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鎗ヶ崎の交差点  作者: 誠一郎
38/40

鎗ヶ崎の交差点㊳

年末年始が訪れた。例年通り知花の店は二十九日まで営業した。

また夫の実家に行ってしまうのではないか。あるいは、違う誰かと過ごす気かもしれない。僕は先手を打とうと十二月に入るとすぐに知花を誘った。

「年末年始、どこかに行かないかな?心太も連れて」

しかし知花から返って来たのは気の無い返事だった。

「まだ予定わからないから」

 それでも少しは時間をくれると期待をしていた。しかしいつになっても知花は返事を曖昧にして、予定を教えてはくれなかった。僕は苛立ちを募らせて彼女を急かした。

「どこか行けるなら、そろそろ予約したいんだけど」

「まだちょっとわからないかな。もしかしたら向こうに行かないといけないかもしれないし」

「もう行かないでいいんじゃない?」

「うん・・・・」

「わかった。行くなら仕方ないけど、大晦日と元旦くらいは過ごせないかな?心太も一緒に」

 もう数ヶ月、心太と会っていなかった。心太への愛おしさと共に、僕には彼に自分が忘れられるのではないかと言う不安があった。

 数ヶ月前、やっと心太は僕に呼び名をつけて呼んでくれた。それはお父さんとも、パパとも違う呼び名で「チッチさん」というものだった。

 三人で食事をしている時に、僕がトイレに行こうとすると心太に「どこ行くの?」と聞かれた。その時に僕が「チッチ」と答えたのがきっかけだった。知花がいつも心太をトイレに連れて行くときにそう言っていたのに習ったのだ。

すると心太が笑って僕の事を「チッチさん」と言い出した。知花も笑いながら「チッチさんってこれからは呼ぼう」と言った。それから、心太は僕をチッチさんと呼ぶようになったのだ。

 本当に嬉しかった。父親とは違う呼び名だったが、心太が僕を認めてくれたような気がした。しかし小さい子供の記憶は曖昧で確かではない。知花の気持ちが離れて、心太の記憶からも消えてしまえば、僕の存在は本当に無くなってしまう。

しかし結局、僕らは何の約束もできずに年末を迎えた。間にあったクリスマスにはどうにか会うことができた。二人で近くの居酒屋に行き、僕は知花に花屋の工藤に作ってもらった花束と生まれ年のワインをプレゼントした。知花は僕にフライパンなどのキッチン用品をくれた。僕はこのプレゼントの意味がわからず彼女に聞いた。

「なんでキッチン用品?」

「うん。自炊もした方がいいんじゃないかなって。いつも外食ばかりでしょ?」

「まあ、そうだけど」

 そしてその日も家には来ず「疲れているから」と言って帰って行った。

 そのプレゼントの意味に気付いたのは、少し経ってからのことだった。知花はもうその時には僕との別れを決めていたのだ。だから外食ばかりで自炊をしない僕にキッチン用品をくれたのだ。これから一人で生きて行く僕のために。

「ごめん。年末年始は一緒に過ごせない」

 二十九日の仕事終わりに届いたラインはあまりにも遅く、あまりにも悲しいものだった。 

 僕はラインを受け取ってすぐに電話をかけたが彼女は出てはくれなかった。あまりに苛立った僕は店に向かったがすでにシャッターは閉められていた。

「どこもいけないなら、もっと早く言うべきじゃないかな?それって常識的じゃないよね大人として。電話も出ないで卑怯だよ」

 この時の僕が頼れたのは、世間の常識と正論だけだった。そしてラインを送った後に訪れたのは自分の失策とどうしようもない後悔だった。

返信が届いたのは七草を過ぎた頃だった。

「ちょっと話があるの」

 別れ話をされることはわかっていた。

 僕は自分を抑えることができなかった。知花がそんな僕に失望しているのも理解していた。

 それでも僕は彼女を諦めたくなかった。やっと出会えた運命の人なのだと、この時でもまだ固く信じていた。だからこそ全ての過ちを認めようと決めていた。そうすればまたやり直せると。

 待ち合わせは知花の店になった。営業の終わった店に着くと、カウンターの中でまだ知花が掃除をしていた。

「ちょっと待って」

 僕はいつものカウンター席に座った。関係が悪化してから、しばらく店には来ていなかった。店内の炭とタバコの匂いが懐かしくて少し泣きそうになった。すると知花が片付けを終えてカウンターに座る僕の前に立って言った。

「あのね。もう終わりにしよう。私達は、そういうんじゃなかったんだよ」

 いつも僕を迎えてくれた柔らかい表情とは違う、強い意志を持った表情で彼女はそう言った。

 僕はその表情を見て自分の甘さを悟った。心のどこかで、まだやり直せると思っていた自分がどれだけ愚かだったかを知った。僕は全く可能性を感じさせない彼女の態度に焦り、懇願するように言った。

「そんな事言うなよ。俺は君の一番辛い時にずっとそばにいたし、立場として言ってしまえば不倫だったけど、短い時間の中で君を支えて来たんだ。それに俺達は十年越しにやっと再会できたんだし、育ちも似ているしきっと上手く行くよ。俺の悪いところは全部直すから」

 口から出たのは自分の彼女に対する功績ばかりだった。そんなものしか僕には彼女を説得する材料はなかった。

「感謝はしてるの。でももう無理なの。話し合って解決する問題じゃなくて、もう恋愛じゃなくなったの」

 決定的な言葉を告げられた僕にはもう何も返す言葉がなかった。さらに知花は僕を哀れむように見つめて言った。

「ごめんね」

 僕はいたたまれなくなって店を出た。この後、僕が情けないメッセージをラインで何度も送っても、知花は見てさえもくれなかった。とても近くの、見える街に住んでいるのに僕は彼女に会えなくなった。

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