物語の完結と作品評価、そして評価クレクレについて
Youtubeの動画を見ていると、「この動画を気に入っていただけた方は、評価やチャンネル登録をお願いします」みたいなのをよく見る。
僕はYoutube動画を作る側に回ったことはないのだが、動画を見ている側としては、良いものをタダで見せてもらったなら評価ぐらいはお安い御用よと、気に入った動画には親指が上に向いたボタンを気軽にポチッと押すほうだ。
ただ、チャンネル登録はあまりしない。
この投稿者の投稿動画を、投稿されるたびにチェックしたいなと思ったらチャンネル登録をする。
まあつまりは、結局のところ自分基準だが、問題がなければ「お願い」を聞く感じ。
投稿者の「お願い」に対する受け取り方なんて、そんなものだろう。
ところが小説家になろうになると、これが一部の人たちのヘイトを妙に買う。
「『面白い』『続きが読みたい』と思ったら、広告下の☆☆☆☆☆から評価を頂けると嬉しいです!」
なんてのは、最近ではランキング上位作品の常套句になりつつあるが、そうしないとランキングレースでかなり大幅に不利になるのだから、作者側としては導入するよりほかにない。
(ちなみに毎話の最後に書いてあるやつは「ランキングタグ」を使っているのだろう。そこに書き込んでおくと毎話の最後に自動的にその文言が付くのだ)
「そもそもランキングレースに勝つことを求めるのが作者のあるべき姿ではない!」
などという言葉も聞こえてきそうだが、そういう人の欲を否定した「創作者たる者すべからく清貧であれ」という信仰は、生の人間を見てないなぁと思ったりする。
まあ言うたら、「創作者たる者すべからく清貧であれ」という信仰に染まってしまうのもまた、生の人間らしいあり方とも言えるのだろうけども。
で、何の話だったか。
そうだ、評価クレクレの話だ。
僕の結論を言ってしまうと、評価クレクレにイラッとしてしまうというのは、「それって自分がその作品のことを好きじゃないだけでは?」ということ。
面白い作品をタダで読ませてもらったら、評価ポチッとするぐらい「へい、喜んで!」ってならない?
人間には通常、「返報性」という性質が備わっていて、誰かから利益を与えてもらったら何かお返しをしたいという気持ちが働くものなので。
つまりそうならないのであれば、それはあなたに向けた言葉ではなく、「その作品を面白いと思った人」「何かお返しをしたいと思っている人」に向けられた言葉であるということだ。
Youtubeと小説家になろうでちょっと話が違うなと思うのは、Youtube動画は通常、1本の動画がそれぞれそれ単体で完成品であること。
だから小説家になろうで言うと、Youtube動画は「短編作品」とイコールにしたほうが、イメージとしては合致する気がする。
ただ形式上は連載作品であっても、いわゆる「短編連作」みたいな作品はある。
例えば小説家になろうではないが、『水戸黄門』などの典型的な勧善懲悪時代劇がそれだし、僕が好きなところだと週刊少年ジャンプの『僕たちは勉強ができない』みたいなハーレムラブコメ漫画もその性質が強い。
ライトノベルだと『キノの旅』や、最近だと『魔女の旅々』なんぞを例にあげてもいいと思う。
まあ、『サザエさん』でも『ドラえもん』でも何でもいいんだけれども。
こういった作品の場合、作品がトータルの完結まで描かれるかどうかは、本質ではないと僕は感じる。
それらの作品の本質は、一話一話それぞれの魅力(とその集合体)にこそある。
このような作品は、完結までの物語がどうのというよりは、「継続コンテンツ」として見たほうが適切だと思っている。
商業作品であれば、人気があるうちはそのコンテンツがサービスとして供給され続け、売上が落ちて商業的に継続が困難になれば未完のまま終わったり、完結したりする。
ネットゲームがサービスを終了するようなものと考えると分かりやすいか。
しかるに、そういった種類の作品に対して「完結していないから価値がない」というのは違うと思っている。
小説家になろうのランキングに載るような作品も、わりと多くの作品がその性質が強いものだと感じる。
同じ世界観、同じキャラクターを使っているし、時系列は続いているけれども、根本的な性質はYoutube動画的。
そういった、一話一話で読者に「面白い」を提供することを主眼とした作品に関して、「完結」に本質を置くのは、僕は違うように思う。
それらの作品は、外形上は未完であっても、そこまで読者に利益を与えている。
「評価」もまた、そのことに対して、それなりに与えられるほうが適切だろう。
小説家になろうの無料のWeb小説は、当然ながら作者が続きを書かないと、続きの話は生まれない。
これはYoutubeで、新たな動画を作って投稿するのと一緒だ。
具体的なことはすでに過去にたくさん書いているので省くが、とにかくこれは簡単なことではない。
1話を書くだけでも大変な労力なのだ。
「『面白い』『続きが読みたい』と思ったら、広告下の☆☆☆☆☆から評価を頂けると嬉しいです!」
というのは「この作品もっと食べたい! おかわり!」と思ったら、評価をくれるとおかわり作るモチベになるかもだぜイェイイェイという意味と捉えればいいと思う。
もちろんその裏には、たくさんの評価を得ることでランキングを駆け上がり、書籍化に繋がってほしいという作者の欲があるだろう。
でもその欲は、肯定されてしかるべきだと思う。
価値あるものを多大な労力を費やして作ったのなら、そこには働きに対する十分な報酬があってほしいと考えるのは、人の営みとして健全だ。
(まあ、無料投稿サイトでその話をするのはいかがなものかという議論はあると思うが)
もちろん、その作品にはそれだけの価値がないと思うなら、あなたは評価をしなければいい。
でもその作品は、あなた以外の誰かほかの読者に「面白い」という利益を与え続けている作品であるかもしれない──すなわち、「もっとおかわりプリーズ!」と叫ばれ続けている(あるいは過去にそう叫ばれ続けた)作品であるかもしれないという想像は、するべきだろうと思う。