人脳モデルの対策会議(前編)
生命科学室に行くと、千秋先生が待っていた。
「こんにちは、千秋先生」
「こんにちは、詩織。詩織のお父さんはここでの仕事を許可してくれたか?」
「はい。許可は特に問題なかったのです。でも、沙織お姉ちゃんと香織お姉ちゃんがお父さんを怒らせて、今朝も機嫌が悪かったぐらいかな」
「何を言って怒らせたんだ?」
「お父さんの前で、沙織お姉ちゃんの結婚相手の予想を香織お姉ちゃんがしちゃって、機嫌がわるくなったの…」
「そうんなことでか… くだらない。早速だが、橋田のところに行くぞ」
「はい」
千秋先生と私は分析室に向かった。
「橋田。詩織を連れて来たぞ」
「こんにちは、詩織さん」
「こんにちは」
「メタバースとの接続ができたから見てもらおうと思って、来てもらったんだ」
「もうできたのですか?」
「うーん」といいながら、PCを操作して仮想空間の画面が表示されているモニターを指で指した。
「この画面に表示されている仮想空間の映像を見てほしい。この仮想空間をメタバースと呼んでいるけど、ここのチームが作成したローカルのメタバースだよ。外部とは繋がっていない。この視点は脳モデル側からみた画面だよ」
そして、橋田さんは隣のモニターを指差し、PCを操作しながら、話す。
「こちらが、脳モデルの活動状況のグラフです。画面が変化していない今はグラフに変化がないけど、ここで人を登場させると、グラフに変化が出るだろ?」
「はい。棒グラフが伸びましたね。じゃ、映像を見て脳モデルが活動したということですね」
「そうなんだけど…」
橋田さんは言葉を詰まらせた。これを見た千秋先生が仕方なさそうに話だした。
「脳モデルは反応しているが、動きもしなければ何もしないので、うまく機能していないということだ」
「脳モデルは映像を見ているはずだけど、何も反応をしないということですか?
「見えているかどうかもわからないぞ。で、行き詰まっているので、詩織の見解を聞いて視野を広めたいらしい」
「私の見解? 役に立ちますか?」
「実際、この前のメタバースとの接続方法で役に立ったじゃない。ニューラルネットって脳モデルの劣化版だよ? そのAIを使うって僕には思いつかない」
「ニューラルネットと脳モデルのどっちが優れているかなんて知らないですよ」
「そう! それがいいんだよ。知らないから先入観がない! 先入観は不要なんだ!」
なんかバカにされた気がするけど…
「そうですか… では、メタバースを詳しく知らないので、そのアバターを倒したらどうなりますか?」
「倒す?」
「3Dなら、格闘ゲームみたいに投げたりできるかな?と思って」
「倒すね。格闘ゲームじゃないからできない。ぶつかっても位置が移動する程度だね」
橋田さんがガッカリ感を出した。
「知らないんだから、そんながっかりした顔をしないでくださいよ。倒されたらショックでなんとかなるかなと思ったのです…」
「詩織、結構過激だな。おそらく倒したら、視覚的には変化するだろうが、触覚も痛覚もないからショックは受けないと思うぞ。しかも、平衡感覚もないからただの映像の変化だな」
あ、そうか、メタバースだから視覚と聴覚だけだ。忘れてた。気を取り直して質問を続ける。
「では、今の脳モデルはまっさらの状態ですよね?」
「少し、接続には『ゆらぎ』を与えているけど、まっさらと言えるよ」
「『ゆらぎ』ってなんですか?」
「完全に均一の接続より、すこし変化があった方が脳の活動の始まりが早かったことから、1/fのゆらぎを与えることにしている。けれど、これは経験則で理由はわからない」
「じゃ、『ゆらぎ』はひとまず置いておいて、赤ちゃんと同じと考えればいいですよね? だとすると、赤ちゃんは5感を刺激するように育てるそうですが、メタバースだと難しいですね。視覚と聴覚しかないですから…」
「あ、言うのを忘れていたよ。聴覚はまだできていないんだ。だから、今は視覚だけ」
「うーん。生後1ヶ月の赤ちゃんってほとんど見えていないはずですよね? 手を触ったり呼びかけたりの刺激が先に必要なのかもしれませんよ」
「詩織、それって、脳を発達させるために必要なのじゃないのか?」
「そうかも…」
「ということは、最初は成人の脳モデルではなく、赤ちゃんの脳モデルから始めて、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚を刺激して発展させる必要があるということか」
ニャン吉はどうだったんだろうと不思議に思ったので質問してみる。
「…千秋先生、質問です」
「なんだ?」
「ニャン吉は成猫の脳を接続したのですか?」
「そうだ」
「ニャン吉はちゃんと反応して動けるようになっているから、赤ちゃんの脳モデルから始める必要はないのかもしれませんよ」
「じゃ、成人の脳モデルでもいいが、5感の刺激がないとダメってことか?」
うーん。どうだろう… 別のアプローチが必要な気がする。




