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鎗ヶ崎の交差点  作者: 誠一郎
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鎗ヶ崎の交差点㉝

 一月には僕の誕生日があって、知花が家に来て祝ってくれた。彼女はいつか僕が何気なく新しい財布を探している、と言った言葉を憶えていて黒い二つ折りの財布をプレゼントしてくれた。

 僕がすぐに中身を移そうとすると膨れて「少しは眺めてよ」と言った。僕は「ごめん」と謝りテーブルに置いて財布を眺めた。すると知花が笑いながら僕の背中を叩いた。

「なんか待てって言われた犬みたいだね」

「犬って・・・」

「うそ。おめでとう」

「ありがとう」

 僕は彼女を抱く時に「愛している」と言い、いつものように彼女はただ微笑んでいた。

 朝方、帰りのエレベーターでまた知花が「おめでとう」と言ってくれた。僕は彼女を抱きしめて「幸せにする」と言った。知花は静かに頷いて自転車に乗って八幡通りを下っていった。寒い一月のこの朝の幸せを僕は記憶から消すことができない。

 僕達は必ず金曜日と土曜日に会い、少ない時間と限られた場所の中で幸せに過ごしていた。日曜日には心太とも遊び、彼は僕に少しずつ慣れていった。

 ある日曜日には家に帰りづらそうな知花と心太を部屋に招いたこともある。その頃には、知花と夫の中は完全に破綻していて、夫は知花を罵倒するようになっていた。

 三人で心太の好きな機関車トーマスのDVDを見て、ピザを頼んでビールを飲んだ。そして僕のベッドで心太は眠った。僕達は新太の寝顔を見ながらキスをした。

その帰りに部屋の合い鍵を渡した。

「何かあったら自由に使っていいから」

 すると知花は大事そうに鍵を握りしめ僕に抱きついた。心太はベビーカーで幸せそうに眠っていた。

 僕の仕事も順調に進んだ。出戻りだったが、入社してすぐに昇進の話もあった。知花と心太との日々があるおかげで、僕にやっと人並みの責任感が生まれ、今までのように適当に仕事をすることがなくなった事も要因だったのだろう。

 二人のために。将来の二人との生活を守るために。僕は初めてやりがいを感じながら仕事に打ち込むことができるようになった。

 何の疑いもない完璧な日々だった。こんな日々のために十年前に僕らは別れ、再会したのだと確信できる毎日だった。しかし僕はその幸せを自ら壊してしまった。このまま、穏やかにただ知花を待っていればよかったのに。

ある土曜の夜。僕は十二時を過ぎると近くのスタバに行き、本を読みながら知花を待っていた。

 毎週のように通うようになったおかげで、スタバの店員の多くと親しくなった。彼らは、代官山に住んでいる僕を何かで成功した人間と勘違いしているところもあり、とても親切に接してくれた。

 僕は知花とうまくいき、仕事にもやりがいを感じていることもあって、少し引け目を感じながらもその期待にのって若い店員に偉そうに将来のアドバイスをしたりしていた。まるで自分が成功者のようで気分は悪くなかった。全てが順調に進み、思い上がっていたのだろう。

 深夜一時に店が終わり片付けをして、二時前には知花から連絡がくる。その連絡が届くと、どこかに出かける時は僕が店に彼女を迎えに行き、家で過ごす時は彼女が自転車で僕の家に来る。その日もそうやって一緒に朝を迎えると思っていた。

 しかしその日はいつもの時間になっても知花から連絡はなかった。忙しいのだろうとしばらく待ったがやがて深夜二時を過ぎてスタバが閉店の時間を迎えても状況は変わらなかった。

 僕は仕方なくスタバを出て鎗ヶ崎の交差点を渡り坂を下り、知花の店に向かって歩いた。やがて店のある路地にたどり着いたがさすがに店には向かわなかった。まだ仕事をしているかもしれない彼女を急かすようなことはしたくなかったし、いずれ連絡は来るだろうと安心しきっていた。 

 路地を通り過ぎて川沿いをあてもなく歩きながら連絡を待った。深夜の目黒川沿いは人通りが少なく暗闇も深かった。

 僕は川面のかすかな水の音を聞きながら、幸せな妄想にふけっていた。このまま僕達はきっと上手く行くだろう。知花は離婚をして、僕と結婚をして。二人で中目黒に住んで。もう少しで十年越しの想いが成就する。この瞬間まで僕は知花との未来に疑念を持っていなかった。

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