好感度視認令嬢~みんな凄い不満顔で睨んできて怖い。もしくはみんな凄い笑顔のままだからやっぱり怖い~
皆様、ごきげんよう。
わたくし、スサーナ・デーディシオン・コスタと申します。
父はここパルデラノの国で侯爵位におりますので、それはもうなに不自由のない生活を楽しんでいます。
ところでわたくし、小さいころから妙な夢を見るのです。
その夢の中でのわたくしは、なんとも冴えない女性でした。
どうやらとうに結婚の適齢期を過ぎているというのに、婚約どころか親しい男性もいないようで、ひどく寂しい生活をしているのです。
わたくしといえば産まれたころにはすでにエンリク殿下との婚約が決まっておりましたので、ずいぶんと差のある夢を見るものだなどと思ったものです。
ともあれその夢でわたくしは優雅とは程遠い暮らしをしておりました。
そんな夢の中で楽しみとしていたのが、小さな鏡に映る絵を、どうもそこへ直に手を触れて動かす遊びでした。
そんな魔術のような遊びを、わたくしはわたくしの中から眺めておりました。
世の中には、なんとも耽美な絵を描かれる方がいるのですね。
夢の中のわたくしは、湯に漬けるだけの不思議なヌードルと、茶色く揚げた鳥肉と、鉄の容器に入ったお酒の晩餐をしながらその遊びをすることが至上の喜びのようでした。
鏡の中からは、とても瀟洒で美麗な容貌の男性から、愛の囁きが届いてきます。
その遊びは、どうやら素敵な殿方から愛を勝ち取るのが目的のようでした。
あと首筋や胸元を触ってなやましげな声を出していただくのも目的でした。
なんとまあ、と思いました。
なんとまあ、素晴らしい。
わたくし自身も、そんな夢を見るうちに楽しみになってしまいました。
いつしかわたくしはわたくしを応援しておりました。
いやお前その選択肢はねーだろと声を出したくなるときもございました。
鏡の中で出会う殿方は、幾人もおりまして、ちょっと傲慢だけどとても頼りになる方や、弱々しいけれどこちらを一途に慕ってくれる方や、周りを遠ざけいつも冷たい素振りだけどほんのときどき優しい方がおります。
いやもうマジでたまんねぇ殿方ばかりで、わたくしはそんな彼らをとっかえひっかえしておりました。
その遊びでは、獲物――んっん、失礼、殿方たちがどれほどこちらを愛しているのかがわかるようになっております。
殿方の名前がリストになっており、名前の横には簡単なお顔の絵が表示されているのです。
お顔が笑顔ですと好かれています。怒った顔ですと嫌われています。
お顔の頬が赤くなりハートマークが出ておりますと、こいつぁもろたでと思ってよろしいでしょう。
ただ行き過ぎるとちょっとキマったお顔になりまして、襲われます。もしくは刺されます。先ほどの例に挙げた気弱な方がよくそうなりますが、それはそれでアリかなと思います。あえて狙ったこともあります。
便利ですね。
ひと目しただけでどの方からどう思われているかわかるなんて、これはもう素晴らしい発明です。夢のようです。夢でした。
しかしながら夢は夢。
歳を重ねるうちにそんな夢を見る機会がだんだんと減っていき、ちょっと待てまだ隠しキャラの攻略見てねぇという後悔も薄れていきました。
十五になれば王都の貴族院に付設されております学園へ入らねばなりません。
学園生活を終えれば晴れて王家への輿入れとなりますので、わたくしにはそれ相応の振る舞いが求められます。
当然ながら、父も母も家令も世話役も、わたくしに幼少のころからそう言い聞かせていましたし、わたくしも自覚しておりました。
年に一度ほどありますエンリク殿下との交流会でも、家の格を落とさぬよう過度に下手に出ず、しかし殿下の寵愛を確かなものとすることがわたくしに課せられた役目でありました。
鎖骨さわったらティロリ~ンつって好感度あがんねーかなと思ってしまったこともございましたが、ギリギリで理性が勝ちました。
そう、わたくしは由緒正しい貴族令嬢として生きねばならぬのです。
ともあれ学園への入寮も近い初春のころ、わたくしはいつものように家庭教師のもとで勉学にいそしんでおりました。
学園にはエンリク殿下もおりますので、無様な姿は見せられません。
知識、武芸、魔術、礼儀作法、あらゆる点で周囲よりも上に立たねばならぬのです。
しかしこの史学を担当する教師、何年かこちらへ通っておりますが、とにかく要領が悪いのです。
今も筆記具や資料の束を床にばら撒いてしまって、必死に拾い集めています。
元は田舎の男爵家の次女だか三女だかで、勉学に才があったから王都の大学に入ったとのことですが、なんともパッとしません。
足元に平伏するのは結構ですが、身分が上であるこちらへ尻を向けるのは大変よろしくないことです。
「あなた、いつまでかかってらっしゃるの? いつもいつも、わたくしを待たせないでちょうだい」
思わず懐の扇でその尻をペンと叩いてしまいました。
いずれは王妃として人々の上に立たねばならぬ身。常日頃からこういうところはしっかりしなければなりません。
教師だろうと年上だろうと、立場ははっきりさせなければならないのです。
尻をひっぱたくのが楽しいわけではございません。ほほほ。
デロロ~ン
ん?
なにかどこかで妙な音が。気のせいでしょうか。
「も、申し訳ございませんスサーナ様」
這いつくばった家庭教師がこちらを見上げます。
いつも通り、こちらの気に障らぬよう卑屈な笑みをしているはずですが、
「ご、ご迷惑をおかけしまして……」
見上げた顔は、憤怒の形相でした。
ひぃ! なにこれ怖い!
鬼か大蛇かといった表情から出てくる言葉は、いつも通りの弱々しい謝罪の声でした。
でしたが、顔と声がまったく合っていません。
「あ、あ、あ、あなた! わたくしに向かってそのような顔――」
「ス、スサーナ様? なにか失礼を――」
「ぴぃ! やめて怖い怖い!」
今にも殴りかかりそうな表情でこちらを心配する教師を直視できず、わたくしは扇で目線を覆ってしまいました。怖いの。
教師は平伏して謝罪の言葉を続けますが、ちょくちょく顔を上げればやはりこめかみの血管が破れそうな面相なので見ることができません。
なんでしょう。この教師はこんな顔をする人間でしたでしょうか。
そんなはずはありません。いつでも気弱にこちらの機嫌を伺っているような者でした。
ていうかあんな唇をめくって歯茎まで見せて歯を食いしばっているのにどうやって喋ってるんでしょう。腹話術?
「スサーナ様、どうされました!?」
騒ぎに気づいたのか、部屋の外で控えていた世話役やメイドが入ってきました。
どうもこうもありません。この教師をなんとかしてもらわねば。
そう言いつけようと振り向けば、そこには眼光鋭くわたくしを睨みつける者たちばかりが並んでおりました。
まぁ、メンチ切り大会かしら。
わたくしが泣いちゃったので、その日はお休みとなりました。
それからわたくしの様子がおかしいことを聞いた父が、わざわざ街から医者を呼び寄せましたが、特に異常はみられませんでした。
いえ、異常はありました。
こちらを心配して声をかける父も母も、ずっと眉間に皴を寄せていたのです。
心配と不安の表情ではありませんでした。なんというかこう、迷惑をこうむった者が相手を見下すときのような。
そして医者は高齢のお爺さまでしたが、ずっとニヤニヤと下卑た笑みを張りつけておりました。めっちゃ真面目な声音で診察しながら。
異常です。どう考えても異常です。
お父さまもお母さまもわたくしにあんな顔を向けたことなどこれまで一度もありませんでした。
まぁ、ちょっとわがままを言って困らせたこともありますが、人の上に立つ者として相応しいことを考えた結果であり、そのときも優しかったのです。
それがなんだあれ。自分の子供に向ける目じゃねぇ。
とにかくあれから、会う人すべてやたら棘のある表情を向けてきて、わたくしには気の休まるときがありませんでした。
比較的、仲の良い世話役のひとりまでがちょっと目を細めがちだったときはまたまた泣きそうになったものです。
薄々と、これがなんなのか検討はついておりました。
夢のことを思い出します。
要するに――わたくしは、周りの人がわたくしをどう思っているのか、その表情として見えるようになってしまったのでは。
うふふ、おバカさんねスサーナ。そんなことあるわけないじゃない。あれは夢の中のお話よ。
それにあれはお顔の絵で表されていたのよ。もしそれが表情そのまんま見えるなんてことになっちゃったら――
やべぇな、と思いました。
もしこのままなら、人と円滑なコミュニケーションがとれる自信がありません。
なにせ屋敷の中で、チクチクと刺さるような視線をぶつけてくる者たちも、態度自体は変わらないのです。
いつも通り、わたくしに従い、敬い、最大限に機嫌を伺った対応をしてくるのですから。
おっかないのは顔だけです。
そしてなにより怖いのは――もし想像の通りであれば、誰も彼もその内心はあんな表情をしているということ。
おやおやわたくしぶっ殺されそうです。この屋敷に味方がいねぇ。
さすがに今すぐ刺してきそうなのはあの史学教師くらいでしたが、それにしたってみんなわたくしを嫌い過ぎではないでしょうか。
王妃になったときに困らないようにと、なるべく人には厳しくあたってきたつもりでしたが、少しやり過ぎたのかもしれません。
しかしわたくしは負けません。
内心で嫌われてようが、父も母も実はあまりわたくしを好いてなかろうが、立場は変わらないのです。
嫌われたからって、下々におもねるなどしませんことよ。おほほ。
なによりもうすぐイサークお兄さまが王都から帰ってきます。
学園を卒業し、次期当主として修業するためにこの家へ帰ってきます。
小さなころからわたくしをとても可愛がってくれたお兄さま。父よりも母よりもずっとずっと愛してくれたお兄さま。
お兄さまがいれば些少の敵意など気にもなりません。
学園にわたくしと入れ違いになってしまうのが悲しいですが、それでも少しのあいだは一緒にいられます。
入学しちゃえばそのまま殿下に嫁いでこんな家とはおさらばです。
それからは王妃とコスタ家当主としてお兄さまとだけ仲良くするんだー。
「スサーナ様。イサーク様がお戻りになられました」
そんなふうに考えていたある日、こちらを見下すような顔をする家令から報告をされました。
わーい、お兄さまー。
喜び勇んで部屋を出ました。イサークお兄さまは広間で両親と歓談しているとのことでした。もちょっと早く呼んでよねーもー。
「お兄さま!」
「ああ、スサーナ。我が愛しい妹。会いたかったよ」
朗らかな声でわたくしを迎えるお兄さま。
その表情は――
真顔でした。
真顔。すっごい真顔。ていうか無。なんの感情も表面に出ていません。
「学園にいるあいだ、スサーナが心配で仕方なかったよ。元気でよかった。手紙はちゃんと届いたかい? スサーナはなかなか返事をくれないから、どうにも気になってしまってね。また離れてしまうことになるが、とても寂しい。私も学園にはできるだけ便宜を図ってくれるよう根回しはしておいたが、困ったことがあったら手紙を寄越してくれ、愛する妹よ。わかったね、スサーナ。スサーナ? どうしたんだ、聞いているのかい?」
……まぁ。
嫌い、までは行ってないからセーフ。
学園は天国でございました。学園天国。
なにせわたくしに刺々しい視線を送ってくる者はあまりいません。
中にはコスタ家という名前やお兄さまの影響で、初対面から少々お強めの笑顔や睨みを見せてくる方もおりましたが、少ないものです。
入学式においては周囲の者がほとんど真顔で、ここは軍隊だったかしらなんて思ってしまいましたが、それも杞憂に終わりました。
今、わたくしは学友のみなさんと庭で優雅にお茶をいただいてます。
「さすがスサーナ様の見立てたお茶葉。素晴らしい香りですわ」
「ありがとうございます、ドロレス様」
やわらかな笑顔をこちらに向けているのは、エスカルティン公爵のご長女ドロレス様。
前王妃を大叔母にもつ由緒正しいお嬢さま。
この学園で最初に仲良くなったお友だちです。
我がコスタ領とエスカルティン領はいささか距離が離れており、なかなか接する機会がありませんでした。
宮廷のパーティで顔を合わせることもありましたが、学園で改めてお話をしたところとっても優しい方でわたくし心底ほっとしました。
周りには同じく学友がおりまして、大いに笑顔であったりなんだかちょっと卑屈な笑みだったりしますが、少なくとも敵意はございません。
とても平和です。その笑顔があんまり動かないことを除けば。
わたくし、ちょっと反省をしました。
お兄さまから向けられる顔が究極の無であったことで、少しばかり心が折れたということもあります。
やはり人の上に立つというならば、愛を向けることも大事だと思うのです。
嫌われてばかりでは人はついてきません。愛を与え、愛されねばならぬのです。ノブレスオブリージュ。ちょっと違うか。
人にやさしく。これ大事。
「やあスサーナ」
「まぁ殿下」
渡り廊下からこちらへやって来たのは、同じくこの学園に入学したエンリク殿下でした。
立ち上がってカーテシーでご挨拶をすると、ドロレス様ほか学友のみなさんも同じようにされました。
「いやすまない。お茶会を邪魔するつもりはないんだ。楽にしてくれ」
「そんな失礼はできませんわ」
「今はただの同級生だ。気にするものではない」
こちらと同様、学友を――おそらくその中の何人かは護衛でしょうが――引き連れているエンリク殿下の言葉はとても親しみを感じます。
幼少のころから婚約者として付き合ってきたのだから当然でしょう。
さてそのお顔は――
片目をわずかに細め、口の端がほんのり吊られています。
うーんどっちかなー。どっちかなーこれ。
ほんのちょっぴり笑ってるようにも見えるんだけど、嫌そうにしてるって言われたらそうっぽくもあるんだよなー。
無でもないし、はっきり嫌ってるって感じでもないから、まだマシと思いたいんだけどなー。
彼の後ろに侍る方々に視線を移せば、だいたいは無表情だったのですが、おひとりだけずいぶんと見下した卑しい笑みを浮かべる方がいまして、おそらくその視線もわたくしの胸元に来ておりました。
おそらく本来は真面目な顔で佇んでいるのでしょうから、殿下にはどうにか理由をつけて彼を放逐していただこうと思います。
そんなこんなで平和な学園生活を送っておりますが、ひとつ気になる噂を聞きました。
今年は、この学園に特例でひとり、平民の者が入学したというのです。
王都からはるか遠くの、マウリ男爵家に養子として迎えられたというから、厳密にはすでに貴族なのですが、元はただの木こりの娘だとのこと。
素晴らしい魔導の才能があり、特別に入学が認められたのだとか。
あらまぁ、そんな下賤の者が近くにいるだなんて、わたくしったら困っちゃいますですわよのことよ。おほほ。
なんて以前のわたくしなら思ってしまったかもしれません。
しかし今は違います。今のわたくしは愛の使者。どんな方だろうと優しく手を差し伸べる所存です。
ていうか下手なことしてそんな魔術の天才が憤怒顔にでもなってみなさい。恐ろしくて部屋から出られんわ。
というわけで、その彼女が足を引っかけられて転んでいる、なんて場面にさっそく出くわしてしまいました。
その周りには、クスクスと意地悪く笑っている令嬢の方々。ただしわたくしから見ると無表情で笑っているので、これはこれで怖いです。
案の定、平民の出ですので、周りからあまりよく扱われていないようです。
「あなたがた」
ドロレス様たちの輪から一歩前に出て、畳んだ扇をひとつパンと叩きます。
「なにをなさっているのかしら?」
笑っていた令嬢のみなさんは、無表情のままこちらへ向き、無表情のままびくりと震えました。うーんシュール。
「なんとも楽しそうな遊びをされておいでですが、いささか下品ですわね。わたくし、恥ずかしくて見るに堪えませんわ」
「す、スサーナ・コスタ様……いえ、これは」
「これは、なんですの?」
「で、ですから、彼女は――」
「わたくし、今、あなたがたのお話をしているのだけど」
もひとつ扇をパン。くるりと回して顎にクイッ。
これでも屋敷の者たちをいたぶりたおしてきた身。その辺の木っ端令嬢を威圧するくらい赤子の手をひねるがごとしですわ。のぉほほほ。
デロロ~ンデロロ~ンデロロ~ンティロリ~ン
おやまた謎の音が。しかもなんだか多かったような。
周囲の無表情だった令嬢さまがたがいっせいに険しいお顔になりました。まぁこちらに目線も合わせられない雑魚なので、気にするものでもありません。
ただ、目の前の扇を当ててさしあげた方はなぜかちょっぴり笑みを浮かべ、頬を赤く染めています。あれー?
「……み、みなさん、行きましょう」
どうも彼女がリーダーだったようで、取り巻きを促して去っていきました。
幾度かチラチラとこちらを振り返っていましたが、その顔はやっぱりほのかな喜悦を見せています。あれあれー?
こほん。
気を取り直して、転んだ姿のまま茫然と――無表情で――こちらを見上げていた平民の少女を助け起こしてさしあげます。わたくし優しい。
「大丈夫ですか?」
「あ、え、あの、す、すみません……」
「お気になさらず。さぁ、お立ちになって」
手を引いて起こした彼女を見てみれば、あらまぁかわいらしい。
美しいブロンドの髪も整ったお顔もくりくりした多色に輝く目も、まさか平民とは思えないほどです。ていうか髪色とかわたくしよりいいくらいなんだけど。マジかこれ。
そして彼女は、すでに小さく微笑んでおりました。早くない?
「ケガなんかはしていないかしら?」
「いえ、だ、大丈夫です! あの、申し訳ございません。高貴なお方だとお見受けします。そんな方が私なんかのために――」
「あら、困っているかと思って声をかけただけですわ。この学園の中ではお互いただの学友同士。そんなにかしこまらないで」
んなこたぁない。
わたくしが殿下にそうしたように、身分差や立場の違いは学園の中でも厳然と存在していますが、こう言っといた方が受けがいいのです。
愛です愛。愛とは建前から始まるのです。誠意とは行動の結果にくっついてくる評価にすぎないのです。ラブアンドピースです。ラブとピースは別物なのです。
「そんな恐れ多いです! わ、私なんかが」
「あなた、お名前は?」
「ひゃ、ひゃい! えと、モニカと申します!」
「しっかりなさいな。今は家名があるのでしょう?」
「ああ、すみません。も、モニカ・マウリと申します……」
ところで話をしているあいだに彼女はどんどん笑顔になっていくのですが、どうしたことでしょう?
身振り手振りはぱたぱたと焦ったようなのに、お顔だけそんなふうなので妙なパントマイマーのようです。道化恐怖症的な怖さがあります。
考えてみれば、入学以来ずっと周りからやっかまれていたのなら、もしかしてまともに話をしたのはわたくしが初めてでしょうか?
「わたくしはスサーナ・デーディシオン・コスタ。スサーナでかまいませんわ。ねぇモニカ様。わたくしとお友だちになりましょう」
「えぇ!? そんな、スサーナ様にご迷惑が」
「いいえ、是非。わたくし、自慢じゃありませんがちょっと一目置かれるくらいの立場にはあります。きっとモニカ様のお力になれるわ。ね、ダメかしら?」
「ダメなんてとんでもない! あの、よ、よろしくお願いします……」
ティロロロロロロロロロ~ン
消え行っていくような声音と裏腹に、その表情は満面の笑顔――
を通り越して、微笑みに頬は染まり、額の端っこにピンクのハートが浮かびだしました。
えっ、なにこれ怖い。
ちょっと待ってこのハートどっから出てきたの? 浮いてるの? 生えてるの?
一歩間違ったらとび出した脳腫瘍かなにかなんだけど、え、触れる? これ物理的に触れるの? いや試さないよもげたら怖いもん。
ていうかまぁ好感度が凄く高くなったのはわかりましたが、それにしたって早くありませんこと? これマックスですわよね?
この子どんだけチョロイの。初対面で少し話しただけなんだけど。
ちょっとビビッていると、時刻を告げる鐘が響きました。うん、とりあえずいったん仕切り直しましょう。
「あらもうこんな時間ですわ。モニカ様、急ぎ戻りませんと次の講義に間に合わなくなってしまいます」
「あ……そうですね。スサーナ様、ありがとうございました!」
「えぇ。ごきげんよう。今度はゆっくりお話しましょうね」
「はい、是非とも!」
手を振りながら駆け去ってゆくチョロイン。
熱に浮いたような笑みと、額にぷよんぷよんと浮くハート――動くのねそうなのね――はそのままでした。
やれやれ。
デロロティロリデロロティロリデロロティロリデンデケデケデケ
んんん? なんか凄い音が。
振り返ってみると、ドロレス様ほか学友の方々が成り行きを見守っていたようです。
相変わらずみなさま笑顔です。
なんかいつもより大盛の通知音がした気がしましたが、みなさま特に変化は見られません。
なんの音だったんでしょうか? 故障した?
「スサーナ様は本当にお優しいですね」
ドロレス様にそんなふうに言われ、「高貴な者として当然のことですわ」と答えますと、うふふと笑われました。
うーん、なにも変わってないよね?
さて、モニカ様を学友仲間に加えて、つつがなく日々は過ぎていきました。
彼女は付き合ってみると本当に良い子で、ドロレス様がたにも受け入れられ、学園生活は楽しいものになってくれたようです。
まだ時々、彼女にやっかみをする者もいるのですが、わたくしが睨むとへこへこ逃げていきます。怨嗟はなはだしい形相で。うーん顔と行動が合わない。
ふよふよ動くハートがそのうちブチッと飛んでいきそうで怖い以外は、たいへん素敵な友人となってくれました。
博愛精神を第一にしたわたくしの生活は平和そのものです。
親しい相手が片っ端から常に笑顔なのでちょっとやりとりが不安なときもありますが、少なくともみなさん好意的ということで、恐れることなどありません。
最初にモニカ様をいじめていた方が、なぜかわたくしをお姉さまと呼んでつきまとってきたりもしましたが、平和ったら平和です。
二学年になりまして、わたくし、サロンというものにお呼ばれするようになりました。
家柄だったり才能だったり、良しと認められた者の集まる部活のようなものでございます。まぁ、やることはお茶を飲みながらお話するくらいなのですが。
ドロレス様も、モニカ様も、そしてエンリク殿下もおられます。
ところで、
「スサーナ、紹介しよう。私の婚約者だ」
春の休みに実家へ帰省したところ、イサークお兄さまがうっすら笑顔になっておりました。そして女性を紹介されました。
そういえばお兄さまには特に幼少から決まった婚約相手はおりませんでした。どうも学園で良い方を見つけていたようです。話がまとまったのですね。
そしてお兄さまが無表情だった理由もわかりました。
完全に婚約者のほうへ気がいっていて、わたくしや他の人間のことがどうでもよくなっていたようです。
話が決まったので、周囲に気を回す余裕ができたのでしょう。
それでもうっすらかぁ。すっかりくわえこまれやがって。
とまれ、好感度は他へ焦点が向くとフラットになりがちなようです。人にもよるかもしれませんが、まぁそんなもんかなと思います。
そんな人がもうひとりおりました。
ただしこちらの場合は、
「スサーナ、どうだろう。モニカが喜ぶような物が私には思いつかん。君に知恵を借りたいのだ」
めっちゃ笑顔のエンリク殿下です。
わたくしを介してモニカ様と出会って以来、どうやら殿下は彼女にお熱のようなのです。おめー目の前にいんのは婚約者だぞこら。
そして、微妙な表情だった彼はどんどん笑顔に変わっていきました。
いちおう、元々そこまで悪い印象ではなかったという解答でもあります。
いろいろと手助けやお膳立てをしたわたくしも悪いのですが、どうも彼はわたくしをモニカ様の親友であり、恋の成就のため全幅の信頼を寄せられる相手と思うようになったようです。
実際エンリク殿下は将来の王ですし、わたくしを正室、モニカ様を側室になんて手段もとれるのですから、まぁ、うん。うーん。納得いかねぇ。
後宮の仲が良いってのは王として理想だろうけどさぁ。いいのかおい。
「殿下。スサーナ様の気持ちも考えないか」
そんなわたくしの最近の癒し。リカルド様です。
殿下の護衛役として入学した近衛騎士のひとり。寡黙でぶっきらぼう、まさに武人といった厳格な方です。
今のように殿下をいさめることも多く、ときにはわたくしも少々諫言をいただいたりすることもあります。
そんなリカルド様ですが、すっごい笑顔です。ニッコニコ。
苦労の多い方だったようなので、ちょくちょく労うようにしていたらあっという間にこんなことになりました。案外チョロイ野郎でした。
今も腕を組んで寡黙を気取っているのですが、朗らかな笑顔でいるものですからなんかもう面白いです。眺めていると飽きません。
「あの、スサーナ様にもドロレス様にも一緒にプレゼントってどうですか? 殿下はモニカさんに。それでその、よければスサーナ様には僕が」
こちらも癒し。エミリオ様です。
リカルド様と同様、近衛騎士なのですが、女の子のようにかわいらしくて、ちょっと頼りなさも感じてしまいます。
ですがわたくしにとても優しく――というか懐いていただいて、なんだかわたくしも、骨を投げてほーら取ってこーいってやりたくなってしまいます。
エミリオ様もやはり笑顔です。
ただわたくし、彼には特になにかした記憶は無いのです。放っといても勝手に笑顔になっていきましたので、わたくし不思議です。
そんな彼ですが、最近だんだんと笑顔の中で眼だけがすわっていっている気がします。なにもしてません。
癒しだったはずですが、ちょっとだけ恐怖も感じております。
ちなみに護衛の中でわたくしを好色の目で見ていた者は、殿下にそれとなく相談したところ後日いなくなっておりました。学園からも、国からも。権力って凄い。
三学年になってある日、とんでもない事件が起こってしまいました。
なんと、モニカ様がこれまでされてきた嫌がらせはすべてわたくしの仕業だというのです。
なに言ってんだおめー。
学園の広場にて、みんなが居る場でそんな妄言を吐いたのは憤怒顔のご令嬢さまがた数名。ちょいちょいわたくしが追い払っていた木っ端です。
大した証拠も無いただの放言ではあるのですが、殿下がモニカ様に熱を上げているのは周知の事実ということもあり、わたくしが嫉妬しているという若干のリアリティを乗せてきたことで信憑性も皆無とは言えません。
うーん困ったもんだと思いながら周囲を見てみると――
みなさま笑顔で困っていました。ニコニコと困惑していました。
さほど親しくない見物人の方々も笑顔でした。わたくし、評判がよろしいのですわ。
勝ったな。
当然ですがモニカ様もハートをぷよんとこちらへ向けていますし、エンリク殿下も笑顔でわたくしを見つめております。
みんな味方です。努力が報われましたわ。おーほほほ。
しかしここで木っ端令嬢をばっさりなんてことはしません。それでは芸がありません。
ここで映えるのは――悲劇のヒロインコース!
「殿下、モニカ様……わたくしを、信じてください」
そう言って、踵を返しダッシュ! トンズラします。
ぶっちゃけあんなもん殿下たちがちょっと締め上げればわたくしが無関係なことくらいすぐにわかりますし、事実解明は任せます。
ここはとにかく濡れ衣きせられてわたくしかわいそうムーブをするのがよろしいでしょう。
誤解が解けた上で仲直りしてわたくしたちの絆は深まります。わたくしの信用は盤石のものとなり、希望の未来へレッツゴー。勝ったながはは。あらいけない。勝ったわおほほ。
まぁそれまでわたくしは自室でゆっくりしていましょう。
「スサーナ様! 大丈夫ですの!?」
宿舎へ辿り着き、ふーいい汗かいたぜなどと思っていますと、ドロレス様が笑顔で待っており、心配そうな声をかけられました。
演技を崩す前で安心いたしました。わたくしは弱々しく、今にも泣きそうという気配を維持します。
「ああ、ドロレス様。わたくしは……」
「心配なさらないでスサーナ様。私は信じております。さ、こちらへ。私の部屋でゆっくり休んでくださいな」
さすが持つべきものは親友。そうですわね、ドロレス様に匿ってもらっているというほうが自然かもしれません。
というわけで彼女の部屋で休ませてもらうことになりました。公爵令嬢の部屋だけあって家具も素敵です。
「今、落ち着けるお茶をお淹れしますわ」
いただいた紅茶を飲んでいると心が落ち着いていきます。
茶番とはいえあまり好ましい展開ではありませんでしたし、多少の緊張もしていたのでしょう。身体に入っていた力がほぐれていくようです。
「心配いりませんからねスサーナ様」
「ドロレス様……ありがとうございます」
隣に座るドロレス様が背中をさすってくれて、なんとも温かい気分です。
そういえば、ドロレス様は先ほど姿があったでしょうか。
広場にいたならば、ずいぶん早く宿舎に戻ったのですね。わたくしけっこう頑張って走ったのですが。
「……でも、スサーナ様も悪いのですよ」
「ドロレふはま?」
あら? なんだか口がうまく回りません。手先の感覚もぼんやりします。
ドロレス様はわたくしの肩に額を埋めるようにもたれかかってきました。
「モニカ様とばっかりいるんですもの」
「ほろ、れ」
「私、ずっとずっと心を動かさないように耐えてきたのです。でも」
顔を上げたドロレス様は――
ずいぶんとキマったお顔をなさっておいででした。
「私、もう我慢できません」
あーれー。
ひどいめにあいました。
具体的には申しませんが、ちょっとエンリク殿下には内緒にしなければなりません。
まさかドロレス様がそんな嗜好の方だったなんて。
やり遂げたような笑顔で眠るドロレス様の部屋からどうにか抜け出し、ほうほうのていで自室に戻るころにはすっかり夜でした。
忘れましょう。すべてを忘れて眠りましょう。
窓から月明かりだけが入る室内。
窓は開け放たれておりました。ここは三階です。
デンデケデケデケ
「スサーナ様……僕が、僕が守りますから……」
キマったお顔のエミリオ様がおりました。
たーすけてー。
◇
中期フレイレ朝パルデラノの後宮について、あまり詳細な史料は残っていない。
ただ伝承などを辿ると、このころの王妃のひとりはとても人間不信で、人と会う場合は必ず、顔を直接には合わさなかったという。
現在のパルデラノにおいて王族に拝謁する際の、顔を覆う礼装はこれに由来するという。