第十七話 イジコ
折笠は唐傘を手に鳥居の籠へ狙いをつける。
キツネの式場で見た籠だ。間違いなくイジコの半妖だが、式の妖核を盗んでいたにしては妖力が増していない。
とにかく、今のうちに籠を破壊して――と折笠が考えた時だった。
背後から、血しぶきが上がった。
「――は?」
視界の端に捉えた赤い飛沫に驚いて、折笠は振り返る。
音も気配もなく、折笠たちの後ろに現れた籠から飛び出した刀が白菫を背中から突き刺していた。
「不覚っ」
月ノ輪童子が悔しそうに呟きながら刀を一閃し、籠を両断する。直前で引っ込めて籠の中に消えたはずの敵の刀が、真っ二つになった籠の中にない。あの一瞬で転移したのだろう。
誰も反応できなかった。それを理解すると同時に、折笠は自分たちを囲むように開いた唐傘をバリケードのように展開する。
折笠が動くのと同時に黒蝶が指示を飛ばす。
「炭風君! 白菫の容態を確認して! ちりちゃんは結界を張って!」
倒れ込む白菫に炭風が慌てて駆け寄り、塵塚怪王が結界札に妖力を込めながら呪文をつぶやく。
大泥渡が周囲を警戒しながら口を開いた。
「鳥居に吊り下がっていた本体のイジコが燃え上がったのは注目を集めて背後からの奇襲を悟らせないためか」
折笠もてっきり本体から攻撃が来ると思ってしまった。
その本体はと見てみると、ゆらゆらと風もないのに揺れながらいまだに赤く燃え上がっている。
次の瞬間、折笠がばらまいていた唐傘が周囲に出現した籠の中に引きずり込まれて消えた。
設置しただけで固定していない唐傘なら籠の中に回収するのは造作もないらしい。
「相性が悪い!」
唐傘を消されても間髪入れずに再出現させて時間を稼ぐ。
不意打ちを警戒して大泥渡も月ノ輪童子も折笠たちのそばを離れられない。ジリ貧かと思われた時、塵塚怪王が結界を張りおえた。
ドーム状の力場が折笠たちを覆う。これで中にイジコの籠は出現しないはずだ。
一息つけるかと思いきや、イジコが結界周辺に大量の巨大な籠を出現させた。
「……妖力が増えてないと思ったら、そういうことか」
籠の中から見覚えのある式が飛び出してくるのをみて、折笠は頬が引き攣るのを感じた。
狐の式場で奪取した妖核を用いて式を召喚し、数の利を取る戦略。
もう間違いない。イジコの背後には陰陽師がいる。
「白菫の容態は?」
式たちの激しい攻撃にさらされて、結界が崩壊するまでそう時間はない。撤退するためにも現状を詳しく知りたい。
炭風が人に変化して白菫の腹部を押さえている。止血しようとしているようだが、見る見るうちに血だまりができていく。
月ノ輪童子が険しい顔で首を振った。
「これは助からぬ。少なくとも、むやみに動かせる状態ではない」
「そ、そんな、何か手は……」
泣きながら炭風が懇願するが、白菫の意識すらないいま、誰の目にも結果は明らかだった。
「申し訳ありませんが、もう結界が保ちません。ご決断を急いでください」
結界の維持に集中している塵塚怪王が残り時間が少ないことを告げる。
何か手はないかと思考をフル回転させて、折笠は決断する。
むやみに動かせないのなら、動かさなければいいのだ。
「黒蝶さんは迷い家を展開。大泥渡君、炭風、サトリ、月ノ輪童子は中に入って白菫の看護を頼む。せめて、妖狐たちに会わせたい」
「イジコはどうするんだよ?」
当然の疑問だ。
結界の周囲を式で囲まれ、この霊道を脱しても瞬間移動のようなイジコの能力で追いかけて来るだろう。
折笠の肩でクロアゲハは静かに羽をはためかせる。それに勇気づけられて、折笠は赤い唐傘を手に笑みを浮かべた。
「蹴散らすよ。だから、守られてくれ」
唐笠お化けの本懐、陰陽師としてそれを知る大泥渡は一瞬悩んだ後、頷いてみせた。
黒蝶がモンキチョウを出現させる。一瞬のうちに、モンキチョウは社のミニチュアに戻り、迷い家が展開された。
迷い家と知らなければ社のミニチュアのままにしか見えない。だが、霊道の一種である迷い家はきちんと展開されている。
大泥渡たちが迷い家に入っていく中、最後に残った月ノ輪童子が折笠の背中を叩いた。
「多少は心得がある。二、三時間は白菫の命を保たせよう」
「頼りにしてる」
月ノ輪童子が迷い家の中に入り、黒蝶が社のミニチュアを蝶に変化させる。
ヒビの入った結界を維持できず、塵塚怪王が苦しそうな声を上げる。
「壊れます。不甲斐ない……」
「俺の後ろをついてきて」
ガラスが派手に砕け散るような破砕音と共に、結界が崩壊する。同時に、イジコが展開した式による攻撃が折笠たちに殺到した。
折笠は巨大な唐傘を開いて塵塚怪王の盾にし、反対側に大量の唐傘をばらまいた。
塵塚怪王やみんなが入っている迷い家を守る。その本懐を遂げるため、折笠の妖力が跳ね上がる。
突如膨れ上がった折笠の妖力に気付いて鳥居からぶら下がっていたイジコが姿を消した。真っ向勝負は分が悪いと判断したのだろう。
式の攻撃が唐傘で相殺される。
イジコの籠が遅れて出現し、ばらまかれた唐傘の回収を始めた。
籠から伸びる手が唐傘を手に取り籠の中へと収納される。収納されてはもはや意味をなさないため、折笠は唐傘を消滅させた。
だが、一連の流れで分かることもある。
イジコの中にはイジコの半妖と面霊気の半妖の二人しか入っていない。籠から出てきた手の本数からの逆算だが、まず間違いない。
二つの籠から右手と左手をそれぞれ出して唐傘の回収をしているが、急いでいるならもっと人数を増やせばいいはずだ。定員があるのか、他の理由があるのか知らないが、人数が割れたのは大きい。
「ちりちゃん、折笠君にぴったりついてきてね!」
黒蝶が呼び掛けると、塵塚怪王は大唐傘を両手で持って折笠の後ろに立つ。手に持っている限りはイジコに取られる心配もない。
「背後をお守り致します」
「気にしなくていい。一気に突っ切るから」
そう言った瞬間、折笠は自立する巨大傘、野点傘を大量に出現させて、その上に飛び乗った。
高さ二メートルもの野点傘の上に着地した折笠と塵塚怪王は地面にいる式たちからの射線が通らない。
周辺にはこの野点傘より高いものが鳥居しかない。地面の上かどこかに吊り下がる形でしか出現しないイジコでは折笠たちを視認できない。
何か隠し玉はあると思うが、式たちの攻撃を野点傘が受け止めてくれる間は駆け抜けられる。
折笠と塵塚怪王は互いの全速力で野点傘の上を走り抜ける。社の敷地を抜けて階段部分に差し掛かると、むしろ普通の階段よりも早く駆けられた。一段ごとの段差が大きいが足場が広い分、踏み外す心配がないのが大きい。
後ろを振り返れば、鳥居の近くから高所の利を取って折笠たちに狙いを定める式と階段を下りてくる式に分かれている。後方に対しては唐傘をばらまいて目くらましにして、走ることに専念する。
「主様! 出口です!」
「出た先に敵がいるかもしれないから注意して」
折笠に頷いた塵塚怪王が先に霊道を抜ける。待ち伏せがあれば自分が盾になるつもりだろう。同じ器物妖怪でも半妖の折笠とは違い、塵塚怪王は腕や足を失っても再生できる強みがある。
折笠は走りながら覚悟を決めて霊道を抜けた。




