兎、夢を見る
俺は気がついたら公園のベンチに座っていた。そこにはどこか懐かしい雰囲気が漂っていて、同時に無性に寂しく感じた。
誰もいない公園で、ブランコだけが微風で微かに揺れていた。
「俺はここを知っている。」
来た覚えも見た覚えも無いが、どこに何があるのか不思議な程に把握している。
「ここは、おまえさんの深層心理の入り口さ。」
とっさに声のした方を見ると、滑り台の上に兎がいた。と言ってもただの兎じゃない。人型の兎だ。
普段なら俺に気付かせずに背後に立つものには最大限の警戒をするのだが、何故だろう、この兎は無害だと言い切れる確信があった。まるで鏡の中の自分を見ているようだ。
「ここは?」
「分かりやすく言うと、おまえさんの夢の中だ。まぁ、正確には違うが今はその認識で問題ないな。」
兎は滑り台を滑って俺の隣に座った。兎の身長は俺より少し高いくらいだが、耳のせいで大分高く見える。
「あんたは誰だ?」
「それは、おまえさんが一番よく知ってる筈だぜ?」
おかしそうに兎は笑う。その笑みは親友に向けるような楽しげなものだ。だが、もちろん俺には兎の友達なんていない。というより友達と言える奴がいない。咲夜が唯一それに近いかもしれないが、よく分からない。
「あんたが俺をここに呼んだのか?」
俺の質問に兎は少し真面目な顔になった……ように見えた。俺に兎の表情なんて見分けられる訳がない。
「今日は忠告しようと思って、おまえさんを呼んだんだよ。
おまえさん、大切な人ができただろ?でなくたって出来かけてるだろ?」
兎の言葉に咲夜の顔が浮かんだが、先も言った通り、俺にはよく分からない。
「いや、別にそれが悪いなんて言っちゃいねぇよ。
ただ、おまえさんはその子を何があっても守ってやって欲しいんだ。」
「なんで、あんたにそんなことを言われなければいけないんだ?」
別に咲夜を守らないと言っているのではない。兎なんかに言われなくたって守る。気になるのはなぜ兎がわざわざそんなことを言うかだ。
「俺は"錠"なんだよ。ここと、あっちを繋ぐ"錠"。」
兎があっちと言って指す方向には住宅しかなかった。だが、俺にはとてつもなくそこが嫌な場所に思えて仕方なかった。
「そして、おまえさんが大切にしている奴が"鍵"だ。そして、扉を開けるのがおまえさんだ。」
兎の話は俺には理解できない。だが、兎の言うことは嘘ではないというのは何故か分かった。
「よく分からないけど、要は咲夜を守ればいいんだろ?」
「あぁ、そうだ。
……そうか、咲夜って言うのか。おまえさんが名前を覚えているんだから、もう決まりなんだろうな。」
兎は嬉しそうな、そして悲しそうな顔を浮かべた。俺には何となく、そう感じられた。
気がつくと辺りがもう暗くなり始めている。
陰の落ちる公園はどこか不気味で、本能がここに長居することを拒絶していた。
「どうやらもう時間のようだな。
もしも、おまえさんが咲夜を守る力をどうしても欲するなら、ここを訪ねに来るといい。」
そう兎は言うと、先ほど兎が指した住宅街の方へゆっくり歩いていく。そして住宅街からは暗闇が世界を飲み込むかのような勢いで広がってきた。それは陰とは明らかに違うもので飲み込まれたらもう戻ってこれないものであると何故か俺は知っていた。まるで暗闇が兎を迎えに来たかのようだ。
「おまえさんは、そろそろ幸せになってもいい頃だと俺は思うぜ。」
兎はとうとう暗闇に完全に飲み込まれ、消えた。それと同時に俺の意識も途切れた。