第二十四話 代わり身
茂鳶家の屋敷へ駆け出していく大泥渡を見送って、折笠は黒蝶と共に正門横の塀へ走る。
本当に陰陽師と直接戦うつもりがないと分かったか、茂鳶が忌々しそうに歯を食いしばる。
「クソガキ! サトリがどうなってもいいのか!?」
確かに困る。困るのだが、
「そもそもサトリが生きているかも分からないのに脅しになるとでも?」
塵塚怪王が金字の札を斧に変化させながら言い返し、その横で月ノ輪童子が肩をすくめる。
「そも、敵方に捕まったのなら腹を斬るべきだろう。調伏され、生き恥を晒しておるのなら、介錯するのじゃ」
「野蛮な江戸期の妖怪め……」
「これこれ、先祖ごと罵倒するでない。そも、貴様とて同じ人であるそこの二人を殺せと喚き、陰陽師の小僧から友人を取り上げておる。野蛮そのものじゃ」
「黙れ! 半妖ごときを人間に括るな!」
「うっわ、野蛮じゃな……」
半妖を人間でも妖怪でもあると考える月ノ輪童子が茂鳶の発言に顔をしかめる。
話が通じそうにないと判断したのか、月ノ輪童子は他の陰陽師へ呼びかける。
「人殺しなんぞしたくないと思う者は手を出すな――うむ、そうか」
殺意の籠った視線を受けて、月ノ輪童子は面倒くさそうな顔を一瞬した後、途端に好戦的な笑みを浮かべて刀の切っ先を茂鳶に向けた。
「是非もなし」
一歩踏み切ろうとした月ノ輪童子の正面に、折笠は唐傘を広げて出現させる。
いきなり目の前に現れた障害物を反射的に両断した月ノ輪童子が折笠を不思議そうに振り返った。
「なんじゃ? 目の前で人が斬られるのは見たくないか?」
「我慢できないなら斬っていい。ただ、例の物を俺たちは見分けられないんだ。探してきてくれない?」
「おうおう、それも目的じゃったな。よかろう。盃の礼に見つけてこようではないか」
ふいっと戦場に背を向けて茂鳶の屋敷へ走る月ノ輪童子を茂鳶たちは止めなかった。正面から戦えば確実に皆殺しにされると分かっているからだろう。
月ノ輪童子はそれほど隔絶した力の持ち主だ。
最大戦力が迷い家探しに出かけた今、折笠と黒蝶、塵塚怪王を早々に片付けようと茂鳶が攻撃を促すその矢先、折笠たちの姿が無数に降る唐傘の中に消える。
茂鳶がはっとして、声を張り上げる。
「追え! あのクソガキども、また屋敷を破壊す――」
「ご当主! 奇襲です!」
姿を消したのは屋敷を壊すため、そう茂鳶に思わせる偽装。
茂鳶がその場から駆けだしながら背後を確認する。
――誰もいない。何もない。
月ノ輪童子に戦意を煽られて冷静さを欠いた陰陽師たちは、姿を消した折笠たちが屋敷と自分たちのどちらを狙ってくるのか――迷ったのだ。
茂鳶たちは迷い蝶の手の平の上にいる。
「性格が悪すぎるぞ、あの混ざり者共!」
背後にいないのだから屋敷を壊そうとしている。茂鳶がそう判断しかけたとき、彼の背中を冷たい直感が走り抜ける。
背後にいない、だから、屋敷を壊そうとしている、は論理的ではない。
背後にいないのだから、背後以外のどこかにいる、が正答だ。
ほぼ脊髄反射の域で茂鳶は空を仰ぐ。
折笠と目が合った。
「お、気付いた」
落下速度を遅らせるために巨大な唐傘をパラシュート代わりに開いて――迷い蝶を纏うようにふわりふわりと降りて来る折笠と目が合った。
折笠が上にいるなら、塵塚怪王はどこにいる?
四方八方、上に折笠がいて、背後に誰もいないなら、右か左か正面か。
「――各人全面攻撃!」
茂鳶が叫ぶ。
茂鳶家は個人の力量がそれほど高くない。だからこそ、人海戦術を用いる。
当主の命ならば同士討ちをいとわないほどの上意下達、命令遵守の組織力で。
一切の迷いがない、無駄の一つもない洗練された動きで陰陽師たちが範囲攻撃を繰り出す。
木火土金水、それぞれの得意な術式を即座に発動し、味方諸共周辺全てを無差別に攻撃する。
これができるのが茂鳶家であると誇りをもって、術を行使する。
畑も私道も茂鳶家の塀すらも吹き飛ぶ。五行相克の理を以て、互いの術を強化し、あるいは減じる。その威力の高低差を知るのは、気心が知れた茂鳶の親族のみ。
予備動作も挟まず同士討ちを厭わないその攻撃で、茂鳶家の被害は一切なかった。
どれほど陣形が乱れていようとも、自らの術を相殺できる味方との術の境へ駆け込むことでダメージを軽減する。
無差別攻撃に見せかけて、実際に味方の被害は一切生じない。それこそが、茂鳶家の誇る組織力、人海戦術なのだ。
人海戦術による広範囲攻撃は塵塚怪王がどこにいようと仕留められる。
――何の変哲もない塵塚から生まれていたら。
「――はしゃぐな童」
茂鳶家当主の首を片手で掴み上げ、無傷の塵塚怪王が周囲の陰陽師を見回す。
「取り出す術具を見れば何をするかは想像がつく。後は五行相克で相殺しながら大将へ走れば終いだろう」
昨夜に初めて自由の身になった、陰陽術具から生じた塵塚怪王の存在など、茂鳶家は知らない。
塵塚怪王が術を連続発動しながら迫ってきているのを見ていた茂鳶は信じられない化け物を見る目を己の首を掴む塵塚怪王へ向けていた。
「な、なんだ、お前、産業廃棄物か?」
「……ははっ、語彙が豊富で結構なこと――風情のない遺言ですけれど」
塵塚怪王が手に力を込めたその瞬間、残る陰陽師たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
当主を見捨てる陰陽師たちの迅速過ぎる動きに眉をひそめた塵塚怪王は、首を掴む手の感触が変わったことに気付いて茂鳶を地面に叩きつけた。
地面に叩きつけられたはずの茂鳶の姿は木彫りの人型に変わっていた。
「代わり身……最初から保険をかけていましたか」
小癪な、と塵塚怪王は木彫りの人型を踏み砕き、折笠たちを見る。
「主様、茂鳶めは大泥渡芳久を狙っているものと愚考します」
「最初から代わり身だったなら、本物は屋敷の中で待ち伏せてるのか。サトリのそばにいるのかな」
「おそらくは。サトリを質に取られれば大泥渡芳久は動けません。援護に行くべきかと」
塵塚怪王の推測は折笠も納得できるものだ。
折笠はすぐに切り替えて、塵塚怪王に頼む。
「ここを任せていいか? 退路を確保しておきたい」
「お任せを」
対陰陽師には優位な塵塚怪王なら任せても大丈夫だと踏んで、折笠は黒蝶と共に屋敷へ走る。
折笠たちを見送って、塵塚怪王は満面の笑みを浮かべて正門前に結界を張った。
逃げ散った陰陽師たちが茂鳶が代わり身だと知らないはずはない。態勢を立て直してやってくると踏んで、ここを死守する構えだ。
「主様に頼られるとはなんという誉か。励みませんと」




