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半妖はうつし世の夢を見る  作者: 氷純
最終章 令和高天原参り

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第二十七話 いまを生きる

 下漬が雷獣の方を見る。

 下漬勢のほとんどが迷い家に捕らわれ、今後の戦いを語り継げるものは雷獣しかいない。その雷獣も、喜作と蝶姫という二人の神性持ちに弄ばれており、こちらの戦いを見る余裕などありはしない。

 下漬が折笠と黒蝶に視線を戻す。


「あぁ、願いがいま決まりました。今日の私の記憶をすべての意識ある者へ移植する。そう願いましょう!」

「うわぁ……自叙伝を押し売りするのはドン引きだわ」


 思わず素直な感想を口にする折笠だが、下漬には何の効果もないと理解している。

 悪徳としてでも語り継がれたいという下漬なら良心の呵責もなにもないだろうし、恥もないだろう。

 ただひとつ、変わったことがあった。

 下漬が折笠たちを見る目だ。

 不俱戴天の仇、怨敵を見る目。明確に、絶対的に、この世から排除しなくてはならないと心に決めた相手に向ける殺意を凝縮した目。


「全力で殺してあげます」

「もう俺たちの勝ちなのに?」

「ブらフに意味はありませんよ」


 黒蝶本人を見ている下漬が動揺して迷ってくれればと折笠は思っていたが、警戒はしているらしい。

 やはり一筋縄ではいかないな、と思った矢先、足元から悍ましい気配がした。

 考えるより先に、折笠は作り出した野点傘の上に飛び乗り、針先が出ている地面へと勢いよく巨大唐傘を突き込んだ。そのまま勢いよく開けば押しのけられた土と共に陰陽術の針も吹き飛ばされる。


 二の矢が来ると身構えて下漬のいる方向を見た折笠の顔面に緋い刃が迫った。

 折笠は仰け反りながら右手を握りしめ、その指の間に小さな唐傘を挟んで緋色の刃を下から殴りつける。三本の小さな唐傘が緋色の刃に切り裂かれつつ刃の軌道を逸らした。

 後ろに回った重心をそのままに、折笠は大きく後ろへ跳んで距離を取る。

 緋色の長巻を逸らされた下漬がこれ見よがしに舌打ちした。


「これだから本懐持ちは……」


 いまの折笠は下漬に調伏されていた妖怪たちをも迷い家に取り込んで守ることで妖力を格段に増している。単純な腕力でも下漬に届きうるほど強化されていた。

 だが、そんな折笠から見てもいまの攻防はぎりぎりだったと本能が訴えていた。

 下漬が振るっているのは金羽矢榛春が使っていた長巻だ。榛春の言葉から推察する限り、切り札のようなものだろう。

 ただ、正体までは分からない。直接触れるのは不味いとだけ本能的に理解していた。


 下漬が長巻を腰だめに構え、その体で刀身を隠す。自らのリーチを悟らせない構えであると同時に、手元を体で作る死角へ持って行くことで印を結ぶこともできる姿勢。

 戦国時代から生きているだけあって、単純な戦闘経験で折笠達よりもはるかに上だ。折笠たちに前世の記憶があろうとも、生き続けてきた下漬は場数が違う。


「折笠君、上!」


 黒蝶の注意を聞いて、折笠は下漬から視線を外さずに後ろへ大きく後退する。広がった視界の上部、空の上に青い瞳の目が描き出されていた。

 瞳の先、折笠と黒蝶が直前までいた地面に陽炎が出ている。夏とはいえ路面のコンクリートも剥がされたむき出しの地面にそこまでの熱は籠らない。


「あの目に見られると熱せられるのか」


 分析している間にも下漬が次の攻撃を繰り出す。

 長巻を腰だめに構えたまま走り込んできた下漬の周囲に水晶の針が出現する。それに対し、黒蝶が迷い蝶を無数に作り出して壁にした。

 黒蝶の前で巨大な唐傘を構え、折笠は下漬のいるあたりへ突きを繰り出す。壁になっている迷い蝶を貫いて、巨大な唐傘の先端が下漬へと迫るも躱される。


「ひらけーごま!」


 黒蝶が攪乱目的で口にするが下漬は唐傘が開くかどうかを気にせずに折笠へ長巻を振り抜く。

 緋色の長巻が描く横一文字が折笠の首元を掠めた。

 首に薄っすらと血を滲ませながらも折笠は右足を振り下ろす。あらかじめ作ってあった唐傘が地面へと斜めにめり込み、妖力で開き始めた。

 下漬の足元が唐傘が開くのに合わせて盛り上がる。しかし、下漬はバランスを崩すことなく長巻を折笠の首に目掛けて振り抜く。

 その時にはもう、折笠が作り出した唐傘が下漬の腹部に先端を当てていた。


「――寄るな」


 言葉と同時に、折笠は全力で唐傘の柄を蹴り飛ばす。蹴りの威力は唐傘を通じて下漬の腹に届き、そのまま二メートルほど弾き飛ばした。

 空を切った長巻を即座に腰だめに構えた下漬の周囲に人型の紙が乱れ飛ぶ。


「死ね――」

「経験済みです!」


 下漬が繰り出した人型の紙が何かの術を発動する直前、黒蝶が向かわせた迷い蝶の群れが人型の紙に突撃し、ちぎっていく。

 攻防が繰り返される。

 コンクリート製の一の鳥居から鉄製の三の鳥居まで奥へ奥へと戦場を移しながら、互いに無傷。

 下漬が緋色の長巻を下段に構える。ここまでの攻防ですでに間合いは見切られている判断したのか、刀身を隠そうともしない。


「鳥居の多いこと、多いこと。戦国の世を経験したあなた達なら共感できるでしょうけど、呆れませんか?」

「いや、別に? 祟り神のお前がくぐっていることには呆れるけどね。恥とか知らないの?」

「信仰ではありませんよ。変容のお話です」


 下漬の言葉に、折笠はちらりと三の鳥居を見て考える。

 折笠も理解できないわけではない。前世の記憶や夢はともかく、折笠直仁として生きているこの人生においても変わったことがいくつもある。日本中に衝撃を与えるほどの災害もある。

 だが、それらに呆れる感性など、折笠にはない。


「お前は死んだことがないから呆れるだけなんだろうな」


 下漬が怪訝な顔をする。いままでのような張り付けたような表情ではなく、自身を宥める表情でもない。純粋に、折笠の言葉に戸惑った表情。

 そんな下漬に、折笠は唐傘を構えて続ける。


「死んだ後も繋がってる。変わることで適応して、今に至って、お前を俺たちが追い詰めている。呆れるかって? 感謝しかないね」


 折笠と黒蝶は転生している。本来は見ることができない後の世を体験している。

 前世に自分たちが作った土台の上でその時代の妖怪や半妖が戦い、転生した喜作や蝶姫が中継ぎをして、今の折笠と黒蝶がある。


 この軌跡のほとんどが伝えられてはいなかったから、折笠と黒蝶はあちこちへ歩きまわることになった。

 だが、それがどうした、と折笠も黒蝶も思う。

 黒蝶がクロアゲハに変化しつつ下漬に答える。


「昔の人が目立とうとしちゃだめだよ。今の人が、今世を紡ぐんだから、潔く退場しなきゃね」

「――私はここに生きている!」


 折笠の肩に留まった黒蝶に対して、下漬が叫ぶ。

 それだけは譲れないのだと、怒気も顕に下漬は声を張り上げ、構えも考えずに緋色の長巻の切っ先を折笠に向けた。


「前時代の亡霊はお前達だ。私は生きている! いまも生きている!」

「いま()生きているかの話をしてるんだよ」


 言っても無駄だろうなと思いつつ、折笠は唐傘を構える。

 その唐傘には対い蝶の紋が描かれていた。


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