第十一話 祟り神
霊道は隠れ家だ。
何人殺そうが、何人攫おうが、警察は特定できない。
「興味があるんです。古い妖怪の死生観に」
下漬は並べた妖核をおはじき代わりにして遊びながら、雷獣に問う。
「周りが死に、あなただけが取り残されて、死んでいった妖怪に何を思います?」
「……教えてもらった彼岸花の名所を、また一緒に見たかった。あの沢で感電させて刻んでしまった痣をちゃんと謝り――」
「あぁあぁ、思い出話がちゃんと出てきて嬉しいです。それら全部、誰かに伝えました?」
「……伝えたものもあ――」
蹴りが飛んだ。
雷獣の頭を側面から打ち抜き、音が弾ける。
吹き飛んだ雷獣が畳を転がり、襖を破いて廊下に出た。
能面のような顔をした下漬が裾を払うような仕草でズボンの生地を手でかすり、座り直す。
「伝えたものもあるですって? 余すことなく伝えろ、若造が」
心底不愉快そうに下漬は言って、いきなり笑顔を見せた。
「妖怪ですから仕方がありませんね。まったく、オかルトに類する連中は後世に残ることを前提に価値観を作り出すから嫌いですよ。半妖もそう。ちょっと力を使えば常人に見えないからと事件を起こして記録に残る。あぁ、あぁあぁ、気色悪いなぁ!」
語気の強さに似合わぬ満面の笑顔で言って、下漬は愉快そうに手を叩く。
「顔を背けても無駄ですよ。こちらを向けと念じればそのご尊顔を拝めるんですから。調伏されたことを思い出して――調伏されていることを、思い出してくださいな。あなたの考える通り、これは八つ当たりです。当たった相手の反応を見ないとストれス解消にならないでしょう?」
ね、と下漬が首をかしげる。二十歳に満たない容姿の彼女が笑顔で首をかしげている。その様があまりにも不気味でおぞましい。
なぜなら、彼女の笑みは誰にも向けられていないから。
下漬の笑みは自分自身を宥めるためのもの。笑える状況なのだから、これ以上の干渉は必要ないと、目の前の状況に一線を引くためのものだ。
あの笑みに踏み込めば、雷獣とてただでは済まない。
下漬が立ち上がり、座布団を縁側に運んで座る。
「半妖の子供らがいようといまいと、静かなものですね」
下漬は会話も反応も求めていないのだと、雷獣は悟った。そして同時に、自らの状況の救いのなさに気付く。
「自分勝手な奴だと、そう思ってますね?」
内心を言い当てられて、雷獣は身構えた。また蹴りが飛んでくると思ったのだ。
だが、下漬はけらけらと笑い、庭の石を蹴り飛ばした。池の水面に跳ねた石を指さして、笑い声に拍手を乗せる。
「いま、何回跳ねたか見ましたか?」
「二回」
「それを誰に伝えたいと思いますか?」
「……え?」
今度は蹴りが飛んだ。
座布団の横に手を置き、それを支点にしたあまりにも速い蹴り。
目で追うのがやっとだった雷獣の首筋にピタリと合わせられた白い脚がゆっくりと下げられる。
「殺してはいけません。殺してませんね。殺してません」
言い聞かせるようにつぶやいた下漬は雷獣をじっと見て何かに納得し、庭に目を向けた。
「古い妖怪と呼ばれても、分からないんでしょうねぇ。体感時間が短い子供なら私の体感した時間と同じだけの感覚をもって過去を語れると思いきや、自覚もないまま怯えるだけでした。期待しています――期待していたんですよ、雷獣の体感時間には。でも、この様ではね。やるしかないですよ。やりましょう。高天原参り!」
童女のように朗らかに、無邪気に手を叩き、下漬はあまりにも幸福そうに笑う。
雷獣は部屋の隅に移動し、図るような目で下漬を見つめる。
「貴様は何を天津神に願うというのだ?」
「え? 何も願いませんよ? あ、あぁ、あぁ、あぁ、そうか、そうですね。願う方が効率的かもしれませんね。えっ、どうしましょう。人類を皆殺しにしておきます? 妖怪は語り継ぎますかね。いや、無理ですよね。無理無理。あはは」
自問自答、自己解決、何が楽しいのか笑い声を上げ、つまらなそうに虚空を見つめる。
「あぁもう、無理だからこうしてるんですよ? でもそう、公表するタイみングですよね」
下漬が縁側であおむけに倒れ込み、部屋の隅の雷獣を視界に収める。
「人魚の肉は甘く蕩けるような脂が美味でしたが、鼻が曲がりそうなほど臭かったんです」
「……八百比丘尼、なのか?」
「この歳まで生きると察しの悪い馬鹿に馬鹿というのも億劫なんですよ。年長者をいたわりなさい」
馬鹿にする表情ですらなく、ただ淡々と事実を告げるように雷獣に言って、下漬は霊道の夜空を仰ぎ見る。
「誰も彼もが私より先に死んでいく。私が彼ら彼女らを語ろうと、語った相手が先に死ぬ。私が語った者は誰にも伝えられてはいない」
何度も繰り返し覚えた詠唱のように淡々と無感情に言葉を紡いで、下漬は笑う。
「彼ら彼女らが伝えられていないのに、誰が私を語り継ぐ? このままなら誰も私を語らない。私を知らない。私は知られない。無意味、無意味なんだ」
笑いながら下漬は無意味と繰り返し、手を叩く。その間隔は次第に狭まり、手が赤く染まり痛みを覚えてもなお下漬は激しく手を打ち鳴らした。
――手の痛みを自分で覚えておけるように。
「生は無意味だ! 誰が生きても死んでも無意味。生まれてよかったなんてのは自己満足にすぎない! だが、だというなら、私は満足して死にたい。真理に気付いた私こそが自己満足で死ぬべきでしょう? 私が死んだ後の誰もが私を覚えているような死に方がしたいじゃない! 陰陽師よ、半妖よ、妖怪たちよ、私という悪徳を語り継げ!」
子供が駄々をこねるのと似たようなもの。だが、ひどく醜悪なその動機に、雷獣は言葉を失った。
こんなおぞましい動機で高天原参りに挑む者がいると知らなかったから、雷獣は絶句した。
だから、こんなおぞましい動機で高天原参りに挑む者しか知らなかった半妖たちは、折笠を知ったことで下漬に恐怖を覚えただろう。
――恐れを抱いただろう。
「……おやおや。やっぱり現代の半妖は甘ちゃんだ」
肩を揺らして笑う下漬の妖力が増していく。彼女へ向けられる恐れを象徴するように禍々しい妖力が霊道へ満ちていく。
祟り神にふさわしい、おぞましい妖力を纏い、雷獣に向き直った。
「では、君にも神性を得てもらいましょう。私が祟り神になった今なら、同格の神性持ちでも調伏できますからね」




