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第一話:死んではみたものの

 ちょうど三カ月前、俺はどうやら死んだみたい。


 「どうやら」もなにも、死んだことは確かだ。実家が葬式をあげて、両親が憔悴しきっているのを見て気まずい思いをしてきた。遺影の写真が自分だったことも確かめた。けど実感が全くない。なぜなら意識があるし、視界は良好だし、呼吸もしているつもりだし、物をつかむこともできるしと、死んだ心持ちがしないことばかりだからだ。ただ、ほとんどの人には俺の姿が見えていないようだし、すり抜けようと思えば壁はすり抜けられるし、ぶつかっても何しても痛くないし、ということを考えると、やっぱり死んだのかなあと思わなくもないが。とはいえ言葉にするなら「・・・死んだ?」という感じで、それでもなお生きているようなしかしやっぱり死んでいるような、まだこの中途半端な状況には、心も体も馴染んでいない。


 死に方は、自分でも震えが止まらなくなるくらい、しょうもなくて格好悪いものだった。

 いや、正しくは、死因は交通事故死なので、ごくごくありふれたものなのだが、その事故に至った経緯が、生きている中で一番情けないと思うものだったのだ。


 生前の俺は、大学三年生。サークルのやつらとの遊びにかまけて、勤勉さのかけらもない学生だったので、比較的真面目な同じ学科の連中やお世話になっている教授から、「ヌケ作」と呼ばれてバカにされていた。名前が「秀作」という、実態とは真逆のものだったから。でも当のヌケ作ちゃんは、それすらうちの親が放ったタチの悪いギャグ程度にしか思っていなくて、気にせず毎日楽しく大学に通っていた。

 そんな俺が、唯一(表向きは)とてもまっとうな態度で臨んでいた授業があった。数あるジャンルの中から四年間でよっつ選んで取ればいい、一般教養の授業のひとつだ。これは全学科共通だから、同じ教室にいろんな学科の学生が集まって学習する。

 そして俺と同じやつを選択した学生の中に、ある女の子がいた。

 いつも長い髪をポニーテールにしている。その髪の毛は、烏の濡れ羽色という言葉がぴったりの、紫がかって見えるほど黒くて艶やかだ。いっさい飾り気のないモノトーンの地味な服装で、決してイマドキの大学生には見えない。でも、色白で全体の線が細く、手先の動きがしなやかで、形のよい唇は常にゆるく一文字に閉じられ、涙袋の大きな二重の目がときどき疲れや眠気をあらわにして伏しがちになる、そんなどこか物憂げな表情が美しい人だった。周りがファッション誌からそっくりそのまま切りぬいたような子ばかりなので、かえって彼女みたいなタイプに目がいったのかもしれない。

 名前は分からない。どこの学科かも知らない。研究発表などもなく、ただ教授のちょっと何言ってるか分かんない話の数々を聞いて感心していればいいだけの、良く言えば学生の向学心と自主性が試される、悪く言えばサボり放題のゆるいスタイルの授業だ。自分から接触を持たなければふれあうこともない。だから声を聞いたことすらない。単に一緒の部屋にいるだけの存在だ。それでも彼女のことが気になってしょうがなかった。きっとこれが、一目ぼれというやつなんだなと思った。

 声をかける勇気は出なかったものの、とにかく一秒でも彼女と同じ空気を吸っていたいと思うほど、俺の意識は彼女に傾いていた。居眠りなんて出来ない。他の授業の課題を隠れてやることも出来ない。彼女を繰り返しチラ見することで一生懸命だった。


 その日、俺は正門に続く桜並木の前の横断歩道付近を歩いていた。

 あの授業で一緒の彼女が、ひとり俯いて歩いているのが、数十メートル先に見える。昔はああやって俯いて歩く地味なやつのことを全員ひとくくりに、ネクラだ何だと言ってバカにしていたが、彼女を見るとそれが愚かな行為だったようにも思えてしまう。俯いて歩く彼女は、とても美しかった。ゆらゆら揺れるポニーテールの不安定な感じは、非現実的ですらある。

 そんな彼女は横断歩道を渡りながら、かばんから何かを取りだそうとしていた。途中で電話でもかかってきたのだろうか。

 かばんからハンカチと思しきものが落っこちた。

 彼女は気づかずに歩いていってしまう。

 俺はとっさにそれを拾いに行こうと思いついていた。「落としましたよ」と言って、彼女にそれを手渡すのだ。ひょっとしたら「ありがとう」と言ってくれるかもしれない。何も言わないまでも、会釈をしてくれるかもしれない。指先が少し触れるくらいのことなら起こるかもしれない。そしてもしかしたら、あの一文字に結ばれた唇が、あの憂鬱そうな目が、わずかでも微笑むかもしれないじゃないか。

 脳をフルに使用したハイスピードな皮算用ではじきだしたさまざまな打算を胸に、俺は横断歩道へ全速力で走る。

 が、このとき俺は、文字通り致命的なミスを犯していた。

 彼女が渡りきる少し前に、すでに信号は点滅していた。だからつまり、俺があわてて渡ったとき、歩行者信号は赤であり、自動車の信号は青だったのだ。

 当然のごとく、俺は走ってきた車にぶちあたった。

 悪いことは続くもので、このときは救急車の到着が遅く、転んだ衝撃で頭はかなり打ち付けたし、病院も受け入れ先がなかなか決まらず、ようやく病院が決まった頃にはすでにかなり危険な状態だったようで、懸命の手術もむなしく、意識が回復することなくそのままご臨終とあいなった。

 なんだか、そこそこいい点かもしれなかったテストを、回答欄間違えて全部パーにして終わったような人生だったなあ。


 さて、そんなわけで不本意ながら死んだらしい俺だが。

 それを未練とみなされているのか、いつまでたっても消えない。成仏しない。

 死んだのが夏休みに入る前、七月のあたまのことだった。しかし蝉がようやく人生を謳歌する頃になっても、俺はまだ自分の住んでいた家の近くや、大学の前をさまよっていた。ほとんどの人は俺の姿が見えていないようだが、まれに見えるやつもいるらしく、薄気味悪そうにこちらを見ていたり、何らかの形で俺が生きていないことに気づくのか青くなって目をそらしたり、そういうやつもいた。

 はじめはまあ、もうちょっとぶらぶらしてからいなくなるのもいいかと思っていた。

 しかし実家で四十九日の法要をすませ、そのときも住職がお経をむにゃむにゃしていったのに、俺の姿が消えることはなかった。人間体質によって同じ風邪薬も効く人効かない人がいるみたいに、お経にも体質が関係するのだろうか。

 九月に入っても、いっこうに成仏出来そうな気配はない。

 しかたがないので、俺は自力で成仏できる方法を探して歩くことにした。


 といっても、思いついた方法は、そこらへんにいる幽霊と思しきやつに、どうやったら成仏できるものかを尋ねてまわることくらいだった。

 そしてこれもすぐに限界を迎える。


 この人死んでるな、と思った人に、俺は片っ端から声をかけた。はじめは声をかけても無視されることが多く、話を切り出しても相手は怒りだすばかりで、ちゃんと答えてくれる人はいなかった。初めてまともに相手をしてくれたのが、大学近くの公園の大きな木の下にたたずむ、よれよれのスーツを着た冴えないおっさんだった。

 「あのう、大変失礼なことをお聞きしますが、あなたは死んでますよね?」

 「死んでおりますが、それが何か?」

 声が弱弱しかった。

 「僕もこのあいだ、そこに大学ありますよね、あそこの横断歩道で死んだものなのです」

 「そうですか、若いのにお気の毒です。私のような、会社にも家庭にも居場所のなくなったしがない中年男がこうして首を吊って死ぬのなら、どうってことはないでしょうに」

 「いいえ、そんなことは。なんというか、あのなんか、なんかすみません」

 大変申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、俺は話をつづけた。

 「そこでよかったら教えていただきたいのですが、どうしたら僕は成仏できるのでしょうか。お経を聞いても全く成仏できる気配がなくて。もう自力で頑張るしかないと思うのですが、初めて死んだものだから、その方法も分からないのです。聞いても怒鳴るばかりで、誰も教えてくれないし」

 するとおっさんは、これまた悲しそうに微笑みながら、俺に諭すように言った。

 「おにいさん、それは私にも分かりませんよ。私ももう死んで三年と八カ月ほどになるようですが、あのとき生まれて初めて死んだのです。おまけに生きていた頃は、まさか自分が死んでこのようなことになるなんて、想像さえもしなかった。どう死ぬかに関係なく、死ぬ人はおそらくみんなそうでしょうよ。もしそのような方法を知っていたなら、どうしていつまでもこんなところにいましょうか。とっくに成仏して、今頃は先に逝った愛犬とたわむれているでしょうよ」

 おっさんの言うことは正論すぎるくらい正論で、もう黙って頭を下げるしかなかった。

 「少なくとも幽霊としてここにいる人は、みんな一緒だ。成仏する方法なんか、あるなら自分が教えてもらいたいくらいですよ。おにいさんのことを快く思わず、怒鳴りつけた人もいるようですが、その気持ちも少しは分かります。特に自殺した人間はね、そうもなるでしょうよ。この世に嫌気がさして、いっそ消えてしまえば楽になるからと、いいえ消えてしまわなくてはならないほど追いつめられたから、自ら死ぬ恐怖にも耐え、ようやく死ねたと思ったら、このざまですよ。死は消えてしまうための最後の手段だったのに、いつまでもあの生前のみじめな気持ちを背負って、この世をさまよい続けるのかと思ったら、そりゃあ誰だって、誰だってねえ・・・」

 とうとうおっさんはさめざめと泣きだしてしまった。ことのほか踏んではいけない地雷を踏んでしまった。気まずさに耐えられなくなり、俺はひたすら嗚咽するおっさんに全力で土下座をし、逃げるようにその場を立ち去った。

 唯一思いついた方法が、こうして嫌な後味だけを残して消えていった。


 おっさん事件がトラウマになり、他の幽霊らしき人とも接触がはかれなくなった俺は、途方に暮れた。そして十月を迎えた。

 思い起こすのは、生前の楽しかったことばかり。

 随分と早い段階でパーになっちゃったけど、遊びもしたし恋もしたし、まあまあ楽しい人生だったのではなかろうか。

 心残りは、置いてきてしまった両親のことだ。

 俺の葬式でふたりが見せたやつれっぷりが、相当深く胸に突き刺さっていた。母さんなんかはもう、今にも倒れてそのまま息を引き取ってしまうのではないかと思うくらい、げっそりとしていた。座っているのがやっとの様子で、親戚に支えられてようやくそこにいるような状態だった。父さんは喪主だということもあって気丈にはしていたけど、俺は知っている。母さんを寝かせたあと、ひとりでリビングに下りていき、俺の写真を見ながら声を殺して泣いていた父さんを。見たこともない父さんだった。

 無理もない。ふたりには俺と妹しか子どもはいなかった。

 そして妹は、三年前に死んでいた。元々ひどく変わり者で、俺自身もあまり仲良くはなかったくらいだから、当然周囲にもなかなかなじめず、小中学校ではずっといじめを受けて精神的にまいっていた。高校生になるころにはもう人と普通にコミュニケーションを取ることが難しくなっていて、病院に通って薬を飲んで、両親に温かく見守られながらどうにか学校へ通っている状態だった。けどそれでもあいつは辛かったようだ。ある日あいつは高校の校舎の屋上から飛び降りた。屋上のドアにはカギといくつものチェーンがかけられていたが、あいつはそれを何日もかけて少しずつ壊して開けたようだと、警察や学校の人が言っているのを聞いた。

 俺と両親はすごく仲が良かった。どこがと言われるとどことも言えないけど、それなりに尊敬していたし、大事な存在だった。だから妹が死んでふたりが気を落としていたとき、俺はこのふたりがどうにか立ち直ってくれるよう願った。余計仲良くなった。一方で、自殺した妹のことは、両親をこんなにも悲しませて、自分のことだけしか考えないでほいほい死んでいくとは愚かなやつだと思うようになった。だから生前、妹の墓の前で真剣に手を合わせたことは、はっきり言って一度もない。

 今思えばネクラだってバカにしていたやつの、典型的な一例だった。妹は、あいつは。ずっと下を向いていて、誰とも一緒にいない。薬を飲み飲み、「死にたい」を連発しながらいつもつまらなそうに息をしている。そんな妹の姿しか俺は思い出せなかった。

 けどこうなってしまっては俺も妹のことは笑えない。それどころか、もっとひどいことをしてしまったようにも思える。

 それだけは悔やんでも悔やみきれなかった。


 いや、もうひとつあった。これは「心残り」といっていいものなのかどうか、分からないけれど。

 彼女のことだ。彼女はどうしているだろう。

 俺が事故にあった瞬間を、彼女は近くで見ているはずだった。間近で人ひとり死んだということに、彼女はどんな反応をしただろうか。見ず知らずの人間だとはいえ、ひどいショックを受けていやしないか。心配でしょうがない。あの大きくて形のよい目に、不安や恐怖の涙をためていやしないか。

 そんなことを考えているうちに、自然と足は大学へと向かっていた。死んでからというもの身体がとても軽い。どんなに歩いても疲れない。するすると滑るように歩けてしまう。生きている間にこの感じがあれば、遅刻なんか絶対してないのにな。

 彼女の姿を探した。

 嬉しいことに、すぐ見つかった。

 彼女は相変わらずポニーテールをふわふわと揺らし、俯いて歩いていた。七月のあたまによく彼女がはいていた膝丈のスカートは、今足首までのものにかわっている。マキシ丈とか言うんだったかな。上も半袖ではなく長袖だ。それにしても、本当に彼女が身につける色は少ない。そしてデザインも恐ろしくシンプルだ。

 こうして見ている分には、彼女には何事も困ったことは起きていなさそうだ。

 ただ、どうしても心配で。学校の外でも、同じように大丈夫だろうか。


 多分それは所詮言い訳だった。きっと単に、彼女の私生活をのぞいてみたかっただけなのだ。最悪だと自分で思わないためにとってつけた理由。

 死んでいるのだから見ること以外何も出来ない、だから彼女に迷惑をかけることもないだろうと思った。当然だ、もちろん生きていたらこんなことは出来ないし、第一しようとも思わない・・・というのも、自分で考えて何か都合がよすぎる言い分のようで気持ちが悪いけど。


 俺は覚悟を決めて最悪な計画を立てた。

 彼女の部屋に、入ろう。

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