爆走そして到着
爆走そして到着
朝、起きた。目覚ましはまだ鳴っていない。
時間を見てみると、3時3分。うげ、変な時間に起きてしまった。
薄暗くなった広い部屋を眺める。起きている人は見当たらない。廊下の通りが明るくて、近くで寝た人は寝づらかったろうな、と思いながらアイマスクと布団代わりにしていたシャツを置いてトイレに行く。
目は冴えてしまっている。これから寝なおすのは難しい。それにもう一度寝てしまったら、それこそお昼ごろに目が覚めてしまいそうだ。出発する予定だった時間は5時。あと2時間どうしよう。時間を潰すために風呂にでも入ろう。そう決めた。
トイレからそのまま風呂場に行く。人気のなさに嫌な予感を感じて服を着たまま風呂場をのぞく。すると、掃除中という三文字が飛び込んできた。どうやら3時から5時までの間は利用できないようだ。
24時間営業の文字に騙された! なんて思いながらうんざりとする。これじゃあ、5時まで待っても出発が遅れてしまう。
ロッカーを前に僕はジッと考える。い、行くか。戸惑いながらも出発する事を決めた。
睡眠は5時間は取ったはずだ。寝不足がどのような形で今後に影響するだろうか、と心配になったが、もう寝る選択肢はなかった。
そうして、昨日の雨で濡れたのが乾いた服をビニール袋に入れて奥の方に詰めなおして、昨日の経験から頻繁に取り出すものを鞄の上の方に入れなおした。お店の服も代えて、今日の服を着る。
高校の部活の時に着ていた発汗性のある黄緑の蛍光色のシャツに寝間着の様な半ズボンを着る。青いタオルを頭に巻く。恰好が少し奇抜な事に気付いたが、夜に走るのだし、目立つ方がいいだろうと納得させた。そうして、僕は改めて必要な物を確認して、問題のない事を確かめるとカウンターに向かった。
暗いカウンターで眠そうにしている店員にお礼を言ってお会計を済ませた。
ロッカーから昨日使っていた泥だらけのサンダルを運動靴に代えて鞄に詰める。
(必要ないと思って説明していなかったけれど、運動靴も持って帰る物の一つだった。サンダル(かかとまであるやつ)で東京に帰って、サンダルは長野に送る荷物と一緒に送る予定だった。しかし、一日目のひどい雨を鑑みて、これじゃあ靴が重くなってしまって次の日に響くだろうと思っていたのだ。だから峠の下りでブレーキをかけていたのはサンダルだ)。
準備が完了した僕は自分の体がだるくない事に驚いた。おばあちゃんのあの張り手の効果だろうか?
ルートも確認した。そして、ついでにお世話になったお店の写真を撮ってツイッターに挙げて出発した。
まだ日も登っていない真っ暗だ。通る車は少なく、ほとんどがトラックだ。歩いている人もいないこともあって歩道を走らせてもらう。
朝の肌寒い風を感じながらびゅんびゅん飛ばす。それはもう自分でも驚くほどだ。昨日必死になって漕いでいた坂に比べれば、平坦な道なんかなんとでもない。
15分飛ばして4キロ進んだ。つまり時速16キロだ。たぶん早いと思う。しかし、どうして距離を知る事が出来たのか。看板でもなければ、ナビ用にスマホをハンドルにつけているわけでもない。
実はある事気づいたのだ。
それは地蔵様におはようございます、と挨拶をして、20メートルくらい走った時だった。
僕は、キッと自転車を止めて、シャツを忘れた事にしばし意識を失いかける。
まじかよ……20メートル後ろの地蔵様を恨めしそうに眺めて、気づかせてくれてありがとうございます、でももっと早くですね、なんて不敬な事を思った。
あのシャツは席を取るために置いておいたんだった。深夜で誰もマットレス欲しさに取るなんて事しないのに。まだ寝ぼけていたのだろうか。
出鼻をくじかれた僕はしばらくそこにいた。
そうして、あのユニクロで買ってもらったかした思い入れの薄いシャツを思う。ちなみにシャツも薄手のものだ。僕はうーん、うーんと唸って、スマホで距離を見てがっくりとする。
実際に4キロというのは、その程度いいじゃないか、と思われるだろうが、甘い。甘すぎる。僕が一日目に食べた菓子パンよりも甘い。4キロを15分で走った僕の体は若干疲れている。しかも戻るという作業は一度見てきた道を後2回見なくてはならない。精神的疲労もあるだろう。それに、4キロ戻るだけでなく4キロさらに進んでやっとここまで来れるのだ。
それはおよそ10キロ今日の行程が伸びる事を意味していた。10キロを進む大変さを知っているからこそ、すごく悩んだ。だって昨日あんなに疲れて100キロほどだ。それが110キロになる(標識や地図のルートは94、94くらいだが)。
しかし、僕は、こうも思った。今日早くに目が覚めてしまったのはあのシャツの為の早起きだったのではないだろうか? 超飛躍的な妄想をし始める。もし、このことを教えてくれた地蔵様の言う事をないがしろにしたら、8キロ早く進んでしまったが故に事故が起きてしまうのではないだろうか、と。
僕はふぅーと思いため息をして、自転車を反転させた。あの思い入れの薄いシャツも一日目ここまで一緒に来た仲間だ。どうして、ここ山梨に捨て置いていいものか、いやだめだ。僕は戻る事にした。
少しでも違う道を走るために先ほどの右側、今でいう左側の道で走る。
いいさ、このまま牛丼屋にでもいって、朝ご飯をたべようじゃないか。そんな事を思いながら戻る。気分的にも落ちていたのか、スピードは中々上がらない。
黙々と走って、なんとかお風呂屋に着く。大きなトラックが入り口のそばに止まっていて、新鮮なタオルがいっぱいに積まれた背の高いカートを店に入れていた。
自転車を止めると汗がどっと染みだす。カウンターに断って、中に入らせてもらった。相も変わらず寝ているお客さんの間を縫って行ってシャツを手に取る。
さっさと戻って、自転車に積む。前の籠にはいつでも雨が降って良いようにカッパを置いてある。
そうして、ふぅ、二度目の出発か、なんて呟きながら再出発した。
頑張って自転車を漕ぐが、目の前には先ほど走った道だ。楽しくない。淡々と漕ぐ作業に徹する。そうして、お地蔵様の所でお礼を述べて通り過ぎる。
時計を見てみると4時ちょっと前だ。あーあーなんて思いながらも平坦な道に感謝した。勾配が少しでもあったら、わからなかった。
しばらく進むと車道と歩道が分かれている。車道の方は、登ってはおり手を繰り返す。たぶん国道を邪魔しないように横断する道の上を通れるようにしたのだろう。
僕はそんな車たちをしり目に平坦な道を進む。左右に横断する車は早朝のため、見当たらない。信号が赤でもわたってしまう。そうして、再び上って降りてきた車たちに会うも、すぐに彼らは上っていく。もし、歩道がなかったらきつかったな、羨ましいだろう、と思いながら車に笑いかける。
辺りの雰囲気は調子を取り戻したように田舎になっていく。自転車のライトが道を照らしている。朝の感覚なのに夜っぽくて不思議だ。
そうして、どんどん進んで行くと、歩道、もとい車道が二つに分かれている。僕が進んで来た方は左に大きくカーブしているのが分かる。そうして、僕はなんとか右の直線の方に行こうと思ったけれど、高速を走っている様な車たちとガードレールの間に行く勇気がない。とりあえずスマホを開いてルートを確認すると、遠回りだけれど、安全に行けるそうだ。スマホを信じて、左に曲がる。右に曲がったりして、大通りが見えてホッとする。
そうして、20号線の標識を確認して自転車を進める。気づけば、本当に辺りは田んぼだけだ。建物が一切なくて、遠くにそびえる山々が見える。それらの頂は淡いエンジ色に照らされている。
徐々に明るくなってきた事に初めて気づく。そうして、それを照らしているだろう、東の方を見る。雲の間からほんの少しだけ顔を出している。たぶん、雲がなければ日ノ出だろう。しかし、雲にさえぎられた光は辺りを優しくゆっくりと、朝を告げている様で、静かだった。
仕事に向かうだろう車が増えてきた。夜は完全に開けた。時間を見てみると6時前だ。
あ、朝ごはん食べ忘れた。口の中はもう牛丼の味だ。どの牛丼屋さんでもいい。次のを見つけたらそこに寄ろう。そう決めた。
川沿いに出た。広い空間に落ち着いた川は細く見える。
昨日の雨が引いたのだろう。釣りなんかをしている人もいた。川は森の様にうっそうと緑が茂っている。僕は立ち止まって、写真を撮った。
後日、見ようと思ってカメラとスマホを手にしたけれど、見つからなかった。軽いホラーだったけど、たぶん撮ろう撮ろうと思って、撮った気になったのだろう。
そうして、しばらくその道を進むと、山梨の市役所について、とりあえず万歳をして喜んだ。ルートを見てみるとずいぶん進んでいる事が分かる。ここ以降は田舎の風景を眺めながら黙々と進んでいた。たぶん、平地で嬉しかったのもあると思う。
しかし、坂道でもギアをマックスにして、何も考えずにただただジャカジャカと自転車を進めた。奇抜な恰好で無表情でそんなことをしていたものだから車に乗っていた人は驚くか、気味悪がったろう。構うものか、と進んでいた。
このころになると慣れたもので、一つ一つの所作がなんか慣れていたと思う。恰好と乗り物以外はプロっぽい! みたいな。
そうして、休憩も取らずに韮崎を突破した。(市役所と韮崎どちらが先だったか忘れてしまった。山梨県民いたら教えてください。←ggrks)
ラインを見る限り、韮崎突破辺りできれいな景色を楽しみながらコンビニによって、牛丼を食べた。そこまで一切牛丼屋がなかった! あるいは見逃した。朝ごはんとアンパンを買って、飴玉を口に放り込んで出発。
記憶が薄い。たぶんずっと無心で漕いでいたのだろう。
そうして、次に休んだのは富士見町手前の坂道だった。そこでは坂を上っていたこともあって、風呂屋を除いてこの帰省で一番長く休憩したと思う。
なにかの競技の選手は炭酸抜きのコーラを飲んで糖分を摂取する事を聞いたことがあった。それをやってみたいのもあったけれど、無性にコーラを飲みたくなって買う。もちろん水も一緒に買った。
この日は雨続きの東京ではなく、山梨であったこともあって、天気はすこぶるいい。しかし、日が照っていて、体中が必要以上に熱い。水を頭からかぶった。それにあの恰好の悪い麦わら帽子もしていた。それでもむき出しの腕までは守ってくれない。むき出しの腕が日に焼けて、真っ赤になっている。久しぶりに日に焼けたな。
コンビニの影で、周囲を飛び回っているスズメをぼーっと眺める。体が重い。
文章が書くのが面倒になってかなりの距離を飛ばしたように見えるかもしれないけれど、2日目はなんだか記憶が曖昧だ。一心不乱に漕いでいたのが原因で、その原因は平坦な道が多かったからだろう。
どのくらいいただろう。たしか、7時になったら出ようと思っていた。よく考えるとすでに4時間走っていたのだ。疲れて当然か。
このあたりになると、おじいちゃんおばあちゃん家がある諏訪湖周辺までの距離が標識でも表示されている。諏訪まで30、40くらいだろう。それを見て元気が出てくる。もう少し進めば休める! (事前におばあちゃん家に寄らせてもらう事は伝えていた。時間によっては泊まらせてもらおうなんて思っていた。)
せっかちな性格も影響したのだろう。その後の僕は鬼のように距離を進めたと思う。体は重くても、坂があっても構わず立ち漕ぎで地面を後ろに追いやった。
しかし、富士見手前が一気に標高が高くなるのか、坂がかなり多くなってきた。平坦な道で時間を稼いでいたので、きついときはちゃんと休憩をとった。山の道をずーっと進んでいくと、ようやく下り坂になった。田舎の田園風景の典型を眺めながら自転車を漕がずに進む。
ここで自分の顔が無表情だという事に気付いた。下り坂になって余裕が出てきたのか、ふああぁなんて叫びながら下る。若いイガグリを避けたりするのも楽しくなってくる。
地元のロードの人か、練習中なのかが道を挟んで右手側に見えた。僕の荷物が見えたのか、疑問符付きで挨拶を返してくれた。複雑な気持ちになったけれど、仕方ない。こんな格好でママチャリなのだ。
ここからは無心で走る時間だ。ほとんど覚えていない。
坂が急でつらい事と、燦々と降り注ぐ太陽に汗を流していた事は思い出せる。
しばらく進むと、田畑が終わり、山が目の前に広がった。
嘘だろ、嘘だろ、僕は坂を横から見る形でそれにため息をする。自転車を止めてみる。道なりに行くと大きく左に曲がってその坂を上っている。坂を真横からまじまじと見る事が初めてだったこともあって辛くなる。ぐちぐちと愚痴を漏らしながらそこへ向かう。
しかし、どうだ。坂を上り始めてみると勾配はそこまでない事に気付いた。なんだよ、見掛け倒しかよ。ギアをいっぱいにして坂を上って右手に曲がる。
すると、僕は唖然とした。
唖然とすると口をあんぐり開けて、そこにたたずむ、というイメージがある。けれどもちろん僕は自転車を漕いでいるわけで、力を入れるために歯を食いしばっている。多分、面白い顔をしていたと思う。漕ぎつつも目を衝撃で開けていたんだろう。
目の前に広がっていた光景はまさに壁。
壁の様な坂がそこにはあった。そして、感覚からして、その先の右手に折れた道も坂だとわかった。この時にはそこから先が平坦か坂道か下りか、わかってきていた。
壁の様な坂に対してギアを幾つか落とす。しかし、苦しくなっても僕は足を止める事なく果敢に挑戦した。体はハンドルを超えている。勾配がある事を物語っていた。少し重いギアでも軽くはしない。足が生きている間は進む量を減らしたくない。
目標は大きく左に空間があり、食事処があるところだ。
マニュアル車でこんなところに駐車したくない。ギャリギャリとチェーンが回る音がやけに大きい。水は先ほどなくなっていたから、食事処にある自販機しか見えていない。
そして、足に力が入らなくなって、くそっと吐き捨ててギアを下げる。ゆっくりとだが前に進む。もう意地だった。一人で黙々とやっていると変な所で自分を試すような事をするのだ。
絶対にオートマ車である車が止まっている辺りまで来た。
後30メートルと言ったところか。車で眠っているおじさんをしり目に体重をかける。もう足には力が一切入らない。奇怪な動きで体重をペダルに乗せる。そうして、ようやく自販機のあるところまでついた!
リズムを取っていた息が一気に崩れる。ハァハァッと息を切らして自転車を転がらないように止める。水飲みたさに足を引きずって自販機に。財布がない事に気付いて鞄から財布を取り出す。買うのはもちろん水だ。お釣りを取らずに水を口にする。ふぅーっとひと心地着いたところでお釣りを取って登ってきた道を見た。
スキー場でいう、一番上のコースくらいの勾配はあるだろうか。ものすごい坂を上ったなぁと感嘆して頭から水を被る。冷たくて気持ちいい。
このころはおばあちゃんに教わった張り手を忘れていた。頭が働いていなかった。ポケットに入ってる飴をポンッと口に放り込んだ。飴の舐めすぎで舌が痛い。構うものか、糖分を寄越せと言わんばかりにアンパンも口に入れる。飴を頬に避難させて咀嚼する。
炎天下だ。アンパンはぬるいと言うか、変に熱を含んでいて、あまりおいしくない。
カッパは前の籠に入れたままだ。水をいつでも飲めるようにしたかった。ポンチョで水を覆う形で籠に入れなおす。これならペットボトルは跳ねないし、ポンチョも外に出ない。
スマホでレスポンスを返したり、感謝を伝えたりする。流石に疲れて笑顔も出てこない。感謝だけはあったけれど、集中を漕ぐ事に使いたかったのかもしれない。
そうして、簡単に返信を済ませて、覚悟を決めた。右手に曲がるとどうなっているのか、予測では緩い坂が続いて、下りに入るだろう。特に何も思わないで自転車を漕ぎ始める。
右手に曲がると予想通り、緩い坂だ。休憩も取ったのでギアを上げて上る。山道に入って、涼しい。歩道は狭くなる。それでもそんな環境に順応していた。慣れと言うものは恐ろしいと後日感じた。難しい細い道でも危なげなく進める。草木がこちらに飛び出していても当たっていく。それくらいの痛みで命が買えるなら安い。他の目も一切気にならない。
それでもどのような速度で車がどのくらいにいるのか、振り向くことなくわかっていた。多分、集中が高まっていたと思う。対して感情は希薄になっていた。というより、表に出さなくなっていた。
それでも黙々と走る事が楽しくて仕方ない。
時々見るスマホのルートの距離を見て喜ぶ。坂道を見て、かかってこい、とギアマックスで立ち向かう。坂道が終わって、下り坂ではしゃぐ。きれいな景色にほれぼれとする。それらすべてが楽しかった。
そこで、傾向として、僕は下り坂では休憩しない事が分かった。
上り坂の途中か、手前で休む事が多い。多分、対応するために自然とそうしたのだと思う。もちろん勾配までのルートが頭に入っていれば、ここの坂が終わればすぐに下りだから頂上で休もう、とか色々対応できるのだろう。
しかし、その時その時の状況で休むことが多いのは当然だったと思う。
そこからは再び記憶が薄い。
気づいた時には諏訪市に入っていた。諏訪湖が見えたはずだけど、なりふり構わずに進んでいたものだから見逃した。
大きくてきれいな道に出る。四車線の道に出た。駐車場の大きなコンビニには寄らなかった。もう平坦な道だったから。それに早くおじいちゃんおばあちゃんの家に行きたかった。たぶん誰かにこの帰省の出来事を話したくて仕方なかったんだと思う。
麦わら帽子に奇抜な恰好で、小さくない荷物を積んだママチャリに乗った男は街中に入った。
珍妙な生き物でも見る様な視線を感じながらも、ゼッケンは外さない。だって、ここまで一緒に連れ合った仲だ。多少の恥ずかしさは耐えよう。
そうして、ガンガン進んでいく。平坦な道なんて余裕だ。
しばらく進むと水を買おうとコンビニに寄る。日焼けがいよいよすごい。両の腕は真っ赤に染まっていて、ペンキでも塗ったかのようだ。外に出ていない事が多かったこともあって、痛々しい。触ると本当に痛くてびっくりした。買った水をかけてみるも痛みは引かない。
仕方ないとスマホを手に取る。ルートを確認するとはじめは諏訪湖を左に回っていくのが、右を曲がっていくルートが示されていた。どうやら進みすぎたらしい。
おばあちゃんは寄っていきなさいと快く言ってくれた。しかし、道が分からない。とりあえず、市内に入るか、そう思っていた。
ラインを見てみると、従兄妹は入れ違いで長野を出るそうだ。なんだかそのタイミングの良さに面白さを感じつつ見ていく。すると諏訪湖を見たかとある。どうやら諏訪湖を見れるルートもあるそうだ。
スマホのルートを無視する形で標識を頼りに諏訪湖まで進むことにした。
しばらく進むと諏訪湖が見えた! 水色の空にバランスをわきまえた積乱雲、そしてふわふわと水面が揺れている諏訪湖だ。
どうやら自転車は土手に上がれない様だ。どうにかして見たくなったので、しばらく進んだ所で自転車を降りて諏訪湖を眺める。
藻があったけど、ものすごくきれいだ。本当に大きな水たまりと言えるくらいの大きさだ。海って感じはしない。これもこれで特別感があって嫌いじゃない。
自転車を止めて、カメラを取り出す。青よりも薄い空色で、天を覆う事なく漂っている雲、バックにそびえる山々の袂に湖が広がっている。いくつも写真を撮った。まるで絵画の様で、一切の編集は加えたくない、そんな写真が撮れた。満足して、さっそくおじいちゃんおばあちゃんの家に向かう事にした。
そうして、人に道を聞いたりして、ようやく着く事が出来た。
自転車を家の裏に止めていると、音で気づいたのか、窓辺からおばあちゃんが顔を出して、「大変だったねぇ」そう言った。なんだか可笑しくてうん、大丈夫ありがとう。迷惑かけますね。そう言った。この辺の会話もあやふやだけどこんな感じだったと思う。
そうして、玄関まで上がらせてもらう。汗で臭い。さっき水を買ったコンビニでボディーペーパーを買っていたから、体を拭いて、Tシャツを取り出して着替えた。足は少し震えている。
上がらせてもらうと、「あの」梅干しとほうじ茶が出されていた。
あの梅干しとは、つまるところ、作るのに1年以上かかるおばあちゃんお手製の美味しい梅干しの事だ。それが二粒もある! 梅干しはどれも大変だけれど、ただ漬けておくのではなく、日に当てなくてはならない梅干しは作るのはそら大変だ。
言い忘れていたけれど、僕は梅干しには目がない。様々な梅干しを食べてきたけれど、この太陽に育てられた梅干しは最高水準にある内の一つだ。毎日食べる事もはばかられるほどの高級品だ。それが二粒!
僕は衝撃と嬉しさで小さく叫んだ。
この家のほうじ茶はブレンド茶だ。ほうじ茶、と言った確定した味ではなく、もっと淡い感じのするほうじ茶だ。このお茶も好きで良く飲ませてもらう。それは熱くしてなくてありがたかった。
別室にいるおじいちゃんに挨拶をしに行く。「えれぇ事だわ」と笑いながら言われて僕もえれぇ事してるなぁ、と心の底から同意した。
汗っぽいズボンで椅子に座るのも申し訳なかったが、ボディーペーパーを信じて座った。
談笑をしつつも梅干しを頬張る。一気には食べない、たとえ二粒あってもだ。甘めの香りに強すぎない酸っぱさが口に広がる。これはきっと結構酸っぱい部類に入るかもしれないけれど、ミ〇ターよろしく、一壺行ける自信のある僕にとっては何てことない。それに疲れた体にとってはうれしかった。
そして、笹子トンネルがいかに怖かったかを説明する。うんうん、と頷きながら聞いてくれる。おじいちゃんもリビングに来てお茶を啜る。張り手が効いた、と感謝をした。そうしたら疲れが明日に残らないからちゃんと帰ってもやりなよ、と言ってくれた。
美味しい梅干しを食べて、お茶も飲んだ、そろそろ行くよと言う。するとご飯食べていきなさい、と言ってくれた。お昼を食べていなかったのでありがたくお願いした。
出てきたのはかつ丼だ! どうやら僕はかつ丼に愛されているらしい。カツと卵と一緒で相思相愛だ。熱々のカツに噛みつく、汁と肉汁があふれて口の中は幸せだ。お、どうやらシソが入っている。熱々だけれど、清涼感を感じて、夏っぽかった。
おばあちゃんは三つ葉がなかったからと言っていたけれど、たぶんこれは夏使用のカツ丼として広まってもいい位美味しい。それくらいマッチしていた。汁を吸ったご飯を口に入れていく。
すると夏休みだろう叔父さんが降りてきて、帰省の話を聞いていたのか「本当にママチャリで帰ってきたの?」笑顔で呆れたように言った。体育会系の叔父さんを驚かせてちょっと得意げになる。
再び笹子トンネルのやばさを伝えると、そらそうでしょうよ、バカな事してんなぁと言った具合で答えてくれた。
談笑をして、ご飯を食べて、元気が出てくる。しばらくそうして、足もこわ張りが溶けてきた。
行くことを決めた。あと少しだけど、気を付けなよ、その言葉に改めて気を引き締める。
自転車の準備を済ませて、行ってきます! そう言って自転車を走らせた。まずは坂のふもとに行くことにした。
そうして、坂手前のコンビニに。
ラインに感謝の挨拶をして、最後の峠に挑戦する。
自分で勝手に決めていた事があった。
せっかくここまで来れた。そして僕は元気だ。元気をもらった。余裕がある。なら、なぜもっと負荷を掛けない? もっと達成感を得たいその一心で、峠では一切足を付ける事なく登りきる事を決めた。
準備は怠らない。飴を口に放って、荷物をしっかり縛る。
そうして、僕はうっしゃ、と小さく気合を入れて峠に挑む。はじめは緩い坂だ。
だんだん勾配が急になってくる。負けない。マックスだったギアを落とすも気合だけは保たせる。スピードが落ちても気にしない。登りきる事が目的だ。信号は幾つかあったけれど、運がいいのか進ませてくれた。車には迷惑をかけてしまう。けれど、歩道がなくても左の道を走り続ける。
気合は伝わっているのだろう。意地悪をしてくる車はない。
僕は息のリズムを取る事だけに集中した。
もう体中が悲鳴を上げている。ギアを落としても長らく運動をしていない体だ。つらい。息が崩れそうになる。しかし、崩したら、そこで足を付けてしまう事は分かってた。苦しくても息を整える。足も止めない。汗が顎から滴るのが分かる。もう足に力が入らない。
カーブを幾つか曲がる。
おじいちゃんおばあちゃん家に行くのに車ではこの道を知っている。このカーブが終わったあたりにお店があるはずだ。そこまでまずは頑張れ、僕は必死になって峠の途中にある食事処を探す。そこを上りきると坂が終わるのだ。カーブを曲がり切った。
しかし、あるはずの店がない。え、この先のカーブか、心が折れそうになる。
足を付けて、愚痴りたい。スピードが落ち始める。
しかし、ここまで走ってこれた僕には自信があった。
はじめに決めたじゃないか、最後まで登りきる事を。不敵な笑みがこぼれる。楽しくなってきた。疲れ切っているはずの体なのにギアを上げて、ペダルを力強く踏み込む。
後三つでもカーブ来いや! そう叫ぶ。そこで幾つでも、と言わない所に情けなさを感じるけど、そんな自分は嫌いじゃなかった。
しかし、体は限界に近い。
僕は荷台の荷物が偏ってもいい、そう思って自転車を左右に揺らす。体重が乗りづらい。体の節々が痛い。なんとか体重を乗せようとする。
この時はすでに妖怪の様な恰好でペダルを踏みこんでいた。足を内側にねじりこむようにして、体重を乗せる。どんな恰好でも登り切れば勝ちだ! 恥も外聞も捨ててかじりつくように坂に挑む。
そうして、大きく左に膨らんだカーブが終わって、再び左に曲がる。
すると、頂上にあるはずの歩道橋が見えた。え、ああ、あの店は下り坂の方にあったのか。自分のポンコツ具合に失笑しながらも、元気があふれてくる。
うおおおおお! 少年漫画の主人公の様に叫んで最後の坂道をギアマックスで登る。
自転車からも気合が感じられるほどタイヤがアスファルトに食って掛かる。ものすごいスピードで坂を駆け上っていく。もう漕ぎ方も忘れた。ただ前に進むことしか考えられなかった。
そして、頂上。
スッと体から力が抜ける。ああ、登り切ったんだ。そこで口角が自然と上がってくる。頬の筋肉が上に動く。この帰省で一番気持ちのいいよっしゃーっという声が聞こえた。
その後は、長い長い下り坂を下って、家まで少しあったけれど、知っている道だ。しかし、知っているからこそ、距離を感じて辛い。もしかしたら精神的には一番きつかったかもしれない。
そうして、家が見える。太陽の光は強い。まるでゴールを祝福するように燦々としている。
僕は家の庭に自転車を止めた。
大きな、大きなため息が出た。本当に帰って来れた。驚きしかなかった。そうして、感謝を伝えるべくママチャリの写真を撮ってツイッターとラインにあげた。
家に入る。ただいま、と普通に言う。すると父親が「良く帰って来れたじゃん」可笑しそうに笑って言った。はにかみながら本当だよ、と返す。すると写真撮ってあげる、そう言ってくれた。すげぇ恥ずかしかったけれど、実際にセルフィ―も悲しいし、撮ってもらった。
自転車の汚れを落としたら? ああ、そうだ。早速自転車から荷物をほどいて開いている駐車場に止める。父親がどこからか持ってきたスポンジを受け取ってホースからの水をぶっかける。そこまで汚れてはいなかった。労いの意味が大きかったと思う。
そうしているうちに母親が車で戻ってきた。「えー、もう帰ってきたの」至極残念そうにそう言う。どうやら家に帰ってくる道中を動画に収めたかったそうだ。そんなテレビのヤラセの様な事にならなくて良かったとホッとした。撮った写真を見た母親が、「なんか顔が違う。なにか達成した笑顔って違うね」
自分の顔は本当の意味では見られないけれど、妙に納得した。
帰省のドキュメントはここまでです。稚拙な駄文をここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。