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「こらァ! 出入口だぞ、溜まってないで自分のクラス確認したらさっさと行けぇィ!」
体育教師(兼生徒指導)の怒鳴り声が響く。音波が空気を揺らすように、その隣に立っている数学教師の肩が一瞬、ビクっとした。
「こりゃァ失敗ですねぇィ……来年度はまた教室でのプリント配布という形に戻した方が良いと思うがねぇィ」
「新しい印刷機が入ったから校長が『今年度のクラス替え発表は昇降口での掲示でやりましょう』なんて言うもんですから」
「いや、どんな理由じゃァ……」
***
「ってぇ!」
「え、大丈夫? クスクス……」
今、階段で躓いた彼は、今年から高校二年生になる日比谷蒼である。帰宅部。間抜け、腑抜け、唐変木……おっと、ただの紹介のつもりが悪口になってしまった。
「(2の2か……)」
新たな顔ぶれへの期待と共に二年二組の教室の引き戸を開ける。
「ガラッ……」
…………。
「あれッ??」
そこにいたのは三年生になったはずの先輩方だった。その瞬間、金縛りにあったような感覚に囚われた。
「あれあれぇ? 君、二年生だよね。あはは、朝はまだ一年の教室に集合でしょ?」
戸の前でたむろしていた女子の先輩に優しく弾き飛ばされた。
「す、すみませんッ‼︎(あぶねえええ!)」
戸はゆっくりと閉められていく。優しい人でよかった……と思いつつ、下げていた頭をチラッと上げると、戸の隙間から、着席している別の女子生徒の睨む目が覗いた。眼鏡の奥のその睨む目は、眼鏡が反射する光にも負けないほどの眼光と、それを見た者の精神を軽く四、五本は切りつけるほどの鋭利さを持っていた。変な汗が出た。彼女は只者ではない。そんな気がした。
***
そんなこんなで一年の教室に戻ってきたが、引き戸の建て付けが悪く、開けるには少しコツがいる。
「(ボロい学校だよなぁ。廊下も薄暗いし……空気も悪い)」
着席するとまたいつものように灘康介が話しかけてきた。
「よォう、今日は遅かったな。今年も同じクラスだな!」
「だな」
「どうした。元気ないぞお前」
「ちょっとね……ところで今日は何味なんだ?」
「カプチーノバニィラ!」
康介は登下校、昼休み中に飴を舐めるのが日課である。理由は「口が寂しくなるから」らしい。おしゃぶりでもしゃぶってろ。あと、シャツをしまえ。
「今日は嫌な日になりそうだ……」
「おい、俺の飴の味を占い代わりにするなよ!」
そう、康介がカプチーノバニラを舐めてる日は嫌なことが起こると家庭科の教科書にも記されているのだ。
「ま、まあ元気出せよ。これやるからよ」
康介は胸ポケットからシソ味の飴を取り出して差し出した。
「うわ絶対不味いだろ……これ……」
「いやシソ味美味いぞ! シソ味舐めんなよ! いや舐めろ!」
「遠慮しておくよ……」
***
「じゃっ、各自、新教室へ移動っ!」
先生の声と同時に、一斉に教室から人が抜けていく。蒼は康介と一緒に教室を後にした。
ここが二年二組の教室……。部屋の構造は一年教室と同じはずなのに、何かが違う。何が違うのかはわからない。そんなことより、担任はどんな人だろう。この学校の卒業生だったとは聞いている。
「Good Morning, everyone! 今日から二年二組の担任を務めます。浅桜咲と申します。教科は英語です。よろしく!」
もしやこれは英語の先生にありがちな、英語で挨拶するやつか? 毎日英語で挨拶は勘弁してくれ……。
……それにしても若い。
「部活は国際交流部とテニス部の顧問をしてます。それから誕生日は四月二日、好きな食べ物は塩ラーメン、嫌いな食べ物は……」
よく喋る人だな……聞いてもないことを……。
「あと、私はこの学校の卒業生なので、わからないことがあったらなんでも言ってね!」
やはりか……。でもなんとなくこの学校の生徒特有の雰囲気を持っているような気がする。具体的に何がとは言えないが。
「先生ェ! 高校の時、何部だったんスかぁ?」
康介じゃないか。いきなり立ち上がって……勇気あるよなぁ。
「ええ……うーんと、ま、まぁ美術部に三ヶ月くらい、かな」
「その後は? やめたんスか?」
「ま、まぁね〜……」
浅桜咲は動揺した。高校時代の彼女に何があったというのだろうか。
蒼はそんなことを考えながら彼女の顔を眺めていると、彼女は何かに気がついたように動きを止め、蒼の顔を凝視した。