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01 族滅姫は復讐を誓う

「食い逃げだぁ!」


 叫びが聞こえた時、(リウ)飛蘭(フェイラン)は剣を引っつかんでニ階の窓から飛び出していた。

 屋根瓦を砕いて走りながら、左目の眼帯を確かめる。齢十七の娘だったが、短くまとめた黒髪とこの眼帯のせいで、遠目には男と見分けがつかない。

 用心棒という仕事柄、たいへん都合がよかった。

 眼下の通りは大賑わい。建国三〇〇年を誇る大辰国、その首府圭城府であれば、貧民が集まる旧市街とて昼間はたいへんな人出となる。

 騒ぎから抜け出るように、何人かが梯子にとびつき、声を枯らして叫んでいた。


「さぁ建国三〇〇余年の圭城府、夏も盛りのお暑い中、大捕物をご覧あれ!」

「逃げるは故も名も知らぬこそ泥、追うは我等が昨今の英雄、(リウ)飛蘭(フェイラン)!」

「こそ泥が逃げ切るに賭けるか、それとも掴まるに賭けるか!」

「さぁさぁ、皆様、賭けた賭けたぁ!」


 勝手なことを、と飛蘭は苦笑。

 こういう賭けは貧乏人の娯楽で、暇な昼下がりなものだから、金もないのに用心棒の捕り物を賭けにしてしまう。

 『平民は黒』と決めつけられた瓦を蹴って、隣の屋根へ。

 一瞬見えた下の大通りで、子供達が叫んでいた。


(フェイ)大姐(ねえちゃん)! あっち、あっちへ逃げたぁ!」

「おう助かる!」


 軽く笑って、着地。安普請の瓦が砕けて落ちて、小店主が叫んでいた。

 畜生、あの女また屋根を壊していきやがった――。


「……ま、捕まえたら、賭けの賞金で払ってやるわよ」


 そのためにも、まさか逃がすわけにもいかない。

 眼帯で隠した左目に触れる。

 飛蘭(フェイラン)の目には秘密がある。過去は一〇分、未来は一〇秒、視ることができる。

 一族の宝だった。

 婚姻の日、新たな家族が増えるはずだった日は、家族を一人残らず失う族滅の日となった。

 だから、この目を『蒼穹の瞳』と呼ぶのは、もう飛蘭(フェイラン)だけ。他は、みんな、死んだ。


「あっちだぁ!」


 屋根の下、通行人が指差す。

 大柄な男が、ドスドスと足音を立てながら逃げていた。

 飛蘭は眉をひそめる。


(あれが?)


 あの図体で食い逃げして、ここ半年こそ泥、喧嘩、時には殺人、大事小事を数十件解決してきたこの飛蘭から逃げようというのか。

 信じられずに、目を使う。

 眼帯で隠されているはずの左目の視界に、あの男がうまそうに焼きめしを三人前も平らげる過去が映し出された。その後、堂々と笑顔を浮かべ、金も払わずに退店するところまで。


「待て!」


 あっけなく追いつくと、大男が笑顔で振り返った。


「追ってきたな」


 刃。

 未来(さき)が見えねば、当たっていた。

 男を守るように、通行人が三名武器を抜いている。背格好は明らかに貧民街の貧乏人だが、目が違う。持ち方も、短刀は逆手に持ち、棒は両手を離して持っていた。

 心得があると踏めば、相手も前へ出る。


「やっ」


 突き込まれた棒を、飛蘭はあっさりと踏みつけた。

 バランスを崩した相手の顔面を階段代わりに駆け上がると、両足を左右に開く。踵が、左右から迫る刺客の顎を打ち抜いた。

 わっと湧く貧乏人どもは、賭けに勝ったの負けたの騒いでいる。

 大男はにんまり笑って、路地を曲がる。

 その先は、左に折れれば下る道、右なら上り坂。

 飛蘭は、再び未来視を使う。下の坂道に飛び出してくる大男が見えた。


「よしっ」


 群衆を押しのけ崖へ。

 飛び降りると、丁度、大男の先回りになった。

 道というよりは崖の中間地点で、数階分下には川がごうごうと流れている。


「勘がいいね」


 振り上げられる杖。剣で受けると、手応えが軽い。

 大男は足を振り上げ、蹴り。

 身をのけぞらせて避け、そのまま後ろへ跳ねる。突き出された杖を踏みつけると、大男が眼を見開きにやっとした。


「よっ」


 ぐいと力で足を振りほどかれる。

 杖の薙ぎをかわし、飛蘭は身を低くした。

 まだ剣を抜くまでもない。敵は体幹がぶれている。緩んだ構えをつくように、足を払う。


「おっ――」


 巨体が傾ぐ。男は、飛蘭の着物を掴んだ。


「ちと話そうじゃないか、復讐姫」


 十秒先の未来には、下の川面が浮かんでいた。


「くそっ」


 落下する。

 勢いを殺そうと崖の枝を掴んだら、景気よく抜けて指を切った。痛い。

 水面に落ち大男を探すと、浅瀬へ逃れ地下水路の方へ向かうところだった。


「待て! 十両!」


 騒動を起こす賊を捕まえる駄賃である。ついでに、十日分の家賃もタダになる。

 飛蘭は四日に一度賊を捉えて、向こう半年はタダで住める計算になっていた。

 それはともかく。

 男を追って水路に入った飛蘭は、面食らう。


(暗い――)


 異常な暗さだ。入った瞬間に、全ての光が吸い込まれたかのようだ。

 闇の中、大男の声が聞こえた。


「こんな場所ですまないな。ぜひ、お前と話したかったのだ」

「そうかい。あんたと話したいやつは私も知ってるよ。刑吏の刑刑(けいちゃん)っていうんだけど」


 ぐはは、と化け物のような笑いが水路に反響した。


「飛蘭、お前は族滅された姫だそうだな」


 飛蘭は口を結んだ。

 その話は誰にも言っていない。身分を捨て、市井に紛れ、生きるつもりだった。

 無意識のうちに、左の眼帯をなでる。


(この宝を、守るために)


 飛蘭に十秒の未来視と十分の過去視をさずけた一族の宝は、今も共にある。

 ズキリと左目の奥に痛みが走った。


「知っている理由は問うな。お前と同じように、首府にひどい目に遭い、復讐や世直しを誓う者も多いのだ。実のところ、俺はそういうやつを集めている」

「……意味がわからない」

「わかるさ。怖いのだろう、思い出すのが」


 目の前にぼうっと大男の幻影が見えた気がした。

 異様な気配を感じ、とっさに剣を抜いて斬りつける。手ごたえはなく、あざ笑うように水音が響いただけだった。


「不思議な宝具を持っているのはお前だけじゃない。首府は、そうした宝具を持った一族を、時に滅ぼし、時に懐柔し、宝具をすべて揃えようとしている。お前さんも、宝具を持っている限り狙われるぞ」


 わかっていた。

 貧民街の用心棒は、身を隠すためのもの。だが、相手の情報を集めるためのものでもある。

 一族を滅ぼした圭城府の長――崔長官の。


(忘れられるわけがない)


 宝具の能は、未来視と過去視だけではない。

 むしろ、そちらは付属物のようなもの。

 瞳の大きさをした青い宝石は、宝具として一族の歴史を見つめてきた。だから、望めば宝具が視てきた歴史を、使用者に見せてくれる。

 それは、族滅の後は大変な毒だった。

 なぜなら、忘れたくても、幸せだった頃の家族が文字通り目に映るのだから。


「復讐は尊い行為だ」


 いつの間にか、声や水音はあちこちに反響し、大男の存在をあやふやにしていた。


「――千傑湖という湖があり、その中央に砦がある。もし、お主が腑抜けでないなら、訪れるがいい」


 飛蘭は目を閉じる。

 左目が熱い。族滅の日、矢を受けてなくした左目には、大切なものが埋め込まれていた。

 そのものが、一族の歴史を見せるのだ。


(長兄、一飛(イーフェイ)は、待ちの剣だった)


 長兄の構えが、技が、左目の視界に瞬時に写し出される。

 飛蘭は力を抜き、同じ構えをとった。

 模倣。

 どんな些細な物音、気配にも反応する長兄の技を使う。自分の側に死んだはずの長兄がやってきて、構えやコツを教えてくれるようなものだった。


 ――いいか、飛蘭(フェイラン)。心を湖面のように穏やかに、そして気だけを感じとるんだ。


 左後ろに、風があった。

 打ち付けられる棒が見えるかのようだった。

 振り向きざまに交わし、飛蘭(フェイラン)は剣を突き出す。

 大男の形をした黒い影が、霧散し消えた。


「見事だ、族滅の姫。湖で、待っているぞ――」


 地下水路は、いつの間にか静まり返っていた。むせかえるようなカビの悪臭だけがある。


(復讐か)


 大男はもういないのだろう。飛蘭はずれた眼帯を外す。

 水面に己の顔が映った。左目に、青い宝石が埋め込まれた顔が。


 族滅の日。

 空のようだと婚約者に囁かれた青い瞳を、矢傷で失った日。

 祖母は左目が毒で膿み死にかけの飛蘭を救うため、そして一族の宝具を守るため、飛蘭の左目に秘宝を埋め込んだ。最後の医療を施して、祖母は死んだ。


 宝具は『蒼穹の瞳』という

 その日から、飛蘭は未来と過去が見えるようになった。

 そして一族の幸せだった幻影が、逃れようもなく左目にちらついて、復讐が忘れられないことになる。


「そんなの――忘れたことがないよ」


 飛蘭は、剣を握った。使い続けてきた愛剣には、思い出がつまっていて――思い出を糧に戦うしか、飛蘭に術はなかった。



     ●



 後日、大辰国中西部に位置する千傑湖に、少女が訪れることになる。

 馬上の少女は、眼帯を直し、剣を背負い直す。


「いこう、サルヒ」


 風を意味する愛馬を呼んで、緑に覆われた長い坂を下った。

 彼女とその一味は、後に世直しの冒険として大勢に読み継がれる武侠譚になるのだが、その活躍はまた別の物語である。

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