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半妖はうつし世の夢を見る  作者: 氷純
第一章 無説坊

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第五話  誘導

 飛んできた火の弾をひらりと避けて、折笠は民家の塀裏に隠れた。

 只の人には見えないのをいいことに民家の敷地を走り抜け、折笠は肩越しに後ろを見る。

 陰陽師が折笠に狙いを定めて走ってきている。生身の彼らは他人の敷地に入ることはできず、いらだった様子で折笠を睨んでいた。


「いつまで逃げる気だ!」

「ちょこまか逃げてんじゃねぇぞ!」


 ガラ悪いなぁ、と呟きながら、折笠は目的地へ目を向ける。

 黒蝶の作戦は単純明快。

 天狗の無説坊が根城にしている山に陰陽師を誘導して潰し合わせ、その間にご神体を奪還するというものだ。

 耐久力に優れる折笠は囮役。


 陰陽師たちへ火気が集まる気配を感じ取り、折笠は左手に唐傘を閉じた状態で生み出す。後ろから飛んできた火の弾を唐傘で打ち返し、直後に傘を開いて目くらまし。

 開いた唐傘の横を追撃の火の弾が飛んでいくのが見えた。


「くそっ、またミスった!」

「見失わなければいい。増援もこっちに向かってるんだから」


 陰陽師が悔しそうに歯噛みする。

 折笠は開いた唐傘を放り投げて再び走り出した。

 陰陽師がミスをしたのは一度や二度ではない。追撃を行おうとしたり折笠の不意を突こうとすると必ず失敗する。

 生垣の中に入ったクロアゲハが消滅するのを見て、折笠はニヤリと笑った。


 黒蝶の能力は自らが作り出した蝶を見た者の判断を迷わせる。蝶を認識しているかどうかは関係なく、視界に入ってさえいれば能力が発揮される。

 陰陽師たちは黒蝶が放った蝶を視界に収めていたがゆえにことごとく判断を誤り、追撃や不意打ちに失敗しているのだ。

 先ほども、折笠が唐傘の陰から出てくる可能性が陰陽師の脳裏をよぎり、確率としては低いその可能性に備える判断ミスを黒蝶が誘発した。


 どこにいても不思議ではない蝶という存在だからこそ、術中にはまっていることになかなか気付けない。迷い蝶という妖怪がマイナーなのもこれが理由なのだろう。

 逃げやすくて助かるが、逃げ切ってしまうのは本末転倒だ。折笠は塀を乗り越えて道に降り立ち、あえて陰陽師の前に姿をさらす。


「あんたらもしつこいね」


 目論見を悟らせないように唐傘を投擲して陰陽師と戦う意思があると示す。

 目の前の陰陽師たちは仲間が包囲を形成するまで折笠を見失わないようにする目的で動いている。本格的な戦闘にはならない。

 案の定、陰陽師たちは警戒しつつも間合いを詰めようとはしなかった。包囲が完成していないのだろう。


 陰陽師が折笠の後ろの山を盗み見た。ほんの一瞬ではあったが、確かに山を警戒していた。

 こちらの目論見に勘づいたのかとも思ったが、やることは変わらない。


「包囲しようとしてんのか。ならやっぱり逃げるしかないね。ばいばーい」

「あっ、逃げんな!」


 逃げるに決まっている。

 唐傘を開いて陰陽師の攻撃を相殺しつつ、折笠は後ろ向きに走りながら次々と唐傘を展開して道にバリケードを作っていく。

 鬱陶しそうに唐傘をどけていく陰陽師との距離を十分に離し、折笠は身を翻して山へ続く一直線を走り始めた。


 陰陽師は敵。だが、この山に住む妖怪たちも敵だ。天狗の無説坊が陰陽師を呼び込んだ折笠を素直に迎え入れるはずがない。

 後ろの陰陽師、前の妖怪たち、どちらにも注意を払いながら走る。

 後方から陰陽師たちが追ってくる気配がある。


「……なんだ?」


 追ってくる陰陽師の速度がおかしい。先ほどまでの戦闘に備えた余裕を残す走り方ではなく、全力疾走してきている。

 折笠が無説坊達と合流する前に潰そうとしているのか。それなら、先ほど足を止めた時になりふり構わずかかってきてもよさそうなものだ。


 折笠はなだらかな上り坂を駆け抜けながら、妖力を練って唐傘を大量に召喚する。初夏の若々しい木々の緑に負けない色とりどりの唐傘が宙を舞い、くるくると回転しながら降り注ぐ。山の妖怪たちの注意を確実に引くその唐傘の群れを陰陽師たちが悔しそうに見上げて、戦闘に備えた。

 いつの間に合流したのか、陰陽師の数が六人になっている。道なき道を上ってくる足音もある。

 山の妖怪たちに恨まれそうだ。


 陰陽師と妖怪たちが戦い始めるまで雲隠れしておこうと手頃な隠れ場所を探した時、山の頂上から一陣の風が吹き抜け、唐傘を残らず天高く舞いあげた。

 吹き抜けた風に妖力が含まれているのに気付いて、折笠は山頂と陰陽師を結ぶ直線上から慌てて離脱する。


 山道を妖怪の群れが降りて来る。ムジナ妖怪に始まり馬鞍の頭をした器物妖怪など雑多な取り合わせの群れにひときわ目立つ大柄な妖怪の姿がある。

 白地に黒い帯を入れた半纏を着た、身長二メートル超えの天狗。無説坊だ。金色に輝く錫杖をしゃらんしゃらんと鳴らしながら、山の主にふさわしい堂々たる風格で陰陽師を睥睨し、興味もなさそうに視線を外した。


「……唐傘の、いるのだろう?」


 あれほど派手に唐傘をばらまいたのだ。折笠の存在などとうに知っているはずだ。それでも、目の前の陰陽師ではなく折笠に注意を向けているのは妙だった。


「唐傘の! 返事をせい! ご神体も返してやる! 我は貴様と話がしたいのだっ!」


 二度目の呼びかけに反応したのは折笠ではなく、陰陽師たちだった。


「唐傘の半妖とご神体を接触させるな!」


 陰陽師たちが一斉に妖怪の群れへ攻撃を仕掛ける。

 鬱陶しそうに陰陽師たちを見下ろした無説坊が今も姿を現さない折笠に焦れたように告げる。


「唐傘の! 共に高天原参りを戦おうではないか!」


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