第十五話 廃屋の戦い
女妖怪が柏手を打ち鳴らす。
「火清浄」
女妖怪が袖口に隠していたらしい火打石で火花を散らした。火花は意思を持っているかのように宙を漂い、女妖怪のそばに寄りそう。
折笠も指をくわえてみているわけにはいかない。防御用に唐傘を周囲に転がしつつ、左手に開いた青唐傘、右手に閉じた赤唐傘を持って防御姿勢を作る。
「黒蝶、あの女は何の妖怪だと思う?」
「まったくわかんない。陰陽術を使う妖怪っているの?」
「聞いたことないな。いたとしたら、陰陽師が黙ってないだろうし」
討伐すべき妖怪が陰陽術に精通しているなど、陰陽師にとっては悪夢そのものだ。手の内をすべて知られているとしたらやり難くて仕方がない。
女妖怪が着物の帯に差していた榊の枝を取る。何をするかは想像がついた。
「火産霊の神、結ぶ縁を焼き給え」
宙を浮いていた火花が榊の枝に集まり燃え上がる。その煙が風に逆らって折笠の下へと伸びてくる。
煙だけあって動きは遅い。だが、触れたら一巻の終わりだと、煙に触れた傍から瞬時に灰になっていく周囲の唐傘で分かる。
木生火で術の威力を底上げしつつ、火打石や榊の枝といった神道の道具で陽気を増している。唐傘お化けの折笠ではあまりに相性が悪すぎる。
「やっぱ、無理だってこれ!」
盾として構えた青唐傘が煙に触れた瞬間に燃え上がったのを見て、折笠は全力で撤退に移る。
逃げ切れる気すらしないが、あの煙は榊の枝が燃え尽きれば消えるはずだ。それまでは時間稼ぎするしか手がない。
逃走の気配を察した女妖怪が顔を怒りに歪ませて声を張り上げる。
「逃げるな、半妖! 主人の居所を吐いて逝け!」
「逝きたくないから逃げてんだよ!」
女妖怪の手にあった榊の枝が燃え尽きる。同時に煙が風にたなびいて消えた。
術の終わりを見逃さず、折笠は攻撃に転じる。
左足を後ろへ、重心を下に、両手を上へ、背骨を軸に上半身を安定させる。
折笠の両手に一本の唐傘の柄が握りこまれる。生じた唐傘は長さ五メートルに届こうかという巨大な物。
女妖怪がその手に赤い紙垂が挟まれた御幣を取り出した。即座に迎撃の態勢に入ったのは流石というべきか。
彼我の実力差がはっきりしている以上、折笠も女妖怪が迎撃してくると予想がついていた。
勢いよく振り下ろされる巨大な唐傘。もろに受ければ女妖怪もただでは済まないだろう。
しかし、女妖怪は余裕の表情で御幣を振り抜こうとして、驚きに目を見開く。
巨大な唐傘が突然開きだしたのだ。半径五メートル近い唐傘が一気に開けば当然、周囲に暴風が巻き起こる。
女妖怪の構えた御幣に挟まれた赤い紙垂が風に巻かれて吹き飛んだ。
「――小癪な!」
開ききって巨大な壁となった唐傘を睨んだ女妖怪が鬱陶しそうに唐傘へ火打石を向ける。切っていないにもかかわらず火花が生じ、その火花が寄り集まって火球になった。
紙垂を飛ばされて棒切れになった御幣を火球にくぐらせ、巨大唐傘を突き破る。一点突破の攻撃は巨大なだけの唐傘に大穴を穿つ。
しかし、唐傘の向こうに折笠たちの姿はない。
視線を庭中に走らせて姿を探した女妖怪は、折笠が唐傘を目くらましに戦線を離脱したことに気付く。
「小賢しい……。だが、外に逃げない判断は見事か」
霊道でもない町中で激突すれば被害が生じる。妖怪も半妖も只人には見えないとはいえ、妖力での攻撃を受けた建物は倒壊する危険もある。
こんな夜更けに家屋が倒壊すれば、死者も出るだろう。
だが、この屋敷の隅々まで知り尽くしている女妖怪は、折笠たちの行き先に想像がついた。
「祠か」
※
「多分、すぐこっちに来るよ」
肩に留まった黒蝶が予想する。
折笠は同意するように頷いた。
屋敷の結界が吹き飛んだ直後に折笠たちの位置を把握してのけたあの女妖怪のことだ。すでに折笠たちが祠に向かおうとしていると分かっているだろう。
折笠は祠に向けて全力で走り続ける。黒蝶に言葉を返す余裕がない。
祠は霊道になっており、屋敷を覆っている物とは別の結界が張られている。
妖力を持たなければ入れない霊道に妖怪が入れない結界だ。
ただ、心配なこともある。
この屋敷に最初からいたらしいあの女妖怪だけは例外的に結界をすり抜けられる可能性だ。
これはもはや賭けである。
敷地を囲う塀の隅、朱塗りの木材でできた祠がある。鳥居まで建てられていて、祠には苔が生え始めていた。
すでに全力疾走、これ以上の速度は出ない。それでも気合を入れて次の一歩を踏み出した矢先、折笠は賭けることすらできないことを悟った。
――強烈で濃密な妖力の塊が空から降ってくる。
折笠は両手を高く上へと突き出し、唐傘を作り出す。
目を焼くような強烈な光が空から降ってきては唐傘を灰に変える。
右手、左手、右手、左手、交互に間断なく灰になった唐傘の代わりを作り出す。
余波が周囲を巻き込んで、祠の結界を吹き飛ばした。
「無茶苦茶しやがって……」
賭けなど成立しない圧倒的な力。
鳥居の上に女妖怪が降り立つ。
「凌ぎ切ったか。僥倖だ。主人の居所を吐いて――」
勝ちを確信していた女妖怪が焦りの表情を浮かべて背後を振り返る。
ひらり、ふわり、蝶が舞う。大人の手よりもなお大きな、絹の光沢をもつ黒い蝶。
たとえ見ていなくとも、探さずにはいられないほど――芳しく甘い香りを放つジャコウアゲハ。
「とっておきでーす!」
明るくやんちゃな黒蝶の声に思わず笑いながら、折笠は全力で閉じた唐傘を投擲する。同時に、女妖怪の逃げ場を塞ぐべくありったけの開いた唐傘を周囲に展開した。
女妖怪が右手を渾身の力で振り抜く。折笠が投げつけた唐傘が女妖怪の右手を吹き飛ばすも、衝撃で軌道を変えて祠の横に突き立った。
必殺の一撃のつもりで放った投擲が右手一つで凌がれた。
「――嘘っ!?」
黒蝶が思わず声を上げる。
迷い蝶の半妖、黒蝶が作り出したジャコウアゲハを見たはずだ。しかし、女妖怪は適切に対処してみせた。
つまり、ごくわずかな迷いさえなく右手を犠牲にしたのだ。
妖怪であっても、四肢の欠損は割り切れるものではない。それを一切の躊躇なく実行した女妖怪は明らかに常軌を逸している。
必ず殺す、そう訴えかける目で睨んでくる女妖怪に、折笠は怯みつつも声をかけた。
「お前、器物妖怪だろ?」




