
アレンは立ち尽くした。
開けようと思えば開けられた。
謝ることだってできた。
だが、しなかった。
扉の前で、ただ聞いていた。
ティナが泣いている。
自分のせいで。
自分を失いたくなくて。
そう思うと、胸の奥で罪悪感と一緒に、うす暗い満足がじわりと膨らんだ。
そんなに俺が好きなのか。
そんなに俺に縋っているのか。
最低だと、どこかで自分でも思った。
それでも、その泣き声を美しいと思ってしまった。
愛していた。
本当に。
けれど、その愛はすでにこの時点で歪んでいた。
彼女を愛しているのか。
彼女に愛されている自分を愛しているのか。
その違いを、アレンは見ようとしなかった。
翌日、ティナはいつも通りの顔で現れた。
「午後の視察は取りやめる」
試すように言うと、彼女は少しだけ間を置いた。
ほんのわずかに、引き留めたい気配が見えた。
けれど次の瞬間には、やわらかく微笑んだ。
「いいと思います」
アレンは目を瞬かせた。
「止めないのか」
「アレン様が望むなら」
その言葉に、奇妙な高揚が走った。
止められない。
否定されない。
望みがそのまま通る。
以前ティナが泣きながら自分に縋っていたときと、同じように心が満たされた。
いや、それ以上だった。
自分の意見がそのまま受け入れられる。
自分の欲望がそのまま肯定される。
しかもティナは、きっと自分に嫌われたくなくてそうしている。
そう思うと、アレンの胸は甘く満たされた。
正しいかどうかではない。
自分がそうしたいから、そうする。
それでいいのだと、目の前の女が笑ってくれる。
それはあまりにも甘かった。
それからティナは、何を聞いても「いいと思います」と言った。
「今日は執務を休む」
「いいと思います」
「ヴィンスたちと夜明けまで遊ぶ」
「いいと思います」
「新しい馬を買う」
「いいと思います」
「今日の視察も取りやめる」
「いいと思います」
「酒を飲む」
「いいと思います」
「女と出かける」
「いいと思います」
「戻りは遅くなる」
「いいと思います」
「夕食もいらない」
「いいと思います」
最初のうちは、笑みの端にためらいが残っていた。
少しだけ引き留めたそうな気配もあった。
だからアレンは安心していた。
ああ、まだ俺を好きなのだ、と。
まだ俺の顔色を窺っている。
まだ俺に嫌われたくなくて笑っている。
そのことがまた、たまらなく甘かった。
だが、アレンが彼女のわずかなためらいや引き留めたい気配を見ないふりで押し切るたび、ティナは上手く笑うようになった。
穏やかに。
優しく。
完璧に。
それを見て、ヴィンスはますます面白そうに笑った。
「やればできるじゃないか、ティナ嬢も」
アレンも笑った。
そのたび、自分は肯定されているのだと思った。
あれほど鬱陶しかった「だめです」が消えた。
代わりに来たのは、なんでも受け入れてくれる甘い声だ。
これこそが理想だと、本気で思った。
自分を中心に世界が回っているような気分だった。
違和感が生まれたのは、ほんの些細なことからだった。
剣の稽古の帰り、アレンは手の甲を浅く切った。
血はすぐ止まる程度だったが、じくじく痛む。
「このくらい、ほうっておいても平気だ。宮医に見せたらまた小言を言われる」
わざと軽く言ったのは、昔を少し期待したからかもしれない。
昔のティナなら、顔色を変えただろう。
『だめです、見せてください』
そう言って、半ば強引に手を取ったはずだ。
だがティナは、傷口に一度視線を落としただけで、穏やかに頷いた。
「そうですか」
やわらかい笑み。
「いいと思います」
アレンは、なぜか言葉を失った。
心配も、怒りも、包帯もない。
ただ、その一言だけ。
それが望んだはずなのに、胸のどこかが妙に冷えた。
それから彼は、彼女の顔を見るようになった。
前はもっと表情が動いていたはずだと気づいたからだ。
眉を寄せる。
困る。
呆れる。
怒る。
ときどき泣く。
今は違う。
ティナはいつも同じように笑う。
きれいな笑顔だった。
品よく、やさしく、王子の婚約者にふさわしい笑顔。
けれど、どこか空っぽだった。
「今日はヴィンスたちと街へ出る」
「いいと思います」
「夜明けまで帰らなくても?」
「いいと思います」
「俺が何をしても?」
「いいと思います」
同じ声。
同じ笑顔。
同じ言葉。
それなのに。
以前の「だめです」と同じ重さは、どこにもなかった。
「昔は止めただろ」
「そうでしたね」
それだけ。
「……だめだと言わないのか」
問いかけると、ティナは一拍置いて答えた。
「アレン様が、それをお望みではなかったので」
責める色のない声だった。
だからこそ、苦しかった。
自分の言葉がそのまま返ってきたのだと、認めざるを得なかったから。
そして、そのとき初めて考えた。
あれは、本当に「いい」と思っている声だったのか、と。
違うのではないか。
もっと前から、何か別のものが混じっていたのではないか。
だが、その答えを直視するには、アレンはまだ幼かった。
秋の終わり、遊びにも酒にも飽きた頃、アレンはようやく疲れを覚えた。
夜明け近くのだるさ。
香の染みついた上着。
軽薄な笑い声。
勝っても負けても胸に残る空しさ。
何も満たさなかった。
執務室に放り出した書類の山を見て、ふと、終わりにしたいと思った。
ティナと、ちゃんと戻りたいと思った。
戻れると、どこかでまだ思っていた。
彼女は自分を好きなのだから。
あれほど泣いて、縋って、嫌われまいと笑ってくれたのだから。
自分が手を伸ばせば、また戻ってくるのではないかと。
どこまでも、自分本位だった。
「賭け事はやめる」
「いいと思います」
「酒も控える」
「いいと思います」
「執務にもちゃんと出る」
「いいと思います」
「……俺は変わろうとしてる」
「いいと思います」
違う。
そうじゃない。
褒められたいわけじゃない。認められたいわけでもない。
遅いです、と言ってほしかった。
呆れたように眉を寄せて、それでも少しだけ安堵してほしかった。
「本当にそう思ってるのか」
ティナは笑んだまま頷く。
「はい」
アレンはその笑顔を見つめた。
以前なら、そこにあったはずの感情が、何一つ見えない。
そこでようやく理解した。
ああ、この女はもう、俺に何も期待していないのだと。
止める気も。
怒る気も。
喜ぶ気も。
泣く気も。
何もない。
彼女は、いつまで俺のことを好きだったのだろう。
泣いていたあの夜か。
それとも、笑って「いいと思います」と言い始めた、その時までか。
あるいは、もっと後まで好きだったのだろうか。
自分が気づかないところで、何度も何度も傷つきながら、それでもまだ好きでいてくれたのだろうか。
そう思った瞬間、息が詰まった。
アレンは、ティナのことが好きだった。
それは嘘ではない。
どうしようもなく愛しくて、
かわいくて、
そばにいてほしくて、
自分のものだとさえ思っていた。
この生活ごと、そこにあるものだと思っていた。
けれど。
その愛し方を、間違えた。
彼女の愛に甘えて、
彼女の涙で自分の価値を量って、
彼女の従順さで自分の価値を量って、
彼女の心を削っていることには目を背けた。
愛していた。
本当に。
だからこそ、なおさら救いがない。
愛していたのに、自分の手で壊したのだから。
それから数日が過ぎた。
夕暮れの回廊で、アレンは最後の確認をした。
確認という名の、救いを求める醜い足掻きだった。
「……お前との婚約を破棄しようと思う」
ティナは静かに頷いた。
「いいと思います」
その声に、喉の奥が焼けるようだった。
「本当にそれでいいのか!?」
思わず声が荒くなる。
ティナは驚きもしない。
「はい」
「俺のことはどうでもいいのか」
問うた瞬間、アレンは祈っていた。
違います、と否定してほしかった。
泣いてほしかった。
袖を掴んで、やめてくださいと言ってほしかった。
昔みたいに。
けれどティナは少しだけ考え、それから、どこまでも静かな声で答えた。
「はい」
一拍おいて。
「どうでもいいと思います」
その瞬間、すべてが終わった。
アレンは、何も言えなかった。
その言葉は怒りではなかった。
報復でもなかった。
冷たい刃のようでいて、実際には何の熱もない声だった。
本当に、「どうでもいい」のだ。
そこでようやく、分かってしまった。
あの「いいと思います」は、いつからただの言葉になっていたのだろう。
――いつから、俺のことなどどうでもよくなっていたのだろう。
どの時点で、もう戻れなくなっていたのだろう。
泣いて縋った夜のティナは、もうどこにもいない。
眉間に皺を寄せて「だめです」と言っていたティナも。
包帯を持って駆け寄ったティナも。
体調を崩した夜に、そばを離れたがらなかったティナも。
全部、自分の手で擦り減らしてしまった。
取り返しがつかないと、その時ようやく分かった。
謝っても戻らない。
縋っても戻らない。
今さら愛していると言っても、もう遅い。
彼女の中にあった自分への愛は、泣きながら止めた夜にも、笑って従った日々にも、少しずつ零れ落ちていたのだ。
アレンはただ、それを見ようとしなかった。
見なくても、ずっとそこにあると思い込んでいた。
だから失った。
好きだった。
好きだったのに。
その一言では、到底足りないほどの後悔が胸の中に広がっていく。
この先どれだけ生きても、どれだけ悔やんでも、あの頃のティナはもう戻らない。
彼女に泣いて縋られるたびに満たされていた自分。
彼女に笑って肯定されるたびに酔っていた自分。
そのどちらも、結局は彼女の愛を食い潰していただけだった。
気づけば、ずっと隣にいた。
物心ついた頃から、当たり前のようにそこにいた。
この生活にも、
この部屋にも、
この先にも、
当然いるものだと思っていた。
その存在が、
こんなにも簡単に失われるものだとは、
思ってもいなかった。
ティナは一礼した。
「失礼いたします」
足音が遠ざかる。
追えなかった。
追う資格がないと知っていたからではない。
追ったところで、もう届かないと分かってしまったからだ。
扉が閉まる。
静寂の中、アレンは立ち尽くした。
この部屋に、ティナがいない。
机には、昼に口をつけかけた菓子がそのまま残っている。椅子の背には外套が雑に掛かっている。書類は端が折れ、開けたままの窓から冷たい風が差し込んでいた。
以前なら、全部ティナが整えた。
食べすぎです。
風邪を引きます。
書類が乱れています。
窓を閉めてください。
そんな小さな言葉の一つ一つが、自分を見ていた証だったのだと、いまさら思い知る。
アレンはその愛に縋り、踏みにじり、形を変えさせ、とうとう空にした。
窓の外で風が鳴る。
その音に紛れるように、あの静かな声が耳の奥でよみがえった。
どうでもいいと思います。
もう二度と、ティナが眉間に皺を寄せて「だめです」と言うことはない。




