第4話 ドリフトチェイス アリスト→ウィーゲル
アリスト学園のブレザータイプの制服ではなく、深緑の詰襟の制服を来て、ユーリは見上げるほどに大きい分厚い人工アダマンタイト製の門扉の前に立っていた。
(はぁ……どうしてこうなった)
ユーリの異母姉にしてアリスト学園の学園長たるシャオマオからアリストへの登校禁止……ならぬ、他校への短期留学を命じられたのは、つい二日前のことだ。
「ウィーゲル士官学校……ってどこです?」
二日前の学園長室でユーリはシャオマオから聞いたことも無い士官学校の短期留学を言い渡されて困惑していた。
シャオマオはそんなユーリをニヤニヤと甘ったるい笑みで見つめ、両肘をつき、両手の上に顎を乗せた。
「ここから二つ山を越えたところの山の中にあってね。そこの卒業生はみんな優秀な軍人になるって評判の由緒ある学校よ」
「みんな優秀って、そりゃあスパルタ……じゃない、過剰に厳しいところなんじゃないですか?」
ユーリの言を聞き、シャオマオはさらに笑みを深くした。
「察しのいいこと。ウィーゲル士官学校は元々は<絶壁の監獄>と呼ばれる極悪囚人たち専用の刑務所を流用した学校なのよ。そういう背景から、そこには各地からちょっとクセのある士官候補生が集まっているわ」
ユーリは実際に刑務所を見たことは無い。なので前世である春日井悠李の記憶に眠る刑務所のイメージを抜き出した。
それにしても映画の中に出てくるものだったが、いずれにせよ
ろくなものではないだろう。
なにしろ絶壁だ。
「ユーリにはこのウィーゲル士官学校に短期留学という形でしばらく籍を置いてもらうわ」
「俺が? 冗談でしょう?」
「私は冗談が嫌いよ? それに冗談を言うためにわざわざ呼び出すほど酔狂でもないの」
ユーリは鼻白んだ。改めてシャオマオの笑顔を見たが、目が笑っていなかった。どうやら本気らしい。
シャオマオはちょっとクセがあるといったが、それはシャオマオ基準であって、標準からはかけ離れているであろうことは想像に難くない。
「しかし姉上、理由が見えません。こんな権利の濫用をしてまで俺を留学させる理由はなんです?」
「それ、もうユーリにも見当はついているんじゃない?」
自分にも見当がついているといわれれば理由は一つしかない。なにせつい先日、鮮烈な形で襲われたのだから。
「皇女殿下とのお見合いの件、ですか?」
シャオマオは、パチパチパチと軽く手を叩いた。
「まったく……見合いが成功しない可能性をどうして考慮しないのか」
「成功するであろうというのが大勢の見解だからねえ。かたや稀代の美貌を持ち外交にも明るい皇女様。かたや神童と呼ばれ、見てくれもさほど問題の無い健康な帝国貴族。問題ないじゃない」
「しかし当人の相性もあります」
「あら? 貴族の、ましてや皇族の婚姻に恋愛の要素が入るとでも?」
意地悪な問いだ。恋愛、結婚……そうした領域において身分や家柄というものは常についてまわる問題だ。
帝国では他の大陸の国家よりも、この身分の違いというのが強大な壁として立ちふさがる傾向にある。
そんな情勢なくせに文化については甘く、身分の違いを題材とした小説、演劇など数多く作られ、受けがいいという側面もあるが、それはまた別の話である。
ユーリとしてはそうしたしがらみも捨てて嫁探しをしたいと考えている。これは前世から続くユーリの根幹に根ざした問題であるのだが……。
「別に恋愛とは申しませんが、生理的に不快である……というレベルの話だってあるでしょうに」
「あら、それを皇女殿下の前でも言えるのかしら?」
また意地悪な質問だった。ユーリはシャオマオの頭についている猫耳を見た。
彼女の耳は、『口ほどに物を言う』ことを、ユーリは知っていた。
彼女自身も知らないことだが、人をおちょくっているとき、彼女の左右の耳が交互に微妙に前後している。
獣人の血を引く彼女が一体どんな感覚で耳を動かしているかなど、ヒューマンであるユーリには知る由も無いが、少なくとも癖という奴は人間であれば持っていて不思議ではない。
「言いますよ。いや、俺の場合、皇女殿下の方から言われる可能性が高いでしょうが」
シャオマオの両耳がすっと垂れる。つまらないという意思表示だ。
「拗ねない拗ねない。さて、ここからは真面目に話をするけれど――」
そこで一度言葉を切って、シャオマオは姿勢を正し、表情も引き締めた。
「今回、ユーリに留学してもらうのはユーリの暗殺阻止であるけど、それ以上にユーリの周りの守るためなのよ。ユーリを狙う輩なりふり構わず攻めてきたらユーリ以上に、その周りいる人間が、取り返しのつかないことになるかもしれないから」
ユーリはそれを聞いて、一も無く二も無く納得してしまった。
なにせ自身の家がその一画ごと、爆破されているのだ。
部屋の間取り上の幸運から人身被害は無かったものの、例えば人口が密集している学園という環境で爆破などされてしまっては目も当てられない。
それではユーリ自身は対処できたとしても、他の学生は対処できない。皆がユーリのように幼い頃からの行き届きすぎた戦闘訓練とそれを物にする才覚を持ち合わせた人間であれば話は別だが、残念ながらそんな戦闘民族は、帝国には存在しない。
「その言葉で理解も納得も出来てしまったのが残念です。不本意ですが俺も無関係の人間を巻き込んで平然としてられるほどに畜生というわけでもありません。ただウィーゲル士官学校はそんなに俺を守るのに適している環境なんですか?」
「それはもう。何しろ高さ数十メートルの体重の掛けようの無い磨きぬかれた人工アダマンタイト製の壁で敷地を覆っているから、登ることも破壊することも不可能よ。しかも10年くらい前にアンチエーテルコーティングを施してるから耐魔法性能も十分ときていいるわ。出入りできるのは唯一つ存在する正門のみよ」
まさに絶壁の監獄。いやそれではもはや砦、要塞の如し。無断で入ることも出ることも許されない。
「まあ凄まじいのはわかりますが……それでも万全とまでは行かないのでは?」
「そうね……例えば何かしらのルートで内部に侵入、なんてケースも考えられなくも無いわね。でもウィーゲル士官学校の学生は皆優秀よ」
つまりそれは爆破くらいならば対処できるということだ。どんな魔窟だそれはとユーリは内心冷や汗を書いた。
「それにこれはマクドガル家の家長たるお父様の許可も下りているわ。だから元々拒否権も無い話なのよね~」
ならばはじめからそういって欲しいと、ユーリは嘆息した。
「一ヶ月の間に、こちらも元締めの方を抑えるから、ユーリは一ヶ月自分の身を守ることに専念してね」
「そして仮に仕掛けられた場合はこれを撃退し、情報を得ろと」
「そういうこと、よろしくね」
そんなやり取りを経て、ユーリは少々の着替えと護身の武器、筆記用具を荷物にウィーゲル士官学校に向かうことになったのである。
帝国貴族嫡子に囮捜査まがいのことを、あまつさえ刺客の撃退まで命じる。しかも今の彼はただの学生という立場だ。
通常であれば考えられないことであるが、ユーリの受けた教育とは、そうした無茶に対処するためのものであるし、彼も帝国の一員として人並みに愛国心はあるのである。
士官学校までは物資搬入のための貨物トラックに便乗という形で行くことになった。
しかし、そもそも自動車が首都周辺くらいしか走っていない程度にしか普及していないのに、田舎といって差し支えない山の中に、わざわざ道まで作ってトラックを走らせているとは、並大抵の扱いではない。
トラックの運転手は、大型車両という特殊性から高級技官が務める。物資の搬入にエリートである高級技官を用いるのだから、ウィーゲル士官学校の特殊性が伺える。
しかもそのまま入場というわけにも行かず、いったん下りた上で、許可が出るまで門の前で待てという。
門には守衛もいないし、どういうことかと疑問に思って門を見ていると、ごく小さな魔導結晶が門の枠の角に二つはめ込まれていた。
「これはまさか、監視カメラか?」
魔導結晶とは魔力を溜め込んだ鉱物の総称で、古くから映像記憶・出力媒体として利用されてきたものだ。
監視カメラとは、魔導結晶に常時魔力を供給する霊的なラインを繋ぎ合わせることによって実現した、映像を離れた場所からモニタリングすることを可能にした魔道具の一種である。
比較的最近民間にも出回り始めた技術だが、当然のことながらまだまだ敷居は高く、民間で使われているのはほんのごく一部の高級商店ぐらいだが、早くも成果があり、犯罪検挙率の向上に貢献している。
だが本来守衛とあわせることで効果があるはずだとユーリは思ったが、おそらく見えない仕掛けが監視カメラ以外にも存在するのだろうということでとりあえず納得した。
そしていよいよ人工アダマンタイトの門扉が重低音を響かせて開扉した。
色々な特殊性を見せ付けられたユーリとしては、いったいどんな学校であるのかと、少なからず鼓動を早くしていた。
だが。
そこに待ち受けていたのは、剣やら槍やら魔導杖やらを装備した士官候補生の婦女子様達である。そのかず、ざっと百人超。
一体何事だと思って動けないでいると、彼女たちの前にミラーグラスをかけ、赤い髪をポニーテイルにまとめた士官候補生が、拡声器を持って現れた。
「あ、あー。ようこそ、ユーリ=フォン=マクドガル君、ウィーゲル士官学校へ! 神童と名高い貴殿を我々は歓迎する。 そして! 歓迎の挨拶としてウィーゲル士官学校伝統にして選ばれたものだけが受けることを許される儀式、罵斗流呂緒怒の儀を開始する! 行くぞ貴様ら、久方ぶりの活きた男だ、盛大に可愛がってやれい!!」
ヒャッハー、男だー。
そんな風な嬌声がユーリには聞こえた気がした。
そしてユーリのもとに疾走してくる士官候補生の婦女子達、もとい男に餓えたアマゾネス達。そして炎や氷をはじめとする魔法攻撃。
「……わお」
そんな言葉しかユーリには出てこない。理解とか納得とかそういう次元を超えた事態にユーリの思考は完全に停止した。
しかし幼い頃よりから今に至るまで体に刻み付けられた彼の闘争体系が、彼の体をあえて危険なアマゾネス達の方へと突き動かした。
このたび、1対100の 罵斗流呂緒怒がウィーゲル士官学校を熱くする。
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