12 時戻りの悪女は戦場を行く 〜全てを滅ぼして、嘲笑って、救ってあげましょう〜
「あなたがたのような能無しは下がっていなさいな。ここは、わたくしの戦場ですのよ」
血の匂いに満ち満ちた地獄絵図の中、美しく佇むわたくしは、背後に立つ二人に告げる。
片方は救世の英雄と定められた、優しくて哀れな王子。そしてもう片方は慈愛しか取り柄のない聖女。彼らの出る幕など、ここにはない。
「敵はざっと五千人ですよ!? いくらベルティーユ様でも、お一人では……!」
涙目の聖女が叫び、わたくしに縋りついた。
彼女の子鹿のような愛らしさに、思わず顔を歪めてしまう。
「多勢に無勢、そうおっしゃりたいのかしら。――このわたくしが、たかが雑魚の集まりに勝てないわけがないでしょう?」
「でも震えてるじゃないですかっ」
「ただの武者震いでしてよ」
これ以上、聖女に構っている暇はないだろう。
わたくしは彼女の手から逃れるなり、ゆらりと闇に紛れた。
この世を揺るがす悪しき魔族が行使するものと同じ、邪悪なる闇魔法を扱う異端者……それがわたくしだ。
闇の中をひた走り、影を渡って別なる場所に顔を出しては、隙をついて相手の戦意を刈り取っていく。
振るうのは淑女の嗜みとして持つ鉄扇。闇魔法を込めるだけで、それはいかなる武器よりも凄まじい――人の心の形を変えて、自在に操るという、おぞましい威力を発揮するのだ。
「どこだ、どこにいる……!?」
「自分だけ姿を消すとは卑怯なッ!」
「悪女め!」
この戦い方は少々気分が悪い。けれども敵の悲鳴に似た声を聞いて、少し胸がすく思いがした。
皆の視線が、敵意が、わたくしに集まってくれているから。
――そう、そうよ。わたくしを、わたくしだけを見ればいい。
「ホホホ、そんなに見惚れていてはわたくしは殺せませんわ」
かすり傷一つ負わないまま、波打つ銀糸のような髪と闇色のドレスの裾を風になびかせながら、にっこりと嘲笑ってやった。
「卑怯だとおっしゃるのなら、もっと暴れて差し上げてもよろしくてよ?」
その日、わたくしは軍隊を一つ壊滅させ、軍隊に市民を皆殺しにされて廃墟となった街をぐちゃぐちゃに破壊した。
悪で悪を制す。そのように周囲からは見えるだろう。周囲だけではなく、背後に立つ二人ですらそう思うだろう。
だって、わたくし以外は知らない。
壊滅させた軍隊は魔族に洗脳され、反逆者を静粛するという名目で虐殺を行わされていたことを。
この街に人知れず魔族が隠れ潜んでいて、軍と市民の対立を煽った挙句、市民の死体を喰らおうと目論んでいたことを。
でもそれでいいのだ。
全てを滅ぼし、全てを嘲笑い、全てを救う。
それがわたくし――悪女ベルティーユのやり方だった。
△▼△▼△
「聞いてくれ。僕が、英雄に選ばれたらしい」
全ての始まりは、その一言だったと思う。
わたくしの婚約者であり、金髪碧眼の麗しの第一王子殿下――十三歳にして国の騎士をも圧倒するほどの凄まじい剣の腕持つ神童として有名であったレオンの言葉。
それを受けたわたくしは、ふっ、と頬を歪に吊り上げた。
やはりこうなってしまいますのね、という失望を隠して、嗤う。
「おめでとうございます……と一応申しておきましょうかしら。お可哀想ですこと」
本心から可哀想でならなかった。
わたくしが憐んでいるのがひしひしと伝わったのだろう、レオンが悔しげな顔をする。
「どうしてそんな風に言うんだ、ベル」
「あら、まさかご自分が英雄に相応しいと思っていて? 王子という地位以外に何も持っていないのに」
わたくしは王国の属国である公国の姫。同い年の幼馴染で互いに国家の長の子であるとはいえ、格が違うのだから完全に不敬である。
でもレオンはわたくしを強く詰ったりしない。ただ、悔しげな顔をするだけだ。本当に優しくて、完全無欠の神童様だ。
彼に代わり、「ひどいです!」と非難の声を上げる者がいた。
英雄の供となる慈愛の聖女。その名を、シェリルという。
「あなたはわたくしの引き立て役。そのために仲良くしてやっていますのよ? 輝くのはいつも、わたくし一人ですの」
「……私たちが選ばれたことがそれほどまでにお嫌なのですか?」
「もちろん。特にシェリル、あなたは気に入りませんわ」
ふわふわとした亜麻色の髪も、新緑色の瞳も、何もかもが愛らしい。
きつい顔立ちのわたくしと違って、柔和な雰囲気のレオンの隣に立つとお似合いに見えて、たまらなく腹立たしかった。
「ベルティーユ様は、変わられたのですね」
「それは当然変わりもしますわよ。何せ、世界が変わってしまったのですから」
その時世界は、混乱の最中にあった。
長きに渡って均衡が保たれていた世界の情勢が数年の間に一気に傾ぎ、各国で紛争が頻発。平和が脅かされていたのだ。
明らかな異常事態。やがてその原因は、わたくしの祖国で発見された古代の予言書となって明らかになる。
『異界より現れし悪しき魔族、人々の不安を煽り戦へ導かん。救世の英雄と慈愛の聖女によって魔族の王が討たれし時、平穏は再び来たるであろう』
この世界には、たまに予言者というものが現れる。
彼らが一体どんな原理で未来を見て、予言を下しているのかは知らない。ただ、残された予言に人々は縋った。
その結果としてレオンが英雄に、シェリルが聖女になった。誰も背負いたくない重荷を、適任だからと押し付けられるようにして。
そんなのあまりに不平等だ。反発の一つでもすればいいのに、平気な顔で請け負おうとしている二人はどうして笑顔で受け入れるのか。
――だからわたくしが、悪役として、彼らの前に立つ。
「英雄として、聖女として選ばれるべく力を持つのはわたくしですのよ。わたくしを嫌う者たちの悪意によって不当に遠ざけられただけ。思い上がらないでくださいませ。わたくしは、あなたたちが主役になることを認めない」
優しい彼らが、世界を救えるわけがないとわたくしだけは知っている。
知っているからこそ。
「弱くてどうしようもないあなたがたを導いて差し上げましょう。わたくしについて来なさい」
今度こそは何が何でも守ろうと決めていた。
△▼△▼△
わたくしには今生きる世界とは似て非なる、もう一つの世界の記憶がある。
今回と同じく、たった十三歳で英雄と聖女に選ばれた二人……わたくしは彼らの背中を見送り、旅立ちを祝った。
理想の王子様を詰め込んだような自慢の婚約者であるレオンと、可愛くて強い友人のシェリルなら、きっと無事に戻って来てくれると信じていた。
二人は恐れを知らなかった。
闇魔法を持つことで両親や兄弟から嫌われ、社交界でも遠巻きにされていたわたくしに微笑みかけて、手を引いて、一緒に遊んでくれた。
わたくしなんかにどうして構うの、と何度も訊いた。
その度に二人は笑って言うのだ。
『だって僕たち、婚約者だろう? 仲良くして悪いことなんて何もない』
『ベルティーユ様はもっと自信を持ってください。美しくて格好いい、素敵な公女様なんですから!』
婚約者といえど、レオンとは政略的な婚約関係だった。いくらでも放っておくことができたろうに。
金で成り上がった男爵家の娘で、貴族社会のことを知らない元平民のシェリルに少し礼節を教えてやっただけだ。感謝される謂れはない。格好いいなんて思われるようなこともしていないのに。
わたくしはいつも、彼らに救われていたのだと思う。
……そんな二人だからこそ、信じられたはずだった。
でも、旅立ちから四年を経て戻って来たのは、血まみれになって今にも息絶えそうな少年が一人きり。
ずいぶん成長したが見間違えるはずもない。彼はレオンだとすぐにわかった。
『レオン……シェリルは? それに、その傷はっ』
レオンは語った。シェリルは、悪辣な魔族に騙されて、道半ばでその命を落としたのだと。
レオンは語った。魔族の王と相対したレオンが、闇魔法で洗脳された大勢の人間と殺し合い、その末に勝利を掴んだのだと。
『人殺しをした僕は英雄なんかじゃない。でも最後にどうしても、ベルに会いたくて。わがまま過ぎるよな』
謝ることなんてないのに、ごめん、と謝られた。
謝りながら、レオンの体はどんどん冷たくなっていって。
わたくしはただ涙を流しながら、自分の無力を呪うしかなかった。
そのあとはどうなったのかわからない。
わたくしの中からどす黒い魔力が溢れ出して、何もかもを塗りつぶしたような気がする。
そして気づけば、わたくしは八歳くらいの子供の姿になっていた。
当然ながら戸惑ったし、もしかすると性質の悪い夢なのではないかと期待した。一向に目覚めることも、体が元の大きさになることもなかったけれど。
時を巻き戻してしまったのだ――そんな荒唐無稽にもほどがある現実を受け入れるのにどれほどの時間を要したろうか。
死に物狂いで文書を漁りまくって闇魔法に時を歪める魔法が存在することを知った。ごく少数の者のみが使える、呪いのような魔法だと。
闇魔法の中でも禁忌を超えた禁忌である故に、行使するには代償を必要とするらしい。それは――わたくしの寿命。
魔法を行使した歳、すなわち十七歳以降は生きられない。
「構いませんわ、そんなこと」
あの、優しくて愚かな二人を救えるのなら、ほんの少しでも恩返しができるなら、それで充分だ。
彼らが選ばれることはきっと避けられない。だからわたくしが彼らを背に庇い、最前線に立とう。
守られるだけはもう辞めだ。誰よりも強くなろう。誰よりも悪くなろう。悪辣な魔族に負けないように。二人を遺して死んでも、悲しまれずに済むように。
レオンと模擬戦と称して戦い、魔法で執拗に痛めつけた。シェリルを嫌い、馬鹿にする素振りを見せた。そうする度に胸が痛んだ。
恐怖に足が震える日があった。わたくしがいなくなればレオンとシェリルは結ばれるのだろう、そう考えて泣きたくなる日があった。
――けれど、だからどうした。
わたくしは高く笑い、嗤いながら、今日も戦場を行く。
諸悪の根源を打ち倒し、この身が朽ち果てるその日まで、決して膝を屈するわけにはいかないのだから。




