第十六話 ケサランパサラン
元々ケサランパサランと会いたいと思っていた折笠たちに断る理由は本来ない。
それでも、折笠は白狩に問う。
「陰陽師に後をつけられないか心配だ。対策はあるのか?」
「ない。だが、この地で最も古い妖は江戸の初期から生きているケサランパサランの白菫様だ。妖核を欲しがる陰陽師なら、一番に狙う。そして、いまだに連絡がつかない天狐がいるとなれば」
折笠も白狩の懸念に気付く。
天狐は陰陽師に殺されたと考えていたが、この地にイジコや面霊気がいるのなら話が変わる。
イジコ、面霊気の半妖を調伏し、これを使役して高天原参りを画策する陰陽師がいる。ならば、天狐は陰陽師に殺されるどころか、調伏されてケサランパサランの居所を吐かされている可能性がある。
ケサランパサランを殺し、妖核を奪取するために。
「時間がないな、それ」
イジコには瞬間移動の能力がある。ケサランパサランのもとまで折笠たちも急がなくてはならない。
「あたしが案内したいところなんだけど、みんなの撤退を助けないとならない。代わりの案内をつけるよ。――炭風!」
白狩に呼ばれて走ってきたのは黒い三又の妖狐。式場が陰陽師に襲撃されたことを報告に来た妖狐だ。
白狩が紹介してくれる。
「天狐の炭風だ。足が速くて鼻も利く。化けるのは木や草ばかりで戦うのはからっきしだが、こいつ自身も弁えているから下手に突っ込むこともない」
「白狩姐さん、酷い紹介しないでくださいよ……」
耳をぺたりと後ろに倒して、炭風が悲しそうに俯く。
白狩は炭風の顔を尻尾でぺちりとはたいた。
「しっかりしな。大事な役目を任せるくらいに信用してんだからね。後を頼むよ」
それだけ言って白狩は妖狐たちのもとへ戻っていく。若手らしき妖狐の頭を前足で押さえつけて何やら言い聞かせているのが見えた。
炭風が霊道の奥へ顔を向ける。
「行きましょう。白菫様の下へご案内します」
白狩の紹介通り、炭風は足が速い。瞬きのうちに加速して月明かりがなければ闇に溶け消えて見失いそうだった。
折笠たちも慌てて後についていく。文字通りの全力疾走で追いかけているのに炭風は息も乱さず先頭を走り、引き離していないか不安そうに折笠たちを振り返る余裕まである。
「折笠君、ごめん。肩を貸して」
「あぁ。体力を温存しておいて」
クロアゲハの姿になった黒蝶を肩に留まらせて、炭風を追いかける。
炭風と同様に呼吸を乱さない月ノ輪童子が質問した。
「白狩はケサランパサランを敬っているようじゃが、理由があるのか?」
「白狩姐さんだけでなく、この地の妖怪はみな白菫様を敬ってるんです。長老のようなお立場で、我々が相談に赴けば適切な答えを返していただける。揉め事が起きれば仲裁もしていただける」
地域の顔役のようなものを想像する折笠だったが、それにしても深い敬愛の念が炭風の声音から聞き取れる。
「なにより、白菫様は自分本位な人や妖怪の悪意に晒されて生きてきた方。にもかかわらず、困った者を見捨てない。私も白菫様には良くしていただきました」
炭風曰く、悩みを相談すると答えを返すわけではなく、同じ悩みを抱えていた過去の妖狐の話をしてくれたらしい。安易な答えではなく、考えさせて答えを導き出させ、それを深堀して解決策ではなく問題点を多岐にわたって提示する。
折笠の肩に留まる黒蝶が呟いた。
「選択したからこそ、出てくる問題ってあるよねぇ」
不意に直面すると悩んでしまう問題、判断の遅れが致命的になりうる問題をケサランパサランの白菫は提示する。
――今のうちに考えて、いざという時に備えなさい。
そう言いながら、答えが出せないと見ると白菫は自らの妖核を削って分け身を作って渡してくれるらしい。
妖力で作る折笠の唐傘や黒蝶の蝶とは異なり、分け身は妖核を削って作り出す。妖怪の魂に相当する妖核を削っているだけあって自立しており、それ自体が妖怪としての自我を確立する。
身を削って生み出した子供のような分け身を白菫は悩む妖怪に渡すのだ。
ケサランパサランには持ち主に幸運を運ぶ特性がある。分け身であってもその特性を持っており、悩む妖怪はいざという時にその幸運で助かる可能性が跳ね上がる。
この地の妖怪がケサランパサランの白菫を慕うのは、身を削ってでも成長を助けてくれるからだ。
炭風が加速する。
「私が死んでも、あの方を死なせるわけにはいかない。後に続く妖狐たちを助けられるのは私ではなく、白菫様なのだから」
身を挺してもケサランパサランを守る。そんな使命感に突き動かされる炭風を追いかけて、霊道を出る。
霊道の先は山の中。
折笠は周囲を見回して現在位置を推測しようとしたが、よくわからなかった。
特徴的なのは小さな木造の社と白い鳥居。
寂れているのとは違う。ただ規模が小さいだけの神社だ。
だが、折笠は足元が雲でできているような不安と同時に言語化できない安心感を得ていた。
困惑するのは折笠だけではない。後から霊道を出てきた月ノ輪童子や塵塚怪王、大泥渡とサトリも同様に困惑した表情をしている。
炭風が人に化ける。痩せて肋骨が浮き出ているがどこか惹き込まれるような魅力のある偉丈夫に化けた炭風は上半身をはだけて地面に胡坐をかいた。
近くにいる折笠達にも聞き取れない呪文を長々と呟いた炭風がゆっくりと立ち上がる。炭風が立ち上がっていく頭の高さに合わせて周囲の景色が地面から移り変わった。
炭風が背筋を伸ばした時、周囲の景色から木造の社も白い鳥居も消え、夏草が背の高さを競う山の中、柔らかに涼やかな風が吹く霊道に折笠達は立っていた。
熱が籠った夏風に乗る夏草のむせる青臭さ。
山の頂へ長い階段が伸びている。階段の両脇にまるで手毬のような八重咲の白スイセンが咲き誇っていた。
「白菫様! いらっしゃいますか!?」
炭風が呼び掛けながら階段を駆け上がっていく。
一刻を争う事態だ。風景に見惚れる余裕もない。折笠たちも炭風を追いかけて階段を駆け上がる。
階段を上り切ると白い屋根が特徴的な社が建っていた。境内には季節外れの白い菫の花畑がある。
社の横に建てられている能舞台に一人の男が座り込んでいた。菫色のどてらを着たこの時期には暑苦しい格好の男の肌には汗一つ浮かんでいない。
駆け寄る炭風を見て、男はニコニコ笑っている。
「炭風か。そんなに慌ててどうした」
「白菫様、陰陽師共が式場を襲い、被害が多数出ています。我ら妖狐は避難する故、白菫様もご一緒に!」
炭風の言葉に、白菫様と呼ばれた男は笑みを消した。
「なるほど。一大事だ」
疑問を挟む様子もない。炭風が嘘を吐かないと確信している振る舞いだ。
能舞台で立ち上がった白菫は避難の準備をするわけでもなく、下駄をつっかけて地面に下りた。
「行こうか」
時間が一番大事だと理解している。冷静で、修羅場を潜った経験も一度や二度ではないと思わせる無駄のない動き。
白菫のその動きは年を経た妖怪らしい落ち着きではある。
だが、折笠は目を疑っていた。
「妖力が……」
「全然ないね……」
肩に留まる黒蝶も折笠と同じ感想を抱いていたらしい。
白菫は妖狐たちから長老とまで呼ばれる古い妖怪にも拘らず月ノ輪童子や傘さし狸の墨衛門のような莫大な妖力を纏っていない。炭風と同等程度に見える。
折笠たちの呟きが聞こえたのか、白菫が霊道の出口へ歩き出しながら口を開いた。
「事情があるんだ。それより、妖狐たちと合流しよう。心配だからね」
「――待て、どうやら遅かったようじゃ」
白菫の肩に手を置いて月ノ輪童子が止める。
折笠は月ノ輪童子の視線の先、階段そばの鳥居を振り返った。
鳥居から籠がぶら下がっている。
籠がひとりでにゆらゆらと揺れ、籠の中から声が聞こえてきた。
「先回りできなかった……」
悔しいというよりも、何かに怯える声の響き。
何に怯えているのか。それを折笠が見極める前に籠が突然、燃え上がった。
折笠たちが何かをしたわけではない。籠が自発的に燃え上がったのだ。
「全部殺さなきゃ怒られちゃう……」
籠の中から零れ落ちるようなその声が戦闘開始の合図だった。




