第二十話 視点
折笠は重い身体を自覚しながら無理やり瞼を開いた。
頭が痛い。
陰陽師を殺し尽くせと訴えかける頭を押さえて、折笠は周りを見回した。
すでに日が昇っている。陰陽師の屋敷から持ち出した書物を読んでいるうちに意識を手放したのだろう。
気配を感じて、折笠は目を向ける。
ガタガタと震える小鬼が見えた。襖を開けた体勢で恐怖のあまり身動きが取れなくなっていたらしい。折笠の視線を受けて卒倒した小鬼が横倒しに倒れていく。
支えようとか、助けようとか、小鬼を慮った思考が出てこないことに折笠自身も驚きつつ、倒れる小鬼を支える。
「……頭痛ぇ」
気を失った小鬼を床にそっと寝かせ、折笠は額を押さえる。
感情の整理がつかない。夢で陰陽師を仇として殺し尽くそうとした自分と、今の自分との落差で頭痛がする。
折笠は床に寝かせた小鬼から視線を外して背後を見る。
「こっちもやべぇな」
折笠と同じように書物を読み解く間に寝落ちしたらしい黒蝶を見て、苦笑する。
膝を引き寄せてすやすやと眠る黒蝶。常人であれば見惚れるほどに美しく愛らしい。寝顔を見もせず、ただ微笑ましく眺めるだけだろう。
半妖の折笠の視界にはまるで違う光景が映る。
妖力で作り出された種々様々な蝶が舞っている。大小、色も様々な蝶たちだ。
しかし、すべての蝶があの世へと迷い込ませようとしている。意図に気付かなければ笑顔で崖から飛び降り、河や沢へと沈むだろう。
あの世へと誘っていると気付ける者は、その恐ろしさに身動きが取れなくなる。本能からくる震えで必死に意識を保つしかなくなる。小鬼のように。
「可愛い寝顔で殺意を振りまくなよ。ほら、起きろ。洒落にならんって、ガチで」
折笠が肩を押さえて揺すると、黒蝶が「うみゅっ」と妙な声を出す。
寝起きが悪いのを知っているので、折笠はなおも黒蝶を揺する。
「へいへーい、起きろー。可愛い寝顔で可愛くない真似をするなー」
「可愛いし!」
ほぼ条件反射で言い返しながら黒蝶が跳ね起きる。
ぱちぱちと瞬きをした後、黒蝶は寝ぐせのチェックをして、首をかしげた。
「何時?」
「午後二時二十分」
「そっかぁ! 二分後に起こして」
「ゾロ目を狙うな」
もう一度身体を揺すると、黒蝶は渋々ながら起き上がる。
「仕切り直したいくらい嫌な夢を見たの。寝直していい?」
「その気持ちを痛いぐらい理解できる夢を見たから、全部話してすっきりしてから寝直そうか?」
「み゛っ」
ものすごく嫌そうな声を出す黒蝶だったが、流石に寝直す気はないらしい。
寝直すとして布団がいいだろう。
折笠は夢の内容を話そうとして、遅れて気付いた。
「……今朝の夢は一人称視点だった」
半妖の男も迷い蝶の姫も出てこなかった。その手に唐傘を握り、陰陽師を殺し尽くすと決意した半妖の視界だった。
今朝の夢だけが特別だったのか。それとも、今までの夢でも一人称だったのかもしれない。自分のことは見えないから、夢では三人称視点なのだと思っていただけで。
折笠の呟きに、黒蝶も途端に真剣な表情になった。
「私の夢は三人称視点だったよ」
「内容は?」
「佐竹氏だと思うけど、山の中腹の屋敷に蝶姫は自害にするようにって使者がやってくるの」
庭には雪が降り積もり、寒い日だったという。
「近くに郎党の姿もなくて、半妖ではなく武家の姫として使者に会ったみたい」
「で、抵抗したと」
夢を見ながら小鬼が卒倒するほどの殺意を振りまいていたくらいだ。そもそも、姫の自害なんて彼女を慕う郎党が絶対に許さないだろう。
しかし、黒蝶は暗い顔で否定した。
「その場で受け入れたの」
「……え?」
「蝶姫はその場で自害の要請を受け入れたの。家の滅亡は決まったから、抵抗して血を流すのは忍びないって」
「それは――」
理屈として通るのか、当時の状況を断片的にしか知らない折笠たちには判断できない。
史実で、大掾氏は佐竹氏に滅ぼされる。陰陽師の屋敷から持ち出した古書物にも対い蝶の郎党は迷い蝶の姫の処刑をもって解散したと書かれていた。
「蝶姫は郎党だけじゃなく民に手を出さないことを条件にしてた」
「……そうか。対い蝶の郎党の長じゃなく大掾氏に連なる姫として会っているから、妖怪や半妖だけで収めずに常人にまで危害が及ぶのか」
「そう。だから、折笠君の夢では怒っていたんだと思う」
表の人間を人質にされて蝶姫が処刑された。
だからこそ、約定破りとして対い蝶の郎党は暴走し、東北の陰陽師を殺し尽くそうとした。
以前の夢でも、陰陽師の屋敷を襲撃して皆殺しにする場面があった。
折笠は古書物の山へ目を向ける。
「もう、夢は過去にあったことで確定でいいよな。問題は、なんで俺たちが夢を見ているかだけど」
――輪廻転生、蟲に生まれようとも、必ず陰陽師に仇なす。
夢の中での決意。
折笠は戦闘になると殺意が増す。だが、昨夜の塵塚怪王との戦いでは殺意が湧かなかった。
闘争本能が強いわけではなく、相手が陰陽師だから殺意が芽生える。
「一人称と三人称の違いはあっても前世の記憶、ってことでいいのかな」
ぽつりと呟く黒蝶に、折笠は小さく頷く。
今回の夢も前世の記憶だとすれば、いろいろと疑問も出てくる。
「もう、高天原参りで天津神に願って真相を知るのが一番早い気がする」
「陰陽師に狙われないようにする願いの方が重要じゃない?」
「なら、二回成功させるとか?」
「捕らぬ狸の皮算用だよ、それ」
「――呼びましたか?」
部屋にひょこっと顔を出したのは、東京狸会からこの宿まで送ってくれた狸妖怪の一匹だった。
「お二方へ奇妙な客人が訪ねて参りましたよ」
「客?」
霊道にいる折笠たちを訪ねることができる者は多くない。
誰だろうと首をかしげる折笠たちに、狸妖怪は続ける。
「早く来てください。宿の用心棒がピリピリしておっかないんです」
「あぁ、分かった。で、訪ねてきたのは誰?」
「――古家の陰陽師、大泥渡と名乗っています」