08 メイドは硝煙のドレスを纏う
カラカラと、馬車が私の横を追い抜いていく。
その先に、まだ少し遠くではあるものの石造りの家々が見えてくる。
「申し訳ありません、メル。こんなところにまで付き合わせてしまって」
「いえ。お嬢様に付き従うのが私の仕事なので」
私のその言葉に、彼女――メルは淡々と受け答えをする。
白と黒を基調とした侍女服を身に着けた彼女は、その見た目のとおり、私のメイドだった。
両の手でアタッシェケースを丁寧に持ったメルは、私の半歩後ろを静かについてきてくれている。
訳あって実家から離れることになった私は、現在中継にする予定の街へと向かっていた。
「せっかく訪れるのですから、観光などもできればよかったのですが」
「申し訳ありませんが、今回は――」
メルのその言葉に「わかっています」と。そう返そうとした、その時。
ターン、という。甲高い音が遠くから聞こえた気がした。
なんの音だろうか、と。そんなことを考えるよりも早く、その正体は判明する。
音が聞こえたとほぼ同時。厳密にはほんの少しだけ遅れて、すぐ間近で鳴った、ガキンという鈍い音。
自身の視界の目の前を塞ぐように差し出されたアタッシェケース。合金製のそれから音がしたということを理解したとき、なにが起こったのかを遅れて理解する。
「狙撃銃……ッ!」
「だけではないようですね」
落ち着いた様子でメルがそう言い放つ。
彼女のその言葉のとおり。初撃で私を仕留め損ねたことを察知したお仲間であろう方々が、わらわらと集まってくる。
ざっと見える範囲に、五人。加えて狙撃をしてきた人間も含めると、六人。
「お前らに恨みはねぇが、仕事なんでな。呪うなら依頼してきたやつにしといてくれ」
「けひひっ、実物を前にすると随分といい見てくれじゃねえか。動けないくらいに痛めつけてから、愉しむだけ愉しんで殺してもいいんじゃねえか?」
男どもが、下卑た笑いをこちらに向けてくる。
思わず顔をしかめてしまいそうになるそれらに、躙りよってくる奴らに。私はザリと後退りをして。
そんな私を庇うように、メルが前に立つ。
「おうおう、この状況を見て引き下がらねぇのはご立派な勇気だが、そいつは無謀っつー履き違えだぜ? 人数差を見な?」
「それとも、そこのお嬢様と一緒にあの世に伴をするつもりか?」
ギャハハ、と。大きな笑いが巻き起こっている男どもとは対象的に。メルはただ、淡々と、事務的に「お嬢様」と。
「ご命令を」
「……命令?」
私が首を傾げると、彼女はコクリと頷いて。
「私の仕事はお嬢様を守ることです。迎撃か、撤退か。ご判断を」
メルのその言葉に、私は理解する。
現状のとおり、私は現在命を狙われ逃亡中の身。そんな身分な都合、手持ちの道具などについては限りがあり、道中補給するにしても路銀にも上限がある。
だから、不必要な迎撃の判断は後の自分たちの首を絞めかねない。
ただ、メルは私に付き合ってとても長い。だからこそ、私の性格をよく知っている。
ここから逃げる場合、近くの森の中か街道沿いか。あるいは、少し先にある街か。
森の中はおそらくこのあたりを縄張りにしているであろう彼らに対して不利を取る。街道沿いに関しては逃げ切り、撒くのが困難。
そうなると、街に逃げ込み治安組織へと助けを乞う、という手段が残るが。そうなれば罪のない人々を巻き込みかねない。
そして、それを私が嫌がることを、彼女は知っている。
「メル」
「はい、お嬢様」
すう、と。大きく息を吸い込んで。
そして私は、覚悟を持って言葉を放つ。
「お掃除を、お願いします」
「了解しました」
凛とした、美しい佇まいでそう答えたメルは。次の瞬間、目にも止まらぬ速さで男の一人に接近して、そしてアタッシェケースでその頭を殴り伏せる。
油断していた男たちは、その突然の出来事に慌てつつも各々の武器を構える。
だが、初動が遅れたことにより、その準備の間に、更にメルが一人に鉄槌を下す。
「これで二人、ですね。残りは――」
「こんの、クソアマッ。ただの不意打ちで調子に乗りやがって」
男の一人が、拳銃を構える。
直後、ダンッという音がして。
そして、メルの目の前にいた男の膝から鮮血が吹き出し、崩れ落ちる。
「おいテメェ、どこ狙ってやがるッ!」
「いや違ッ! 俺は――」
なにが起こってるいるのかわからない、とでも言いたげな弱気な声色で、拳銃を持っていた男が叫ぶ。
「俺はまだ、撃ってねえ!」
「……は?」
地に伏せていく男は、拍子抜けた声をこぼしながら。
倒れていくその最中でなにかに気づいたのだろう。ああ、クソ、と。そう言葉を漏らす。
だが、男も諦めは悪い。というよりかは、やられたままでいることを彼のプライドが許さない。
力を振り絞り、大きく声を出す。
「カバンだ!」
彼が見たのは、灰色の煙。
メルの持つアタッシェケースから――本来ありえない場所から立ち上る、硝煙。
メルの持つアタッシェケースは、私への凶弾を防いだように盾として扱える強度を持っている。
そのようなカバンが、もはやただのカバンなわけもなく。
「こいつのカバン、仕込み銃だ!」
「気づいたところでもう遅い!」
残念ながら先程の攻撃は不意打ちを狙うため、あくまで足を挫くに留まる。変なことをされぬよう、まだ辛うじて使える腕の機能に足でとどめを刺し。同時、更にもう一人へと射撃。
拳銃の男は慌てて再度構えなおすが、動揺に染まりきった男の反応速度が間に合うわけもなく、弾は急所へと迫り。
更に一つ、身体が横たわる。
「これで四人目ですね。……人数差が、なんでしたっけ」
「こ、この。こんのおおおお!」
メルの静かな挑発に、残された一人が自棄になりながら、ナイフ片手に特攻してくる。
「うおああああ!」
ただの感情に任せた突進。動きも単純で、見えやすい。
メルもしっかりと相手を見据えながら、的確に動きに対処しようとして。
そして、ターン、と。甲高い音が鳴る。
「――ッ!」
メルの表情が、初めて歪む。
頬に一筋の線が入り、ジワリと赤く滲む。
狙撃銃の、弾だ。
直後、不意の攻撃に気がそれたメルは正面の敵への対処が一瞬遅れ、すぐ間近への侵入を許してしまう。
「メルッ!」
幸か不幸か、男の行動は未だ単純で。大振りに振り上げられたナイフは、動きの予測が付きやすい。
だからこそ、対処が遅れたメルであっても、急所を避けることは可能だった。だがしかし、躱すことが不可能なこの状況に於いて、その一撃は間違いなく重たい手傷となる。
腕を切り裂かれた痛みにメルは歯を食いしばるが、ここで怯んではそれこそ命にかかわる。
甘んじて受けたその一撃によって生まれた隙を逃さぬよう、体勢を整えて無事な腕で男の顎に掌底を突き上げる。
この場にいる最後の一人が吹き飛ばされ。動けなくなったことを見て、私はメルの元へと駆け寄る。
「メル! 大丈夫ですか!?」
「すみません、お嬢様。私の不注意で」
「そんなことより手当を――」
「まだです!」
私の前にメルが立ち、再びアタッシェケースを構える。
同時、金属同士がぶつかり合う音がして、血の気が引く感覚に襲われる。
そうだ。まだ、脅威は去っていない。
「そういえば、まだ狙撃手が……」
「はい。ですが、仲間が斃れたことにより随分と焦ったようですね」
立て続けに数度、銃弾が飛来して。メルがそれらを防ぐ。
「狙撃手の最大の利点は、射程距離と自身のいる場所がわかりにくいということ」
メルはひとりごとをつぶやくようにしてそう言うと、足首まであるスカートの布を少し持ち上げる。
ガコン、という随分と重々しい音を立ててなにかが落ちたかと思うと、足元から黒く、長い銃身。――狙撃銃が姿を覗かせる。
「メル? その。どこからそれを?」
「メイド服の中からです」
「……いや、説明になってませんが」
「メイドですので」
メルは、さも当然とでも言わんばかりにそう答え、美しい動きで銃を構える。
「狙撃手の強み。射程距離はこちらも同様の武器を使えばこれは利点になり得ない。そして、居場所についても不用意な射撃を繰り返した影響で、割れている」
銃口の向かうその先に、おそらく敵がいるのだろう。
「冥土の土産に、鉛玉を差し上げましょう。……もっとも、冥土の連中からすれば、飽き飽きしたプレゼントでしょうが」
メルが引き金を引くと同時、大きな音を立てて銃弾がはじき出される。
最後にその場に残ったのは。どこか鼻につくような、独特の硝煙の匂いだった。
「お嬢様、血がついてしまいます」
「出血の手当をしているのだから、当然です」
「……では、硝煙の匂いが移ってしまいます」
どうやらメルは手当をされるのが気恥ずかしい様子で、どうにか私を引き剥がそうとしてくる。
とはいえ私だって引き下がるつもりはない。彼女は余程の重症でない限り「放っておけば治る」といってそのまま放置する傾向がある。早くに対処しなければ、綺麗なメルの身体に傷が残ってしまう。
私が強引に止血を行うと、どこか不服そうにしている彼女に、私は声をかける。
「硝煙は、メイドの鎧だ、と。以前、そう言っていましたね」
あくまでメルに於いては、という話なのだが。しかし、それほどにメルにとって硝煙とは身近な存在で、自身を守るものなのだろう。
「同じです。私の、このドレスと」
社交界の場に於いて、ドレスは己を守る鎧となる。
ドレスも、硝煙も。物理的な強度はなくとも、それぞれを守る鎧なのだ。
「そんなメルのドレスの匂いを移してもらえるのなら、大歓迎ですよ」
「……お嬢様」
ひとしきり処置を終えて私が立ち上がると。メルも同様に立ち上がり、傍らへとやってくる。
――身体も、まだ痛いだろうに。
けれど、これも彼女のメイドとしての矜持なのだろう。
ならば、主人としてそれに応えねばならない。
立ち止まるわけには行かない。今回の襲撃が失敗したことが伝われば、別な刺客が私を殺すために送られてくるだろう。
停滞は、死を意味する。
「それでは、行きましょうか」
「はい、お嬢様」
生きるために、前に進むのだ。