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雨宿りの話

作者: 唐戸秘密

初投稿です。

※誤字、脱字は見つけたらぼちぼち修正します。

 土曜日。スーパーでレジ打ちのバイトを終え、ついでに買い物をしていざ帰ろうと店を出ると、天気が急変していた。ゲリラ豪雨。この時期だと夕立と言うべきか。

 僕は参ったなと空を睨んだ。雨を凌ぐことは問題ない。店の玄関には、雨宿りをしても邪魔にならないスペースがある。問題は買い物袋の中にある二つのアイスだ。おそらく、雨が止んで家に着く頃には溶けてしまっているだろう。それならいっそ休憩室に戻って、今のうちに食べてしまおうか……

 そんなことを考えていると、不意に背後から「こんにちは」と声をかけられた。振り返るとそこには、バイト中にたびたび来店する女子高生が立っていた。部活帰りだろうか。肩には通学カバン、手にはピンクの膨らんだ買い物袋を持っていて、いつものように下校途中で立ち寄ったことがわかる。普段、客と店員として軽く世間話をするのを密かに楽しみにしていたが、退勤後にこうして声をかけられるとは思いもしなかった。


「ああ、どうも」


 そう返して、しまった、と思った。すでに仕事モードが抜けていたせいで、接客中よりも若干低い声で返してしまった。少し冷淡に聞こえたかもしれない。

 やってしまった、と後悔する僕をよそに、女子高生は「店員さん、今日はもう上がりなのですか?」と訊ねてきた。僕の声色に萎縮したような様子はない。僕はホッとして、接客時と同じトーンで「ええ、五時で上がりです。ただ、この雨ではしばらく足止めですね」と返した。


「店員さん、傘、持っていないんですね。……私もです。この雨は想定していなくて」


 困りましたね、と空を見上げる女子高生につられて雨雲に目をやる。鈍色の重そうな雲が低く垂れ込んでいる。僕はスマホを取り出し、雨雲レーダーを確認した。


「どうもしばらくは止みそうにありませんね」


 画面を女子高生にも見せると、女子高生は奥二重の瞼を細めてそれを確認した。それから顎に手を当て何か考え込むような仕草を見せる。


「何か急ぐ理由でも?」


 僕が訊ねると、女子高生は「いえ、そういう訳では」と首を振った。そして再び考え込む仕草を見せたが、やがて意を決したように、上目遣いでこちらに一歩歩み寄った。


「あの、店員さん。雨が止むまでの間、わたしとお話しをしましょう」


「お話し?」


「はい、お話しです。黙って雨が止むのを待つよりも、そのほうがずっと居心地がいいでしょう?」


 なるほどな、と思った。確かに黙ったまま並んで立っているくらいなら、なにか会話をしているほうがずっと有意義な時間を過ごせそうだ。僕は「そういうことなら」と言って、自分の買い物袋から先ほど買ったアイスを取り出し、一本を手渡した。だいたい八十円くらいで、水色のパッケージが目を引く子供に人気の商品だ。


「え、いいんですか?」


「この感じだと家に帰る頃には溶けてますから」


「ありがとうございます、いただきます」

 

「こうなるならもっと高級なものを買っておけばよかったのですが」


「わたし、これ好きですよ」


 さらりとそう返しながら袋を開けた女子高生は、アイスキャンディーを雨空にかざすと、小声で「わーい」とささやかに喜びを表現した。


「それじゃあ、乾杯をしましょう」


「乾杯?」


 思いがけない提案に、僕は首を傾げる。


「知らないんですか? JKは友達同士でアイスを食べる時、乾杯をするのが常識らしいですよ。わたしはやったことありませんが」


「へえ、それは知らなかったです。けど、店員とお客様との関係でそんなことをしてもいいのでしょうか」


 僕が困惑を口にすると、女子高生は「わかっていませんね」と首を振った。


「今のわたしたちは、客と店員さんという関係ではなく、同じ屋根の下で雨宿りをする者同士なのです。これ以上親密な関係は、この世に存在しないんですよ」


「なるほど、世の中には知らないことがたくさんありますね」


 そう言って頷くと、女子高生は「今のは世界の秘密百選にも載っているので、覚えておいて損はないです」と胸を張った。


「そういうことなら、乾杯しましょうか」


「はい、乾杯、です」



 *



「さて、アイスも食べて、私たちがこの世で最も親密な関係であると互いに理解したところで、店員さんには敬語をやめてもらいます」


「それはまた……急だな」


「おお、順応が早いですね。良いことです。そして、JKとは急なものです。わたしもここからは、『店員さん』ではなく『お兄さん』と呼びますね」


「いや、それはちょっと」


 この頃になると、僕は目の前にいる女子高生のコミュ力が恐ろしくなっていた。最近の女子高生はみんなこういうものなのか?


「……もしかして、『先輩』のほうがいいですか? わたしとしては、『お兄さん』の方が口に馴染むのですが」


 なんだか目眩を覚えながら、同時に理解した。たぶん、この女子高生のコミュ力が異常なのだろう。


「……わかった、呼び方は君に任せるよ。ところで、親密な関係という割には、僕は君の名前を知らないのだが」


「わたしはお兄さんの名前知ってますよ?」


「それは、接客中は名札を提げているからな。僕だけ知らないのって、不公平じゃないか?」


「細かいことを気にするお兄さんですね。そういうの、JKは嫌いますよ」


 それはまずい。女子高生と世間話をする貴重な機会を、匿名か否かに拘って失いたくはない。


「わかった。名前についてはいずれ気が向いたら教えてくれ」


「いいでしょう。物分かりがいいお兄さんは好きです。それに今後も期待させる発言を含めるあたりもポイント高いです。これは名前を教えるのもそう遠くなさそうですね」


「なんだか倫理的にまずいことをしている気がしてきた」


 眉間を抑えながらそう呟くと、女子高生は他人事みたいに「まあ、大丈夫じゃないですか?」と笑う。


「それでお話しですが、何かテーマを決めて、それについて語りませんか?」


「テーマか。例えば?」


 訊くと、女子高生はうーんと唸りながら空を見上げ、何やら思案する様子を見せた。大きな雨粒が絶え間なく地面に打ち付けている。


「今日みたいな雨の日の思い出とか、どうですか?」


 なるほど、雨の日の思い出か。僕は頷いて、女子高生と同じように雨空を見上げた。


「いいと思う」


「ではお兄さんからどうぞ」


「……まあなんとなくそうなる予想はついていた」


 肩をすくめながら嘯くと、女子高生は「わたしの事、だいぶわかってきたみたいで嬉しいです」と、頬に手を当てた。もしかしたらこの子は無敵なのかもしれない。

 ふむ、と僕は顎に手を当てて、考えるポーズを作る。女子高生が「雨の日の思い出」と言った時からら、僕の脳裏には幼い頃のひとつの記憶が想起していた。けれどそれは誰かに話したことなんて一度もなくて、これからもずっと僕の中だけで大切にしておくつもりのものだった。


「楽しい思い出も、悲しい思い出も、なんでも話してください」


 そう付け加えた女子高生のほうを見ると、その表情は、今までに見せてきたそれとは全く違う、優しく穏やかなものだった。これまでは軽口が上手い女子高生という印象だったのに、そんな顔もできるのか。なんだか、この子になら話してもいい気がする。

 だってこの女子高生と僕は、世界で最も親密な関係で結ばれているのだ。名前は知らないけれど。名前も知らない女子高生以外には話してはならない類いの思い出があると、多分、世界の秘密百選にも書かれているだろう。


「長くなるよ」


 そう、前置きをして、僕は雨の日の思い出について語り始めた。



 *



 小学六年生の頃のことだ。確か、夏休み明けのことだと思う。その日は帰りの会を始めたあたりから強い雨が降り始めた。ゲリラ豪雨ではない。朝のテレビニュースが「夕方から翌日の昼にかけて激しい雨になるだろう」と予報していたから。帰りの会が終わると、普段は教室に残って騒いでいる生徒たちも足早に教室を後にした。僕はその日、日直に任命されていたから、黒板を拭いて、机の列を軽く整えて最後に教室を出た。ランドセルの中の折り畳み傘は、昇降口に着いてから出せばいいだろうと思っていた。

 昇降口に着くと、一人、クラスメイトの女の子が雨雲を見上げて立ち尽くしていた。その子の後ろ姿を見た瞬間、僕の心は昂った。僕はその子にずっと恋をしていたから。


「傘、忘れたの?」


 僕が訊ねると、彼女は「ううん」と首を振った。


「山本さんがね、用事があるから急がなきゃいけないのに傘を持ってないって言ってたから、貸したの」


 その答えに、この子らしいな、と思った。彼女は困っている人を放っておけない性質たちだった。前年、親の離婚などが重なって精神的に不安定だった僕に手を差し伸べてくれたのも彼女だった。

 僕は「それなら、」と言いかけて、続きを打ち消した。僕の傘を使えばいいよ、というつもりだった。けれど、彼女はそういう自己犠牲の善意を受け取ろうとしない子だった。


「君は、傘、持ってきた?」


 僕が何か言いかけたのを気にしていないのか、彼女は首を傾けながらそう訊ねた。


「いや、忘れた」


 僕は首を振り、嘘をついた。本当は「持っているから一緒に入ろう」なんて言ってみたかったけれど、言わなかった。持っていないといえば、そのぶん話ができると思った。それにその頃、僕と彼女の関係はしょっちゅうクラスメイトに揶揄われていた。そんな中で、もし彼らに二人で同じ傘に入って下校をしていたと知れ渡れば、面倒なことになると思った。


「一瞬でも止んでくれたらいいんだけど」


「天気予報は明日の昼までこの調子だって言ってたよ」


「天気予報を見たのに忘れちゃったんだ」


 彼女は目を細めてカラカラと笑った。


「おっちょこちょいさんだね」


「そういうこともあるさ」


「ないよ。もう、持ってるなら入れてもらおうと思ったのに」


 こともなげに、彼女は言った。彼女はいつもそんなふうに、こちらの調子を狂わせる発言をこともなげに口にしていた。クラスメイトから僕らの仲を揶揄われていることも、あまり気にしていないみたいだった。


「相合い傘だって揶揄われるの、嫌じゃない?」


 僕が訊ねると、彼女は「んふふ」と笑った。


「揶揄われることを差し置いても、捨てがたいメリットがあるのです」


「メリット?」


 僕は聞き慣れない言葉に首を傾げた。毎日一冊は小説を読んでいた彼女との会話には、当時あまり頭が良くなかった僕が知らない言葉がしょっちゅう出てきた。


「得をすることって意味だよ。相合い傘だって揶揄われるの、君は嫌がるかもしれないけれど、私はびしょ濡れにならずにすむほうが嬉しいんだ」


 なるほど、と僕は頷いた。


「それじゃ、行こうか」


 不意に彼女がそう言って、昇降口から校内に踵を返した。


「どこに?」


 僕が訊ねると彼女は「職員室」と言った。


「傘の予備くらい置いてあると思うから」


 その予想通り、職員室に行って事情を話すとビニール傘を二本貸してもらえた。それなのに、彼女は靴を履き替えてもそれを開こうとしなかった。


「何してるの? 帰らないの?」


 先に傘を差した僕が訊ねると、彼女は突然、僕の肩に体当たりをしてきた。


「ねえ、そっちに入れてよ」


 彼女の思いがけない行動に、僕は酷くドキドキした。触れ合う体越しに、鼓動が聞こえてしまいそうだった。


「なんで、せっかく傘借りたのに。二人で使ったら肩が濡れるよ」


 照れ隠しで必要以上にぶっきらぼうな態度でそう言うと、彼女は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


「多少濡れてもいいと思えるくらいのメリットが私にはあるんだけれど、君はどうかな」


 そう小首を傾げた彼女に、僕はそっぽを向きながら傘を傾けるしかなかった。



 *



「それで、その人とはその後どうなったのですか?」


 わたしの無遠慮な問いに、お兄さんは「察してくれ」と肩をすくめた。


「うそ、今のお話、どう聞いても両思いの二人がお付き合いする前にありがちな甘酸っぱいイベントじゃないですか」


「そのイベントをこなしても、僕らはもう一歩踏み出すことができなかったわけだ」


 今となってはいい思い出だよ。そう付け加えたお兄さんは、懐かしむように空を見上げた。雨はとっくに止んでいて、洗いたての街はあちこちがキラキラと輝いて見えた。


「素敵なお話が聞けました」


「いや、嘘をついた話だぞ? 素敵ではないと思うが」


 お兄さんが苦笑するものだから、わたしは「いえいえ」と首を振った。


「すごく、シンパシーを感じました。……わたしも、同じような嘘をついたことがありますから」


 そこでわたしは一度言葉を区切った。続きを言うべきか少し悩んで、「それに、」と付け足す。


「わたしとしては、雷の音を聞きながら一人で留守番をするのが怖かったとか、そんな話でも全然よかったんです。けど、思ったよりもセンシティブというか、秘密にしていてもおかしくないような話をしてくれて。それがなんというか……」


 そういう話をしてもいいと思えるくらい、わたしのことを快く思ってくれているのかな、なんて。そんな都合の良い考えを、わたしはどうにか飲み込んだ。かわりに、スカートのポケットから携帯を取り出して、メッセージアプリの画面をお兄さんに向けた。言葉を宙ぶらりんにしたままだったから、お兄さんは目を白黒させている。

 今からわたしがすることは、店員と客の関係的にはルール違反になってしまうのだろうか。一瞬、そんな考えが頭を過ぎる。ううん。それでも、わたしは。もう一歩、踏み出してみたい。


「あの、よければ連絡先を教えていただけませんか?」


 *


 わたしの雨の思い出話はまた今度、雨が降った時にすることになった。ひとまずは来週、お兄さんのバイト終わりに近くのカフェでお話しをする約束をした。

 お兄さんは「女子高生と二人でカフェとか、いよいよまずい気がする」なんて言っていた。そういうのは思っても口に出さないのが華だと思うのだけれど。わたしは「JKとデートできるなんて最高ですね」と軽口を叩いた。それから、デートなんて言葉を口にした自分の顔がだんだん熱を持つのを感じた。

 別れ際、お兄さんは連絡先を交換することで知ったわたしの名前を呼んで、「気をつけてね」と付け加えた。堪らなかった。もしもわたしがもう少し幼かったら、嬉しさのあまり買い物袋をぶんぶん振りながら歩いていたと思う。


 帰宅して携帯を開くと、お兄さんからメッセージが届いていた。「またのご来店をお待ちしています」と、「これからよろしくね」の文字。「これから」をお兄さんも望んでくれているんだ。そう改めて確認すると、頬が緩んだ。リビングでくつろいでいた目敏い妹が「お姉ちゃん、なんかいいことあった?」と訊いてくる。


「内緒」


「えー、教えてくれてもいいじゃない」


 おかしそうに笑う妹を尻目に、わたしは鼻歌を歌いながらさっき買ったお野菜と、使わなかった折り畳み傘を買い物袋から取り出した。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

窓の中で夕立を眺めていたら思いついたので、えいやーと執筆しました。

制限時間を設けていたのに、序盤にあれこれ書いては消してを繰り返し、その結果全体的に描写が薄い文章になってしまいました。反省です。

今後は長編を書く合間のトレーニングとして、時々こうして短編を投稿しようと思っているので、よければまた読んでいただければ幸いです。


























秘密の秘密そのいち


左利き。だけど魚を捌く時だけ右手で包丁を使う。

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