第三羽 真也
世間が受験シーズンで、勝負の季節を迎えている週末、僕と友樹は、真也に会いに行った。
日本列島の半分を勢力下に置いて、冬将軍が暴れた土曜日。雪とは縁遠い地域だが、5cmも積もった朝は、受験生に試練を与えるかのように市電が止まり、バスもマヒした。各地の試験会場が、開始時間を繰り下げての実施となっていた。
「僕達が受験の年は冬晴れだったよな」
午後になって市電が動き出した。疎らな乗客を眺めながら、横揺れに身を任せる。
予定が狂ったものの、暇人の二人は駅前で昼食を取り、運転再開を待って移動した。
「あれから翔馬に連絡してみたんだけど」
低く灰色の雲に覆われた町並みが車窓を流れていく。
「えっ。お前、繋がりあったのか?」
「いや……直接はないけど。知り合いの知り合い、みたいな」
「ふぅん」
間接的にでも連絡が可能な間柄だったことよりも、友樹が積極的に動いたことが驚きだ。……コイツ、こんなに友人付き合いするヤツだったっけ?
「でさ、真也のヤツ、大学休学してるらしい」
「引きこもりじゃ仕方ないよなぁ」
「いや、それも変な話なんだ」
駅に停車したところで、言葉を止める。人々の昇降の波が引くのを待ってから、友樹は会話を続けた。
「深夜のコンビニでバイトしてるらしいんだよ」
「えー、なんだそれ。引きこもりじゃないじゃん」
「そうなんだよなぁ」
「単なる進路変更なんじゃね? バイト君から正社雇用狙うパターン?」
「……かもなぁ」
だったら。僕達は何のために真也に会いに行くんだ?
目的を見失いそうになる。乗りかけた船とか何とか……自分の中の理由を探しながら、代わり映えのない車窓に溜め息をついた。
約30分後、真也が暮らすというO市の駅に着いた。
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真也が住むアパートは、駅から15分くらい歩いた住宅街の中にあった。特別新しくもない、鉄筋コンクリートの四階建て。その一階の端、105号室に住んでいた。
「せっかく来てくれたのに……ごめんな」
僕達を見ると、訪ねた理由も聞かず、真也は笑顔で招き入れてくれた。しかし、五時からコンビニのバイトがあり、あと30分もすれば家を出なければならないとすまなげに言った。
「いや――俺らも急に来たから」
「忙しい時間に、ごめんな」
色んな意味で戸惑った僕達は、口々に言い訳染みたフォローをした。遊びに来た訳じゃない。彼の外出前に、僕達がたどり着けただけでもラッキーだろう。
「いいんだ。二人とも、元気そうだな」
フローリングの上に敷かれた茶色い二畳くらいのラグを示して、僕達を座らせた。
高校時代の健康的に日焼けした丸顔は、血色悪く痩け、頬骨が目立つ。髪も薄く、ヒョロリと細い身体を猫背気味に歩く様子は、僕達の知る友人ではない。中身はともかく、外見上は全くの別人になっていた。
「懐かしいなぁ」と繰り返す、やや間延びした声だけが唯一、記憶の中のデータと一致した。
真也の暮らすワンルームは、カーテンを締め切っているせいで陰気な雰囲気は否めないが、かといって雑然としている訳ではない。少ない家具の中、こじんまりとした生活が伺える。
ただ――二十歳を迎えた若者が住む部屋には見えなかった。住人の姿含め、四十代の独り暮しと紹介されても納得するに違いない。
「単刀直入に聞くけどさ、何があったんだよ、真也?」
食器棚の横の段ボールから缶コーヒーを二本出して、彼は僕達に渡してきた。彼なりのもてなしのつもりだろう。
「そう……だな。――二人なら、信じてくれるよな。ああ……分かってくれるはずだ」
独り言のように口の中で繰り返すと、真也は僕達の前にストンと正座した。それから、友樹と僕とを順番に見つめ――正確には、それぞれの心の内を推し量るように瞳の中を覗き込んできた。
「大学一年の春のことなんだ――」
真也は、意を決したように口を開いた。
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進学したばかりのオレは、夏休みまで帰省しないつもりだった。
ところが、実家から「じいちゃんが入院した」って連絡があって、見舞いも兼ねて、帰ることになったんだ。
オレが柔道を始めたのも、じいちゃんが教えてくれたからだったし……何より、オレ、じいちゃん子だったからな。
じいちゃんは、風邪をこじらせて軽い肺炎になりかけていた。でも、早く入院したおかげで大したことなくて、大事を取って一週間くらいすれば退院できるって話だった。
親父が、じいちゃん宛の手紙を持ってきていたのに、車の中に忘れたとか言うから、病院の駐車場に取りに行ったんだ。
――ちょうど、夕暮れだった。
春の薄桃色に染まったような、霞かかった空だった。
オレが車から、手紙の入った紙袋を掴んで、ドアを閉めようとした時だ。
『見つけたぁ……まずは、一人。一族の……息子の仇だ……!』
しゃがれた野太い声が、はっきりと聞こえた。
聞こえたんだけど、聞いたことのない声質だった。響き、っていうのかな、細かく震えるような……でも、はっきりと分かったのは、オレに向けられた言葉で、強い憎しみが込められているってことだった。
車の周りや駐車場を見回したけど、誰もいない。なおも辺りを伺ったら――。
「いたんだ。駐車場の側の街路樹や、フェンスの上に、十羽近いカラスの群れが列をなして止まって、オレをじっと見下ろしていた……!」
真也は青ざめた。まさにその場に戻ったかのように、ブルッと身体を震わせた。
「だって……あれから、二年? 三年は経ってるだろ?」
「カラスの寿命は十年くらいあるんだよ……! 調べたんだっ」
僕の懐疑的な言葉を遮って、真也は興奮気味に吐き捨てた。
「それで、大学休んで引きこもり出したのか?」
友樹の追及は辛辣だ。しかし、真也は折れなかった。
「見てるんだよ。アイツら、こっちに戻ってからも、いつも監視しているんだ」
カラスなんてどこにだっている。都会に順応したカラスも珍しくなく、住宅街にも公園にも、オフィス街にだって、いる。
「……じいちゃん、死んだんだ。見舞いに行った二日後だった。病室の窓が15cmくらい開いていて、その下にカラスの羽が落ちていた」
『考え過ぎだろ』――否定的な言葉を、思わず飲み込んだ。
「怖いんだよ。オレ、アイツらが寝ている夜しか、出かけられないんだ。大学――多分辞めると思う」
真剣に、身を乗り出して畳み掛ける。僕達は圧倒されていた。
「真也……」
「友樹、惇、お前らも気を付けろよ。ごめん、バイトに行く時間だ」
メアドを交換して、僕達は真也の部屋を後にした。
妄想、と一笑に付してしまうには奇妙な心地悪さが、項の辺りに貼り付いている。
真也の猫背を丸めるように去って行く後ろ姿を、友樹と二人、言い様のない寂寥感に包まれながら見送った。
それが、真也を見た最後になった。
この日から一月も経たない二月の早朝――交差点を歩いていた真也は、信号無視のトラックに跳ねられた。内臓破裂による外傷性ショック、即死だった。
コンビニのバイトの帰り道、いつもは夜明け前の薄暗い内に店を出るのだが、この日はたまたま配送トラックが事故渋滞にはまり、店への到着が遅れた。
店内の品出しの残業をしていた分、彼がコンビニを出た時は空が白んでいたという。
加害者のトラックの運転手は、事情聴取の際、こう証言している――「カラスが交差点に集まっていた。信号が見えにくく、気を取られてブレーキが遅れた」と。
まさか、という淡い楽観は消えた。真也の葬式の席で顔を会わせた友樹と僕は、悲しみとは少し違う恐怖に青ざめていた。




