18、私は、柏木アリサ
「あと二分」
その腕に付けた時計を眺めながら、アリサは隣に立つマクスウェルに報告する。それを聞いて、マクスウェルは小さく頷く。
化学準備室の一角。
準備は万端とはいえない。
結局、魔女を止める術は見つからず、街を元に戻す手立てもわからない。マクスウェルがこれまでに研究して作り上げてきた魔法専用のガジェットはいくつか用意したものの、それがあの魔女に通用するとは到底思えない。
それでも、この街をどうにかするためには彼女と対峙するほかなく、なにより、拓光を人質に取られている以上、彼女のもとへと行かないわけにはいかない。
「あと、一分」
そう告げて、アリサは大きく深呼吸する。マクスウェルは背負った大きなライフル銃に一瞬視線を向ける。
「それ、役に立つの?」
と、アリサはマクスウェルに訊ねる。相手は不死の魔女であり、銃弾をいくら撃ち込んだところで死ぬはずもない。青の魔女はおろか、アリサでさえ銃弾を受けても死にはしない。
「さあ。でも、もはや打つ手はないんやし、やれるものは何であれ試すしかない」
「ま、そうだね。何が役に立つのかもわからないし、藁にもすがる、ってやつだね」
と、アリサは左腕に抱える大きな本を見る。ザ・ブックも、青の魔女のことを知っている。たとえ、ただ莫大な量の情報を抱えているだけのデータベースに過ぎないものだとしても、もしかしたら、彼が何らかの役に立つこともあるかもしれない。
「そういうことやね」
マクスウェルも頷く。
アリサは自らの右手の平を広げてみる。その手の上に、小さく魔力を集める。
現れたのは、小さな青い光の弾がひとつ。これを攻撃に向けてみても、きっと大した威力ではない。
こんなのであの魔女に対抗できるのだろうか。
そんなこと、考えるだけ無駄だ。できるできないではなく、やるしかないのだから。と、アリサは頭を小さく振り、時計に目をやる。
「時間だ」
そう告げると同時に、時計から小さな泡が飛び出す。それは、シャボン玉のように膨らんでいく。そして、アリサとマクスウェルの周囲をシャボン玉のような泡が包み込む。そのシャボン玉の中から見える外の景色、科学準備室の光景があっというまに歪んで、次の瞬間には景色が変わる。
アリサはその光景を見るのは初めてだった。けれども、その光景に心当たりはあった。
大きく曲がりくねったレールがあって、巨大な円盤が横たわっている。テントを模したような売店があって、洋館のような建物もある。それらはすべて赤錆が目立ち、コケが覆い、朽ちている。
♦
かつて、この秋馬市に全国にチェーン展開していたケーキ屋、ふあふあ洋菓子店の本社があった。
ふあふあ洋菓子店はもともと個人経営の店だったのだけれども、その店主が生み出したふあふあちゃんというキャラクターが爆発的に大ヒットしたのだ。
別に、特別ずば抜けて可愛いキャラクターデザインというわけではないし、特徴的なデザインというわけでもなかった。その名前の通り、ふわふわしていそうな雲のような、クリームのような形の白に、目と口をつけただけ、というようなものだったのだけれども、それがなぜか可愛い、と若い女子の間で大流行したのだ。
そのふあふあちゃんを型取った砂糖菓子を乗せたケーキは飛ぶように売れ、あれよあれよと全国へのチェーン展開、そして大手コンビニとのコラボ商品発売、さらには多種多様なグッズ展開を経て、ふわふわちゃん誕生から五年目にしてついにアニメ化が決まった。
そのアニメ化によって、ふあふあちゃんの人気は若い女子だけではなく、小さな子供、その子にグッズを買い与える親やおじいちゃんおばあちゃん世代にまで広がり、その知名度は間違いなく日本国内で有数のものとなった。
そして、ふあふあ洋菓子店の社長、つまり店主が次に打って出たのが、ふあふあランドの建設だった。国民的キャラクターになったのだから、そのテーマパークがあってしかるべきだ、というのが社長の意見だった。その意見に社長の取り巻き幹部は手を揉みながら「それもそうですね」「成功しますよきっと」「社長の慧眼に間違いはない」と祀り上げ、下っ端の平社員たちは「そんなの失敗するに決まっている」「成功するビジョンが見えない」「迷走しすぎ」と陰でぼやいた。
そうして着想から三年後にふあふあランドはついに完成する。
入場門では巨大なふあふあちゃんが出迎えてくれ、メリーゴーランドや観覧車やジェットコースター、お化け屋敷にゴーカートまで備えた本格的な遊園地だった。園内のいたるところにふあふあちゃんのペイントが施され、アトラクションもすべてそのふあふあちゃんのイメージに統一されており、まるで綿菓子やマシュマロ、チョコレートに囲まれたようなお菓子のテーマパークそのもの、といった空間だった。
それは、ふあふあちゃんのテーマパークとしては完璧なものだった。社長はもちろん、従業員たちもこのテーマパークに自信を持っていた。これならばきっと多くのお客さんが来て満足してくれる、と。
けれども、ふたを開けてみればふあふあランドは初年度から大幅な赤字を叩き出した。入場者数は想定の約半数。翌年はそのさらに半分という、惨憺たる結果になってしまった。結局、ふあふあランドはわずか三年で閉園となってしまう。
要因は単純なものだった。
ふあふあランドが完成したときにはもうすでにふあふあちゃんの人気は翳り始めていた。アニメの放送開始から三年後、というのは遅すぎたのだ。さらに、立地条件の悪さも重なった。秋馬市に広い土地はなかったので、市の端の山の山頂を切り開いて建設されていたのだ。山頂を切り開いて作ったものなので、当然広い土地は確保できない。その土地をお客様の満足度をできる限り高めるために、ギリギリまでアトラクション等の敷地に使ったので、駐車場を敷設できなかったのだ。駅から直通のシャトルバスも運行されていたものの、やはり直接自動車などで来園できないというのは、大きな痛手だった。シャトルバス以外に普通の電車やバスは近くを通っておらず、山の上なので、歩いていくのにも時間はかかる。
閉園は必然だった。
その後、閉園となったふあふあランド跡地はそのまま手付かずの廃墟となり、以来そこを訪れるのは肝試しの学生くらいのものとなってしまった。
ふあふあランド閉園と同時にふあふあ洋菓子店は破産し、社長は精神を病み、秋馬市内をふあふあちゃんの帽子をかぶりながら徘徊するようになった、という噂がまことしやかに語り継がれているけれども、それが真実かどうかはわからない。
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目の前で朽ちているこれらは遊園地のアトラクションの残骸だ。
きっと、自分がいるのはふあふあランド跡地だ、とアリサは辺りを見渡す。秋馬市に遊園地はこのふあふあランドしかなかったのだから、そう思い至るのは当然のことだろう。
崩れかけた壁面にふあふあちゃんのペイントを見つける。かなり擦れており、その七割は消えかけているものの、それは間違いなくふあふあちゃんだった。
アリサは真っ直ぐに前を見る。
そこに青の魔女は立っていた。
アリサとマクスウェルを包み込んでいたシャボン玉が大きくはじける。それと同時に、この廃墟と化した遊園地のむせ返るような、湿度の高い空気が肺に入り込んでくる。
「こんにちは、柏木アリサ、とレオナルド・マクスウェルね」
「こんにちは、青の魔女さん」
と、マクスウェルは一歩前に出て頭を小さく下げる。
「桐宮くんはどこ?」
アリサは青の魔女に向かって訊ねる。
「あら、せっかちね。心配しなくても彼に危害は加えてないわよ」
そう言って、青の魔女はパチンと指を鳴らす。
すると、魔女のすぐ右手側の空間が小さく歪んで、そこから拓光が現れる。両手両足を縛られているわけでもなく、椅子に座らされているわけでもない。牢にも入れられておらず、ただ普通にそこに立っている。
「桐宮くん!」
拓光はそう叫ぶアリサの声に、今度は明確に反応を示す。
「柏木」
と、拓光は小さく右手を上げる。
「大丈夫?」
「ああ、俺は大丈夫だよ」
拓光のその言葉を聞いて、アリサは軽く目を閉じて、小さく息を吐き出す。確かに大丈夫そうだ。なんらかの危害が加えられたような様子は見受けられない。
「ね、大丈夫と言ったでしょ?」
「桐宮くんを返して」
「ええ、わかったわ。さあ、もういいわよ」
と、あまりにあっけなく、あっさりと魔女は拓光を解放する。
きっと、彼女にとっては本当に拓光のことは重要ではないのだろう。彼女はただ、アリサと交渉さえできればいいのだ。ここでこうして向かい合っている状況において、彼女の魔法の前では、ここから拓光を連れて逃げ出すこともまた不可能だということを、彼女は理解している。
足取りに不安はなく、拓光はアリサとマクスウェルの元へと向かう。
「それじゃあ、交渉を始めましょうか」
そう言って魔女は再び指を鳴らす。
すると、そこに椅子が二脚現れる。木製の、なんの装飾も施されていないシンプルな椅子。
「さあ、座りましょう」
と、彼女はその椅子に座る。アリサも、彼女に促されるままにその椅子に座る。意外なほどにその椅子がしっくりと身体にフィットして、少し驚く。その後ろに、マクスウェルと拓光は立つ。
「で、交渉っていうのは?」
「あら、わかっているでしょう? 貴女には、私の計画の邪魔をして欲しくない。そして、もしよければ、貴方に私の計画のための力を借りたい」
「あら、わかっているでしょう? 私は貴方の計画を止めたい。だから、私が貴方の計画に加担することはない」
アリサのその言葉を聞いて、魔女は思わず笑う。
「あはは、まあそうよね。確かに貴方は初めからそう言っていたわね。もちろん、私も貴方にそう易々と私の計画に乗ってもらえるとは思っていない。だから、私の話を聞いてほしいの」
「いくら貴方が計画についての素晴らしさ、崇高さを説いたとしても、私は絶対に……」
「そうじゃない」
と、魔女は首を振る。
「言ったでしょう、私の話、と。つまり、私自身の話を聞いてほしいの」
そう言って、魔女は小さくあごを上げる。その挙動に反応するかのように、アリサと魔女の間にテーブルが現れる。その上にはティーポットとティーカップ、それにクッキーとチョコレートが置かれている。
「お茶でもいかが?」
「……結構です」
「あら残念。別に毒なんて盛っていないわよ?」
「結構です」
「そう」
アリサのその返答に対して、さして興味もなさそうに、魔女はティーポットを取り、自らの目の前に置かれた二つのティーカップに紅茶を注ぎ込む。その香りは、アリサのところにまで届く。
「その本」
と、魔女はアリサの左腕に抱えられた本に指をさす。
「ザ・ブックよね?」
「そうだけど……」
「よかったわ。どこかに落としちゃったかと思っていたのだけど、貴方が拾ってくれていたのね」
「ええ、そうよ。お返ししましょうか?」
アリサは抱えていた本をテーブルの上に置く。
「いえ、いいわ。彼には八十六万年もの孤独な時間を付き合ってもらって、感謝もしているし、大切な友人だと思っている。けれども、この街を切り取り、孤独ではなくなる私に、もはやザ・ブックは必要ない。貴方が大切に持っていてくれるのなら、それでいい」
そう言って、魔女はティーカップに口をつける。
「……そう」
別に、彼女に返そうと思ってこの場に持ってきたわけではないものの、そんな風に言われてしまったのならば、今さら返すこともできない。
「さて、それじゃあ話を始めましょうか。私にとって、とても大切な話で。貴方にとって、とても重要な話よ」
と、魔女は一度大きく息を吸って、空を見上げる。それにつられるように、アリサも空を見上げる。
赤い太陽と、白い太陽と、白い月。
やはり何度見ても慣れない異星のような光景。
この空白が何を意味するのかは、アリサにはわからない。魔女はしばらく空を眺めた後、なにかを決心したかのような表情を見せ、息を吐き出しながら、正面に座るアリサの目を見て、口を開いた。
「私は、柏木アリサよ」




