分析室4
大学が終わると、生命科学室に直行する。
「こんにちは、アンドレさん」
「詩織さん。こんにちは」
さっそく、ニャン吉がお迎えに来たので、ニャン吉を撫でる。
「こんにちは、ニャン吉。本当に毎回お迎えに来てくれるね」
ニャン吉の動きが早くなったような気がした。
「アンドレさん。ニャン吉って早く動くようになっていませんか?」
「そう?」
「早くなっていますよー」
「量子コンピュータに接続してから3ヶ月ぐらいだから、生まれて3ヶ月と考えると体に慣れてきているのかな?」
「そう言えば、分析室の橋田さんが詩織さんに文句を言っていたよ」
「橋田さんに質問をしすぎたから?」
「いや、違うよ。詩織さんが出した、人間の脳モデルとメタバースを接続する仕事が面倒だって言っていたよ」
「えー? 私は人間の脳は量子コンピュータできるなら作っちゃえば?と言っただけで、メタバースとの接続は河野さんのアイデアだよ。だから、私のせいじゃないです」
「ま、千秋先生のやる気を引き出すきっかけを作ったのなら一緒だよ」
「いっしょじゃないです… 河野さんに説明しなきゃ。河野さんのところに行ってきます」
私は生命科学室を後にして、分析室に向かった。
疲れた様子でPCを操作している橋田さんがいた。
「橋田さん、こんにちは」
「こんにちは、詩織さん。詩織さんのせいでこちらは大変だよ」
「脳モデルとメタバースとの接続のことですよね?」
「そう! ものすごく大変なんだよ!」
「まず、私は人間の脳を量子コンピュータでできるかってきいたらできるというから、作っちゃえばと言っただけですよ。メタバースとの接続は河野さんのアイデアです」
「はぁ」と橋田さんが大きくため息をついた。
「河野か。どちらにしろ千秋先生がやる気だから、一緒か…」
「橋田さん、ニャン吉は現実世界が見えているし、音も聞こえていますよね? それがメタバースになるだけじゃないですか?」
「はぁ。簡単じゃないけどね…」
「教えてください」
橋田さんはしかたがないなぁという表情をした。
「ニャン吉は目も耳も元々のニャン吉のものを利用している。その情報が脳幹を通って大脳に渡されている。目の情報や目の情報をどのように脳に渡すかは考える必要がないが、メタバースは画像や音だから、それを脳に渡す時に人が受信する状態に変換しなきゃいけない」
「そうですね」
「あ! 簡単だと思ったな!」
「はい…」
「言葉にすると簡単だけど、実現するのは、『とても』大変なの!」
「橋田さん、見えている内容を脳に繋ぐことって難しいのですか?」
「画像がそのまま脳に入っていると思っている?」
「はい。それ以外あるんですか?」
「これを見て」といって、PCを操作して脳の絵を表示した。
「目から入った情報は網膜を刺激して視神経に伝達される。そして、外側膝状体を経由して視放線が大脳視覚野に繋がっている。これは超面倒だけどなんとかなる。問題は聴覚だ」
「聴覚って音ですよね? 音の方が単純じゃないですか?」
「いや、そうじゃない」といいながら、PCを操作して脳の絵を表示した。
「かなり面倒… 耳から入った音は蝸牛神経で電気信号になる。その情報は蝸牛神経核、上オリーブ核、下丘へと伝わり、内側膝状体を経て一次聴覚野に到達する」
「一次聴覚野は大脳ですよね? そこにつながるなら問題ないですよね? 面倒かもしれませんが…」
「そうなんだけど、小脳も関係するんだ。小脳はリズムを認識しているらしい。でも、人間の脳モデルは大脳は完成しているが、小脳はまだ完成していない」
「橋田さんって、量子も脳の構造にも詳しいなんて、本当にすっごい物知りですね」
橋田さんは疲れた顔をして、「はぁ。千秋さんの無茶ぶりでいろいろ調べさせられているからね… 大脳との接続は確率論を用いてつなげる場所を設定する作業を山本さんが実施してくださっているので何とかなっているけど…」
ふと、私は目や耳の情報の繋げ方に疑問が湧いた。
「あのぅ、橋田さん。目から入った情報を脳に渡す時に途中の神経もシミュレートしようとしていますか?」
「そうだよ」
「AIなら変換してくれるんじゃないですか?」
「AI?」
「入力が画像で、出力が視放線から出てくる電気信号を出す変換をAIにしてもらったらいいんじゃないですか?」
「AIは万能じゃ… いや… できるな… 変換をニューラルネットに学習させればできるか… 学習は放置でOKだから楽だしな… どうやって学習データを用意する? 千秋さんいや、相田さんか…」
「あのー。橋田さん?」
橋田さんが、思考の闇に堕ちちゃった…
「だめだ…」
私は、「橋田さんありがとうございました」と一応声をかけて部屋を出た。




