一日目おやすみ
一日目おやすみ
僕は心地よい太陽の光を感じながら、延々と続く下り坂を降りていく。
そうして、写真もいっぱい撮った。気分は晴れやかだ。疲れも吹っ飛んだ様だった。
坂を下っていくと、気づけば笛吹市についていた。日の入りまでまだ一時間はある。少し考えて、当初目的だった甲府までは9キロ程度だから行こうと決めた。
そして、だらだらとチャリンコを進める。もはや温泉でなくてもいい。ここまで来られた事が僕にとってはすごい事だった。
途中ラインを見ると、雑魚寝できる温泉の情報を出してくれていた。自分でもいくつかは探していたが、どうやらそこが一番よさそうだ。さっそく目的地をその店にする。
お店は20号線に接していたから迷う事なくたどり着く事が出来た。車の駐車場はいっぱいで人気であることが伺えた。駐輪場に自転車を止める。
ものすごい達成感と脱力感にどっぷり浸る。嬉しかったのと、疲れていたので顔は苦笑いだったと思う。カタツムリの様にゆっくりと荷ほどきをする。
そうして、よたよたと店内に入って、入場料を払う。2100円だった。ネカフェに泊まる事を考えたら温泉付きのこちらの方が断然良かった。
さっそくお風呂に入ろうと男湯の暖簾をくぐる。大きめのロッカーに荷物を詰めて、風呂場に向かう。 シャワーを浴びる際に、歯ブラシと髭剃りがある事に驚く。本当に久しぶりにこのような施設を利用したので、当然であろうサービスに感動してしまった。
跳ねた泥で汚れた足と、雨とタオルでぺったんこになった髪を洗う。さいこーだぁ、と風呂に入る前に声が漏れる。疲れた体を引きずるようにして風呂へ向かう。そこにいたおじいちゃんよりもゆっくりとした歩調で進む。
スタンダードな風呂に足から入る。
冷えた足にしびびっと風呂の熱が伝わってくる。肩までゆっくりと沈んでいく。体がお湯に慣れるまで1、2秒だ。その後はもう昇天してしまうのでないだろうか? というほど気持ちが良かった。
自然と息が肺から抜けていく。全身の筋肉が弛緩して、息を吐くたびに体が浮きそうになる。極楽とはこの事。久しぶりに温泉が良いものだと感じた。目を閉じて、何も考えられなくなる。
どれくらい居ただろう。二回位ほかのお客さんが交代した辺りでようやくそこから出た。
火照ったからだで露天の方へ。涼しい風を受けながらぬるめのお湯に入る。絵具をぶちまけたような灰色の空を見上げた。いいときに笹子トンネルを抜ける事が出来たな。
テレビで芸能人がぺちゃくちゃと口を動かして話している。眼鏡をしてない事もあって、ひどく薄弱で脆い内容に聞こえた。つまらないな、いつもテレビの前にいる時の様な、第三者目線から更に遠く離れた気分で薄い液晶を眺める。
辺りを見渡すと、みんなバカみたいに目線はテレビに釘付けだ。ああ、気持ち悪いな。露天風呂のぬるさが不快なものに感じて離れた。この風呂屋さんは何もかも素晴らしいけれど、あの露天のテレビだけは頂けない。
体を解そうと思って、ジャグジーのボタンを押して寝転がる。ぶくぶくと泡があふれて体をマッサージする。気持ちよさに包まれて、ジャグジーが終わるまでそこにいた。
もう一度熱い風呂に入って上がった。
途中、サウナがあったから、入ろうとも思ったが、体が思いのほか疲れていたからやめておいた。ごはんを食べて元気があったら入ろう。そう思ってサウナを見過ごして、冷水を浴びて風呂場を出た。
体の奥から温まった。止まらない汗を無視して服を着ていく。お店のダボッとした服を羽織る。なんだか病院の患者が着るような服だった。それをみんなが着て歩いているのだから少し可笑しくなった。
財布もロッカーに仕舞う。持ち物は携帯だけだ。
実は風呂に入る前に自販機で、配布される鍵のバーコードを当てて買っているのを見たのだ。おそらくあれで会計も出来てしまうのだろう。そうて店を出る時に靴のロッカーのカギを貰い、支払いを済ませるのだろう。
すごく画期的で未来の世界にいるようで気持ちもふわふわする。さっそく自販機にピッとバーコードを当てて飲み物を選ぶ。当然の様にガコンッと飲み物が出てきた。笑みを噛み殺しながらそれを取り出して、僕も当然の様に振舞ってそれを口にする。
そうして、いい匂いのする食事処へ行く。足取りは軽い。早めのお昼で後は糖分で賄っていたから。
どこかで食券を買うのだろうか? 探すが見当たらない。しばらくおろおろとしていると店員さんが来て、「おひとり様ですか?」と尋ねてきた。肯定すると、席を案内される。
お客さんであふれていて、一人にしては少し大きめな席に少し罪悪感を感じながらもお礼を言って座る。呼び出しのボタンもあって、普通のお店とそん色なかった。
お腹はぺこぺこでメニューに載っているどれもが輝いて見える。五人前くらいペロリといけそうだ。しかし、僕もいい大人で小学生の様に食べられる量はわきまえていない訳ではない。それでも二人前は頼もうと決めた。
やはりごはんものは外せない。しかし、みそ汁がついている様子もない。
山梨の風土料理を探すが見当たらない。地元の人が来るのだから仕方ないか、そう納得させた。
目についたのはかつ丼だ。願掛けとか関係なく、完成まで時間のかかるそれは最高だと僕は知っている。かつ丼は決まり。ほくそえみながら、他を探す。
はたから見れば不思議な人だったろう。一人でこんな所に来るのだから。僕以外一人のお客さんは見ていないし。
ごはんものにはやはり、汁ものが合うだろう。疲れているだろうから、バランスをとって消化のいいものを選ぼう。値段的な事も考えて、ぶっかけうどんを選択。決まったところでボタンを押す。まもなく店員さんが来て、恥ずかしかったけれど、二つを頼む。嫌な顔一つせずに了解してくれた。隣の家族からの視線が痛い笑。店員さんに鍵を渡して、バーコードを読み取ってもらう。
うどんから来てほしかったけれど、かつ丼から来た。お味噌汁が付いていて、あ、しまった、と思った。けれど、宝物でも扱う様に丁寧に蓋を取ってかつ丼と相まみえる。
平たい広い器一杯にかつ丼の大地が広がっている。半熟とろとろの卵に包まれたかつ丼にのどを鳴らした。落ち着け、まずはみそ汁だろう。日本のソウルフードみそ汁を啜る。少し濃い目の塩気がありがたい。わかめを掬って口に運ぶ。海の風味を感じるぜ、なんて大げさに思いながら器を置いてかつ丼に箸を向ける。
大きな器を左手に持って、サクサクが残っている一番端のかつ丼を掴む。肉厚で、それでも衣は剥がれない。もちろん玉ねぎもご一緒だ。噛んだ瞬間にグワッと出汁と甘い卵の風味が脳を揺らした。久しぶりに頬が落ちそうになる。この感覚とカツをかみしめた。
最高にいい感じによごされたご飯をジッと見つめて、パクリと口にする。
これはなんだ! 俺は天国にでも来てしまったのか! バクバクとかつ丼にかぶりつく。みそ汁だって忘れない。
多めの量のかつ丼に感謝しながら付け合わせの漬物がまた口をはじめにリセットしてくれる。何度も最初にかつ丼を口にする感覚を味わえるこのループは、さながら見た事のある名作をもう一度初見の気分で見る事が出来るような、そんな錯覚さえ感じさせた。
気づけは、カツは一切れに、ご飯はそのカツを支えられる必要最低限の量に。後ろ髪を引かれる思いで最後の一切れを食べて、最後にみそ汁を飲みほした。
僕はこのために生きていると言っても過言ではない。最高な気分で次のうどんを待つ。しばらくして、熱々のうどんがやってきた。本日二回目のうどんだ。
心のなかで二回目のいただきますを言って、うどんを啜る。
峠のうどん屋さんに負けず劣らず、僕の食欲を掻き立てる。シンプルなうどんはインスタントや、乾麺では表現できない。つるつると啜るたびに口元も幸せになる。ネギの薬味もやはり一躍かっている。風味は複雑なハーモニーを作る。旨味が分からないと言われている外国人が酷で仕方ない。この感覚を味わえないなんて、悲しすぎる。海外の料理はおいしいものもあったけれど、選ばないとどれも一緒の味付けをしてしまう。少し嫌な思い出を振り払って、うどんに向き合う。
お腹はいっぱいになってきた。おそらく胃が膨らんでいないからすぐに満腹になってしまったのだ。余談ばかりになってしまうが、大盛りが売りのお店でおいしく食べるために、一日前から胃を広げておかないと気持ち悪くなってしまう現象だ。昨日は緊張であまり食べれなかったし、今日も大食いなんてやっていないのだから仕方ない。
それでも美味しいうどんを最後まで食べた。幸せいっぱいになった。
ほかの人もいるだろう早めに出ようか、そう思ったが、ピークはすでに過ぎていた。幾つか空いているテーブルが見えた。けれど、立ち上がってしまったので、そこを後にした。
後は寝る場所を探して寝るだけだ。と思って、迷いながらもお店の奥の方へ行くと、ムワッと少しの湿気と暖かい空気が漂っている。どうやら壁自体が発熱しているようだ。床も暖かい。テレビがあって、お客さんは思い思いの恰好でまどろんでいた。60畳くらいはあるだろうか? 広い座敷が広がっていた。
さらにその奥の部屋に入ろうとしたら、今度はサウナと見紛うほど暑い。どうやらヨガなどをやるような空間らしい。
帰ってきて後々調べてみたら、その奥には背を預けられる椅子だったり、寝そべる事が出来るベンチがあったりした。正直雑魚寝よりも寝やすかったのだろうけれど、部屋の暑さに負けてしまったのだ。
そんな事を知らない当時の僕はここで寝れるのか、と解釈して場所を取って寝そべった。
子供たちが走り回って居たりしたものの、大声で話すような人はおらず、のんびりとして空間だった。しかし、昨日今日の挑戦になかなか寝付けない僕は漫画コーナーを見つけた。漫画は青年誌に偏っていたけれど、一介の風呂屋さんにしては中々渋いラインナップだった。アニメのベ〇セルクの続きが気になっていたので、2,3冊もってきて読んだ。
動いたことで新たな情報が分かった。なんとマットレスが9時以降使えるようになるそうだ! これはありがたい。しかしまだ時間は7時過ぎだ。しばらく待たなくてはならないか。そんな風にして漫画を読んでいたが、コンセントを見つけたので充電させてもらった。してもいいのかは分からないけれど、電池がすぐになくなる僕の携帯を早速充電した。もちろん充電器もだ。
9時を待ちながら漫画を読んだり、スマホでレスポンスを返したりする。
ラインにはお疲れ様と言ってくれる声があって、改めて自分がこんなに頑張ったんだと認識できた。そうして、ツイッターでもいいねがついて嬉しくなる。
ご飯をたべている時にビールでも飲もうか、なんて思っていたけれど、体のだるさから、飲みたくもなかったし、サウナもやめておいた。もう一度お風呂に入りたかったけれど、そんな元気もなかった。朝ここを出るときにシャワーをあびるくらいはしようかな、なんて思っていた。
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漫画を読んでも、頭に内容が入ってこない。
ベ〇セルクの力強くて、濃い内容に対して、あらすじしか入ってこない。
これからどうしようか、子供がはしゃぐのを眺めてぼーっとする。時間がなかなか経たない。少しだけ仮眠をとろうとしても寝られない。イヤホンを耳にはめて音楽を聴く。
しばらくしてようやく従業員がマットを取り出し始める。早めに取りに行こうと思ったら、9時までお待ちくださいと言われた。そりゃそうか、作業している間に殺到されたら仕事にならない。すごすごと元の位置に戻る。
充電が済んだので荷物をまとめる。漫画ももう片した。9時になったのでマットを取りに行ってさっそく敷く。トイレに行って寝ようとマットに寝転がるが、隣の話し声が聞こえて寝れない。ああ、こんなに疲れているのに気になってしまうな。音楽の音を大きくする。今度は音楽の所為で寝れない。苦しい時間が過ぎる。マットが熱く感じた。床が暖かいからだ。寝苦しい。そうして、気づけば、意識を手放していた。