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鎗ヶ崎の交差点  作者: 誠一郎
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鎗ヶ崎の交差点⑤

 青山の骨董通りにあった地下二階建てのレストランには多くのモデルやタレントや業界関係者と思われる客が集まっていた。このレストランも三宿のカフェを運営している家具屋が経営をしていた。

 一階のレストランでのレセプションが終わると、地下に作られたダンスフロアですぐにパーテイーが始まり、煌びやかな社交場と化した。

 僕は場違いな空間の中で居場所もなく、フロアの隅で緊張しながら自分の出番を待っていた。佐々木とは会場に入るときに言葉を交わしたがすでに酔っていたようで「ああ」とだけ言われ周りの人間に紹介してくれることもなかった。

 しかしこの日が自分にとって大きなチャンスであることはわかっていた。ここにいる人間達を盛り上げれば彼らの村の一員となれるかも知れない。そうすればこんな場に常に呼ばれるようになると。

 誰も知り合いのいない会場の中で、僕は一人気負いと弱気の狭間で右往左往していた。そして、こんな情けない緊張した状況を打破してくれるであろう、知花の姿を探していた。

 モデルも有名人もどうでもいい。知花さえいてくれれば、彼女のために最高のDJをしよう。そう考えていたが、会場に知花の姿を見つけることができないでいた。

 家の前まで送ってから、数週間が経っていた。その間、知花とは会ってもいないし連絡もとっていなかった。しかし、僕の中で知花の存在は大きくなっていた。別れ際に見せてくれたあの笑顔が頭にこびりついて会いたくてたまらなかった。連絡先を聞かなかった事をこんなに後悔した相手はいない。

 それでも別れ際にこのパーテイーで会う約束をした。その約束だけがここ数日の僕を支えていた。そしてDJの成功よりも、彼女にまた「かっこよかった」と言われる事が一番のモチベーションになっていた。

 パーテイーには三百人ほどの客が集まっていて、フロアは満員だった。僕以外のDJは皆、関係者のようでDJが小刻みに変わる度に身内の客が歓声をあげていた。

 こんな中で誰も知り合いのいない自分が立って盛り上げる事ができるのだろうか。知花の姿を見つけられない事で不安だけが大きくなっていた。

 そんな状態の中、時間がきてしまうと僕はDJブースに向かった。人をかき分けて、どうにかブースに辿り着くと改めて会場の盛り上がりに慄いてしまった。

 僕は最後にフロアを見渡して知花の姿を探したが、やはり彼女を見つけることはできなかった。仕方なく深呼吸をして心を落ち着かせようとしたが、久しぶりの大舞台でのDJのために緊張は緩和されなかった。

 時間が訪れると、前のDJに交代を告げようと肩を叩いた。しかし見向きもされず会場の客に手を振っていたのでさすがに苛立ってもう一度強く肩を叩いた。すると「あ?」と言われ睨みつけられた。しかしここで負けるわけにはいかないと虚勢を張って睨み返し「次のDJだ」と言い、ミキサーからそいつのヘッドフォンのジャックを外した。

 緊張した僕の顔がよほど強張っていたのか、男は何も言わずにブースを降りた。すると案の定、踊っていた客がバラバラとフロアから離れて行った。僕はその光景を見ないふりをしてレコードを選んだ。そして手が震えないように指先に力を入れて、どうにか一枚目のレコードに針を落とした。

 いつもより少し時間がかかったがテンポを合わせた。そしてゆっくりフェーダーをずらした。フロアは見ないようにしていた。客の反応を見てしまうと、さらに緊張してしまうと思ったからだ。

 しかし、どうにかスムースなミックスが完了して曲が切り替わった瞬間、客が歓声をあげた。そしてやっと初めて顔を上げてフロアに視線を向けた。するといなくなった客がフロアに戻ってきて、僕に向かって手を挙げていた。自分より少し年齢層が上の客層だったので、九十年代前半のR&Bをかけたのが功を奏したのだ。

 僕は自分の選曲に自信を持った事で緊張を解いて自由にミックスを始めた。もう知花を探しはしなかった。待ちわびた最高の瞬間に陶酔しきっていた。

やがて持ち時間が終盤を迎え、次のDJがブースに上がって来た。

「お前、いい感じじゃん」

 そう言われるとやっと自然な笑顔を浮かべることができた。最後のレコードを決めて、ターンテーブルに置こうと振り向くと正面にあったVIP席に佐々木と知花がいるのを見つけてしまった。

 知花は髪をアップにして、丈の短い黒いワンピースを着て大人の雰囲気を醸し出して佐々木と楽しそうに笑っていた。僕のDJをする姿に目もくれずに。

 僕はその光景を惨めな思いで眺めるしかなかった。DEPTで買った真新しいラルフローレンのシャツを着て、ウルトラマリンの香水をつけて、DJとして歓声を浴びて。こんなにも最高の自分がここにいるのに、彼女は振り向いてもくれないのか。それほどまでに、今の自分とあの大人とは差があるのか。

 どうしようもない思いを胸に、最後のレコードに針を落とした。曲はサルソウルの「ランナウエイ」を選んだ。

 なぜこの曲にしたのかはわからない。自分がこの場から逃げ出したかったのか。それとも、彼女とここから逃げ出したかったのか。どちらにせよ、会場は一応は盛り上がった。僕はさっきまでの喜びを忘れてDJブースを降りた。

 パーテイーは続いていたが、DJを終えた僕に居場所はなかった。どんなに盛り上げても、誰も知り合いのいない僕に声をかける人間はいなかった。僕はそそくさと荷物をまとめて会場を出た。すると追いかけてきた知花に呼び止められた。黒いワンピースを着た知花は同い年とは思えないほど大人びていて古着のシャツを着ている自分がひどく子供に思えた。

「ねえ。帰るの?」

「え?ああ。来てたんだ」

 嘘をついた。居場所がなくて帰ると思われたくなかった。

「うん。ちょっと前にね。ねえ、もうちょっといようよ」

「でもDJ終わったし、知り合いいないから」

「ちょっと待ってて。一緒に帰ろう」

「いやでも」

「お願い。あと三十分」

 僕はその美しい笑顔にすぐに陥落した。

「わかった」

「じゃあ待ってて」

 知花は甘い香りを残して会場に戻って行った。また彼女と時間を過ごす事ができる。それだけでこの会場でDJをした意味がある。僕はDJの成功を忘れて寒空の下、知花を待った。

 しかし知花は三十分しても出てこなかった。結局、遊ばれているだけなのだろうか。今の自分と彼女が釣り合うわけがない。しかし遊ばれているだけだとわかっているのに、時間を過ぎても待ってしまう自分がどうしようもなく情けなかった。

 骨董通りを歩いて表参道の駅に向かう酔ったクラブ帰りの男達を眺めながら僕は一人で腰を浮かすタイミングを計っていた。すると一時間してやっと知花が出てきた。

「ごめんね。遅くなっちゃった」

 彼女の頬は赤く、かなり酔っ払っているのがわかった。佐々木と飲んでいたのだろう。しかし僕は文句を言う事はできなかった。とても待たされたと言うのに、知花の顔を見た瞬間に全て許してしまった。

「ねえ。家まで送って」

「いいけど、今日車じゃないんだ」

「じゃあタクシーだね」

 知花は骨董通りに出てすぐにタクシーを止めた。僕はレコードバックをトランクに入れ、タクシーに乗った。すると彼女が言った。

「かっこよかったよ」

「え?」

「DJ。やっぱりいいよね。やりたいことしてる人って」

「見てたんだ」

 知花が見ていてくれた。本当か嘘かわからない言葉に僕は喜びを噛み締めた。

「うん」

「ああいうパーテイーよく行くの?」

「たまにね。友達もいるし」

「そう」

 あんな有名人だらけのパーテイーに行って業界人に囲まれている彼女は、やっぱり住む世界が違う。でも、心のどこかでは自分の方があんな連中よりもいいと思わせたいと言う意地もあった。そして知花は今日の僕の姿を見ていてくれた。その事実がほんの少し自信を与えた。僕はなんの脈絡もなく知花の手を握った。すると彼女が笑って言った。

「ねえ。手、冷たい。冷え性?」

 意外な反応に僕は戸惑ったが手は離さなかった。

「違うよ。冷たいかな?」

 知花が両手で僕の手を包んだ。

「やっぱり冷え性だよ」

「そう・・・なのかな」

 すると、知花が僕の手を握ったまま、肩にその小さな頭を乗せた。彼女は瞳を閉じていた。どうしようもなくそのふっくらとした唇を奪いたくなったが、運転手が気になってできなかった。僕達はそのまま無言でタクシーの中の時を過ごした。

上目黒のマンションの前で二人でタクシーを降りた。知花は覚束ない足取りでマンションのエントランスの扉を開けると言った。

「寄ってく?」

 僕は喜びを抑えて頷いた。

 知花の部屋には家具はほとんどなく、ベッドもなかった。

「どこで寝てるの?」

 ソファに座った知花に聞いた。

「うん。このソファがベッドになるの」

「ああ。ソファベッドか」

 僕はさりげなく彼女の横に座った。するとまた知花が僕の肩に頭を乗せた。僕らはしばらく無言になった。すると知花が言った。

「ねえ。なんか話して」

「なんかって・・・」

 色々と考えていると佐々木の顔が浮かんだ。必死に振り払おうとしたが無理だった。僕は思い切って彼女に聞いた。

「佐々木さんとはいつから?」

「佐々木さん?撮影で知り合ったの。それからたまに遊ぶ友達かな」

「友達か」

 あんな歳上の男が友達なんて僕には理解できなかった。しかしさらに聞くことは許されないような気がした。それよりも自分には今のこの瞬間が大事なのだと言い聞かせた。

「なんか眠くなってきちゃった」

 知花が目を閉じた。今度は運転手はいない。僕は知花にキスをした。すると知花は少し笑って受け入れた。そして僕はソファに彼女を押し倒した。

 僕にとって、この日は最高の一日だった。観客の前でDJをして喝采を浴び、好きな女性と結ばれて・・・この時の僕は、ここから最高の人生が待っていると信じていた。特別な自分が歩むべき人生が。

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