第十六話 塵塚怪王
器物妖怪。もっとも有名なのはおそらく、付喪神だ。
古い道具には魂が宿る。大事に使われ続けた道具は付喪神に変じる。
天狗の無説坊の配下にいた馬鞍頭の妖怪、鞍野郎も器物妖怪だ。付喪神と違って乗り手の怨念から生じた妖怪ではあるが。
目の前の女妖怪も器物妖怪だと、折笠はあたりをつけた。
妖怪が陰陽術を使うのはおかしいが、陰陽術具が変じた器物妖怪ならあり得る。
なにより、器物妖怪の本体はあくまでも器物、器たる物だ。腕も足も頭でも、器物が無事なら再生できる。器物でさえも、損傷の程度によっては修復できてしまう。
器物妖怪は自身の損傷への躊躇の度合いが生物と異なるのだ。
「お前、陰陽術具が変じた器物妖怪だな?」
確信をもって問うと、女妖怪は表情を消した。
いや、無表情になるほどに、深く強い怒りを露にした。
「そこまで分かったなら、殺される理由もわかるな?」
妖力を込めに込めた札を取り出して、女妖怪が死への覚悟を促す。
状況を察した黒蝶が蝶への変化を解いて折笠の横に立った。
「私たち、月ノ輪童子の依頼で盃を取り返しに来ただけで、陰陽師とは無関係、むしろ敵対関係だよ?」
「……え?」
ありったけの妖力で必殺の一撃を放とうとしていた女妖怪が、黒蝶の言葉に疑問を返す。
これは気まずくなるやつだなと、苦笑を堪えつつも折笠は説明する。
「お前、塵塚怪王だろう?」
塵塚怪王は器物妖怪の一種だ。塵の如く打ち捨てられた器物から変じる妖怪。
この陰陽師の屋敷の中に存在する器物。陰陽術具。
月ノ輪童子が脅した江戸の頃から、この屋敷の一族は陰陽師として活動していた。壊れた、または時代にそぐわなかった、扱える者がいなくなった、そんな理由で打ち捨てられた陰陽術具もあっただろう。
月ノ輪童子という脅威を意識していたこの屋敷の一族は手の内を晒したくなかったはずだ。陰陽術具もまた、内々に処理せざるを得ない。
屋敷の中で塵の如く打ち捨てられ、顧みられることもない陰陽術具の塵塚が成立してしまう特異な環境。
加えて、屋敷を取り巻く妖怪を拒絶する結界だ。結界内で塵塚怪王は身動きが取れない。器物から妖怪として目覚めた時には身動きできない結界の中だ。
折笠が結界を壊すまでその存在を認識できなかったのも、結界内で妖怪としての力を封じられていたから。
いつから妖怪としての意識があったのか分からないが、身動きできない結界の中でその存在さえ認識されないというのは怒るのも当然だ。
打ち捨てられた道具として陰陽師への恨みつらみがある。そこにちょうどよく、半妖が現れて屋敷の中を探索しようとしていたら?
どこぞの陰陽師が調伏した半妖が来たと邪推するのも無理はない。
だからこの女妖怪、塵塚怪王は折笠たちを脅して居所を聞き出した陰陽師に恨みを晴らしてやろうと襲ってきたわけだ。
ついさっきまで殺意満々で襲撃してきた女妖怪に、折笠も黒蝶も同情してしまう。
女妖怪が殺意を向ける一番の相手は、この屋敷の陰陽師だ。つまり、全滅している。
「語弊があるかもしれないけど、塵塚怪王のあなたが生まれるきっかけは月ノ輪童子なの。その月ノ輪童子の依頼で、私たちはそこの祠の先にある盃を取り返したい。いわば、あなたの生みの親の頼みを聞いてきたのが私たち」
「しかも、かなり申し上げにくい事実なんだけど、この屋敷にいた陰陽師の血筋は絶えました。あの、あのさ……そんな顔をしないで? 俺まで切なくなる……」
ぽろぽろと、拭うことなく涙をこぼす女妖怪に折笠は胸を押さえて顔を背ける。
怨敵が血筋諸共に絶滅していたと知らされた女妖怪の気持ちを考えると、折笠も黒蝶もなんと声をかけていいか分からない。
予想通りに気まずい状況だよ、と折笠は黒蝶を横目で見る。
そんなこと言われても、という当然の返答を目で返されて、折笠は静かに頷く。
黒蝶だって、この状況を打開できる何かの手を持っているはずがない。
だが、折笠と黒蝶の予想の一歩斜め先に女妖怪は進んでいた。
「そんな……無関係だというのに、私に八つ当たりまでされて……なお、切なさを感じてくれるのか……。道具の私に、そこまで……共感して、くれるのか……」
泣き崩れる女妖怪はそのまま膝をついて両手で顔を覆う。
予想外の方向に話が転がり始めて、折笠は慌てて軌道修正を図る。
「ちょっとまって? 美化しないで? 戦う理由はないよねって話だって。同情はするけど、共感するのとは別の感情なんだよ」
「この子けっこうチョロいね」
「黒蝶さんは黙ってて。話がこじれる」
戦わなくて済みそうだと分かった途端に茶々を入れる黒蝶をたしなめて、折笠は塵塚怪王に手を差し伸べる。
「ちょっとした行き違いで少し戦ったけど、仲直りしようよ。ずっとこの結界の中にいたなら今の世の中を全然知らないでしょ? 一緒においで。月ノ輪童子にも会わせたいしさ」
「折笠君、それはちょっとまずいかも」
「まずい?」
「塵塚怪王だよ……?」
打ち捨てられた器物の妖怪。
折笠が女妖怪に投げかけた言葉は、打ち捨てられた器物を拾って帰るのと同義。
女妖怪が差し伸べられた折笠の手を両手で包み込む。
「捨てる陰陽師あれば、拾う神あり」
「……この屋敷の中を案内してもらえるかな?」
「折笠君、面倒だからって考えるのやめちゃだめだよ」
黒蝶には呆れられたが、高天原参りに関する資料を探すならこれ以上の助っ人はいない。




