三十話 後日談
「ん........」
目が覚めた。
いつも通りの朝だとルエは感じた。ただ、今日は夢を見なかったなと思っただけで。
ちらりと、近くの時計を見る。時計の針は十時過ぎを指しており、少し寝過ごしたと、働かない頭でルエは思った。
「あれ、そういえば........」
昨日は何をしていただろうとルエはふと気付いた。記憶には霧がかかっているような感覚で上手く思い出せない。
「たしか........」
一つ一つ、順番にルエは思い出していく。
昨日は私の誕生日で、皆と遊んでいて。
クネスが魔物狩りで遊ぼうって言って、ネキロムと一緒に隠れて、そして悲鳴を聞いて――、
「あ........」
ルエは思い出した。自分が置いていかれ、ネキロムが騒ぎの方向へと、クネスを探しに行ったこと。
「ネキロム!」
思い出したルエは、自身のベッドから跳ね起き、すぐさまネキロムが愛用しているベッド、もとい編み籠の中を覗く。
今はまだ昼前。普段のネキロムならまだ寝ている時間だ。
しかし、編み籠の中には一枚の毛布が無造作にあるだけで、友達の姿はなかった。
「っ!?」
いつもの光景が少し違っただけで、こんなにも嫌な気持ちになるのは何故なのか。
まだ幼いルエにとってはわからない事だったが、胸の奥では、ネキロムを見つける事が一番最初に行う事だと理解していたため、寝間着姿のまま自身の部屋を飛び出す。
「きゃ!?」
「おっと!」
「お嬢様?」
途中途中、雇われている侍女たちにぶつかりそうになりながらも、そんなことにはお構い無しに、ルエは屋敷中の部屋を見て回った。
客間、脱衣場、露台――。
だがしかし、ネキロムの姿は何処にもいなかった。
いや、きっと変なネキロムのことだ。普段は行かない部屋にいるのかもしれない。
そうルエは思った。
書斎、厨房、両親の寝室――。
いない、何処にもいない。
走り回ったせいなのか、それとも別の何かのせいなのか、ルエの胸の鼓動は早鐘を打ち、額には汗が流れ落ちる。
(『ふっ、灯台もと暗しよのぅ。こんなに近くに俺がいたってのに』)
しかしルエの脳裏に、あたかも神様が教えてくれたかのように、とある言葉が思い浮かんだ。
じれったい暗き時間の中に、縋れる光を見つけたルエは、すぐさま自身の部屋へと戻る。
今度は編み籠だけでは無い。
衣装棚の服を取り出し、ベッドの毛布を捲り、飾ってある絵画まで外して部屋の隅々を探し見た。
――それでも、ネキロムはいなかった。
荒れた部屋の中、ルエは呆然としていた。
「なんで......なんで......」
どうして何処にもいないのか。
あの日、エマ先生が来た日から。
ずっと一緒だったのに。
理解が追い付かず、何もかもが判らなくなってしまったルエは、おぼつかない足取りのまま自身の部屋を後にした。
ふらふらと屋敷内を歩き回り、気が付くとルエは、無意識に客間の扉の前で立ち止まっていた。
客間は初めてネキロムと出会った場所。
先程も室内を見たが、ネキロムの手掛かりが何も無い今、ルエはもう一度、その扉を開かずにはいられなかった。
把手を握り、引き開ける。
そして部屋を覗き込むとそこには、
「お父さん、お母さん、先生........」
ネオクロ、ノーサ、エマの姿があった。
呟いた声が聞こえたのか、三人はルエのの方を振り向く。
「ルエ......起きたのか」
ネオクロの口から躊躇いの混じった言葉が漏れる。しかしそれが何を意味するのか、ルエにはまだ判らない。
判らない故に聞いてしまう。
「お父さん。ネキロムは、どこ?」
言って欲しかった。
頼れる父に、優しい母に、尊敬する先生に。
非力な私では見つける事の出来なかった友達の居場所を。
“ ネキロムなら、○○にいるよ”
ただそれだけでよかったのに――、
「......ルエ。残念だが、ネキロム君とは、もう会えない」
現実は非情だった。
「......え?」
「クネス君から聞いたよ。牛の魔物から自分を庇って魔物と一緒に西の森の中へ消えていった、と」
罅割れる音が聞こえる。
大好きな父の声を聞いている筈なのに、頭の奥ではピシリと不快な音が鳴り響く。
「ルエ。たしかにネキロム君は普通の兎とは違う。頭も良いし魔法も使えていた。しかしそれでも、力には限界というものがあってしまう」
聞きたくない。止めて。うるさい。
(違う、そうじゃない)
そんなこと言わないで。
(それを言って何になるの?)
否定の本音と冷静な理性がせめぎ合い、ルエはどうすることも無く、ただ淡々とネオクロの言葉を聞いてしまう。
ネキロムのお陰で、クネスも街の人達も無こと。
事情を聞いて、すぐ家の兵士と一緒に森まで探してくれたこと。
しかし、ルエが聞きたいのはそんなことでは無かった。
だが――、
「私たちが見つけることが出来たのは、この首飾りだけだった」
ルエが望む言葉は聞こえず、目に映るのは乾いた血が付いた銀の兎。
――ルエの頭の奥で、壊れた音が響いた。
ルエは咄嗟に首飾りをネオクロの手から奪い取ると、自身の部屋へと向かって、一目散に走り出す。その後ろ姿を追って来る者は誰もいなかった。
「......いいんですか?ネオクロ先輩。ハッキリとルエに伝えてしまって」
「隠して何になる。私は、いつか分かってしまう嘘など嫌いだ」
「でも――、」
「私だって!!」
ネオクロは声を荒らげる。いつもの穏やかで冷静な表情では無い。怒りの表情だ。
「......すまない。感情を抑えきれなかった」
「いえ......、私の方こそすみません」
「......私だって、こんな結末は不本意だよ。だが、こうなってしまった。そして私は、こんな結末を迎えさせてしまった私自身の無力さが、とても憤ろしい」
ネオクロの握り締める拳には、とても力が入っていた。
しかしその後、額に手を当てる。
これは幼少の頃から、ネオクロにとっての考える時の癖であった。
(しかし、何故このゼットリーに白雪牛が出た?アレはもっと北の山岳に住む魔物のはず。それに魔物払いの結界も効いていなかった。異常過ぎる事態だ。やはり王国であった首脳会議での――)
ネオクロの思案は続く。
その姿を見たノーサとエマは呆れた表情を浮かべる。学生時代の頃も、こうした光景は何回も見た事があるからだ。
「はぁ……エマ、私達はルエを慰めに行きましょう?あの娘、誰に似たのか知らないけれど、落ち込んじゃうと部屋から出なくなっちゃうのよ」
(うわぁ、やっぱり姉さんの子供だなぁ……)
「エマ?」
「あっ、はい。やっぱり親子だなぁって」
「……?まぁいいわ。私、あの娘の好きなお菓子を取りに行くから、エマは先に行っててお話しでもしててちょうだい」
「了解です、じゃあ先に行ってますね」
そういってノーサとエマも客間を後にする。
その際、ネオクロには何も声を掛けず出ていくことから、竹馬の友な関係であると伺えるだろう。
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所変わってルエの部屋。
散らかされた衣類等は片付けられておらず、ベッドの毛布が人型に膨らみ、少しだけ蠢いていた。
どうしてこのような結末になってしまったのだろうか。ルエはそう思う。
今日が私の誕生日だったから?
――違う。
お父さんや先生が居なかったから?
――違う。
外で皆と遊んだから?
――違う。そうじゃないでしょう?私。
こうなった理由を考え、否定していく私を窘める“私”が現れるのをルエは感じた。
実際はベッドの上で包まっているのに、もう一人の“私”が目の前にいるかのように感じられる。
そのことにルエは、特に疑問を抱く事もなく、“私”をわたしと理解しながら“私”に問い掛ける。
(じゃあ何がいけなかったの?)
――あはは!おかしな事を言うのね。“私”が貴女だってことに気付いているのに、そんなことを“私”に質問をするの?それって馬鹿のするじゃない?
“私”が言うことにルエは言葉が詰まる。
考えを言葉に出来なかった訳では無い。ましてや、自身の問い掛けに答えもせず、自身を馬鹿と言われたことに驚いた訳でも無い。
ただ、本当に目の前の“私”の言う事が正しかったから。それだけである。
ルエは分かっていた。誰が悪くて、何がいけなかったのか。
「私が、弱かったから........」
思ったことが自然と口から漏れる。自分で言ったのか、“私”に言わされたのか。そのどちらであったとしても、その言葉は今のルエの本心であった。
強ければネキロムに邪魔と言われることもなかったし、逆に迷宮の時みたいに一緒に協力出来た筈なのだ。弱かった私が悪い。
どうしようもない現実。
紛れも無い真実。
覆ることの無いこの結末は、ルエにそう思わせるだけの喪失感があった。
――だから“私”がいるの。
ルエと同じ黄金の瞳が互いを覗き込む。
あわせ鏡のように、互いに互いを映し合う目は、何重も瞳の輪を映しながら永遠に続いていく。
ゆっくりと“私”の手がルエの頬を触れると、言葉は続いた。
――“私”は“力”。私の両手から零れ落ちる砂を受け止める、もう一つの手。これで今度は、お父さんもお母さんもクネスたちも、未来の友達も、ぜんぶ、守ってあげてね。
コンコン、とノックの音が部屋に響く。
「ルエ、いるか?入るぞ?」
ノックの正体はエマであった。先程ノーサと別れてから一直線に来たのだろう。扉が開かれ、中を覗き込もうとしたエマは、ルエとぶつかりそうになる。
「おっと、ルエ。大丈夫か?ネオクロ先輩もああは言っていたけど――」
「先生」
エマは目を見開く。
先程泣きそうだった女の子が、これほど強い表情をするのかと。
「私に魔法を教えて下さい」
黄金の瞳は、決意と覚悟で輝いていた。
くぅ〜疲w
とりあえずこれで一章終了です。
不定期なので次章は早ければ早いし、遅ければ遅いです。




