第2話 運命の船酔い
帝国貴族、ユーリ=フォン=マクドガルは惑星地球の日本という国で生きていた春日井悠李という男の転生体である。
そこにある理由や理屈など知らぬし、そもそも自分が転生した存在であるなど、生まれた日を10個数えてようやく自覚を得た程度のものだった。
徐々に覚醒し、輪郭を帯びていく前世の記憶。すべての記憶を継承した現在のユーリは、それでもユーリという一人のヒトであることに変わりなく、春日井悠李という男の人格に上書きされたということもない。
されど、魂の核とも呼べるものが同じであると自覚すれば、なんら影響を受けないということも無かったのだ。
ユーリは後悔していた。
「オロオロロロロロロロ」
西の大陸行きの船に乗ってしばらくして、見事に船酔いしたのだ。
とてもではないが、帝国の婦女子にこの惨めに海に向かって吐く醜態は見せられないだろうなと随伴のヨルカゼは思った。
生まれてこのかた、帝国首都を出たことが無かったユーリの最初の誤算だった。
帝国の首都は一部自動車や路面電車が走っている。東の大陸に限定すれば飛行船だって飛んでいる。
そういうものに慣れ親しんでいたユーリなのだが、海上の微妙な揺れというものは、どうも彼の変なツボを刺激してしまったらしい。
「今からでも遅くありません、引き返しましょう」
「うん、そうする……」
「え」
おいこら、本当に引き返すのか。船に乗る前までの威勢の良さはどうした。
あれほど不退転の決意を持ってヨルカゼをはじめ隠密侍従隊を下したというのに、船酔いに負けるのか。
船酔い>隠密侍従の式が成り立つのか。もはや<頭痛が痛い>とかそんなレベルのくだらなさに、ヨルカゼは呆れ返った。
若さ余って失敗百度。だから嫁――本当の意味で恋愛関係を望む婦女子――など、そこらじゅうにいるというのになんでこの若様は勝手に自爆しているのだろう。
甘ちゃんの粗忽者、これが帝国で神童などと囁かれている少年の正体である。
ユーリの家出は、僅か1日足らずで幕を下ろした。
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「このバカチンが!!」
ユーリの脳天にマクドガル家当主、ウィルフレド=フォン=マクドガルの拳骨が突き刺さった。
「ふおおおおおおお」
頭をさすりながら縮こまって痛みに耐えるユーリ。
「家出をするなら、ちゃんと最後の最後まで意志を通さんか!」
さすがユーリの父親、説教の方向性がどこかずれている。
「ユーリ、お前ほどの男が家を出て、隠密侍従隊も蹴散らしてまで旅立ったのだ。それほどの決意ならば、ワシも文句は無い。どこへなりとも旅立つがいいと思った。井の中の蛙が、大海を知るのもいい経験と思ったからな」
普段、フィルフレドは決して家族に手を上げることはしない男だ。それはユーリに対しても同様だった。
なのに今回は彼の拳骨がユーリに振舞われているのは、それだけ怒り心頭ということなのだろう。
「なのにお前と来たら、船酔いが嫌で逃げ帰るとか……!」
再度振るわれる拳骨。
だがユーリはその拳骨を後ろへ跳んで回避した。
「避けるなあ!!」
「嫌です、父上。一回受ければ十分でしょう。あー、絶対コブ出来た」
ユーリは不真面目というわけではない。ただ、その方向性がひん曲がっているだけだ。
ウィルフレドは大きく深呼吸して心を落ち着かせて努めて穏やかな口調でユーリに問いかけた。
「極上の嫁が欲しい、そう言ったな」
「うん」
「ならばよし、くれてやる」
「はい?」
ユーリは耳を疑った。我が父上は、一体何を言ったのだ?
「だから、くれてやるといった。今度。第1皇女殿下との見合い話が来ている。ユーリ、お前にはソレに出てもらうぞ」
「え、ええー……」
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(なんてこった。よりにもよって、あの第1皇女との見合いとか)
自室に戻ったユーリはベッドにゴロンと横になって憂鬱な気持ちで天蓋を眺めていた。
第1皇女は18歳。正妃の第1子だ。若いくせに外交の分野で辣腕を振るっているという。
ユーリは後悔していた。なぜ船酔いごときで帰ってしまったのかを。
いや、そりゃあもうあんなに吐いた経験など、いままで無かったからというのが多分にあるのだが。
とっとと各大陸間への飛行船の航路が開通すればいいのに、とユーリはごろんと転がって、枕に顔を埋めた。飛行船ならば酔うこともない。
飛行船というのは、非常に高価な乗物であるのだが、やはりあらゆる地形と無視していけるのは爽快だ。だが問題は、その航路。
空の魔物に対する防備がまだ万全ではないのだ。
故に東の大陸でも一部限定された航路しか使えないという欠点があった。
ちなみにその安全な航路というのは多くの竜種が住む山岳地帯を経由する航路だ。これは、竜を恐れて多くの魔物が襲ってこないのだ。
ちなみに竜はヒトは襲わない。竜を統べる王種・征竜が人間社会や飛行船に理解があるからである。
「ユーリ!」
勢いよく開け放たれる部屋のドア、同時にこちらを呼ぶ甲高い声。
うつぶせのまま、ちらりと後ろを振り返るとベッドに向かって走りこんでくるちんまい女が――
「皇女様と見合いするって本当なの!?」
「ぐへあああああ」
うつ伏せでがら空きになっている背中へちんまい女のニードロップが炸裂した。
衝撃に、呼吸が出来ない。
「ちょっと、聞いているの、ユーリ!」
「き……聞いている……どけよ、アリーシャ」
黄色のドレス。豪奢で鮮やかなブロンドの髪。つぶらな瞳に、愛らしい唇。しかして、その体はちんまい。幼さを残した肢体はある層には絶大な支持があるだろう。
アリーシャ=フォン=メナレス。
皇室の近衛隊の騎士を輩出する家系の娘で、ユーリの幼馴染の一人だ。
貴族の婦女子ながら男性減少の煽りを受けて、彼女自身が騎士としての英才教育を受けている。
その強さは、単純な近接格闘戦であれば、既に騎士団長クラスに匹敵するという。
「いてて……ノックぐらいしろよ、常識だろ」
「ふん、私に閉ざすドアなんて無いでしょう? それよりも!」
アリーシャはユーリの胸元をぐぐっと掴んでにらみつけた。
「ああ、見合いの件だろ? 本当だよ。てか、何でお前が知ってるの?」
「私は近衛の一族よ? 皇女様とも親しいし。今日、嬉々として話していたわ」
嬉々として? とユーリは疑問に思った。
皇女殿下とは顔を合わせたのは1度や2度ではない。なぜならば、彼女とユーリは、同じ国立の学校に通っていたからだ。
もっとも彼女は学生会と呼ばれる学校運営の組織の頂点で、ユーリは何処にも所属していないただの一学生なのであったが。
そして現在皇女は既に卒業しているので、ユーリが会う事もない。
「皇女殿下が行ってたのなら、間違いないだろう。わざわざ俺に確認するまでも無く」
「そりゃ、そうなんだけど。アンタのことだから、もしかしたら逃げ出すんじゃないかと」
微妙に鋭い、とユーリは肝を冷やした。実際にはついこの間家出をしてきたばかりである。
「逃げないよ。なんていうか、今回はアレだ。罰ゲームみたいなものだ」
「ば、罰ゲームゥ?」
何処の世界にそんな壮大な罰ゲームがあるというのか。
「あのねえ、リリ様は美人だし聡明だし、帝国だけじゃなくて、他国からも沢山求婚を迫られているほどのお人なのよ? そんな方と見合い出来るなんて、帝国中の貴族の羨望の的よ?」
「羨望の的とか真っ平ゴメンだね。大体、そんな凄い人が、俺に好意を抱くなんてありえないし、抱いたら断固として拒否する。俺に国の執政を行うだけの器は無い」
ユーリはひいては皇室を軽んじる類の発言をした。
これについてはアリーシャも怒るかなとユーリは少し身を堅くしたが、アリーシャはふっと力を抜き、ユーリを放した。
「アリーシャ……?」
「ふん、身の程がわかってるようで安心したわ。あんたが皇室入りしたら帝国も一貫の終わりかなって思っていたし」
アリーシャはその豪奢な髪をかきあげながら言った。
「あ、そうですか……」
その後アリーシャは、ケーキと紅茶を図々しくせがんで食べた後、機嫌よく帰って行った。
そしてその日の晩。
ユーリの部屋が爆破された。
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