ガンフ旧市街の亡霊
昼はとうに過ぎていたが、夕方には少し早い時間だった。汽車が町につく頃には、二人以外乗客はいなくなっていた。駅を下りる。田舎道に馬車が走っている。なだらかな土手を歩く。田畑が左手にあった。右手に川が見えた。
唸るような風が吹き付ける。
「あ」
ルッタの麦わら帽子が川の方へ飛んでいく。
「待ってろ」
と7号機品は土手を下りていく。
川沿いには、ごつごつと岩がひしめき合っている。
川のそばに、麦わら帽子はあった。
「あでっ」
と7号機品は岩に滑り、尻餅をついた。
ルッタが小走りで来ると、「だ、大丈夫?」と手を差し出した。7号機品は、口を真一文字にしかし口角を少し下げ、さっと自ら立ち上がると、麦わら帽子の方へと歩き出す。帽子を拾い上げながら、思う。さっきこけた岩、他の岩より丸みが綺麗すぎる。再び、尻餅をついた岩を鑑みる。色が他の岩より黒みを帯びている。緑の苔が強い。ルッタも、7号機品に倣って繁々とその岩らしき物体を見ている。
「き、機械?」
とルッタは恐る恐る7号機品を見た。
岩に見えたそれは、丸形の機械兵であった。
「かなり旧式だな。機械戦争の残りだろう」
と7号機品は、岩に埋もれるようにあるそれを避け、ルッタに帽子を渡す。
「あ、ありがとう」
7号機品は、ぽりぽりと頬をかき、歩き始める。
「大丈夫ですか」
土手から、背筋のぴんと伸びた老人が二人に声をかけた。低くも良く通る声であった。
「え、ええ、少し転んだだけで」
と7号機品は土手を上がっていく。
「この町にお客人とは珍しいですね」
と老人は、土手までエスコートするようにルッタの手を引いた。
「少し、旅の途中でして。町に宿は?」
「一軒ありますよ。案内しましょう」
「そんな、だいたいの道さえ教えていただければ」
「いいんですよ、独り身の老人、日長一日過ごすのみなので」
と老人は、穏やかな笑顔で言った。
道中、7号機品はベリアト平原までの道のりを訊ねた。
「ほう、ベリアトですか。最近では珍しいですな」
「モレーズ湖に是非行きたいと思っていまして。あまり人は来ませんか?」
「昔は、多くはありませんでしたが、時折モレーズ湖を訪ねて旅行者がきましたよ。しかし機械戦争後、めっきり人が来なくなってしまいましたな」
「なぜです?」
「ベリアト平原の手前にあるガンフ旧市街。ご存知ですか?」
「機械戦争でかなりの被害があったと」
「ええ、ベリアト平原の戦いで敗北した政府は、ガンフの戦いでさらなる激しい攻撃を受け、遂には機械に侵略されたのです。機械はその後戦争を放棄し、この町にまでは被害が来ませんでしたがな。ガンフ旧市街は、戦争後もその跡をそのまま残し、今は誰も住んでいません」
「それで、旅行者が減った、と?」
「ベリアト平原に行くには、ガンフ旧市街を通りますので。この町から東へ小一時間ぐらいでしょう、向かえばあります。町のものも、その戦争跡の悲惨さからかめっきり近づかなくなりました」
と老人は、少し後ろを歩くルッタをちらりと見て続ける。
「ガンフ旧市街にお嬢さんを連れて行くのは、少し危険かもしれませんな。おっと、ここが宿です。では、これで」
「ありがとうございます」
7号機品は、去っていく老人に頭を下げた。ルッタも倣って、頭を下げている。
「入るか」
とちょっと大きな一軒家程度の印象の、宿の扉をノックする。
返事はない。
向こうから、小太りの女が小走りでやってくる。
「ああ、お客さんかい、珍しいね。タイミングが良かった。農業のほうが忙しくってねえ。上がって上がって」
と捲し立てるように喋ると、膨よかな頬ににっこりと皺を寄せ、手招きした。
2人部屋だった。ベッドが二つある。マントを畳み、テーブルに置く。ナイフをその上に置く。残兵は機械に恨みを持つものが多い、機械体を見せるな。ドガーのことばである。今回は、手袋を外さずに殺しができるよう、ナイフを得物に用意していた。しかし、とちらりとベッドの隅に座るルッタを見た。ルッタが寝ている間にわざわざナイフをいらうことはないだろうが、と思いながらも、7号機品は、ナイフを部屋の隅にあった棚の中に入れた。
西日がルッタを照らしていた。時折様子を伺うように7号機品の方を見ている。7号機品はテレビを付けると
「飯をもらってくる」
と部屋を出た。
翌朝早くに、7号機品は起きた。窓から吹く風が、ルッタの寝顔にかかる髪の毛を小さく揺らしている。小さな寝息が、穏やかな鼓動が、そこにあった。7号機品は、ぼうっとルッタを見ていた。はっと我に戻り、立ち上がる。夜のうちに言えば良かったものを、ルッタにはろくに説明をせずにここまで来てしまった。しかし人を殺しにいくなどとは言えないし。夕方までには戻ると書き置きし、昼ご飯用にとサンドウィッチをテーブルに置くと、マントを羽織りそっと部屋を出た。
どんよりと曇っていた。川は滑らかに左へ下りていく。少し傾斜になった道を、7号機品は歩いていく。橋があった。渡った先の森のなかに、丸い岩があった。丸い岩のそばに、何か似たような形の物体が並んでいた。ただただ東へ歩いていた7号機品は、そこでようやく、初めて、対象としてものを捉えた。岩のそばの、同じように丸みを帯びたその物体に。それは一つではない。4つ、5つはあるだろうか。7号機品は、近づいていくと、岩に並ぶようにあるそれらを注視する。丸い増産機械兵であった。すでに停止しており、動くことはない。苔は生し、銀色だったはずの表面は黒ずんでいる。その冷たい表面に触れる。ぽつりと雨が落ちる。ぽつぽつと。7号機品は、見上げることなく、歩みを再開した。
ほどなくして、森が開ける。剥き出しになった家屋。古びたテーブルとベッドが見える。中で、半壊した機械兵が、停止している。道の途中に丸いクレーターのような穴があった。機械兵の残骸が、そこにもあった。瓦礫が両方の道に、無秩序にあった。機械の残骸は散見されるが、人の死体はなかった。進んでいくと、ひと際高い建物があった。壁は破壊され、中が見えた。散らばった椅子と、大きな十字が、地面に伏している。辺りに散っている瓦礫の中に、銅の鐘があった。そのそばで、機械兵が停止している。
教会と思わしきその廃墟の向こうに回る。
物音が右手からした。さっと7号機品は、そちらを見た。
丸型の機械兵が動いている。1体ではない。5、6、7。
正面にも、丸形機械兵があった。右アームを上げ、ちかちかと光っている。
ーーービームが来る
「くそ」
と手袋を外す。そこで、気づく。機械兵の右アームは、ビームは、私を向いていない。
機械兵がビームを放つ。7号機品の右を通り過ぎ、教会の方へと放たれる。
はっと7号機品は振り返った。人がいる。兵隊だ。兵隊の正面に透明な壁が現れると、機械兵のビームを弾いた。あれは、魔法だ。
声が上がる。悲鳴。怒号。狂乱。
気弾が飛んでくる。人の魔法だ。7号機に向けられている。
「『シールド』コンパイル」
とシールドを出すと、なんとかそれを防いだ。
教会を中心に、人と機械の戦闘が始まる。
機械兵は、まるでそこにいないように、いや、まるでそこにいるのが当然のように、7号機品のそばを通り過ぎていく。
呆然と、7号機品はその戦闘を見ていた。
教会の向こう、人側のほうに、影があった。小さな、見覚えのある影。
ーーーなぜ
7号機品は駆けた。機械兵を縫うように過ぎ、人の攻撃を避けながら。
機械兵のビームが、その小さな影を襲う。
「『シールド』コンパイル」
とその小さな影をかばうように、7号機品はシールドでそのビームを受けた。
「ご、ごめん、なさい」
ルッタは、尻餅をつきながらも、なんとか声を振り絞った。
「なぜ、なぜ来た!」
7号機品は、ルッタに怒鳴りながらも、兵士の剣をシールドで受ける。ルッタを守るために。いや、違う。人は、ルッタを狙ってはいなかった。明確に、7号機品のみを狙っている。
機械兵のビームが飛んでくる。
ルッタだ。機械兵のビームは、ルッタを狙っている。7号機品は、ルッタを担ぎ上げると、走った。ビームを避け、人を避け、機械兵を避け。一心不乱に、走った。はたと立ち止まった。大きな湖がそこにあった。音が消える。そして、浮き上がる。コバルトブルーの水面に、ぽつりぽつりと雨が降っている。ルッタの息づかいが肩にある。ルッタの心臓音は、いつもよりも早く、大きく、そこにあった。自分のものは。いつもと変わらず、単調なリズムであった。
ルッタの心音が、やがて落ち着く。
ルッタをゆっくりと下ろす。気を失っていた。優しく地面に寝かせる。ルッタのオーバーオールの胸部分に、大きなポケットがあった。そこが、膨らんでいる。柄が、ポケットより飛び出していた。7号機品は、ゆっくりとその柄を抜く。ナイフであった。そうか、と7号機品は、ルッタの顔を見た。怒鳴ってしまった自分。怖かったろうな。怖かったに違いない。もやもやと、そこに何かがあった。吐き出せたなら、吐き出してしまいたかった。
「娘は危ないといったろう」
はっと、背後の声に7号機品は振り向いた。
「あなたは」
背筋の伸びた老人が、湖の畔にいた。
「奇妙な組み合わせだと思ったが、やはり君たちだったのだな」
と老人は、湖畔に座り、続ける。
「ベリアト平原。ここで、私は戦った。激しい戦いだった。部下は次々に死んでいった。私は死にそびれ、負傷兵として救助された。ついにベリアト平原は突破され、そして、人はガンフでの戦いにも破れた。旧ガンフを通っただろ?」
7号機品は、無言で老人を見ていた。
「あれは、亡霊さ。ただ機械を殺す。ただ人を殺す。彼らにあるのは、その強く残った一つの回路だけさ。人も機械も、果ては同じだったようだな。喋り過ぎたな。未練もあるまいに。君も機械兵か?」
老人に言われ、7号機品は自らの両手を見た。手袋が外れ、機械体が露になっていた。
「脳と心臓以外は」
7号機品の心臓は、相変わらず、時計の秒針のごとく、一定のリズムを刻んでいる。
「まあ、どちらでもいい。だが、まあ、そうだな。ナイフで殺ってくれ」
7号機品は、ナイフを持ち、湖畔を見つめる老人の背後に回った。
ナイフを心臓に向ける。
老人の体が、小刻みに震えている。
7号機品は、ナイフを刺すことに躊躇いを覚えた。そんなこと、初めてだった。
老人が、ことばを落とす。
「怖い。怖いんだよ。でも」
老人は、顔を上げ、空を見た。
「生きるのは、もっと、辛いんだ」
そして口を閉じた。
湖面の波及が、少しづつ増えていく。
7号機品は、老人の心臓に、鋭くナイフを刺した。
湖面の波及は重なり、消えていく。そして次の波及が下りてくる。再び重なり、消えていく。湖一面に、それが連続してあった。
力なく伏す老人を見た。小刻みに震えていた老人が、7号機品の頭から消えなかった。前にも、こんな依頼者はいただろうか。今まで、震えているかどうかなど気にしたことがなかった。ふと、機械体の両手を見る。ルッタを見る。雨粒が、ルッタに落ちている。7号機品は、マントでルッタの体を包むと、抱き上げ、湖を後にした。