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鎗ヶ崎の交差点  作者: 誠一郎
36/40

鎗ヶ崎の交差点㊱

「別居することになったの」

 彼女がそう言った時、僕はやっと事が進展したと喜び、これから先の二人の未来を勝手に描いた。そして当たり前のようにこう言った。

「じゃあ一緒に住もう」

 しかし智花は喜ぶことなく、昔のように遠くを見つめながら言った。

「まだ離婚するわけじゃないし、ちゃんと自分で生活していけるようにならないと」

 彼女の言うことは正論だった。でもまるでこれから先も心太と二人だけで生きて行くことを決めたような口ぶりに不安を感じた。自分がその未来には入っていないような気がした。

 しかし本音は言えなかった。僕は知花に「ずっと待っている」と言ったのだ。ここで焦って彼女に決断を迫るようなことはできない。

「そう。じゃあ、引っ越し祝い、何がいい?」

「いらないよ」

「いや、でもせっかくだから」

 僕は知花の新しい部屋に自分の痕跡を残したかったのかもしれない。離れて行こうとしている彼女の生活の中に、僕が関わったものを置いて存在を忘れられないようにと。

 知花は店にほど近い山手通り沿いのマンションを見つけて引っ越した。そして僕は彼女の要望通りに炊飯器を送った。

 相変らず彼女の店は繁盛していた。週末は必ず席が埋まっていてそれに連れて知らない男性客も増え、彼女に声をかける姿も度々見かけるようになった。僕は不安だった。離婚をしていなくても、別居をした彼女に生まれた自由な時間に、他の男が入り込むのではないかと。

 少し前ならそんな事は考えもしなかった。しかし僕は嫉妬から余裕を失っていた。店で酔った客に話しかけられても知花と上手くいっている時は気軽に対応できたが、この頃は話すことさえせず無視をするようになった。そんな時は彼女が割って入った。その時の自分を見る智花の表情に気付きながら、僕は自分を変えることができなかった。

 頻繁に会っていた時は店に行っても帰って彼女を待っていたが、この頃には他の男性客が気になって閉店まで店に居座るようにもなった。

やがて知花は僕の家に来なくなった。会っても酒を飲むだけで夜明け前に帰るようになった。 

 寂しさと惨めさの中で僕は一人の部屋で朝を迎えて、また次の土曜日を待った。どうにか知花の気持ちを向かせようと会う度に花やプレゼントを渡したりした。最初は喜んでくれたが、あまりにそれが続くと知花は喜ばなくなった。その表情を見る度に、僕はどうしたらいいかわからなくなった。

 ある日、何気なく彼女が言った一言にも僕は過敏に反応した。

「この前、家の電球切れて、お母さんも届かなかたから、マサルくんに家に来てもらって電球変えてもらったの」

「へえ」

 僕はその瞬間に嫌な表情を浮かべてしまった。マサルというのは店の従業員だ。今思えば、電球ごときで僕を呼ぶこともなかったのだろうし、近くにいたから呼んだだけに過ぎなかったのだろう。

 しかし、僕はそう捉える事ができなかった。まだ自分も行った事ない家になぜ他の男を入れるのかと不快さを露わにした。

「そんなの俺を呼べばいいじゃないか」

 語気が強くなってしまっていたのはわかっていた。そして知花の僕を残念そうに見つめる表情に気づいてやっと自分の失態に気付いた。

 僕は全てを受け止めようと、受け止めるのだと何度も自分に言い聞かせた。しかし押し止めようとどんなに試みても、一人の時間に浮かぶ様々な想像の中に生まれる嫉妬に抗うことができなかった。

 もしかしたら店終わりに常連のあの男と。僕と行ったバーの店員と・・・。会う時間がなくなればなくなるほど、その想像は大きくなりやがてとらわれて抜け出せなくなっていた。まるで十年前と同じように。

 知花がそんな僕に幻滅をしながらも関係を続けたのは、自分の置かれている状況や立場に僕が必死にもがいて合わせようとしているのがわかっていたからだろう。しかしそれはいわば、情だった。もはや僕達の関係は恋愛ではなくなっていた。

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