05 聖印騎士団長ヴァチアの侵略。
『お前にゃ才能がねぇなぁ』
元・孤児の女性騎士、ヴァチア・クルス・ソーディアは、ソドム王国屈指の豪商であり、稀代の大悪党とされる商人リーバに拾われ、その言葉と共に隣国の騎士団に下働きとして売られた。
その後、剣の腕前で頭角を表し成り上がったヴァチアは今、聖印騎士団の騎士団長として、地面に剣を立て、生まれ育ったソドム王国の王都を高台から見下ろしていた。
ヴァチアが真紅の髪を靡かせ、金の瞳でジッと見下ろす王都は既に城塞を崩され、そこかしこで煙が上がっている。
風が運んでくる煙の臭いと戦う者達の怒号を感じながら、待っていると、伝令が走り込んでヴァチアの前に膝をついた。
「王城、制圧!! 対象を確保しました!」
「ご苦労」
そう応えたヴァチアは、横に寝そべっていた愛騎の飛竜に、鎧に止めたマントを翻して跨ると、斜め後ろに控えていた副団長に目を向けた。
「私は王城へ向かう。引き続き、残党を制圧せよ」
「は!」
そうして王城へ向かったヴァチアは、庭に飛竜を下ろすと、第一隊隊長の案内で『対象』の元へと向かう。
相手は王、ではない。
侵略した異教の地の王族は全員処刑するのが慣わしであり、衆人環視の処刑という恥を掻かせぬよう『見つけ次第始末せよ』と申し伝えてあった。
そもそも、この国は腐り切っている。
ヴァチア本人は、そんな腐った国を見続けてきた結果、神への信仰などとっくに失っていた。
その一番上に立つ者達の始末は、もっともらしい理由を付けただけで、生き残らせる理由がなかっただけである。
「ヴァチ糞、の、犬、どもめ……」
廊下に血まみれで転がった瀕死の兵が一人、そう呻く。
目を向けると、その一言だけ搾り出して彼は事切れたようだった。
そんな兵士の言葉に、おかしくなってヴァチアは思わず口元を緩めた。
ソドム王国との会戦で、あまりにも情け容赦のない殲滅を繰り返してきた聖騎士団、ひいてはヴァチアの悪名は留まることを知らぬ程に轟いている。
冷酷非情。
無慈悲。
人の姿をした鬼。
そして、今聞いたヴァチ糞の犬というのは、聖印騎士団のものだろう。
人の名前をもじって、上手いことを言うものである。
「こちらです」
案内された先は、鉄錆に似た血の臭いよりもカビ臭さが勝る場所……湿気のこもった牢屋である。
そこに居たのは、髪が半分白髪になり、殴られ過ぎたのか顔が判別出来ないくらい赤黒く染まり、片目が開くことの出来ないくらい腫れ上がった一人の初老の男。
かつてヴァチアを隣国に追い払ったかつての豪商、リーバである。
ヴァチアは笑みを浮かべて、縛られて壁にもたれかかっている
「お久しぶりですね、義父上。随分と無様なことで」
ニコリともせずにそう口にすると、逆に彼は口元を引き攣らせるような笑みを浮かべた。
歯も何本か折れているのだろう、ヒュ、と少し空気が抜けるような音と共に彼が口を開く。
「ヴァチアか。随分と別嬪になったじゃねぇか」
「お陰様で。まだ覚えていただいていて光栄です」
「頭は悪くなくてな。すぐに物を忘れるバカと一緒にされるのは困るってぇモンだね」
よく回る口は健在のようで、何よりである。
リーバに追い払われて隣国に送られた時、ヴァチアはまだ14歳だった。
今は28歳、花盛りは過ぎたものの、騎士団で親しい者には未だ〝芍薬〟のあだ名で呼ばれている。
毒を持つ美しい花、と。
「貴方が育てた毒花は、無事腐れた王国を滅ぼしましたよ。気分は如何です?」
「最高だね。俺もこの国の上にいる連中には、ほとほとうんざりしてたからな」
それは本心からの言葉だろう。
ヴァチアは、まだ今より若く、白髪もなかった頃の彼との出会いを思い出していた。
『よう、汚ねぇ小娘だな。うちに来れば飯くらいは食わせてやるぞ』
その時既に、ソドム王国で一角の商人だったリーバは、好んで孤児を引き取っては自分の商会で働かせる変わった男だった。
読み書き算術を叩き込み、それぞれに適した仕事を見極め、先見の明がある確かな目を持った商会の長。
『この国は腐ってる。腐ってるからこそ、好機がある。目先のことしか見えない、金が好きな連中ばっかりだからな』
そんなリーバは、ある日呼び出したヴァチアに告げたのだ。
『お前にゃ才能がねぇなぁ。一番魔力の扱いが上手いし、腕が立つ。真面目で頭も回る。……が、致命的に金儲けの才能がねぇ』
そうして彼は、護衛として常に側に置いていたヴァチアに、今のように皮肉げな笑みを浮かべて、こう言葉を重ねた。
『隣国へ行け。あっちの辺境伯様とはちぃとばかし、懇意にしててな。騎士団に入れるように斡旋してやる』
『私は、義父上の側を離れるつもりはありませんが』
彼は、拾った孤児を『子』と呼び、自分を『義父』と呼ばせていた。
こんな国ではいつ死ぬか分からないからと、妻は娶らなかった。
代わりに、『お前達が俺の家族だ』と。
詳しく話されることはなかったが、彼自身も、元々はおそらく孤児だったのだろう。
酒に酔った時に漏れ聞いた話を繋ぎ合わせると、リーバも商人に拾われ、その商人は国の役人の横暴で殺されているようだった。
彼は、ヴァチア達に厳しかったが、良くしてくれた。
だからそう伝えたのだが、リーバは首を横に振ったのだ。
『俺の横に、商売が出来ない奴はいらねぇ。ここはお前の居場所じゃねぇ』
確かに、そんな彼の言葉は真実だったと、今になってヴァチアは思う。
「私には商才はありませんが、人殺しの才能はあったようですよ。義父上。手放さなければ、財産も奪われず、こんなカビ臭い場所に叩き込まれることもなかったでしょうに」
「いいや、時間の問題だったさ。敵にも小賢しい奴がいてなぁ。まさか拾った奴が抱き込まれるたぁ思わなかった」
「身内に甘いからでしょう」
ヴァチアは、全力で駆けてきた『子』の一人に、『リーバが人を攫っては売り飛ばす奴隷商として捕まった』と聞いて、一瞬耳を疑った。
その直後に、今が動く時だと理解し、許可を得て聖印騎士団を率いてわざわざこんなところに赴いたのである。
「それでも、貴方に手を出さなければ、このように攻め滅ぼされることもなかったでしょうに。愚かな真似をしたものです」
「全くだな」
ヒュヒュ、と空気の抜けた笑いを漏らした後、苦しそうに咳き込むリーバに対して、ヴァチアは剣を抜く。
そのまま、彼の手足を牢に繋ぐ鎖を断ち落とした。
「懲りたのでしたら、今後は我が国の辺境伯領にてお過ごし下さい。私の庇護の下で、大人しく」
「金を奪われた上に『子』に養われるようになっちゃ、もう現役は引退だな。言われた通りにしとくさ。どうせ俺に選択肢はねぇんだろ?」
「ええ」
ヴァチアは微笑んで剣を鞘に納めると、彼に手を差し出す。
「お迎えに上がりました、義父上。〝黄金の瞳を持つ男〟の役目は、もう終わりです」
するとリーバは、大きくため息を吐いた後、その手を取った。
彼が特に目をかけていた『子』達は、ほぼ彼の側にはいない。
それどころか、ほぼ全員がソドム王国の外に出されていた。
最初にここに辿り着いたのはヴァチアだったが、ソドムは四方の国から一斉に攻め入られている。
リーバが才能を見出し、適した場所に赴いた者達……リーバを『父』と慕う者達は皆、そこで才能の花を開き、各々に活躍していたのだ。
ソドム王国は外圧の強さと内政の杜撰さで周囲から経済的に追い詰められており、今回捕まったのは、その元凶がリーバであったことが、ついに露見したせいだった。
「間に合って良かった。そう思います」
「どこが間に合ってんだよ。この顔を見ろ。男前が見るも無惨だろうがよ」
「残念ながら、元々そこまで整った顔はしておりませんよ」
リーバは結構な悪人ヅラなのである。
飛竜のところに戻るまでの間に、ヴァチアはポツリと、支えている彼にこう言われた。
「さっきの話だが、お前が持ってたピカイチの才能は、人殺しの才能じゃねぇよ」
「では、何でしょう?」
ヴァチアがリーバに向かって首を傾げると、彼はニィ、と笑って、彼の答えを口にした。
「英雄の才能だよ。ーーー俺の目に狂いがなくて、何よりだぜ」




