十二話 はじめての“なにか”
わたしは、なにもわからない。
いつからといわれても、それもわからない。
あたまのなかにあるのは、いつも“まっくろ”だけだった。
でもたまに、“あたたかい”がうごくことがある。
ぎゃくに“つめたい”もうごいたりしていた。
それだけが、わたしにはわかった。
だからちかづかないでいた。だってとてもつめたいから。
しかし色んな“あたたかい”や“つめたい”がうごいたり、わたしがうごいたりすると、こんどはおなかがつめたくなる。
“なにか”をくちにいれなければ。
でもなにを?あの“あたたかい”を?
それはつめたい。わからないからつめたい。
しかしちかづかないと、わからないは、わからないまま。
わたしはむねがつめたくなるのをおさえて、うごかない“あたたかい”にちかづいてみた。
この“あたたかい”をくちにいれたら、むねのつめたさもなくなるだろうか?
そうおもったわたしは、この大きな“あたたかい”をいつものところまでひっぱった。
とてもたいへんだった。わたしまで“あたたかい”になったかのようだった。
この“あたたかい”は、はじめてのことで、わたしはほかの“あたたかい”がちかづいてくるのがわからなかった。
───────!────────────!!!
“なにか”があたまのなかにはいってきた。
それは“あたたかい”でもなく、“つめたい”でもないべつの“なにか”。
むねがあたたかかった。“なにか”はべつにあたたかくも、つめたくもないけれど、それがあたまにはいることで、わたしのむねはあたたかくなる。
──もっといれてほしい。もっと、もっと!
わたしが“なにか”のつづきをまっていると、こんどはもっとおおきな“あたたかい”がやってきた。
この“あたたかい”も、“なにか”をいれてくれるのだろうか?
すこしだけ、むねがあたたかくなったが、おおきい“あたたかい”は、けっきょく“なにか”はいれてくれなかった。
ぎゃくにちいさい“あたたかい”は、もっとちいさい“あたたかい”を、わたしにちかづけた。
そういえば、おなかはずっとつめたかった。
わたしは、もっとちいさい“あたたかい”をくちにいれてみる。
するとわたしのおなかは、すこしつめたくなくなり、そしてまたあたまのなかに“なにか”をいれてくれた。
そうか、“あたたかい”をくちにすると、あたまのなかに“なにか”をいれてくれるのか。
そうとわかれば、わたしはだされた“あたたかい”をくちにした。
そして“なにか”が、あたまにはいりこむ。
“つめたい”をだされたこともあった。
それもくちにしたら、あたまのなかに“なにか”をいれてくれた。
“あたたかい”、“つめたい”をくちにすると、“なにか”をくれる。
わたしはずっとくちにしつづけた。
けれども、“なにか”をいれてくれる“あたたかい”は、たくさんの“あたたかい”“つめたい”をおいて、とおくへいってしまった。
おいていかれた“あたたかい”を、くちにしてみる。
“なにか”はあたまのなかにはいってこなかった。
なんで?どうして?“あたたかい”をくちにしたよ?“つめたい”をくちにしたよ?
──ほしい。“なにか”がほしい。
わたしのなかにない、“なにか”がほしい。
ほしい、ほしいよ。ほしい、ほしい、ほしい。
──もっとくちにしないと。
“あたたかい”“つめたい”をくちにしないと。
そうすればまた、あたまのなかに“なにか”をいれてくれる。
すべてをくちにしよう。
そして“なにか”も、くちにするのだ。
そうおもったとき、まわりの“あたたかい”“ちいさい”がちいさくなった。




