第3話 わずかなズレ
黒ずくめの女が、マクドガル家の大邸宅の一画が燃える様を眺めていた。
そこはユーリの自室であり、彼の部屋の爆発は、女が仕掛けた竜種も殺すほどの極熱量をごく狭い範囲で展開する術式だ。
女はさる人物に雇われた暗殺者だ。その主な手段は爆殺。
自らの仕事に落ち度は無い。神童と呼ばれる人間も死んでしまえただの肉塊に過ぎない。
あの爆発では骨も残っているか怪しいものだが。
「任務、完了」
女は軽やかな足取りで、マクドガル邸を後にしようと踵を返し、
「何が任務完了だ、ふざけんな」
そこには、一人の男がいた。
女に向かって一歩ずつ歩みを進めてくるのは、シンプルな水色の寝巻き姿の黒髪の少年だ
「な……ユーリ=フォン=マクドガル……?」
女は驚きを隠せない。ターゲットは確かに殺したはず――
「あーあ、これ一体、修繕費にいくらするんだろう……」
ユーリの態度は、暗殺者を目の前にしながら、どこまでも自然体であった。
「くっ」
女は懐から数枚のカードを取り出し、それをユーリに向かって投げつけた。
ユーリはカードを術式強化した拳で殴りつけた。瞬間、巻き起こる爆発。
女が投げたのは部屋を爆破した物と同種の術式を組み込んだカードだ。しかもエーテルジャミングを施されたカードは魔力を感知させない。
不用意に触れればその爆発に巻き込まれヒトであれば跡形も無く吹き飛んでしまうという恐るべき代物だった。
だが今回ばかりは相手が悪かった。
爆風が収まり、煙幕の中から出てきたのは、無傷のユーリだった。
「そんな、バカな……」
「下調べはちゃーんとしておくべきだよ、お姉さん。この俺がこの程度でやられる命かってことをな」
ユーリはスナップを効かせて、右手から何かを投げつけた。
それは女の腕にクルクルと巻きつき、肉に食い込んだ。
「な、なんだこれは……!」
「高張力ワイヤー……鋼線の一種で、発掘されたオーバーテクノロジーって奴だ、よっ!」
「きゃあっ!」
ワイヤーを引っ張り上げられ、女はバランスを崩して倒れた。
すかさずユーリは走り出し、倒れた女のもう一方の腕の間接を極めて、女の両手を後ろでワイヤーで結びつけた。
「仕上げだ。震えろ、その魂――ソウルヒート・レゾナンス!」
触れた背中から、ユーリは固有秩序を発動、女の体温を上げた。
びくっと、大きく女の体が反応したあと、彼女は小さく震えだした。
「くうっ……はぁ、はぁ、苦しい、お前……何を、した……」
女の顔は上気し、見るからに苦しそうに浅い呼吸を繰り返していた。同時に服を湿らすほどの汗がどっと吹き出ていた。
「お前の体温を40℃まで上げた。ヒトの、ことにヒューマンの体温ってのは36℃程度に保たれている。そこから少しでもズレれば不調を起こすのが悲しいかな、ヒューマンの性質だ。だから俺は、その体温をちょいと上げてずらしてやったのさ。ま、すぐにも元の体温に戻るだろうけど、それまではちょっと苦しんでもらおうか」
女からの反応は無い。
ユーリの丁寧すぎる説明を受けている途中にどうやら気を失ったらしかった。
「遅れて申し訳ございません、若様」
気がつくとそこにいる。それが、隠密侍従のヨルカゼだ。
「他のみんなは無事だった?」
「はい、どうやら今回は若様だけを狙ったもののようです」
「タイミングとしてはあからさまだよね。やっぱり皇女殿下との見合いが関係しているのかな?」
「それも、今後次第かと。この女は私共が預かります」
他の隠密侍従がやってきて、女を運び出す。
また国の救助部隊も到着し、マクドガル邸の消化活動も行われていた。
これだけの迅速な対応は、ユーリが帝国貴族の男子であることも影響している。
そのことに多少うんざりしながらも、今後のことを思ってユーリはため息をついた。
「うん、お願い。さて、今夜は眠れ無さそうだ……」
ユーリ=フォン=マクドガル。家族から愛されて育った帝国貴族の少年。
ただし彼は、その他の帝国貴族の子弟と異なり、甘やかされてはいなかった。騎士団および隠密仕込の体術と技術を駆使する、マクドガルの中でも最も手を出してはいけない、アンタッチャブルモンスターなのだ。
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アリスト学園。
貴族子弟をはじめ、平民も広く受け入れている国立の学校だ。
男女比が1:9で学生の殆どが女性である。
そんな環境の中でも最も浮いているのがユーリである。
ユーリがいるのは、階段状に机が並ぶ大講義室。彼の周りには誰も座っていない。
しかもその中にあって彼だけは碧を基調とした指定のブレザータイプの制服ではなく、動きやすい体育用の服装であったのだ。
そうでなくともユーリは神童などと呼ばれ、同じ貴族、それも数少ない男子からも距離を置かれている存在だ。
女子は女子でユーリのことを遠巻きに見つめている。
暗黙の了解で彼に話しかけるときは複数で、そして抜け駆けなしというような非常に面倒くさいことになっている。
そんなぼっちなユーリだが、例外というのは何処にでもいるようで、
「オッハロー! ユーリ」
「おはよう、アルス」
アルス=マグナ。
平民階級の男子。特別奨学生という待遇を受けている、ユーリと並ぶもう一人の神童。
敵も仲間も等しく多い、天衣無縫の麒麟児だ。
正真正銘、自他ともに認めるアッパー系男子のアルスは、ぼっちなユーリにも平然と友達づきあい出来る数少ない人物だ。
「いつにも増して、ダウン入ってるなユーリ。何があった。あれか、トイレ入ってるときに、上から水でも掛けられたか」
「お前じゃあるまいし、そんなことあるわけ無いだろう」
アルスは実際、その手のいたずらといえば聞こえがいい虐めを受けたことがある。もちろん、その犯人はボコボコにしているのだが。
「いやだってお前、体操着じゃん。体操着ってことは制服がダメになってるってことだろう?」
「まあ、そうなんだけど。家が爆破されてさ。制服も一緒に燃えてしまったんだよ」
「家が? 爆破? マジで?」
ユーリは机に突っ伏した。事後処理などでユーリは昨夜は眠れない夜を過したので、酷く眠かったのだ。
「大マジだ。そのうち、新聞の号外でも出るんじゃないか?」
憂鬱で眠そうなユーリとは対称に、アルスはさぞ楽しげに笑った。
「あっはっはっは。さすが、お前の人生ハッピーターンだな。どれだけ起伏あるんだよ。退屈しないで結構なことだ」
「じゃあ代われ、お前ならうちに養子に来ても誰も反対しない。それで、俺がお前の家に養子入りするから」
「そいつは勘弁だ。俺の家族はお前のところと違ってタフじゃない」
このアッパー系男子は軽いノリとは裏腹に人一倍家族想いだ。しかし、それゆえに時折暴走することがある。
家族の危機とあらば、あらゆる障害は彼の手によって打ち砕かれるであろう。例えばソレが、貴族だろうが、国であろうが。
そうしたある種の男らしい気骨はユーリの父にも気に入られていて、事実上の後見人となっている。
ユーリとアルスが駄弁っていると始業のチャイムが鳴り響く。
担当教諭がやってきて、いの一番に発した言葉は、
「あー、ユーリ=フォン=マクドガル。学園長がお呼びだ、学園長室に出頭して欲しい」
にわかにざわつく講義室。学園長に直接呼出しを受けるなどよほどの珍事である。
「……理由を聞いても?」
だが教諭は首を横に振る。
「いや、詳しくは私も聞かされていない。出席の単位は免除するから至急とのことだ」
「わかりました。じゃあ、授業は抜けさせてもらいますね」
ユーリは周りからの興味の視線を受け止めながら、楚々と筆記用具を片付け、席を立った。
「よお、やっぱりハッピーターンだな。ほんと退屈しない人生でうらやま――」
去り際アルスがそのようなことをつぶやいたので、ユーリはそのニヤケ面にチョップをして黙らせた。
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学園長室の大き目の扉をユーリはノックした。
「どうぞ~開いてるわよ~」
「失礼します」
ドアを開いた先にユーリを待ち受けていたのは、肉感的な肢体に猫耳の獣人の女性。
シャオマオ=フォン=イージス。
国防を担う名門貴族、イージス家次期当主の妻である。
そして、
「姉上、これは職権濫用じゃないかい?」
「にゃははは、これは国からのお達しよ、弟よ」
彼女は、ユーリの異母姉の一人だった。
「それで、一体なんのようです?」
「もう、せっかちね。久しぶりに会えたっていうのに。……昨日は大変だったみたいね」
「大変なのは父上や他の皆ですよ。俺の被害は服とか教科書だけですから。それより、呼び出したのは何用です」
「まーまー。落ち着きなさいって。じゃあ、早速だけど――」
シャオマオはあくまで朗らかな顔で何てこと無い風に、
「ユーリ、貴方、明日から学園に通うの禁止ね」
「……はい?」
第4話に続く
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