第十二話 天下泰平
「――高天原参りじゃと?」
単語一つで、月ノ輪童子は用心棒の数名を見回す。
「おい、命にかかわる話じゃ。覚悟のないものは出ていけ。ここでの話は他言無用じゃ」
手で追い払うような仕草をされても、用心棒たちはその立場から出ていくことができない。
やはり場所を改めるべきかと折笠が口を閉ざした矢先、黒蝶が迷い蝶を用心棒たちの前に飛ばした。
用心棒たちは蝶を目で追うが、それ以上の動きはない。つまり、この場にいることに迷いがない。
月ノ輪童子が感心するように口笛を吹いた。
「肝が据わっとる。こいつらも、迷い蝶の娘も。よかろう。高天原参りについて話そう」
「知ってるんですね」
これまでの古い妖怪たちは詳細を知らなかった。
月ノ輪童子は当然のように頷く。
「江戸の頃を知っている妖怪ならば聞いたことくらいはあるじゃろ。もっとも、陰陽師共が口封じに殺し回ったのでな。生き残りは数少ないが」
昆布茶を飲んで舌を湿らせた月ノ輪童子は思い出すように天井を見上げた。
「当時は我も若い鬼じゃった。江戸の人間に妖怪絵が流行り、本物の妖怪たちも各地で悪さをして、まさに妖怪の世といった風情。それを、ふと疑問に思ってな」
「疑問に?」
「陰陽師なぞ平安時代からおるんじゃ。妖怪が跋扈する世の中を放置するわけもなかろう」
当時の月ノ輪童子は陰陽師を見かけることすら数えるほどだったという。妖怪を退治するどころか、必死に息を潜めているような怯えようで、陰陽師ではない人間の方がよほど妖怪に近かった。
陰陽師の在り方が明らかにおかしかった。ならば原因があるのだろうと月ノ輪童子は調べていき、高天原参りに行きついた。
「天和の頃、高天原参りが成功した。成し遂げたのは『天下泰平』の名を冠した半妖の男女とその郎党。掲げた紋は対い蝶じゃ」
天和、江戸時代の元号だ。折笠はざっと逆算し、三百五十年ほど前だと当たりをつける。生類憐みの令を出した五代将軍綱吉の頃だ。
戦国時代はとっくに終わっている。折笠と黒蝶が見た夢の時代と合致するような、しないような、微妙な頃だ。
折笠は手のひらサイズの唐傘を作り出し、対い蝶の紋を描き出して月ノ輪童子に見せた。
月ノ輪童子は唐傘に描かれた紋を見て頷く。
「その紋じゃ。福島から東北妖怪を引き連れて南下し、関東を荒らし回った。東北狸妖怪の左二枚柏巴の郎党やら天狗礫を筆頭にした五葉の郎党も合流、陰陽師を狩って回ったそうじゃ」
その攻勢はあまりに激しく、江戸の陰陽師たちは各地に救援を要請。しかし、対い蝶は迎撃するどころか各地へ足を運び、陰陽師を徹底的に狩って回った。
この時の様子が人々の目に留まり、妖怪浮世絵が全盛となった。
「我が若い頃、陰陽師が鳴りを潜めていたのは単純に、狩り尽くされてまともな力が残っていなかったからじゃ。加えて、妖怪の寿命は長い。共に高天原参りを成し遂げた妖怪たちの結束の前に陰陽師は隠れ、息を潜めてやり過ごすほか生きる道がなかったのじゃ」
妖怪たちにとってはまさに天下泰平。我が世の春といったところ。陰陽師にとっては青天の霹靂、冬の時代だ。
一種のトラウマを抱えた陰陽師たち。妖怪たちの結束が薄れ、冬の時代を共に乗り越えた各家は高天原参りを知る妖怪を殺して回り始める。二度と天下泰平を起こさせないように。
「それが江戸の終わり、明治の初めじゃ。その頃はまだ高天原参りに参加した妖怪も残っておった。いまを生きる古い妖怪の中にはそこから聞いた者もおるじゃろ」
江戸の後期から生きていた古天狗、無説坊が高天原参りを知っていたのも、それが理由だろう。いまとなっては答え合わせもできないが。
「天下泰平の高天原参りについてはこれ以上知らん。我も参加したわけではないのでな。天下泰平が何を願ったのかも分からん」
「天下泰平の半妖二人はその後どうしたんですか?」
「あぁ、足取りはよく分からん。ただ、東北に帰ったとは聞いておる」
折笠は頭の中で情報を整理する。
墨衛門から得た左二枚柏巴についての話とも合わせれば、確度の高い情報に思える。
折笠自身や黒蝶が見ている夢との関連性も高い。
天下泰平は東北に帰った。とすれば、黒蝶の神社に伝わっているご神体の正体が気になってくる。陰陽師が狙っているいわくつきで、無説坊もご神体を盗めば唐傘お化けが反応するようなことを言っていた。
無説坊いわく、唐傘お化けは高天原参りを成功させている。
同じ考えに至ったのか、黒蝶が折笠を見た。
「折笠君のご先祖様が天下泰平?」
「一瞬考えたけど、俺が突然変異なだけで血筋に半妖がいたという話は聞かないよ。流石に、江戸時代となると遡れないから絶対とは言い切れないけど」
むしろ黒蝶の血筋とご神体の方が気になる。
「黒蝶は半妖の血筋なのか?」
「代々迷い蝶の血筋だって。蔵にも大正時代に生まれた半妖のご先祖さまの手記とかが残ってるよ。力の使い方とか、陰陽師への対策がまとめられてる」
「そこに高天原参りについては書かれてないと」
「ないねぇ」
明治期に陰陽師が力を取り戻して高天原参りについて知る者を殺し回っている。当時の半妖たちが子孫を巻き込まないよう、意図的に情報を伏せた可能性は大いにある。
ひとまず月ノ輪童子から得られる限りの情報を得たい。そう考えて、折笠は質問する。
「高天原参りの儀式のやり方は知りませんか?」
「我も参加したわけではないからなぁ。ただ、神性を得なければ高天原に踏み込めないとは聞いた」
「神性? 神になるってことですか?」
高天原は天津神の住まう地。そこに参るなら、自らも神にならなくてはいけない。理屈は分かるがどうすれば神になれるのかは分からない。
だが、折笠は思い出す。
無説坊たちと戦った陰陽師が最後の切り札として出した大蛟だ。あの隔絶した超常的な存在感は神性といえなくもない。
月ノ輪童子は首をかしげる。
「さてな。流石にそこまで聞いておらん。だが、知る手がかりなら思いつく」
「教えてください」
前のめりになった折笠に、月ノ輪童子がうっすらと笑みを浮かべる。
「ならば、我の頼みも聞いてくれ」




