第1話 ユーリ=フォン=マクドガル
「ヤバイな……」
月明かりだけが照らす森の中をユーリ=フォン=マクドガルは駆けていた。
ユーリは決意を持って家出をした。
ところが、綿密な計画を立てたはずなのに、思いっきり追われていた。
彼は男児出生率が極端に落ちたこの世界、この時代において生まれた男児、しかも帝国貴族の嫡男だ。
そんな彼が家出をしたなどとは、相当な大事件である。
ユーリはある時期を境に、世の中の常識が受け入れられなかった。
一夫多妻制度の義務化である。
認可ではなく、奨励でもなく、義務。
要するにたくさん子作りするために色んな女性と関係を持ってくださいねと、国からのお達しが来ているのだ。
「せあっ!」
ユーリは振り返って虚空に向けてナイフを振るった。ナイフから伝わる鋭利な刃物の感触に、ユーリはどきりとした。
キンッ、と甲高い金属音がして、暗い森に火花が散る。
「追いつかれた……!」
「お戻りください、若様」
凛とした女性の声が暗闇の中から聞こえてきた。
「ヨルカゼ」
ユーリにヨルカゼと呼ばれたと呼ばれた女性が、月明かりの下に出てきた。
群青色の髪を腰元まで伸ばし、黒一色のパンツルックをした痩身の女性だ。彼女はマクドガル家に仕える隠密侍従隊の隊長だった。
「こんな夜更けに一体何処に行こうというのですか、若様」
「……ほっとけ、命令だぞ」
「そうは参りません。若様はマクドガル家の至宝、ひいては国の至宝です。そんな若様を放っておくわけにはいきませぬ」
感情を感じさせない、淡々とした口調だ。だが、幼い頃より彼女の薫陶を受けているユーリには確かな熱を持っているのだとわかる。
だが――
「至宝って、要は子種製造機ってことだろうよ。将来、俺の知らないところで俺のあれが売買されるかと思うとゾッとする」
「それは闇市場の話でしょう。もし貴族のモノに手を出したと知れたら、一族郎党皆殺しですよ」
「どうだか。汚職と癒着は世の常だ」
「若様……どうしてそう捻くれるのです」
「俺は父さんのように立派な人間になれない。母さん達にそうするように沢山の愛を振りまいて、満足させられる大層な人間にはな」
「それが家を出る理由ですか」
「そうだ。俺は、この世でただ一人。俺にとって極上の女性を見つける。そのために旅に出る!」
やおらにユーリは地面に拳を打ちつけた。
爆破の術式を解放したことで、同時に土煙が巻き起こる。
「この御馬鹿様! 今のご時勢で男が身一つで旅をするなど、飛んで火にいる夏の虫、宝の山が自らならず者達の前に姿をさらすようなもの!! 行きなさい、お前達」
闇に潜んでいたヨルカゼ以外の隠密侍従が動き出す。
(ヨルカゼめ……さすが俺の師匠だぜ、相変わらず容赦ない。だが――)
本命はヨルカゼだけ。他の侍従たちはユーリのことを傷つけ慣れていない。
一人目。打ち上げ気味の掌底を避け、腕が伸びきった所を掴んで投げ飛ばす。
二人目。足払いしてきた侍従の足を、逆に術式強化した足でさらにその下から掬い上げるように蹴り飛ばす。
三人目。懐まで飛び込んできた侍従を、肘の回転打ちで、あごを捉えて気絶させる。
四人目。背後をとり、首筋にクナイを当ててきた侍従が一人。ここでユーリが裏技を使う。クナイに自ら触れてクナイの温度を極端に上げる。赤くなるほどに。
「っ……!」
流石に訓練された侍従もこの熱さには驚きを隠せない。
その隙に、すぐさま腹部に当身をして気絶させる。
そして本命。ヨルカゼが斬り込んできた。ユーリの師匠の一人であり、ユーリの戦闘スタイルの下地を作った女性だ。
幼い頃から同じ屋敷で育った彼女はユーリにとって、数多い姉達と同じく、もう一人の姉のような存在だ。
彼女は四季に恵まれた島国出身のシノビと呼ばれた戦闘集団、その末裔だった。
彼女の5代前が、大陸に渡りシノビを隠密侍従として昇華させたという。
ユーリのナイフとヨルカゼの刀が火花を散らす。影みたいに音も無く、風のようにすばやいくせに、その剣戟は岩の如く重い。
ユーリは我が師匠ながらなんて恐ろしいと冷や汗をかいた。
「優秀すぎるというのも考え物ですね、若様」
「師匠が優秀だったからだろう」
ユーリは強引にナイフで刀を押し返した。
「大恩あるマクドガル家のため、若様には多少痛い目をみてもらっても行かせるわけには参りません。 奥伝の一、はやにえ・蜃打ち」
奥伝を出してきた。ならばと、ユーリも裏技を惜しげもなく使用することを解禁した。
――震えろ、その魂。
そんな言葉を起動呪文にしているユーリの裏技。それは触れているモノの温度を上げるという極々単純なもの。他の魔法でも代用は利くだろう。
だがこの裏技、ユーリが生まれた頃から使えた先天的なもの。制御を誤って怪我をさせたヒトが何人かいたほどだ。
奥伝により数十人の分身を生み出したヨルカゼが一斉に襲い掛かってくる。
ユーリは意を決して、生まれ持った裏技――固有秩序――を解放した。
「響け、魂の熱よ!!」
~~~~~
~~~~~
東の大陸。フォーツクの港町。
「おばさん、リンゴーの実、二つ頂戴」
「はいよ。あら、ふたりともかわいいねえ。一角の旦那にも見初められるんじゃないかい?」
「あはは、そうだったらいいけどね。それじゃあね」
はむっ。道すがら、しゃきしゃきとしてみずみずしい果肉を頬張る。
「行儀が悪いですよ、お嬢様」
「お嬢様はやめろユキカゼ、気持ち悪い。ほれ、お前も食え」
お嬢様と呼ばれたのは女の格好をしたユーリであった。
化粧を施し、胸に詰め物をし、スカートをはく姿は、傍目には見目麗しい女性だ。
もっとも、骨格は男性のそれ。見る者が見れば違和感を感じるかもしれないが、男性が減っている今の世界において、気づく者は、少ないであろう。
ちなみにヨルカゼも今は黒のパンツルックではなく、ただのスカート姿だ。
「つうか、何で女装なんだ。これじゃあ、ただの変質者だ」
「帝国内で黒髪黒目の男性といえば若様くらいのもの。普通に男性の格好をしたら一発で身元がばれます。若様が望むのはそういうものではないのでしょう?」
ユーリの名前は、帝国内ではちょっとした有名人だ。また黒髪は帝国では珍しく、そうした特長で正体を見抜かれかねない。
ユーリの目的は、あくまで彼の考える真っ当な恋愛関係を結べる相手の存在だ。
もっとも、彼は抜けている所もある粗忽者であるため、それもどこか怪しいものであるが。
「まあ、そうなんだけど」
「……本当に行くのですか? 帝国内にも素敵なお嬢様はいらっしゃい数多くいらっしゃいますが。リーンベル様とか、シオン様とか、アリーシャ様とか。他にも味見をしても誰も咎めない、いえ、喜んで身を差し出す女性もいるでしょうに」
「……それがいやだから、俺は家を出たんだ。大丈夫、ちゃんと嫁さんを見つけたら一度は家に帰るよ。手紙も書くから」
「まったく、全男性総後宮持ち時代になんで若様はこんなにも捻くれてしまったのでしょう。世が世なら、女を思うがまま侍らすことが出来るのは、甲斐性を示す最高のステータスですのに」
「ソレも今じゃ男の義務だぞ。俺は義務で女を抱きたくない」
いつまでも続くヨルカゼの小言にそっぽ向いてユーリは言った。
「あら女の肢体はお気に召しませんか? たまに視線を感じるのですが……」
「だ、誰もそんなことは言ってない! というか、そういうことじゃない!」
「もしかして……不能だとか? それはいけません、そんな大事なことをどうして黙っていたのです?」
「よ、ヨルカゼの阿呆! そんなわけあるかよ!!」
ふんと肩をいからせて、ユーリはヨルカゼを置いてぐんぐんと前に進んだ。
「やれやれ……」
ヨルカゼはワガママな主人を追いかける。
森の中での決闘の末、ユーリはヨルカゼを下したのだ。
だが、泣いて行かないでと懇願するヨルカゼを前にして、ユーリは困ってしまった。
結果としてユーリは、そんなに心配なら従者としてついてこいと、つい提案してしまったのだ。
ユーリが女の涙に弱いと知っていたヨルカゼのファインプレーだった。
もっとも、ユーリに敗れてしまった時点で隠密侍従としては面目丸つぶれなのだが、そこはユーリの能力の高さを知っているマクドガル家としてはしょうがないと苦笑を漏らすところだ。
ユーリは貴族の男児にありがちな増長をすることは無かった。
ユーリの身の丈に合った謙虚さも評価される一端である。故に、噂が噂を呼んで、マクドガル家には見合いの話が後を絶たない。
だが、その反面、どこか甘っちょろい所があって、非情になれないという欠点があった。
このご時勢、貴族の男性には大別して2種類あって、一つは増長して女を好き勝手に扱い、食い散らかして遊び侍らす豪放タイプ。もう一つは、子種をばらまくという使命を理解して、多くの女性と器械的に行為に勤しむというタイプだ。
ユーリの父は上記二つのタイプに当てはまらない例外タイプ。数多くの女性とのロマンスを楽しみながら国に貢献するという、まさに愛の生産業者タイプだ。
例外的にこのタイプであったマクドガル家は、当主の愛をその身に十分に受けている各婦人の仲も、その娘たち異母姉妹の仲も非常に良く、性に対しても開放的な方向で理解があった。
そういう環境で育ったユーリだったが、ある時期を境に、そうしたマクドガル家の空気に居心地の悪さを感じるようになっていたのである。
「それでまずは何処に行くのです?」
呆れ顔のヨルカゼに問われたユーリは、意気込み十分な笑みを見せて応えた。
「とりあえず西だ! とにかく西を目指す。若者は西の荒野をいくと相場が決まっている!」
時折、変な言葉を口走るのが玉に瑕、ユーリにはいつものことだ。
ヨルカゼは、遅れてきた反抗期を迎えた主人に、今日何度目かのため息をついたのだった。
ユーリ=フォン=マクドガル。帝国の名門、マクドガル家に生まれた運命の子供。
彼は利発で賢く、隠密侍従隊や騎士団の薫陶を受けて体術にも優れたまさに傑物の器を持った少年だ。
そんな彼には一つだけ、誰にも明かしていない秘密があった。
それは彼が、2010年代の惑星「地球」に生きる日本人、春日井悠李という男の記憶を持って生まれたことだった。
第2話に続く。
読んでいただき、ありがとうございます。
感想などお待ちしております。