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いつか見た夢  作者: ほのぼの。
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仕事終わり、いつものようにスマホを手に取り、SNSを眺めていた。すると、不意に目に飛び込んできたのは、思い出の場所が閉店するという知らせだった。


「あそこがなくなるなんて、想像もしてへんかったな……」


思わず肩を落とす。仕方のないことだけど、こんなにもあっけなく終わってしまうのかと思うと、胸にぽっかりと穴が空いたような気持ちになる。


いつも、今あるものは当たり前にあり続けるものだと思ってしまう。でも、気づけば思い出の景色も少しずつ変わっていくものなのだ。


あの場所には、いろんな記憶が詰まっている。


まだお酒も飲めない頃、背伸びして足を踏み入れた銀座のバー。もちろん、二人ともバーに行くのは初めてだった。


入り口は目立たず、階段を下りた先にひっそりと存在していた。扉を開けると、控えめなBGMが耳に心地よく響く。カウンターの奥には、柔らかな照明に包まれた大きなステージがあり、思ったよりも広々としていた。


まるで映画のワンシーンのようなその光景に、私は正直ビビっていた。


「私たち、ここにいてもいいんかな……?」


そんな不安が頭をよぎる。でも、もう入ってしまったのだから、引き返すわけにはいかない。


「背伸びしすぎたかも……」


そんな後悔を抱えながら、ぎこちなく席へ向かった。その様子を見透かしたかのように、カウンター越しのバーテンダーがふっと微笑む。


「初めてのバーですか?」


その一言で、緊張していた心がほぐれていく。


メニューには公演のコラボメニューがあり、さっそくそれを注文する。カランとグラスに氷が落とされ、カクテルがつくられていく。


透き通った赤、その美しさに目を奪われる。二人で記念に写真を撮り合っていたとき、明らかに店員ではない格好をした人が厨房の方から入ってきた。コートに身を包み、黒いニット帽をかぶっている。普通は入り口からくるものでは?と疑問に思い、思わず目で追う。なんだろう、この違和感。


目があう。向こうも私をじっと見つめてきた。どこかで見たことがある?脳が一瞬、理解を拒否した。時間が止まる。─いや、違う。知ってる。知りすぎてる。「推しやん」


頭が真っ白になった。思わず目をそらし、顔をそむける。叶に小声で助けを求める。「なぁ どうしたらいい?意味わからへん…どういうこと?え?」と叶にすがるけれど、声が裏返る。手が震えている。心臓がうるさい。いや、待って、これ夢?叶は最初、「は?」という顔をした。それから推しをチラッと見て、私を見て、また推しを見て──「……え、ほんまやん」さすがの叶も、少し目を丸くした。けどすぐに冷静な顔に戻る。こんなときでも理性を保てるの、さすがすぎる。私もどうにか落ち着こうと、カクテルを手に取る。グラスを唇に運ぶ──が、指が震えてカランと氷が揺れた。一口、含む。さっきまで「きれい」と思っていた透き通る赤。さっきまで「おいしい」と思っていたカクテルの味。……わからない。混乱で、味覚が消えた。「とりあえず、この状態でアルコールは摂取するな。落ちつけ。」という叶の声がする。「は、はい……」言われるがままチェイサーを手に取るが、グラスがカタカタと震えていた。氷が大きく音を立てる。落ち着け、落ち着け、落ち着け──そう思うのに、指先がいうことを聞かない。そこからは記憶があいまいだ。同じ空間にいるという奇跡を長時間味わった。さすがに声をかけることはしなかった。いや、できなかったというほうが正しい。推しの視界にもう一度入る勇気はなかった。そんな出来事があったからか、お気に入りの場所になり東京遠征のたびに通うようになった。一度、カウンター席に座ったとき、マスターが「この前も来てくれましたよね?」と話しかけてくれた。そのとき頼んだカクテルが、あの日と同じ透き通る赤で、なぜかそれだけで嬉しくなった。……そんな場所が、もうすぐなくなる。


きっと、推し活というきっかけがなければ、あの場所を知ることすらなかっただろう。でも、あの場所のおかげで、私たちの世界は少し広がった。


そんな思い出の欠片を残したまま、あのバーは静かに幕を下ろそうとしている。


そのとき、スマホの画面に新たな通知が飛び込んできた。


「推しの公演情報?」


まさかと思いながら詳細を確認すると、驚きと喜びで胸が高鳴った。


――閉店前に、最後の公演が行われるらしい。


そう、あのバーはただお酒を楽しむ場所ではなく、演劇を体験できる特別な空間でもあったのだ。


すぐさま共有ボタンをタップし、叶にメッセージを送る。


「あのバー、閉店するらしくてさ。最後の公演、一緒に行かへん? チケット争奪戦やけど、何が何でも手に入れるから!!!」


すると、すぐに通知が鳴る。


「え?! マジで!! それは行かなあかんやつやん!! どうせ一泊するつもりなんやろ? それやったら、うちに泊まっていき!!」


さっきまでの哀愁は吹っ飛び、胸が弾む。


推しにも、叶にも会えるなんて――もう、最高やん! 一石二鳥どころじゃない。その日、仕事終わりにしては珍しく、足取りが軽かった。


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